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Vivace!  作者: 高瀬湊
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4. Orchestra and Chamber Music

 室内楽部でほんの体験とはいえ、合奏を経験した千鶴の心は一瞬にして折れた。ここまで来てしまったら断れない、いや、断りたくない。

 音楽のとりこになる人は皆こうして仲間と演奏しあう楽しさにのめりこむことから始まるのだと湊太が言っていたが、それは確かに的を射ていた。入学当初、楽器などやるつもりは塵ほどもなかった千鶴の、それこそ管弦楽部でどれほど体験して上手とほめられてもなびかなかった千鶴の心をつかんだのは、わずか数分にもみたない、遊びの合奏。


 「それであんたはその室内楽部でヴァイオリンをやりたいってわけね」


 入部すると決めたものの、実はまだ大事なことはやっていなかった。

 高校の部活で使う道具、たとえば楽器などは基本的に各自で負担。もちろん千鶴はヴァイオリンなど持っているわけもなく、入部すると決めた以上新しく購入することになる。


 「ピアノを1ヶ月でやめたのに?」

 「うっ」


 家に戻って一番に母に伝えたこと。

 それは神谷家では大きな問題だったらしく、夕食の後に家族3人で集まって話し合いをすることになった。


 「今度はやめないよ!本当に!」

 「信用できないね。人の性格ってそう簡単に変わるもんじゃないよ」


 両親は猛反対。千鶴は必死に説得を試みるが、母は冷たい言葉を返した。


 「私はあんたに意地悪してるわけじゃない。後でつらくなるのは私じゃなくてあんたなんだよ」


 もし、一瞬の感動の勢いで決めたのならやめなさい、と母は言った。父は黙ったままだが、多分意見は同じ。小さいころに失敗した千鶴のことを考えてくれているのはわかっている。


 「でも、もう一度やってみたい。今度こそは……」


 千鶴はまっすぐ母の目を見つめた。だけど。


 「もう少し頭を冷やしてから話し合おう。よく考えておきなさい」


 そう言って、それ以上の話は聞かなかった。





 「というわけで……説得は難航しています」


 翌日の放課後。

 まだ正式に入部届けを出して部員となったわけではないが、ほかの部員たちの好意により、千鶴はほぼ正式な部員と同じ扱いを受けている。というより、まだ部員でもないのに部活への出席を遠まわしに強制されている。


 「うーん、困ったなあ」


 何度かお世話になった3年の女の先輩――部長の笠原夏(かさはらなつ)がため息半分に言った。


 「学校にも何台か楽器はあるんだけど……残念ながら部員の少ない室内楽(ウチ)は使う資格がないんだよねー。まあ、あってもすでに全部管弦楽(オケ)が使っちゃってるんだけど」


 楽器は基本的に自分で購入、と言うことにはなっているものの、実際は家庭の事情でどうしても購入できない生徒がいる。そんな生徒のために、学校側でもそれぞれの楽器を何台か用意してあるのだが、総部員数も新入部員数も室内楽部よりはるかに多い管弦楽部が優先されるのも不思議ではない。


 「ほら、あっちのほうが初心者が入りやすいし」


 夏が苦笑する。


 少人数で合奏(アンサンブル)をする室内楽部と大編成で合奏(オーケストラ)をする管弦楽部では状況がまったく違う。

 緑ヶ崎のオーケストラのように部員を100人近くも保有していればその中に初心者が紛れ込んでも、大半が弾けていれば高校生レベルとして十分な演奏ができる。対する室内楽部は主に四重奏(カルテット)五重奏(クインテット)で活動をする。当然1人1パートを受け持ち、舞台に立つことも考えられる室内楽部の方が個人のより高いレベルを必要としているため、初心者の足は遠ざかってしまう。


 「え、じゃあ経験者は……?」

 「それもだめ。できる奴らは実績を求めるからね」


 実を言うと、緑ヶ崎高校オーケストラというと地元ではちょっと有名なオケでもある。全国的にも弦が含まれた部活がある高校は少なく大会などはできないが、経験者でオケに興味がある受験生が集まりやすい。だからオーケストラとしてのレベルもそれなり、コンサートは割と頻繁に開かれるがプロではないので入場料も格安。最近では管弦楽に所属していた卒業生がそのまま音大に進む、ということも珍しくなくなってきている。

 反面、室内楽部はここ10年で新しくできた部で、歴史もない上に管弦楽部の存在のせいですっかり霞んでしまっている。経験者は歴史があり、地元住民にも人気があり、さらに活躍できる舞台が多い管弦楽部を好み、初心者は弦楽器を始めるのにハードルの低い管弦楽を選ぶ。

