第12話「戻らない2人」
鳥取県境港市・とある病院。
白いカーテン越しに、日本海の冬の光が薄く差し込んでいる。静かで、冷たい。敗北を誤魔化せない光だった。
上田理子 ——肋骨四本骨折。
あの少女に『敗れた』結果である。
ベッド脇の簡易テーブルには、『東京ひよこ』。差し入れらしいが、まだ箱は開けられていない。
ノックのあと、山岡龍馬が姿を見せた。
「調子は、いかがですか」
「このままコルセット固定。あさって東京へ転院。2週間もすれば退院だそうよ。以上が医者の見立て」
淡々と。必要最小限のみ。負けを認める声ではないが、勝者の声でもなかった。
山岡は椅子を引き、距離を取りすぎない距離に腰を下ろす。
「……報告を。海上保安庁から正式に依頼が来ました。今後『北側ルート』を本格的に調査します」
理子は頷く。その返しも淡い。
山岡はひとつ息を置いてから続けた。
「そして、僕はこの件から外れます。春の統一地方選で、地元・長野の県議会議員に立てと命じられました。……名目上、退職です」
公安警察は政治家も『造り出す』。
その道に入った、ということだ。
「あなたらしいじゃない。議会でも諜報でも、『分析』は役に立つわ」
理子は微笑むでもなく、ただ事実として言う。
山岡は、ふっと笑った。その表情を隠すように視線を落とし、声を落とす。
「先輩は……また空を飛ぶつもりですか」
「もちろん。あの少女が示した領域……『理解できないまま』なんて許されない」
瞳だけが、静かに燃えていた。『執念』と言ってよい鋭さで。
山岡は、ここで初めて真正面から切り込む。
「先輩は本当はどこで学びたいんですか。『連合王国』なんでしょう?」
理子は、明確に反応した。誤魔化さず、静かに応じる。
「ええ。魔法理論の中心。古典も実験もそろっている。行けるなら、今すぐにでも行きたい」
そこまで言って——言葉を止めた。
山岡が続きの言葉を補う。
「ですが、行けない。『長田洋子』が、世界にまだ『存在している』から」
理子は否定しない。
むしろ、その指摘に肩の力を少し抜いた。
「そういうこと。いま国外へ出れば——必ず『誰か』が接触してくる。『別のセクト』でも、他国の諜報でも。私は『物語の象徴』として利用される」
『魔女の声』ではなかった。
『過去を抱えている人間』の声だった。
『阪東邦夫』という男がいる。『シイバ山荘事件』をおこし、逮捕され、『別のセクト』にハイジャックで一本釣りされて、現在も世界のどこかで逃走中の男だ。彼ならば現在収監中の『長田洋子』が『影武者』だと知っている。
「だから私はまだ行けない。自分の名を消す方法を、手に入れるまでは」
病室の空気が少し揺れた。
山岡は立ち上がり、姿勢を正し——深く頭を下げた。
「ご武運を、先輩。……心から」
理子は一瞬だけ黙り、そして小さく微笑んだ。
「山岡君も。あなたはあなたの戦場で勝ちなさい」
言葉はそれで終わった。
それ以上、踏み込めば壊れてしまうものがあると——互いに理解していた。
ゆっくりと山岡がドアへ向かう。
ノブに手をかけたとき、もう一度だけ振り返った。
「……先輩。俺は……あなたのことを、尊敬しています」
『尊敬』と言いながら、
ほんのわずかに『恋慕』が滲む声だった。
理子は——気づかないふりをした。
山岡はそれ以上言わず、静かに去った。
背中を向けた瞬間、それは永遠に『未遂』となった。
扉が閉まる。
残された病室の静けさの中、理子はひとりつぶやく。
「……何か、何か天変地異でもあれば……」
その声には哀しみも迷いもなかった。
燃え尽きるような執念だけが灯っていた。
そして、10年後、1995年。
『阪神・淡路大震災』という名前でそれは起こる。
──この日を境に、2人は40年間会わなくなる。
次に同じ空気を吸うのは、奇しくも病室。
世界が崩れかけるクリスマスイブの夜だ。




