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第八話:日常編ー王宮舞踏会

 琥珀色のシャンデリアが天井から燦然と輝き、王宮の広間を黄金色に包んでいた。磨き上げられた床には、揺れる光が波のように反射し、まるで幻想の中にいるような心地を誘う。


 その煌めきの中、ルイは少し緊張した面持ちで、ギルベルトの隣に静かに立っていた。


「今日の舞踏会も、君は俺の“婚約者”として振る舞ってくれればいい」


 ギルベルトにそう言われていただけ――そのはずだった。


 だが実際には、国王夫妻はルイの手をそっと取り、その手の温もりと共に優しく微笑みかけてきた。


「ギルベルトはあなたと“婚約”してからというもの、毎日が本当に楽しそうなのですよ。これからも、どうかギルベルトをよろしくお願いしますね」


「は、はい……?」


 王妃の言葉に戸惑い、返答に詰まったルイに、ギルベルトが少しだけ赤らんだ顔で、焦ったようにそっと手を差し出す。


「……これは演技だよ、ルイ。さあ、皆に見せつけてやろう。私と踊っていただけますか?」


 広間に優雅な音楽が流れ始めた。緩やかで気品ある旋律に導かれ、二人は舞踏の渦へと踏み出す。


 ギルベルトのリードは見事で、まるで風に導かれるように自然と身体が動く。ルイの黒衣の裾が軽やかに翻るたび、周囲から感嘆のささやきが漏れた。


 足の運びに合わせて揺れるキャンドルの灯が、ふたりをまるで舞台の主役のように浮かび上がらせている。ルイはその中心にいながら、ふと気づく。


(……国王夫妻は、私のことをギルベルト殿下の“ただの偽装婚約者”として認識していないのでは?)


 その違和感は、胸の奥に小さな不安の種を蒔く。

 ダンス後は、ギルベルトに寄ってくるΩ達を悪役スマイルで追い払う。大抵の者は、ルイが『私の婚約者に何か?』という顔で微笑めば逃げて行った。

 そんな二人のもとに、優雅に歩み寄る一人の金髪の女性がいた。


「初めまして。わたくし、ルーベン王国の王女、ハンナ・フォン・ルーベンと申します」


 優美なカーテシーを添えた彼女の所作には、王族としての矜持と洗練が滲んでいた。

 ルイもすかさず、教本通りの礼儀をもって応じる。


「はじめまして、ハンナ王女殿下。ギルベルト殿下の婚約者、ルイ・レインハルトと申します。ご縁を賜り光栄です」


 深く一礼し、視線を丁寧に伏せるルイ。だがハンナの視線は、ルイだけをじっと見つめ続けていた。ギルベルトには、ほとんど関心がないかのように。


「まあ、なんて可愛らしい方。ギルベルト様の婚約者がこんな方だなんて、驚きですわね」


 その口調は柔らかでありながら、どこか含みのある響きを帯びていた。さらに――この王女、やたらとルイとの距離が近い。


 ルイが思わず一歩引こうとした瞬間、ギルベルトがすっと二人の間に割って入った。ハンナへと手を差し出す。


「……ハンナ王女殿下、もしよろしければ、私と一曲踊っていただけますか?」


 一瞬、ハンナは目を見開いた。しかし、すぐにその瞳に興味深げな光を宿し、ギルベルトの手を取った。


 二人が舞踏の輪へと入っていくのを見送り、ルイはそのまま会場の片隅、宿り木の飾られた柱の下へと歩み寄った。


(“近くにいると魔力が増す”……迷信か、あるいは何かの比喩か)


