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魔法少女はおむつが必要だなんて聞いてません!  作者: 062
外伝「望郷のトウカ」

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第13話「1995年の別れ」

1995年2月。

黄州郊外の病院の窓から見える畑は、今年も雪に覆われていた。土の気配はどこにもなく、冷たい白がすべてを押しつぶしている。小麦も粟も育たない光景は、もう見慣れてしまった。


「……今年も足りないわね」


独り言のようにつぶやいても、返事はない。

ベッドに寝ているのは自分ではなく、赤城タケシだった。


「……寒く……ないか」


息が漏れるような声。

肺はもう、まともに働いていない。咳をすれば血がにじむようになって半年。


「私は寒くない。タケシさんこそ喋らなくていいのよ」


言い終える前にまた咳が続き、苦しさに顔がゆがむ。それでも、ほんの少しだけ笑おうとした。


「まだ……間に合うって……思うんだ」

「何に?」

「全部だよ。翻訳も……日本のことも……君のことも」


笑みになりきれない笑み。

それが余計に胸に刺さった。

すべての始まりは二十数年前――1971年。

赤城タケシが『異能少女ノ研究・概論』を半島語へ翻訳したこと。

そのせいで、『102招待所』は『異能研究所』に格上げされ、少女たちの『拉致』が『国家事業』になった。

タケシが一番よく知っている。


「……俺が訳さなきゃ……」

「誰かが訳していたわ。あなたじゃなくても」


きっぱりと言うと、タケシは弱く首を振った。


「でも……俺じゃなければ……トウカ……君は……門司で……別の人生だった」


言葉が咳に飲まれ、血が滲む。

トウカはそっと背中を支える。骨が薄くて、痛いほどわかる。


「新聞で『死亡扱い』にされた日から、私はもう戻れなかったの。翻訳がなくても、きっと私は連れてこられた。だったら、ここで生きてる子たちを『守る方』を選ぶしかない」


「守るために……悪に……?」

「そうよ。あなたを責める人間の代わりに、私が悪になる」


赦しであり、決意の告白でもあった。

タケシは目を閉じ、息を整える。


「……ミサキは?」

「今日は学校。あとで来る」


娘の名前を聞くと、空気がほんの少し柔らかくなる。ミサキは14歳になった。幼い身体のまま成長が止まってしまったのは、『幼少期から異能を使い続けた副作用』と推測されている。

だが心は大人びていて、『催眠』の異能を持つ。


怒りも恐怖も、絶望も別の感情に変える。


飢えた市民たちが暴動を起こすたび、ミサキの力は使われた。


遠くで軍靴の音が聞こえ、ノックもそこそこに扉が開いた。


朴ソンミンが入ってきた。若いのに、軍服の肩章がまぶしい。昇進の速度が、彼がどの階梯にいるかを物語っていた。


「赤城先生のご容体は伺っています」


礼儀正しいが感情は控えめ。

タケシは苦笑し、かすれ声で言う。


「政治家みたいな言い方だ」

「上に行くには必要です。……本題に入ります」


ソンミンの視線がタケシからトウカに移る。


「先生の翻訳と助言がなければ、この国の“異能戦力”は維持できませんでした。91年の食糧危機、都市暴動、本来なら大規模粛清に発展していたところを、異能少女たちが防ぎました」

「きれいな言い方ね」


トウカが遮る。

怒りでもなく無関心でもなく、ただ事実を告げる口調だった。


「私たちは、怒りと恐怖を『鎮めただけ』。銃声が鳴らない代わりに、不満は地面の下に溜まってる」


ソンミンはわずかに目を伏せる。


「それでも——地面の上の血を広げずに済んでいる」


その一言に、軍人と個人の両方の本音が含まれていた。


「個人としては……先生と少佐が、この国で最も多くの命を救っていると思っています」


タケシは驚き、声も返せない。

自分を許せていなかった男に、それは過ぎた言葉だった。


♦︎♦︎♦︎


赤城タケシの葬儀は雪の中で行われた。


国旗で覆われた棺、整列する軍人、異能少女たち、医師や看護師たち。銃声の代わりに拍手だけが響く。

ミサキは一番前で泣きじゃくり、袖を掴んでくる。


「お母さん……泣いていい?」

「泣きたいなら泣きなさい」


そう言ったのに、泣けたのは娘だけだった。

トウカは涙を拭きながら、泣かなかった。


(崩れたら、終わる)


棺が遠ざかっていくとき、小さく胸の中だけで呟いた。


(ごめんね。あなたが生きている間に、何も終わらせられなかった)


数日後、黄州郊外。

工場地帯の暴動鎮圧の依頼。

配給削減に怒った工員たちが数百人規模で集まっている。


トラックの荷台で、トウカとミサキは並んで座っていた。


「今日の人たち……『怒ってる』?」

「怒ってる。寒いし、怖いし、お腹も空いてる」

「……私、やる」

「無理だと思ったらすぐ言うこと」


トラックが止まる。怒号。金属音。兵士たちが銃を構えている。

一発でも撃てば、もう止まらない。


トウカは空に浮き、ミサキを抱き寄せて囁く。


「合図したら、目を開けて」


ホウキに跨った影が、怒りの渦の上に立つ。

群衆の視線が一斉に向き、暴力の熱が集中する。


(ごめんなさい)


誰にでも、誰にも、心の中でだけ謝る。


「ミサキ」

「うん——『鎮静』」


かすかな声。それだけで十分だった。

群衆が、怒りが、熱が解けていく。


銃声は鳴らず、都市は救われた。

だが、救われたのは『今日』だけだ。


ミサキが肩で息をしながら問う。


「……助かった?」

「ええ。今夜は」

「お母さん……悪い顔してる?」

「してるかもね。でも、それで守れる人がいるなら……それでいい」


抱き寄せたまま高度を上げると、雪に覆われた畑が広がっていた。

白の下には、見えないまま芽が眠っている。


(タケシさん)


胸の奥で呼びかける。


(あなたの罪も、私の罪も、雪の下に埋める。

いつか、この国が解ける日が来るまで)


『帰る』という言葉を口に出すのは、もうやめた。言った瞬間に、守れるものを失う気がしたからだ。


ミサキの温い身体を抱いたまま、母は夜の空を渡った。

雪は静かに降り続けていた。


――その下に、春を待つ種が確かに眠っていることを、誰も知らないまま。

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