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第九話:日常編ーギルベルトの初恋自覚

「……っ、ルイ……」


 シルクの寝具が汗ばんだ肌にまとわりつく。


 眠りの中、ギルベルトは浅く、熱っぽく喘いでいた。甘く湿った息が喉奥から零れ、触れている唇と舌の感触に全身が蕩けてゆく。


 ――唇と唇が触れた。熱が移り、舌が絡む。

 夢の中のルイは、ふわりと花が綻ぶように微笑み、何のためらいもなくギルベルトの首に腕を回した。

 薔薇の花弁のような唇が、吸い寄せられるようにギルベルトの唇へと重なる。


 吐息と舌が絡み合い、まるで真実の(つがい)のように、熱く、甘く、深く混ざり合う。

 桃色に尖った胸元の誘惑に抗えず舌を這わせると、艶やかな喘ぎがルイの口から漏れた。


「……っ、……は……ぁ……っ」


 ――翌朝。

 ギルベルトは自室の寝台の上で、下着を濡らして目を覚ました。白金の髪が汗に濡れ、額に貼りついている。


 重たく息を吐き、両の手で顔を覆った。


(……俺は……ルイの夢で、……夢精したのか?)


 あの夜――ルイの唇が、頬にそっと触れたその瞬間から。

 ギルベルトの中に、ある確信が芽生えてしまっていた。


(演技だったはずなのに……本気にしてはいけなかったのに)


 下半身の惨状に、ギルベルトは項垂れた。胸の奥に、罪悪感と甘美な苦しみが渦を巻く。


◆◆◆


 エルフォリア学園の西庭園。

 上階の窓から庭を見下ろすと、そこにルイとリカードの姿があった。


 ギルベルトは目を細める。


(……リカードと、まだ会っているのか?)


 ルイがリカードの隣に立ち、ぎこちなく微笑んだ。リカードの手が、そっとルイの肩に触れる。


 その瞬間、ギルベルトの胸の奥が焼けつくような痛みに満たされた。



「よぉ、ルイ。こんなところに一人でいていいのか? 今日は婚約者様は?」


 ルイは研究用植物の採取のため、西庭園に来ていた。

 学園内に満ちる“ある匂い”から少し距離を置きたくて、気分転換も兼ねて外に出ていたのだ。


 そこへ、気配も匂いもなく近づき声をかけてきたのが、リカードだった。


 αの突然の出現に、ルイは驚愕し、思わず身を震わせる。


「……そんなにびっくりすることないだろ」


「……リカード。今日、あなた抑制剤や抑制魔法を使っていますか?」


「はぁ?そんなもん使ってるわけないだろ。せっかくフェロモンでΩの女の子たちを誘惑できるのに」


(ということは……おかしいのは私の鼻の方?)


 ルイは考え込むように唇に手をあてた。

 通常、両者揃って抑制剤や抑制魔法を使わない限り、Ωがαのフェロモンをまったく感じなくなるなどあり得ない。


 だというのに、今のルイにはリカードはおろか、周囲のどのαの匂いも感じられなかった。


 ――ただ、ある人の匂いを除いて。


「抑制魔法を使ってるのは、お前と王太子殿下の方だろ? ルイは前からほとんどフェロモンの匂いがしなかったけど、今は完全に無臭だ。俺が遊んでる女の子たちは、王太子殿下が婚約してから、どんどんバニラの匂いが薄くなってるって嘆いてたぞ」


(まさか……こんなにバニラの匂いが満ちているのに?)


 毎日、ルイが丁寧に抑制魔法を掛けているはずなのに、それでもなお、バニラアイスをこぼしたような甘く包み込む香り――ギルベルトのフェロモンに、ルイは心まで溺れかけていた。


 だからこそ、少しでも離れようと、この庭園に来たのだ。


「まぁ、うまくやってるみたいで良かったじゃないか」


 リカードの言葉に、ルイは曖昧に苦笑した。すると彼が、気安げにルイの肩を小突いた。


 その瞬間――

 バニラの匂いがまるで意志を持ったかのように、ルイの身体を包み込み、締め付けるように濃くなった気がした。


◆◆◆


 その夕方。

 実験棟から戻るルイを、ギルベルトは廊下の隅で捉えた。


「リカードと……まだ会っているのか?」


「は?……何の話ですか?」


「誤魔化すな。君がリカードと一緒にいるところを見た。――君は俺の婚約者だろ?」


 ルイの眼がかすかに揺れた。

 だが、すぐに感情を押し殺した冷ややかな声で応じる。


「“雇われ”ですが?」


「雇われでも、俺の婚約者だ」


 そう言いながら、ギルベルトはルイの頬をそっと両手で包み込んだ。


「……っ、ギル――」


 言葉を吐ききる暇も与えず、逃れようとするルイを優しく、しかし強く壁に押さえ込み、抱きしめる。


 ギルベルトの唇が、頬や耳元、ネッガードで覆われた首筋の縁を執拗に啄むように触れた。


 ルイの背筋が小さく震え、脳内がとろけていく。


 吐息が乱れ、抑えていた魔力が共鳴を始める。


「……っ、は、ぁ……ギルベルト様、だめ、……変に、なる……っ」


「なればいい。もう俺は、とっくに変になってる」


 ふたりの額がそっと触れ合い、ルイの足元が揺らいだ。


 ギルベルトはその身体をしっかりと支えながら、囁くように言った。


「次の魔導戦技祭で、俺が優勝したら――俺の願いを聞いてくれないか?」


「……っ、何ですかそれ……っ」


「……ルイ。俺はやっぱり君としかキスしたくないし、君にも俺以外とキスしてほしくない。君を縛る権利を、俺にくれないか?」


 絞り出すようなその声と、包み込むように濃密なバニラの匂いに、ルイの理性は蕩けていった。


 ――そして結局、この危うくも甘い懇願に、熱に浮かされたまま頷いてしまったルイは。

 後日、魔導戦技祭で力技で優勝をもぎ取ったギルベルトに、“縛る権利”を与えることになるのだった。

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