第12話「(閑話)大島敦子の決断」
4年前。東京都文京区・明王義塾学園。
「大島敦子教諭ね? 前田医官からお話は伺っています。私は水田マリ。この学園の――」
「事務長ですよね。知ってます。私も十年前まで“魔法少女”でしたから。」
目の前に、私の人生を再び動かすことになる女性がいた。
いや、“元・魔法少女”と言うべきか。
12年前、魔法少女制度を警察庁公安部から文部科学省へと移管させた二人のうちの一人。
水田マリ事務長である。
「次の4月からは、私が理事長になるわ。佐藤ゆりあが次の衆院選に出馬するから。」
その言葉に、私は小さく息を呑んだ。
ニュースで聞く政治の話が、急に身の回りに降りてきたような感覚だった。
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現理事長・佐藤ゆりあ。
2008年の政権交代で公安部が混乱していたその最中、彼女は魔法少女の全権を手中に収めた。
公安には『隠れ蓑』『情報取引』、文科省には『予算』と『天下り先』。敵を作らず、すべてに『利』を配った。
その裏で、現場を動かしていたのがこの水田マリだった。
そんな彼女からオファーが届いたのが、一週間前。
『元・魔法少女として、“今の魔法少女”を導いてほしい。』
正直、断るつもりでここに来た。今の私は特別支援学校の教員として、生徒たちと穏やかに過ごしている。刺激はないが、満ち足りた毎日だった。わざわざ再び『あの世界』に戻る理由なんてない。そう思っていた。
「まずは現状を見てほしいの。」
マリ事務長はそう言い、私を一つの教室へ案内した。ドアのプレートには「チーム・オータム」と書かれている。私がかつて所属していたチーム名だ。
「チームの要は、あの姉妹。橋本花乃、風乃。精神干渉のサポートが永野都ちゃん、そして昨日入ったばかりの辻あやめちゃん。あやめちゃんは後に“スプリング”に入る予定。あっちは18歳の子がいるからね。」
“18歳で引退”。
そのルールは今も変わらない。
腎臓への魔力負荷を理由に、ゆりあ理事長が定めた『人道的な上限』だった。他国では、そこから『魔女』になる者も多い。日本だけが、18で『終わる』。
マリ事務長は、廊下の窓越しに教室を覗きながら名前を挙げていく。
なるほど、完全に個別学習スタイルだ。
「花乃ちゃんが中3、風乃ちゃんが中1、で合ってますよね?」
「ええ。風乃ちゃん、他教科は天才的なんだけど……数学だけ、どうしても苦手なの。」
「……なるほど。」
教室をのぞくと、花乃は大学受験の赤本を解いており、隣では風乃が、あやめちゃんと同じ『小4の計算ドリル』に苦戦していた。
『姉は大学入試。妹は小学生レベル。』
魔法少女の世界がどんなに異能でも、教育現場の現実は冷たい。
「少し、いいですか?」
私はマリ事務長に一声かけ、教室に入った。
風乃の机の前に立ち、赤本を一枚、破って差し出す。
「これ、解いてみて。」
「え!? これって……!」
次の瞬間、風乃の目の色が変わった。
鉛筆を握る手が迷いなく走り出す。
一問、また一問。数式が意味を持った瞬間に、彼女の世界が輝いた。
「あなた、誰? どういうことですか?」
険しい表情で立ち上がる女性――後藤教官。
マリ事務長が間に入る。
「前田優子先生。産休に入る柏木先生の代わりの候補。こちらは後藤先生、『オータム』の主任教官。」
「なるほど……説明してもらえます?」
私はうなずいた。
「“意味依存症”とでも言いますかね。『理解→体系化→応用』は得意でも、『模倣→反復→自動化』が苦手なタイプ。『3×4=12』に意味が見出せない。でも、『リンゴが3つ入った袋が4つ』という文脈があれば、すぐに答えが出せるんです。だから、大学入試みたいに理屈と構造の迷路を与えられると、むしろ楽しんでしまう。
そういう子、たまにいるんです。」
それを証明するように、風乃は問題を解き終え、誇らしげに私へ答案を差し出した。
その瞬間、私は悟った。
この子たちは、『戦うため』にいるのではない。『教えられるべき存在』なのだ。
あの日、教室で見た風乃ちゃんのまっすぐな瞳が、今も私の中に焼き付いている。
――この瞬間が、私の『決断』だった。
結局、私はこの学園への転職を受けた。
そして4年後、私はあの子たちの担任になった。




