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自分がどんな花なのかを知るための

高校二年生の白石茜は学校になじめず家で引きこもる日々を過ごしていたが、北海道に住む祖母で画家の、深雪から送られてくる「任務」という様々な課題に日々取り組んでいる。時事問題でホロコーストを取り上げた茜に、深雪は「人生で一番頭がいいのは高校二年生という話を聞いたことがあるから、AIにではなく全国の高校二年生に世界や社会の問題に対し意見を聞いてみたい」と話し、茜は次世代として尊敬する祖母に頼られる自分に、自己肯定感の一歩目を感じ、次の「司令」を待ったのだが。

 次の日の任務は『ではどうすればジャーナリストを日本が旗幟鮮明に保障できるようになるか考える』とか、『自分が出来そうなことは何か』とか、前日に出した茜の思う到達点に行くための手段を考える事、であろうと茜は予想していたのだ。気持ちは高まって、『総理大臣に手紙を書こうかな』とか、『街頭で募金活動』などこれまでの茜にはなかった積極的で具体的な行動の道筋が描かれていたのである。人は頼られると応えたいものであるし、茜は人見知りはするが度胸がある。深雪は茜の母が癌で闘病した三年間、明人と茜を支え半同居生活だったので、茜の性格を熟知している。鼓舞に応える子、それを知りなお、次の指令は『長い平凡』の始まりだった。

 当然にメールで届くと思っていた次の日の任務は宅配便できた。例の鍵付きのピンクの箱である。開けると『ネイリスト』という一センチ幅程のテキストと共に、マニキュアの瓶のセットや、塗る為の模型の手、動画DVDなど、まるで通信教育の断簡の様な見た目である。昨日の課題とは脈絡のない任務に疑問を抱きながら、深雪の字で書かれた指令を読む。

 『ペルソナ!今日から三日間は自分はネイリスト、と思ってテキストに沿い、ネイルアートをせよ!毎日感想を送り、三日目にモデルの手に塗ったネイルアートを撮って送付せよ!』

 「えええ!?」と茜が小さくはない声で叫んで、ベランダの柵に停まっていた雀が驚いて飛び立った。よく見ればピンクの箱の背表紙部分には『ネイリスト』と書かれている。茜は深雪と将来なりたい職業の話をたまにする。その度に茜は『まだ分からない、決めていない』と答えていた。画家を意識することはもちろんあるが、決して美術の成績が良い訳ではなく、『画家の孫なのに』と思われていないかを考えて卑屈になってしまう。勿論、ネイリストになりたいと言ったことはない。無地のマニキュアをしてみたことがある程度の関心だった。疑問を持ちつつも、夏の北海道旅行は諦められない。深雪の言う通り、三日間指令に従った。

 疑問符も、思いの外楽しい通信講座にかき消され、夢中で取り組むこととなった。明人の右手も引っ張り出された程である。ネイリストは手や爪の健康にも気を配る。職人が陰でする温かい努力があることを知れたことが良かったと二日目の日報に書き、三日目には5本の爪に虹のネイルアートを施して送った。

 また長い沈黙の後、『excellent!』がやってきた。

 さぁ次こそは何か自分が社会に役立つことを実際にする指令、と思いきや、『消防士』『看護師』『調理師』『映像ディレクター』『女優』『カフェ経営』『プログラマー』『銀行員』『農業』と、その職業になりきって体験してみる様な、通信講座に似た『任務』がずっと続いた。茜の長所である、真面目で素直な面が活きて、特に嫌がりもせず不満もぶつけず、指令に沿ってこなし続けた。何より、消防士には救命の知識の為、乳児の心臓マッサージを体験出来るよう人形が入っていたり、カフェ経営では実際に原価計算や利益率を出してみたりと実践的で面白い。職業ペルソナ指令の間を挟んで、茜が持つ人の役に立ちたい気持ちを忘れさせないようなメール指令もあった。『同年代が実際に取り組んでいる平和を願う活動について調べまとめよ!』とか、『平和の為に活動しているNPOを調べてまとめよ!』などである。その度に茜は先駆者の背中を見つけ、見つめることが出来ていた。実際にはこんなにも、人の為に世界の為にと活動している人がいる。同年代も沢山いる。世界は動いているし、毎時変わっている。こんな活動が高校生として出来たら新しい取り組みなのでは?と思えたことも、もう実際にはあることに驚く。とにかくやってみよう、声に出してみようとする自分より少し年上の女性。命をかけて環境や平和の為に海を渡ろうとする女性の姿も、茜の心にパズルのピースの様に音を立てて嵌っていく。

 いつしかペルソナ職業の為に明人が購入してきた棚は一杯になっていく。目標だった北海道旅行にも行くことが出来、ジンギスカン鍋や野鳥観察など存分に楽しんだ。帰京してからもペルソナ職業は続き、優に百を超えた。本当はこの教材の元手の為に深雪は今年の個展を諦めたのだが、おくびにも出さず、その職業に対する茜の反応を楽しみ、成長を喜んだ。この教材を作るにあたって尽力してくれた知人友人も然り、次世代への愛と信頼は知の形で毎日のように届いていく。

