最終話「エピローグ:北九州市門司区」
トンネルを抜けると、JR門司駅だった。
そこで電車を乗り換えて2駅、JR門司港駅に着く。
(変わらないものもあるのね)
赤煉瓦の駅舎に駅前のビル。あの頃より外国人も観光客も増えたと思う。
それを横目に右へ。少し歩けば2号線に出る。
公民館はなくなり、通りは寂れて昼間なのにシャッターが閉まっている。
(50年か……)
そんな感想しか出てこない。
102招待所にいた頃は夢に見るほど焦がれた場所だったのに。
トンネルの料金所を左に見ながら更に坂を登る。
(あった)
『風師食堂』
あの頃のペンキが剥がれ、新しくした看板さえも薄くなっている。
それでものれんがかかって営業している事がわかる。
「いらっしゃい!」
その声に泣きそうになる。フウカだ。50年振りに見る妹は髪に白いものが多くなり、少し背中が丸くなっている。
「カツカレーを」
テーブルに座るなり言った。この風師食堂は祖父が始めた店で、門司港で働く人が多く通った。そのため早く出せるカレーが看板メニューだった。それにトンカツを乗せたカツカレーは給料日だけの贅沢メニューと言われていた。
ピコンとスマホが鳴る。島からだ。
『店長は旅行ですが、お店は営業してます』
とテーブルでくつろぐ猫の写真と一緒にインスタが更新された。
不意に横の壁の写真に目がいく。
ベニア板に写真が何枚も留められている。それの一番下、食堂前で家族と撮った集合写真だ。
「カツカレー、お待ちどうさま!」
フウカが写真を見ている私に気づく。
「それ、もう50年以上前の写真なんよ」
知ってる。でも言えない。
「どれが亡くなったお姉さん?」
そう聞くと不思議そうな顔をした。
「この写真撮ったすぐ後に海で死んだって……関門海峡は流れが早いけん、遺体はどっかに流れたんやろうっち」
「母がトウカさんの同級生なんです」
それで納得したようだ。別の写真を奥から出してきた。
「この人が姉さん。これは直前に餅つきを公民館でしよった時の。この後、私がいらん事言ったけん、姉さんは海に行った。それで落ちて死んだと」
そんな事ないと、言いたかった。
でも、それを否定すれば――
ここにいる理由が、すべて崩れてしまう。
「……そうなんですね」
それだけ言って、スプーンを取る。
カレーは、少し甘かった。
昔より、ほんの少しだけ。
「ご飯、多めにしとるけんね」
フウカはそう言って笑う。
その笑い方が、昔と同じで、胸の奥が静かに痛んだ。
(ああ……生きてる)
それだけで、充分だった。
壁の写真にもう一度目をやる。
若い母。
祖父。
祖母。
そして――真ん中で笑っている、私。
そこに写っている私は、
この町の時間の中で、ちゃんと『死んでいる』。
それでいい。
カツを一切れ口に運ぶ。
(……給料日やったね)
誰にも聞こえない声で、そう思う。
食べ終えて、代金を置く。
「ごちそうさまでした」
「ありがとう。また来てね」
フウカは、何も疑わない。
疑う必要がないから。
店を出ると、潮の匂いがした。
関門海峡の風が、いつも通りに吹いている。
振り返らない。
もう、振り返る必要はない。
私は『帰ってきた』わけじゃない。
ただ、確かめに来ただけ。
ここに、確かに時間が流れていたことを。
スマホが、もう一度鳴る。
島からの通知。
猫が店先で昼寝している写真。
――帰る場所は、もうある。
私は歩き出す。
門司の坂を、今度は下るために。
「外伝」はここで終了です。
明日からは本編。さくら達のストーリーに戻ります。
これからもよろしくお願いします。




