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輪郭の残影

 高校二年生の白石茜はクラスになじめず家に引きこもっている。心配したシングルファザーの明人が、北海道に住む母(茜の祖母)で画家の深雪に相談して、毎日「任務」と深雪が呼ぶ課題や創作を茜に取り組ませ、日報として返信させることにする。毎夏北海道の祖母宅に遊びに行くことを楽しみにしている茜は、拒否出来ず取り組むことになった。

 一回目は宅配便で鍵の付いた箱で届いたが、二回目は朝一番のメールである。

 添付ファイルを開くと、鍵付きのピンクの箱のイラストが動き、鍵が宙を舞い差し込まれ南京錠を解き、箱の蓋が捲られるイメージが目の前に流れた。茜は祖母のパソコン技術を知らなかったので、「おお!」と驚愕の声をあげる。

 最後に箱の中に浮かんだメッセージは、

 『世界、社会、環境などにおいて、自身が関心を寄せ、危惧している問題を取り上げ、またそれに対しどう対応していくべきなのかをまとめ、400字程度の論文にせよ!』

 30秒程表示された後、指令の文書は段々消えていった。

「急に?」茜は若者らしい反応で父、明人を含み笑いさせた。

 論文は高校生にとって縁遠いものではない。試験にも出題される。ただ、テーマは決まっているのが常なので、テーマの選択から始めることにまず茜は戸惑っていた。

「世界、社会、環境…。」呟きながら思いを巡らせると、父の運転で買い物に行った時、車窓から見た光景が、呼応するように鮮明に現れた。この近所の高速道路の側道である。落下物も落とし物も放置ゴミも珍しい光景ではない。でも、その長靴は別だった。道端に片方だけ落ちている破れ煤けたゴム長靴を、茜は助手席からぼんやりと見つめていた。茶色の名残を感じさせながら埃と砂にまみれたそれは、主人と相棒を同時に失って、自身の行き先も分からず何度も繰り返し車輪に轢かれ続ける。靴程片方を失って機能しなくなる物はない。きっと片割れも、もう主人と一緒に歩くことはないのであろう。三十センチ程の長靴だ、男性用であろうし、この付近の田畑を耕す人の物なのか、トラックの荷台から落ちたものなのか、長い赤信号の停車という環境が彼女の想像を助長した。

 茜には残された靴で思い出す映画のシーンがある。ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所跡にある国立博物館の、大量に積まれた遺品である。迫害されたユダヤ人のおびただしい数の靴が展示されていて、茜は絶句して画面に釘付けになった。あの靴を履いていた人は。あの小さな可愛らしい靴の持ち主は。靴は主人の歩行を助けたくて、その人生を良き方向へ、共に歩む為に生まれ選ばれる。それなのにあの靴たちは存在の理由に反して、その展示の中で永久の時を、主人の無念とあるはずだった彼らの人生を象徴し、また平和への願いを表現し続けるのだ。

 手のひらサイズのあの靴に、納まっていた小さな足の輪郭を思い浮かべて茜は涙を浮かべた。最近赤ちゃんが生まれた従姉に、お祝いで郵送したサイズと同じ位だった。「歩くのは一年後だから気が早い」と電話でやりとりをしたけれど、茜の贈った靴と、展示の小さな靴は、同じ人間の、同じ年頃の女の子が履くという意味で共通している。同じ地球上にありながら、まるで異世界にあるような陰と陽が、生まれた時点で命の価値が違うという宇宙規模から見れば確実に間違っている線引きを照射する。茜が教科書で習った事は、過去の事として書かれており、太平洋戦争であった祖先の歴史のように、繰り返してはならない遥か昔の過去のように思っていた。

 でも現在、ホロコースト(大量殺戮)が起きている。何が正しくて何が間違っているのか、私達はその判断を人間以上の存在に聞くことが出来ない。仮に超人の様な、千人の力が一人に集結した善人がいたら、私達はその善人に委ねているだけでいいのだ。でも実際はいない。だから人類は千人が集まって、一人のヒーローの意思のような善意の統一をしなければいけない。

 葛藤があるのだ。無関心ではいけない、と世界は言うけれど、具体的にどうすればいいのか茜には分からなかった。無論助けられるなら助けたい。でも出来ない。募金先も一枚の紙の情報でしかない。委ねていいのか分からない。空っぽの鍋を持って柵から手を伸ばし泣き叫ぶ大人と子供達。報道ではそこを狙い銃撃があるという。善意の寄付で集まった食料が配布される瞬間に命が奪われる可能性もあり得る。その画像が出ると悲しくて痛い。でも、その数時間後には自分は父の作った温かい料理を満足する量で食べるのである。関心を持つ…罪悪感。どうして私達はこんなに豊かなのに、今現在地球のどこかで泣いている人が要るのだろう?こう思う気持ちは嘘ではないのに、何もしない時点で「偽善」という自己否定が茜を襲うのだ。我々日本人は被爆国の民である。他国の人に対して残虐な事をした歴史もある。その日本人の歴史は、二度と悲惨な戦争を起こしてはいけないという強い想いで、日本が平和な国として今在る、礎を作った。ユダヤの人は?ホロコーストを受けた歴史の上に、どうしてホロコーストをする現在があるのだろう?あの幼き小さな靴の伝えたいことは?きっと靴に合う輪郭の足は一人でも、「今日は家に居るから貸してあげるよ」と妹に差し出すような、大事な愛ではないのか?あなたと私は地球にとって同じ位大事な人で、それでも地球は二つではなく一つしかないのなら、順番に、分け合って、協力し合って生きるべきなのだ、と。

 「題・地球上に今現在ある戦争、ホロコースト 白石茜

同じ時間軸にあるとは思えない戦争や惨劇が、今現在地球上にある事実に、私達が出来ることは何だろうと考える。我々日本人が、憲法第9条のもと防衛力の保持に留まり平和を願う姿は、宗教や肌や目の色が違っても、同じ人間に対して命を奪う行為をする人に、説得力を持つはずだ。負の連鎖は何も生まない。私は今日も温かい食事を三回取り、安心して生きている。その向こうの彼方で、飢餓に苦しみ食料を求める姿に銃口を向ける人がいる。でも現実として我々が一致団結し助けに行くことは出来ない、この状況を平和に塗り替えることは出来ない。その葛藤の中で、私がこうあっていって欲しい未来は、ジャーナリストを守り抜く日本である。私達の代表、ペンとカメラを持ち戦う戦士を、日本は全力で保障して守り支えるべきではないだろうか?個人の責任に留まらず、日本が彼らを保障することで日の丸と憲法第九条が見ている事を提示出来ると私は考える。日本国憲法は個人個人を守る為にある法律である。だからこそ。」

 深雪の返信は速かった。まるで答えを用意していたかのような素早さであった。昨日の絵のような「excellent」ではなく、冒頭は感謝から始まる。

「ありがとう。高校二年生は人生で一番頭が良い時期だと聞いたことがあるの。だから私は本気で、全国の毎日を懸命に生きている高校二年生達に、倫理的な答えを求めてみたいと思うのです。AIではなく。この素晴らしい国で、愛に守られて育った若者は、一番血の通った最適解を求めてくれるでしょう。どうして神様は、精神的にも成熟したミドルエイジに、人生で一番IQが高い時期をもってこなかったのかしら?その答えを、高校二年生であるあなたも探してみて欲しい。」

 朧月夜、窓から月の前を通り過ぎる雲の速さを感じながら、茜は深雪の言葉を反芻させた。深雪は丁寧に、高校二年生に頼ったのでは?ならば私達若者は、その信頼に応えるべきである。

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