 茜は毎日新しい知に好奇心を持って取り組むことで学校になじめなかった過去を乗り越え、本人が『人生に一年だけの、特別な高校二年生という時代』と思っていた刹那は、外側から見れば何も変化がないまま平凡に過ぎた。

 茜は高校に行かないまま、高校三年生の時期を迎え同時に四月の誕生日を迎えた。本人がその事実にやや落胆の色が隠せない時に着た最終任務は、18歳の誕生日の翌日に宅配便で届いた。

『最終任務!職業ペルソナの棚をよく見て、120の職業のテキストの中から、残したい3つの職業を選べ!残りは父親に渡して返送せよ!また残した3つの職業も、1,2,3と順位をつけること!』

 「えええ!?」とまた小さくない声で叫ぶと、居間だったので明人が驚いて珈琲をこぼした。明人も知らなかったようである。ホームセンターへ段ボールを買いに行くと、家を後にした。

 残された茜は、職業ペルソナの前で頭を抱えていた。そもそも自分の物だと思っていたので、尻に火が点いた様な焦燥感と、一年弱寄り添った後の別れという寂しさが、茜を揺らす。でも確かに『あげる』なんて一言も言われていない。棚に着た順に並べてきちんと管理するように言われていただけだった。何度も唸りながら、背表紙に到着の順番に触れていく。『ネイリスト』は記念すべき一回目、手放しがたい。『画家』も深雪の手によるものであるだけにとても面白く、油彩に挑戦するきっかけになった。『保育士』で学んだアレルギー対応レシピも残したい気がするし、『報道』もやっぱり気になる。

 とにかく消去法を取ろうと、100あまりの職業テキストを棚から勉強机に移動する。20を見つめるというより睨みつける様な鋭い目線で吟味する。

 『逆に、その3つは貰っていいのだ!』と茜が呟いた時に、彼女の中に閃光のようなものが煌めいた。そうだ…これは、私がなりたい職業なのだ。私が歩んでいきたい道を自然に選ぼうとしているのだと、心の内側に居るもう一人の自分のような存在が叫んだ。

 同時に涙が溢れ出た。深雪の海のような深い愛に、愛が幾重にも広がって自分を包んでいたことに気付いた瞬間だった。

 涙ぐみながら20のテキストの背表紙に優しく触り、その声を聞くように3つを選んでいく。

 分かる。自分の物に出来る、と思った瞬間に、その3つの背表紙は博物館のボタンを押せば対象物が光る展示の様に輝いた。特に光輝いたのが『映画監督』。この職業ペルソナ指令の合間合間にも、沢山のこれを見なさい、という映画のDVDが送られてきた。100本は見たと思うし、感想文も真剣にしたためた。『あなたに届く映画を、物語を作りたい』私の全てを込めて、命の限りに。茜は誓うような心持で、第一の『映画監督』を手に取った。第二は『看護士』。応急処置や心のケア、栄養など、健康の全体を網羅し、ホスピタリティにも触れていて、テキストが終わった後も何度となく読み返している。人生に役立つ、いつか誰かを救えるような気がした。第三は『ネイリスト』である。肌の色が違っても、目の色が違っても、その人の爪を小さなキャンバスとして、深層意識に幼少期の夢としてずっとあった『画家』をミニマムに表現できる。最小なのに無限大の可能性がある技であると思えた。きっと、その人を笑顔にして可愛らしい人柄を引き立てられるようなネイルアートを描いてみせるから…と、第三のテキストを手に取り、18歳の自分の腕の中に三冊を抱きしめる。

 最後の日報は、通話だった。耳元で聞こえる深雪の声は、実際に会って聞くものとも、メールを読んだ時に茜の脳内にイメージされるものとも少し違う。霞がかって妙に神秘的であった。

 選んだ職業と順を伝えると『まだ四月が始まったばかりだから、映画製作を学べる専門学校に入れないかを聞いてみましょう。出来れば高校卒業資格も取れるところがいいわ。勿論、今年入学した子たちは16歳であろうけど、茜の声を聞いていたら、大丈夫かなって思うのよ。』

急展開に驚く茜であったが、明人は『俺が何とかするから、行きなさい。』と力強く頷いた。

 『高校二年生の年に、沢山の光の珠を得て、先を行く人の努力の背中を見た。今度は、茜、あなたの順番がやってくる。今はそうでなくても、『白石茜』の発言はちゃんと存在感を得る。段々と輪郭が濃くなって、重低音のように響く日がきっと来る。自分がどんな花なのか分かったのなら、毎日努力をして、懸命に自分の花を咲かせる。精一杯咲けば、その香りや美しさが誰かを優しく包む日が来る。おばあちゃんは、茜の作品を見る日を楽しみにしているからね。』

 卒業祝いのような言葉が、茜の心に何層も輪を作った。そうだ、私は私の表現で、誰かを温めたいし、きっと映画こそが私の情熱の矛先なのだと、覚悟の様な信念が溢れ、手先が熱くなるのを感じた。茜、18歳と一日目の夜。外では風鈴の様な季節外れの虫の鳴き声が響き、風雨が窓をノックするように音を立てていた。


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