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魔法少女はおむつが必要だなんて聞いてません!  作者: 062
外伝「望郷のトウカ」

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第16話「赤城ミサキ」

「助かったわ、ミサキ」


母は玄関を開けるなり、「ただいま」より先にそう言った。


「ミリ同志、あのままだったら処刑台にまっしぐらだっただろうね」


上着を脱ぎながら、さらっと恐ろしいことを言う。


李ミリ同志。偉大なる指導者、李イルジョン委員長の末娘。

わたしの『催眠』で見た彼女の心は――はっきり、『後継者』を狙っていた。


イルジョン委員長は必要なら冷酷になれる人だ。為政者には必要な資質だと、わたしも思う。だからこの国に混乱をもたらすなら、実の娘だって『粛清』しただろう。


「それでミリ同志は?」

「お父さんが使ってた家、というか研究所を使うことにしてる」


父は七年前に肺の病で亡くなった。

もっと言えば父と母の新婚当初に住んでいた場所で、今は『異能研究』の拠点。必要なら思い出の場所も他人に差し出す。


母だって、立派に為政者だ。


♦︎♦︎♦︎


翌日。


「よろしくお願いします。ミリ同志。案内役の赤城ミサキ少尉です」


玄関で敬礼すると、李ミリ同志はじっとわたしの顔を見つめた。


「ミサキ少尉。あなた、トウカ少将のご息女よね?なぜ名字が違うの?」


その『首をかしげる』感じで、ようやく合点がいった。


「ああ、この国では結婚しても名字はそのままですよね? 両親とも日本人ですから、本来ならどちらかの姓に変えるところですが……この国で生きると決めたので、こちらの慣習にならったと聞いています」


「……なるほど。もう一つ、いいかしら?」

「どうぞ」

「あなた、本当に二十歳? わたくしには小学生にしか見えないのだけれど?」


(来た)


心の中でため息をつく。

慣れているとはいえ、毎回、胸のどこかに小さな針が刺さる。


「それはミリ同志が『困難の行軍』を知らないからです」


できるだけ真面目な声で返す。


「わたしは、この身体が『不適当』だと思ったことは一度もありません」


『困難の行軍』――1991年のソ連崩壊から始まった飢饉。配給は減少し、やがて止まった。

あの数年、各地の暴動を『抑える』ために飛び回った。


その結果が、この身長と、この体型。


ミリ同志はくすくすと笑った。


「合格よ。あなたのプロパガンダとして、正しいわ」

「……知ってたんですね」


わたしがそう言うと、ミリ同志はあっさりうなずいた。


「ええ。あなたの身体が『異能』のせいで成長が止まったこと。ここにある資料は、全部目を通したから」


さらっと、とんでもないことを言う。


この研究所にある資料は、父が残した旧日本軍の文書とそれを元にした研究書類、母が戦いの中で集めた実戦記録、異能少女ごとのプロファイル……ざっと百冊は超えている。

それを一晩で、らしい。


(本当に……とんでもない人が来た)


「じゃあ、行きましょうか。まずは中を案内するわ」


母の思い出があちこちに残る廊下を歩きながら、わたしたちは研究所の中を巡った。


♦︎♦︎♦︎


一通り案内が終わる頃には、ミリ同志の「頭の中の地図」は完全に出来上がっているように見えた。


司令室、資料室、訓練場、簡易ラボ、発電設備、非常食庫。


「よく、この設備と人員で『困難の行軍』を乗り切れたわね」


何気なさそうに言われて、心臓が一瞬だけ縮む。


(ああ、やっぱりそこを見るか)


異能少女隊、そして黄州周辺。

『困難の行軍』の最中、この地区だけは餓死者がほとんど出なかった。


それは偶然でも奇跡でもなく――


「……ミリ同志。南の首都、南城市には行ったことありますか?」


わたしは質問を質問で返した。


「いいえ、リスクが高すぎるもの。でも、南側の資本主義は、なかなかに興味深いわ」


「そうですか。――じゃあ、今から行きませんか?」


ミリ同志の瞳が、わずかに輝いた。

好奇心の色。危険な色でもある。


「理由を聞いても?」

「わたしが、『どうやってここだけを飢えさせなかったか』を見てもらうためです」


少しだけ間を置いてから付け加える。


「条件はひとつ。今日見ることは、ここだけの秘密にしてください」


ミリ同志は、ほんの短い沈黙のあと、にっこりと笑った。


「交渉成立ね、ミサキ少尉」


早速準備に取り掛かる。父の研究部屋の古びたインクジェットプリンターが、文句を言うような音を立てている。


「……それ、本当に現役なの?」


ミリ同志が珍しそうに覗き込む。


「はい。十年前からの相棒ですから」


プリンターから出てくるのは、十ドル札の『ようなもの』


デザインはそれなり。

色味は、ギリギリ。

紙質は、正直アウト。


「ひどい出来ね」


率直な感想が飛んできた。


「でしょう? でも『ある条件』を満たすと、これで十分なんです」


わたしはプリントしたばかりの『十ドル札』を何枚か財布に入れ、代わりに軍から支給された公式身分証をポケットの奥にしまった。


「行きましょう、ミリ同志」


「どこへ?」

「決まってます。『半島南側の国』へです」


廊下から靴を履いて庭に出る。手には1本のホウキ。


「二人乗り、可能なの?」

「母がお手本でしたから。慣れています」


ミリ同志を後ろに乗せ、わたしたちは静かに大空へ浮かび上がる。


♦︎♦︎♦︎


半島南側の国、首都・南城市。近保国際空港。


午後3時過ぎ、空港の雑踏はわたし達をどこにでもいる女の子にする。


「ここからが本番です」


両替カウンターの列に並ぶ。

窓口には、眠たそうな顔をした若い行員がいる。


「ミリ同志、よく見ていてください」


わたしは、自分の財布から『粗雑な』十ドル札を数枚取り出し、カウンターに滑らせた。


行員が札を手に取った、その瞬間――


(大丈夫、大丈夫。あなたの今日の仕事は、もう終わったも同然。面倒なことは全部“いつも通り”でいい)


