第8話「上田理子のやり方」
1982年 2月。東京都港区、羽田空港第1ターミナル。
ターゲットは最初から決まっていた。
帝国航空のパイロット——敦賀ハジメ。
理子は何の迷いもなく群衆の中を歩き、すれ違いざまに声をかけた。
「落としましたよ」
指先には金色の袖ボタン。
敦賀は反射的に自分の袖を見る。
確かにボタンが消えていた。
「どうもありがとうございます」
礼を言って受け取る。
その一瞬がすべてだった。
「『催眠』」
視界が歪む。
身体の奥底にノイズのような違和感。
しかし一拍遅れて、それも霧のように消える。
敦賀は何をされたのかすら気づかない。
ただ、いつものルートを歩いていく。
ボタンを渡した女性の姿はもうなかった。
—
その夜。千代田区・ホテルニュージパング。
9階の客室。
『英国人ビジネスマン』を名乗る男が、
大量のウイスキーをあおって眠りこけている。
偽装パスポート。偽名。偽造企業。そのすべての裏に、ソ連の匂い。
窓の外の夜気がふわりと動いた。
カーテンが揺れ、理子がするりと姿を現す。
ロープも、足場も、道具も必要ない。
飛べる女だけができる侵入。
卓上の灰皿には吸い殻が山のように積まれていた。
——十分。
指先が吸い殻を弾く。
魔力がわずかに走り、火がついた。
ほとんど音もなく、静かに炎が広がる。
その時、理子はあるものを発見する。眠る男性の横、ホルスターに入っているもの。
『コルト・パイソン』
この時代でも古式となった拳銃。
「貰っておきましょう」
理子は男性を一瞥しただけで窓から離脱した。
顔色ひとつ変えずに。手には拳銃を持って。
そして、ホテルは全焼し。
翌日、帝国航空機は羽田沖で墜落した。
数日後。千代田区内幸町、全日本産業経済研究所。
「上田先輩、例の件、引き継いでもらっていいですか?ウチの課、別件で捜査が入りまして……」
山岡が入って来るなり言った。
「お、ホテル火災と帝航機墜落が『連帯赤軍』の残党って情報でも入った?」
山岡は少し驚く。
「もう情報をつかんでいましたか!でも、少し違います。中東のイスラム系組織が大使館占拠とかハイジャックで日本が活動資金を『命は地球より重い』と渡した報復らしいとの情報です」
「なるほど、香港系は公安とも情報がつながっているわけか……」
その言葉に山岡は違和感を感じる。情報源はたしかに横浜を根城にする香港系の華僑だった。では、その華僑はどこでそんな情報を仕入れたのか?
「まさか、上田先輩、あなたが?」
「ふふん……それだけじゃないわ。5人の異なる系統の工作員にそれぞれ異なる情報を流したの。ある工作員には『ソ連の工作員の内輪揉め』とかね。するとどうなると思う?」
山岡はそこでやっと目の前にいる上田理子の狙いがわかった。仕入れた『情報』をその工作員たちはどうやって『上』に報告するのか、『それ』を観察しているのだ。
「しかし、『誰に言った』なんてプロの工作員は話さないでしょ?」
山岡が言っているのは『目的』を理解した上での『方法』の話だ。しかし、理子はそれまで考えた上での『実行』だった。
「それを可能にするから『魔法』なんでしょ?精神感応系の魔法でレポートが集まっているわ。レポート提出が命令だと『暗示』してる。さらに『上』にも接触して精神感応をかける」
それを繰り返せば『情報の流れ』が地図のように広がっていくだろう。そしてそれは捜査する『少女の失踪』にもつながっていくはずだと山岡は理解する。
「それにしても、都合良く大規模火災と帝航機墜落が起こりましたなぁ」
「え!……ええ、そうね……」
理子は視線をそらした。そのワザとらしさに流石に山岡も気づく。
「……アンタ、まさか!」
「あはは、『煙草の不始末』と『機長が精神疾患』だっただけよ!」
「なんでそれ知ってるんです?警視庁も東京消防庁も火災の原因はまだ調査中ですよ?帝航機墜落は昨日、事故調査委員会が羽田沖からフライトレコーダーを回収したばかりなのに!」
そう、これが上田理子のやり方だった。




