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人間だから

 クラスになじめず引きこもりになっていた高校二年生の白石茜は、北海道に住む、画家で祖母の深雪が、毎日送ってくる『任務』と彼女が呼ぶ通信講座に似た課題をこなすことで成長し、見えなかった自分の将来の夢が映画監督であることにようやく気付いた。深雪と父、周りの人々の深い愛に触れ、自身の夢を叶える為に精一杯努力し、誰かを温め得る作品を作れるようになろうと誓う。

 五年後である。茜は映画制作の専門学校を二年で無事に卒業して、社会派映画を撮る監督の元で修業についた。小さな映画館ではよく配給されて、深雪も車を走らせ映画館に見に行った。『冷たい廊下で何日何時間待たされても、一向に自分の食料配給の番がやってこない子』や、『巨大地震後に物価が30倍になり、水一本が3万円の世界』など、心に雫が落ち、考えさせられる物語が多かった。映画と平和への、情熱と献身が監督に通じて、茜の意見も考慮される事が多くなり、ジャーナリストの生命や権利を守り、我々の代表として考える事を主題とした作品が入社3年目で生まれた。日本が『体』ならジャーナリストは『目』である、と印象付ける様な芸術性のある眩いイメージが、スクリーン上に映し出された。それは監督、白石茜の作品ではなかったが、エンドクレジットに彼女の名前が早い段階で現れた。深雪は溢れる想いを抑えきれずに嗚咽を漏らした。現地の女性達の爪に施された虹のマニキュアも、スクリーンに彩を添えていた。あの時得た色々な知識が活かされているのが垣間見えた。

 彼女が時事問題でホロコーストを取り上げた時、また最後に映画監督を選んだ時、亡くした愛しい娘の忘れ形見である、たった一人の孫である茜が、第一線の紛争地域や、日本では根絶している病気が蔓延している国に行ってしまう危惧や懸念を肌に感じた。でも、人生は一度きりで、大志を果たそうとする子供を応援するのは親や親代わりの役目であると、娘の遺影を見つめながら思った。その止めたくても止めなかった空港でのあの日の自分の指先をようやく、褒めてあげることが出来ると、涙した。

 そのまた、二年後。

 茜は映画館で配給される様な映画の映画監督にならないまま、撮影先のムンバイで出会った同業者の男性と結婚し、北海道の大自然の中、子育てをしている。深雪の家の近くである。

 夫婦で、個人の人生を写真や動画からドキュメンタリー映画の様に作製して販売する、個人向け動画制作という小さな事業をしている。小さいながら『監督』であり、葬儀で流される故人の柔らかい笑顔は、参列者の心に確実に残るものになった。

 一方、『ペルソナ職業』の方は、フリースクールや児童養護施設など、恵まれない子供達に無償提供されて広がり、叡智の寄付として広く知られることとなった。第一卒業生の茜の答辞は、自分が分からず、将来の夢が見つけられない子供達の心に光を差し、また、ここから世界へ羽ばたき、平和の為に活躍する子供達も育っていったのである。

 深雪は思う、私達のそれぞれの手は小さくて、出来ることは限られている。合体して巨人化し、平和の為に盾になることは現実には出来ない。それならば、出来ることをシェアしていくのだ。得意な分野で。自分の血ならば出来ることで。自分の善の意をよく聞いて。

 大き過ぎる絵を一人で描くことは出来なくても、一人一人が描いた絵をパズルのように当てはめていけば、大きな一枚の絵に出来る。深雪も一ピースを担い、茜も担った。

 きっとそれは時間軸も関係なく、地域も、人種も性別も年齢も関係なく、いつでも出来る事なのである。全世界が、食と住居、健康と教育が満たされ、満たされることで調和し、平和を維持していけるように、食・住・健・学、この基本的な四つの、どこかにある自分の小さな手でも出来る分野を、探してみる。一歩を踏み出してみる。多くの人がそれぞれに一端を担い、小さな善意の粒は結晶となって、宇宙全体から見れば善という巨人が、世界を救っている様に見えるだろう。静かに、でも確実に。

 飢餓に苦しむ人の食の為に奮闘する人。家なき人の為に住む場所を確保しようと懸命に動く人。現地の人の健康の為に走り回る医師、看護師、危険な地域であっても教え続ける教師。伝え続けるジャーナリスト。

 想い、彼らにも気持ちを重ねる。自分に出来る事は何かを問いかけてみる。

 深雪と茜の血は、学であったと思う。これからも尽力していくのだ、見返りを求めずに、誠実に。それが人間の本質だ、と思うから。

 「おばあちゃん、準備出来たよ!」

 茜が叫んで皆がリビングに集まる。夫の春人と、娘の春香のドキュメンタリー映画、白石茜監督の作品の上映会である。

 「ちょっと見ていてね。」

 と、縦抱きで渡されたひ孫のさちは、間もなく生後8か月になる女の子である。幸の両脇の下に自分の両手を入れて、幸の肩に負担がかからない様に体重を支える。随分と重くなったと、嬉しい悲鳴をあげる。綿100%の繋ぎ服は、大人より高い赤子の体温で、夏に呼応し発汗している。じっとりとした脇はこの子が生きている証拠である。このために日々筋肉トレーニングをしている深雪だが、自身の健康管理にもなっている。誰かの為に努力する行為は自身の為になる事を体現する出来事だった。繋がっているのだ。返ってくるのだ。

 映画は30分程であったが、茜の編集は流石にプロである。人生が一本の道であり、かけがえのない旅であることを、教えてくれるものだった。春香が小学生の時のピアノの発表会、弓道部で髪を振り乱して練習している凛々しい姿、大学の卒業式、成人式。明人との結婚式、茜が生まれ、夫が涙を浮かべながら抱いている。愛している人は側にいる。私達を見守っている。この映画はそれを教えてくれるものだと、深雪は思った。

 「いいですね。」明人が深雪に微笑んで言う。

 「そうね、勿論、沢山の苦労や絶望、悲しみもあったけれど…。」

 腕の中でうとうとしている幸を見つめて、次の言葉を飲み込んだ。新しい命の誕生は光のシャワーのように辛かった記憶を押し流し、これ以上ない程に優しく温めてくれるのだ。

 この子にとって、今生まれてくる子にとって、良い世界となりますように。

 映画を締め括る様に、春香と春人が、ベットの上で『ありがとう』と懸命に放つ姿が矢継ぎ早に現れて、深雪と明人は一瞬、今、もう一度愛しい人に会えたかの様な不思議な感覚になった。

 このお礼に、茜夫妻に絵を描こう、と深雪は思った。窓の外で、ガラス製の風鈴が3つ激しく揺れている。風の音にまじり奏でられる曲は、あの日春香が壇上で演奏した曲に似ていた。

                                      完。

 

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