 それが室内楽部ができてから今までずっと部員不足と闘ってきた理由である。


 「でも、管弦楽(オケ)の奴らは損してるぜ」

 「え?」


 湊太の言葉に千鶴が首をかしげる。


 「考えてみろよ、あれだけの大人数。それで頻繁にコンサートをやるんだから、新人教育には時間はかけられないだろ」


 湊太の言うとおり、管弦楽部に入部する初心者は毎年数多くいるが、実力ある経験者も多い。それでコンサートを頻繁に行う余裕があるのだが、それはつまり初心者がほぼ切り捨てられている状態であることを意味する。


 「できる奴らはできる奴らで競争が激しいし、初心者は完全においていかれていつも末席の辺でギコギコ。3年になっても経験者の席に届かない奴はごろごろいる」


 よほど特別な才能にでも恵まれていない限り、ほとんど独学状態で今まで何年間も弦楽器を習ってきた経験者を追い越せるはずもない。管の場合はありえない話ではないが、弦楽器は独学でやって、しかもたったの2、3年で経験者と同じレベルに追いつくほど甘くない。


 「で、コンサートの練習は経験者たちに合わせてやるから、初心者は置いてけぼりで、本番もボウイング――まあ弓の動かし方だな――をあわせて、ほとんど音は出せない」


 たまに弾けるようになってしまう人もいるが、それでも経験者ほどの音は出せないので飼い殺し状態なのだと言う。


 「ちょっと、湊太。それは言いすぎ」

 「えー、でも事実だろ?」


 湊太の数々の暴言を聞いていられなくなった夏が止めるが、湊太の一言によってまた言葉を失った。


 「私も初心者で、最初は管弦楽にいたんだけどね」


 ウエーブのかかったセミロング茶髪を揺らしながら、2年生のチェロの先輩が言った。


 「一応1年生の初心者には半年ほど練習期間があって、先輩が教えてくれるんだけど、ものすごい駆け足なの。それで半年終わって、いきなり交響曲なんか弾かされて。速いパッセージもハイポジションの高音もしょっちゅう出てきて、ついていけるわけないのに!って感じ。それなのにパート練習は経験者を基準に進められるから、私たち初心者置いてけぼり。っていうかただ座ってるだけだったの、最初は。今も何人か一緒に始めた初心者の子がオケにいるんだけど、やっと途中でリタイアせずに最後まで通せるようになったって」


 でも通すために一生懸命楽譜を追っても本当の合奏の楽しさはわからない、と瞳が言った。


 「やっと1曲通せるようになった、と思えばまた次のコンサートのために新しい曲を始めなきゃいけないし……私はいやになって思い切ってやめたの。それで室内楽に入ったんだけど、大正解だったな」


 彼女はチェロを構えて、簡単に音階を弾く。


 「おかげでだいぶいい音も出るようになったし」


 初心者だとはわからないでしょ、と瞳は得意げに笑った。


 「私たちは1人1人がひとつのパートを受け持つから、納得いくまで、その個人が趣味で弦をやってる高校生として舞台に立っても恥ずかしくないくらいに弾けるようになるまでずっと同じ曲を追求し続ける。だって1人だから責任は重いでしょ?その分手抜きは一切ないから、初心者でもここまで上手くなれるの」


 夏も得意げに胸を張った。


 「だから保障する。この部に入れば絶対に上達するし、そんな簡単にはやめさせない。少なくとも部内のトラブルとかで楽器をやってるのが死ぬほど辛くなるような状況は作らせない」


 にやり、と好戦的な笑顔を浮かべた。


 「どうしてもだめだったら私が説得する。それでもだめなら、ちーちゃんさえよければ家の方でなんとか手配させるよ」

 「へ?」


 手配?と千鶴はきょとんとした表情をする。


 「あー、夏の親プロだから貸し楽器を手配するぐらいはできるんだ。まあ、楽器のグレードは低いだろうけど」


 でもそれはあくまでも最終手段であって、これから長くお付き合いしていく楽器(パートナー)がそんな借り物ではだめだということを強調しつつ、湊太が言った。


 「一度始めたらやめられない。なんなら賭けるか?」

 「……そうですね、きっと一度やったらやめられない」


 千鶴はうなずいた。


 「あの、お願いがあるんです」


 そして次の言葉に部員たちが首をかしげる。


 「入部届けを出す前に、楽器を貸していただけませんか?」


 緊張のせいで声は震えていたが、千鶴の決意は固まった。もう迷ったりはしない。


 「1ヶ月で先輩たちと合奏できるようになりたいんです!」


 千鶴本人が言い出したことではあるが、彼女自身、大波乱の予感だった。

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