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Vivace!  作者: 高瀬湊
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prelude 前奏曲

 ふわり、どこか甘い香りのする風が彼女の髪をやさしく持ち上げた。


 4月の日差しはぽかぽかと柔らかい。風はまだ少し冷たく、着慣れない新しい制服のスカートでは結構寒かった。新しい環境へ足を踏み入れるという緊張もあるからなのか、神谷千鶴(かみやちづる)はぶるりと体を震わせた。

 これから毎日歩くのであろう、川沿いの道を母親と一緒に歩く。周りには何人か千鶴と同じような少年少女がいたが、皆一様にどこか緊張した雰囲気を纏わせていた。


 ――4月6日

 千鶴は高校に入学する。


 地元では屈指の進学校である緑ヶ崎高校は古城の跡地に建てられた高校で、県の文化財に指定されるほどの立派な城門と塀、それから堀を持っている。全国的に見ればどこにでもごろごろありそうなレベルの学校ではあるものの、地元の中学生からすれば憧れの的だった。城門だけ見ればどこぞの有名な大学にも匹敵するかもしれない。

 だから、緑ヶ崎に受かった受験生は皆こぞって城門の前で写真を撮りたがる。

 もちろん入学式当日であるこの日も、校門でもある城門の前には大量の新入生とその親、それから部活の勧誘のためにいるのであろう上級生たちが集まっていた。


 「あ、あんなに人がいっぱい……」


 わらわらと群がる蟻のような大群を見たとたん、千鶴は腰が引けた。

 正直に言って、千鶴はあまり人が好きではない。と、言ってしまうと内気で根暗な子のように聞こえるのだが、簡単に言えば人見知りをする。相手に話しかけられなくても、知らない人が周りにたくさんいるだけでどこか逃げ腰になってしまう。一度知り合いになってしまえばあまり問題はないのだが、初めての場ではどうしても弱気になるものだから、いつも友達作りに出遅れる。


 「うう、ちょっと自信なくなってきた……」


 千鶴の行っていた中学校はあまりできのいい学校ではない。だから知り合いはほぼいない、ゼロからのスタート。なんとかうまく最初を乗り越えて三年間を楽に過ごしたいと思っていた。

 というのも、千鶴は中学校時代に少々クラスで浮いていた。

 もともと入学時に出遅れてクラスに溶け込めなかったのもあったが、何せ公立の中学校は入試もない、ただ地域の小学生を集めただけの集団である。いろんなタイプの人間がいて当然。言い方が悪いかもしれないが、周りの人間はランダムに決まる。それで不幸にも、千鶴の中学校にはいわゆる『不良』が多かった。

 最初にうまく友達を作れなかった千鶴はあっという間に孤立。もともとあまり目立つ子ではなかったので、まんまと不良の餌食――というようなことはなかったが、一人孤独にクラスを仕切る不良たちに怯える毎日だった。

 もちろん、中学校3年間一人も友達がいないわけではなく、入学からしばらくしてそこそこの付き合いの『友達』は何人かできた。しかし、やはりあくまでも『そこそこの付き合い』で、どこかよそよそしい感じが寂しかった。

 何か行事の時には申し訳程度に行動をともにしないかと誘ってはくれるものの、一緒にいてもあまり会話に入れず、ただ一緒にいるだけの空気のような状態。かといって、誘いを断って一人でいればそのうち不良たちにグループから外された『いじめられっ子』と認識され、いじめのターゲットになってしまう。


 思い返してみればそれでよく3年間無欠席でやっていけたものだ、と思うが、高校ではそのようなことはなんとしてでも避けたい。


 そんなことを考えているうちに時間は流れ、千鶴は母親にせかされ大慌てで受付を済ませた。





 「えー、私が君たち1年4組の担任をすることになった星谷であるのだが――」


 30台の比較的若い男性教師が黒板に『星谷郁生(ほしたにいくお)』と名前を書いて自己紹介をする。人懐っこい顔の教師は生徒に好かれそうな感じがした。


 「まあ、注意事項っていうかなあ、ちょい俺のクラスである以上守って欲しいことがある」


 そういって彼はクラスを見回した。千鶴はなんだろうと思いつつも星谷に耳を傾ける。


 「自分の行動には責任をとれ!お前たちが髪を染めようとピアスをあけようといちいち注意するようなことはしないが、何かあったときには自己責任だ。くれぐれも気をつけるように」


 千鶴は感動した。

 これが高校というものなのだと瞬時に理解した。

 普通の高校ではこんな一見無責任なことは許されないが、さすが入試レベルは地元のトップクラス。大学を目指す者が集まる緑ヶ崎では非行に走るような生徒はいない、という教師たちの信頼があるからなのだろう。ぐるりと見回した新しいクラスメイトたちは真面目な顔をしていた。


 「ねえねえ、どこ中?」


 星谷の話はまだ終わっていなかったが、席の後ろの少女に声をかけられた。


 「ええっと、水沢中です」

 「へえ、じゃあ結構近場なんだねえ。私は倉川だから電車で30分もかかるんだ」

 「30分ですか……大変ですね」

 「ううん、ぜんぜん!むしろ初めての電車通でわくわくしてるの!」


 気さくに話しかけてくれる少女のおかげで、なかなかいい感じに会話が進む。


 「部活はもう決めた?」

 「えっと……まだ、です」

 「ふうん。私はオケに入ろうと思ってるんだ」


 オケ、とは学校のオーケストラのことで管弦楽部のことを指す。

 緑ヶ崎高校には似たような部で、吹奏楽部と管弦楽部、それから室内楽部があるが、中でも人気が高いのが管弦楽部、すなわちオーケストラである。


 「何か、楽器をやるんですか?」

 「ん、ヴィオラ」

 「ビ……?」

 「ヴィオラ。ヴァイオリンより少し大きめの楽器。これを専門にやる人は少ないんだけどね」


 聞きなれない楽器名に千鶴は首をかしげた。


 「どう、一緒にやらない?」

 「わ、私楽器は……」

 「こら、そこ。先生はまだ話してるぞ!」


 少女に誘われて返事をしようとしたとき、星谷に注意されてしまった。


 「すみませーん、ちょっと浮かれてました」


 てへっと少女が笑う。

 星谷は少しあきれたような表情を見せたが、まあいいだろう、と話を戻した。


 「先生の話よりも早く友達作りをしたいと要望があるようなのでそろそろ切り上げるとする!」


 星谷の一言にどっと生徒たちが笑った。


 「いい先生そうだね」


 少女の言葉に千鶴もうなずいた。


 「私は桜田文(さくらだあや)。文章の文で『あや』なんだけど、みんな『ふみ』って間違えるんだよね」


 嫌になっちゃう、と少女――文は笑った。


 「私は神谷千鶴。神の谷に千の鶴って書きます。えっと……よろしくお願いします」


 そういって小さく頭を下げると文はぷっと吹き出した。


 「やだ、そういうのやめて。友達なんだからそんな先輩相手みたいな態度」


 文は低い位置で二つに縛った髪を揺らしながら笑った。


 「じゃあ、よろしく……桜田さん」

 「もう、なんで苗字なの?文でいいよ」

 「えっと、文ちゃん?」

 「んー。呼び捨てがいいなあ。私も千鶴って呼ぶし」

 「ええ!?……文……ちゃん」

 「…………まあ、いっか」


 明るく笑った文に千鶴も頬が緩む。


 どうやら高校生活は期待できそうである。

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