視線を合わせ、わたしはほんの少しだけ『感情のボリューム』をいじる。


疑念と警戒を、退屈と安心に変える。

「異常を探そう」という意識を、「早く終わってほしい」に。


十秒もかからない。


行員は、マニュアル通りの動作をしながら、何も疑わずに札をカウントする。


そして――


「テン・ダラー……オーケー」


カウンターの奥から、本物の南側通貨が戻ってきた。


「……簡単、でしょう?」


カウンターを離れながら、小声で言う。


ミリ同志は、わたしの横顔をまじまじと見つめていた。


「あなた、やっぱり天才ね」


「えへへ……母には怒られたんですけどね。最初にやった時」


十歳の頃。

飢えた異能少女たちと、病棟の子どもたちをどうしても助けたくて、わたしはこの“インチキ”を思いついた。


古いプリンターでドル札を印刷し、空港で両替。

得たお金で缶詰や粉ミルクを買い込み、黄州まで持ち帰った。


「農村から回してもらったのよ」と嘘をついたけれど、母はすぐに気づいた。

こっぴどく怒られて、二度と勝手にやるなと言われた。


その数ヶ月後、朴ソンミン少将(当時は少尉だったっけ)に呼び出されるまでは。


「あなたのその『発想』は、国家レベルに拡張できる」と言われた。

それが、『困難の行軍』を越えるための国策のおおもとになった。


でも――


「わたしがやったのは、ここ。黄州の周りだけです。南側の空港で両替して、食べ物を買って、子どもたちに渡した。それだけ」


ミリ同志は、少しだけ目を細めた。


「でも、その『原理』を見つけたのはあなた。朴少将はそれを『国家に転用』しただけよ」

「……そうかもしれません」


わたしは曖昧に笑った。


「じゃあ、せっかく南城市に来たんですから。少し、遊びませんか?」


♦︎♦︎♦︎


南城市の繁華街は、夜でも明るかった。


ショッピングモール。

大通り沿いのファッションビル。

通りすがりの屋台から漂ってくる甘い匂い。


「……モスコーより、雑ね。でも『生きている』」


ミリ同志の感想は、一言で本質を突いていた。わたしたちは、両替したお金でいくつかの店を回った。


• ミリ同志用の、目立たないジャケットとスニーカー。

• わたし用の、年相応に見えるワンピース(と言っても、どう見ても“小学生サイズ”だが)。

• 研究所で皆と分けるためのチョコレートとクッキー。


「これ、おいしいです!」


焼きたてのホットクを食べながらそう言うと、ミリ同志はくすっと笑った。


「危険だわ。こんなものが毎日手に入る世界なら、革命なんて起きない」

「そうでしょうか?」

「ええ。『満腹な人間』は、自分で考えるのをやめるもの。――飢えすぎても、考える前に死ぬけれど」


その言い方が妙に大人で、でもどこか同じ年頃の女の子っぽくて、わたしは少しだけ安心した。


「ミサキ」


帰り道、橋の上で足を止めながら、ミリ同志が言った。


「あなたは、『国』を救おうとしたの?」


「いいえ」


即答だった。


「わたしは、『自分の手の届く範囲』だけを守りました。母と、仲間と、黄州の子どもたちだけです」


それが、十歳のときに選べた範囲の限界だった。

ミリ同志は、夜景を見下ろしながらぽつりと言う。


「わたくしはずっと、『国をどう動かすか』ばかり考えてきた。制度、法律、権力、情報……でも、あなたのやり方はもっと原始的で、もっとまっすぐね」

「褒めてるんですか?」

「もちろん」


ミリ同志は、初めて『同年代』の顔で笑った。


「ミサキ少尉。いや、ミサキ。友達になってくれる?」


夜の南城市の風が、少しだけ優しくなった気がした。


♦︎♦︎♦︎


帰りのホウキは、行きよりも軽く感じた。


国境を越え、黄州の灯りが見えたところで、ミリ同志がぽつりと呟く。


「ミサキ。わたくしは『この国』を掌握するわ。そのためにあなたが必要なの。わたくしの『右腕』になってくれない?」


知ってる。だってわたしは『異能少女』。

あなたが考えた瞬間にわたしには『わかる』。


「条件があるの。ミリ同志」

「ミリでいいわ。2人の時は。それで何?」


すっと息を吸う。覚悟を決める。


「母さんを。いえ、この国内にいる『異能少女』達を日本に帰して。成功報酬で構わない」


それは今の『この国』の決定・判断に逆らう行為。バレたら良くて除隊、悪ければ処刑。


「……10年、20年かかっても実現させるわ」


ぽっかりと浮かんだ月だけがわたし達の『約束の証人』だった。

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