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Vivace!  作者: 高瀬湊
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9. Modulation

 文化祭で1曲だけだけれど、四重奏で演奏することが決まった千鶴は今までになかったようなわくわくした気分で練習に励んだ。

 目標がはっきりときまると自分でも驚くくらいに一生懸命練習に取り組める。

 まだ楽器に触ってから間もない千鶴の成長ははっきりと感じられるものだったので、彼女自身も楽しんで練習を続けることができた。


 そんな、ある日のことだった。


 「ねえ、千鶴。室内楽入ったんだって?」


 1時間目の授業が始まる5分前、朝練を終えて教室に戻った千鶴に文が唐突に尋ねた。


 「う、うん。そうだよ」

 「大丈夫なの?あそこ、四重奏とか五重奏(クインテット)専門なんだよね。初心者には難しいんじゃない?」


 文のいうことはもっともだった。


 「そうかもしれない……でもすぐに一緒に合奏できなくても、練習すればいつかできるようになるはずだから、大丈夫。先輩もやさしいし」


 にっこり笑って答えた。

 しかし文は真面目な表情を崩さない。


 「千鶴。悪いことは言わないから室内楽はやめたほうがいいよ。絶対オケのほうがいい」

 「え?」


 きょとん、とした千鶴に文が小さくため息をつく。


 「千鶴は初心者でしょ。四重奏とか五重奏とか少人数の合奏って個人個人の責任が重い。まともに聴ける音楽を作るためにはそれぞれが相当うまく弾けないと無理なの。あんたはいつか、っていうけど、ずっと練習してもその『いつか』っていうのは来ないのかもよ?」


 それに、と文は付け加える。


 「今たとえば千鶴にそこそこ弾けるレベルがあったとする。それでいきなり四重奏とかで1つのパートを受け持って、観客の前で完璧に弾ける?普通は人に聴かせたことがない人は緊張して、どんなに技術があっても実力を発揮できないもんだよ」


 舞台度胸がないうちは少人数は避けるべき、と文は言った。


 「でも――」

 「おーい、授業始めるぞー」


 言い返そうとした千鶴の言葉は古典の教科書を持った教師によって遮られた。チャイムが鳴り終わるのが聞こえる。

 文はまだ何か言いたそうだったけれど、授業が始まった以上何か言うようなことはしなかった。



 舞台度胸がない。


 千鶴もそれはよくわかっていた。

 中学校時代の音楽の授業での数々の失敗。千鶴はあがり症だ。おそらく本番のステージに立ったとき、千鶴は文が言う以上にあがってしまう。もともと技術もない自分があがってしまったら。

 そんなことはあまり考えたくもない。


 授業が終わった後、文は千鶴に室内楽部を辞めて管弦楽部に入ろう、と誘ってきた。やはりまずは管弦楽部に入ったほうがよかったのだろうか?


 (でも、知らない人いっぱい……)


 やっと室内楽部のメンバーに慣れてきて普通に接することができるようになったというのに、また新たにスタートを切らなければいけないのか。

 思わずため息が漏れた。


 「む、ちーちゃん発見!」

 「わあ!!」


 突然背後からきた衝撃に千鶴は大きな声をあげて、通りがかりの生徒の注目を集めた。恥ずかしくなって縮こまる。


 「今から部活行くよね?」


 千鶴に熱烈なタックルを食らわせたのは、部長の夏だった。


 「はい」

 「じゃあ一緒に行こうか」


 文に言われたことでだいぶ落ち込んでいた千鶴だったが、夏をはじめとする室内楽部のメンバーに囲まれていると元気が出てくる。

 舞台度胸がないと言われたのは事実だっただけにショックだったが、彼らと一緒にいる限り、純粋に音楽を楽しんでいられるような気がした。


 (そうだよ、舞台度胸がなくたって音楽を楽しめばそれでいい……!)