 胸の奥がざわついていた。このざわつきは――嫉妬か、それとも別の感情か。


 ルイがそっと胸元に手を添えたとき、不意に声がした。


「ルイ、宿り木の下にいるなんて……まさか、俺にキスされたいのか?」


 振り向けば、そこには栗色の髪を揺らし、長身に甘い笑みを浮かべた公爵令息、リカードが立っていた。


「学園で流行ってるだろ?『宿り木の下でキスしたカップルは幸せになる』ってやつ」


 ルイの眉がぴしりと寄る。金のためにキスの練習台にはなったことがあるが、元来リカードはルイの苦手なタイプだ。


 外見は王子様のようでありながら、中身は軽薄そのもの――ギルベルトを揶揄っておきながら、実はルイ自身も“純愛主義者”なのである。

 しかもその後、リカードはあのキスの練習成果を、あちこちで軽々しく披露していると聞く。


「もう、あなたとの契約は終了しています。私は今、王太子殿下の婚約者です。キスの相手は――たとえ金を積まれても、お断りします」


「はは、冷たいなぁ。でも、そういうとこも面白いんだけど」


 悪びれず軽口を叩くリカード。その無神経さに、ルイの内心に苛立ちが募っていく。

 そこへ、規則正しい足音が近づいた。ダンスを終えたギルベルトが戻ってきたのだ。冷ややかな視線を二人に向ける。


「リカード、彼から離れてくれ」


「はいはい、やきもち妬かれちゃった。じゃあ、お幸せに」


 リカードがひらひらと手を振りながら去っていくのを無視して、ギルベルトはルイの腕をしっかりと取り、人目も憚らず詰め寄った。


「……何をしていた」


「何って……別に」


「君は以前、リカードの依頼でキスの練習台になったんだろ?また、あいつの依頼を受けるつもりか?」


 “金で何でもするのだろう?”――そんな含みを感じて、ルイの胸にむっとした熱が広がる。


「私がどんな依頼を受けようと、それは私の自由です。それに、私がリカードに絡まれていたのは、ギルベルト様が私を放って、他の女性と踊っていたからです」


 返す言葉に、少しだけ本音が混じる。声が震えるのは怒りのせいか、それとも――。


 その言葉を聞いたギルベルトの表情が、ぐっと険しくなった。


「……君との契約に、『他の誰かの依頼を受けてはならない』なんて条項はなかったな」


「ええ。ですから、私が誰の、どんな依頼を受けても、問題はないはずです。……それに、最初に“婚約者”を放っていったのは、あなたの方です」


 売り言葉に買い言葉。けれど、言っているそばから、胸の奥が痛む。

 そのときだった。ギルベルトがルイの腕をぎゅっと強く掴んだ。


「……俺が、君の一生分のキスを買い取りたいと言ったら、君はその依頼を受けてくれるか?」


 その瞳は、これまでのどの言葉よりも真摯で――熱を宿していた。


 しかし次の瞬間、ギルベルトは眉をひそめ、視線を伏せた。


「……いや、違う。今の発言は忘れてくれ。俺は君を“契約”で縛りたいわけじゃない。……ただ言い訳が許されるなら、ハンナは“Ω食いのΩ”として有名なんだ。彼女は君を狙っていた。だから、引き離した。それだけだ」


「それだけ?」


「……俺と彼女は、それだけ。けど、俺は……契約でも、君にもう誰かとキスしてほしくないみたいなんだ。演技の婚約者なのに、おかしいよな?」


 ギルベルトの声は苦しげで、まるで自分自身に問うようだった。

 その姿に、ルイの胸はぎゅっと引き絞られる。

 衝動的に、ルイはほんの少しだけ背伸びをして、ギルベルトの頬に唇を寄せた。

 軽く、柔らかな――契約にも明文化されていない、ギルベルトの求めでもなかった、観衆さえいない、小さな口づけ。


「これは契約外の……サービスです」


 そっぽを向いたルイの横顔が、みるみる赤く染まっていく。

 ギルベルトの瞳が、うるうると潤んだ。


「る、ルー……ッ!!」


 その夜、宿り木の下には、誰にも気づかれなかった奇跡が、一つだけ、ひっそりと芽吹いていた。

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