プロローグ:婚約者(悪役令息)役の依頼
セレスト王国首都エルフォリアの魔導学園内。
学生達が行き交う学園広場の片隅、石造りの小塔にひっそりと存在する『便利屋ヴェルデ』の扉が開く。
「……どうぞ、ご依頼内容は?」
仏頂面で応対するのは、黒服を着こなした黒髪の青年――ルイ・レインハルト。レインハルト侯爵家の長男。
深緑の瞳が輝く、美しいはずなのにどこか不遜にも見える、悪いことを考えていそうな顔。
見事なまでの“悪役顔”に、初見の依頼人はたいてい怯える。
しかし、今日の依頼人は違った。
「やあ、元気そうだね。……ルイ」
現れたのは、陽光を纏うような金髪の青年。ルイの一歳上のセレスト王国王太子ギルベルト・アスレイルだった。
「……帰ってください。王太子殿下のご依頼は、時給換算金貨一枚からです」
「さすが守銭奴。君らしくて安心する」
にこやかに言うその声が、空気を震わせる。甘く、濃厚なバニラの香り――王太子のα特有のフェロモンが強く無防備に広がる。だが、ルイは眉一つ動かさない。
(……凄いフェロモンの匂いだ。やはりこの人はフェロモンを抑える抑制魔法が効かない体質なのか)
「冗談はさておき。依頼があるんだ。……俺の“婚約者”になってくれ、ルイ。もちろん、偽装で、だが」
ルイの手が止まる。
「……は?」
「Ωが群がって来て仕方ないんだ。俺は俺が“運命”と思った人としか番いたくないし。俺が形式的にでも“誰かのもの”になれば、近づきづらくなるだろう?君は、見た目も家柄も申し分ない。……君以上の悪役令息役は他にいない」
「はあ?」
「期限は、俺が“運命の番”を見つけるまで。その間、君には護衛と、“牽制”をお願いしたい」
「牽制?」
「たとえば、君が俺の手を取って夜会で踊るとか、頬にキスをするとか。……君、キス得意なんだろ?」
ルイは、キスの練習台を依頼してきた、同学年の女好き公爵令息を思い浮かべた。
「リカードめ。口が軽すぎる。……報酬は?」
一拍の沈黙の後、ルイはギルベルトを睨んだ。眼差しは冷ややかだが、内心では既に皮算用が始まっている。
「もちろん、十分な額を。加えて――」
ギルベルトは静かに言う。
「卒業後、君が爵位を弟に譲り、辺境で医療魔法の開発に専念できるよう、王家として正式に後押ししよう。この依頼を遂行してくれれば、穏やかな“追放生活”を送らせてやる」
「……!」
ルイは揺らいだ。長年の夢が、今、現実になりかけている。
――侯爵家とはいえ、没落し貧しかった幼少期。病で弟を失いかけたあの日から、ルイはずっと思っていた。
金を要せず、どんな命も救える魔法があれば、と。だからこの魔法学園に奨学生として入学し、医療魔法の開発に勤しんでいたのだ。
だが、貴族社会の制約は重く、落ちぶれても侯爵家長男という立場は自由を許さない。
(βの弟の方が、Ωの俺より家督を継ぐには向いている。あいつなら、父上も納得する)
ルイは口を開いた。
「依頼、受けましょう。金と“追放”が約束されるなら」
「ありがとう、ルイ。……嬉しいよ」
「あくまでも契約分の働きをするだけです。私は守銭奴で、悪役令息ですから。王族の“純愛主義”なんて知ったこっちゃない」
「……ん?“純愛主義”って、何の話だ?」
「さあ?」
王家の“運命の番”思想は巷では、“純愛主義”と揶揄されている。
ニヤリ、とルイは悪役スマイルですっとぼけた。
◆◆◆
その日の午後、魔導学園の中庭では、噂好きの令嬢たちが色めき立っていた。
「王太子殿下に、ついに婚約者が!?しかも、あの“悪役令息”ルイ様って、本当?」
「でも見て、あの雰囲気……いやらしいほどにお似合い……!」
金と黒、陽と陰。
ギルベルトの濃厚なバニラとルイの微かなライラックの香りが交錯し、二人は中庭でひときわ存在感を放っていた。
上級生がそんな二人に声を掛ける。
「ごきげんよう、殿下。お連れの方は?」
「僕の婚約者、ルイ・レインハルトだ。……ルイ、ご挨拶を」
「……ルイ・レインハルトと申します。お見知りおきを」
ルイのライラックの優しいフェロモンの香りがギルベルトの鼻先を擽る。
――その優しい匂いとはかけ離れた、様になりすぎる“悪役令息”らしい不遜な笑顔に、ギルベルトは不覚にも目を奪われた。
この時はまだ、この不遜で完璧な“悪役令息”の笑みに、ギルベルトは気づいていなかった――この恋が、既に始まっていることに。
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