 「なー、ちーちゃんも参加する四重奏、なにやる?」

 「簡単な曲がいいよね」


 一人で考え込んでいた千鶴をよそに、ほかの部員たちが楽譜をぱらぱらとめくりながら話を進めていた。


 「キャッツのメモリーなんかどうかなあ」


 湊太が手を止めた。開いたページはミュージカルを編曲した楽譜集の中。


 「いいね、それ!セカンドは難しいポジションもないし、調もそんなに難しくない!」


 どう?と夏が千鶴に話をふった。


 「え?」

 「ミュージカルキャッツのメモリーなんてどう?」

 「きゃっつ?めもりー?」


 クラシックはもちろん、音楽に関してあまり詳しくない千鶴は首をかしげた。曲を聴けばわかるかもしれないが、名前だけを言われてもちんぷんかんぷん。


 「んー、湊太。ファースト弾ける?」


 私がセカンドやるから、と夏が言うと湊太がうなずく。ヴィオラとチェロの先輩も参加するといって手を挙げた。

 と、そのとき。


 「おう、練習してるか?」

 「あ、先生」


 顧問の三上先生だった。

 千鶴も入部届けを出すときに一度会っているが、若く見える男性教師はもうすぐ定年なのだと聞いて驚いたのは記憶に新しい。白髪が一本も見当たらない髪はこだわりのヘアスタイルだと言わんばかりにしっかり整えられ、子供のような表情が印象的だった。


 「どうだ、神谷。もう慣れたか?」

 「は、はい!先輩方にもずいぶんと良くしていただいています!」


 話しかけられるとは思わなかった千鶴はかちこちにかしこまった返事を返した。部員たちか苦笑しているのが目に入る。


 「今千鶴が文化祭に弾く曲を選んでいたところなんです」


 夏が言った。


 「文化祭?」


 三上先生が眉をしかめる。

 不思議に思った湊太が問いかけた。


 「先生?」

 「神谷に文化祭で弾かせるのか?」

 「はい、セカンドをやってもらおうかなって言ってたところなんですが」


 夏が答えると、三上先生はさらに表情を険しくしていく。


 「音楽を楽しむことは結構。だけど、文化祭で恥をかくわけにはいかない」


 その一言で彼が何を言いたいのか理解した千鶴は明るくなりかけていた気持ちが再び地に落ちた感覚がした。


 「四重奏は大人数の合奏とは違う。一人一人の実力が大きく響くぞ。いくらなんでも早すぎる。正式なコンサートでないからこそ、厳しいんだ」


 きっちりコンサート形式で部屋と時間を決めてやるのなら、そこに集まった人はみんな音楽を聴きに来た人である。しかし室内楽部は玄関ホールでストリート形式の演奏をする。聴衆はわざわざコンサートを聴きに来た人間でもない、ただの通りがかり。部屋と時間を決めてやるのなら千鶴を初心者だと紹介もできよう。ただの通りがかりでは音楽を途中から聴いて、途中で去っていく人も多い。そうなると、これが室内楽部の実力だと思われてしまう。


 「私も音楽は楽しむものだと思っているが、まったくの初心者を出して楽しめるのは君たちだけで、言い方が悪いが……聴衆は下手な音楽を聴くから楽しめない。音楽に携わる者として、そんなことはあってはならないと思う」


 これは発表会じゃない、ストリート形式とはいえ、立派な演奏会だ。


 三上先生の言葉は千鶴の心に深く突き刺さった。


 (そう、だよね)


 自分たちが弾いて楽しむのなら部活の時間に気が済むまで合奏すればいい。わざわざ人に聴いてもらう必要はないのだ。


 (聴いてもらうっていうことは、相手を楽しませることなんだ)


 千鶴は自分のことしか考えていなかった自分に気がついた。自分たちが楽しめればそれでいい、そう思っていた。


 経験者の部員たちは黙ったままだった。

 三上先生の言ったことは事実。文の言ったこともまた事実。


 だから彼女は気がついてしまった。


 夢は、もう醒めてしまったのだと。

しばらく更新ストップしていましたが、また再開します。

できるだけ毎日更新をこころがけますので、どうぞよろしくおねがいします!

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