32:不穏な空気
警戒しながら宿を出て、先程シンディが立っていた場所へと向かう。
街灯の下には誰も居らず、夜の静けさが周囲に広がっていた。
その先にある曲がり角へと向かい、マーゴットは「あっ!」と声をあげた。
入り組んだ道が四方に広がる中、吸い込まれるように細い横道へと入っていくシンディの姿を見つけたのだ。
ほんの一瞬。彼女は髪をふわりと揺蕩うように揺らして道の角へと消えていった。
「そこの横道に入っていったわ!」
「本当? 私は見えなかったけど、ドニ、見えた?」
「いや、俺も気付かなかった。マーゴットが一番夜目が効くのかな」
話しながらシンディの後を追いかける。
彼女は距離を空けたまま、近付かせず見失うこともさせず、細い道をどんどんと進んでいった。
いつも曲がり角の手前で待ち、マーゴットが気付くとするりと角を曲がって姿を消してしまう。追いつこうと走って角を曲がっても、また道の先の曲がり角に居るのだ。
おかしい、とマーゴットは内心で疑問と不安が湧き上がるのを感じていた。
シンディは明らかに自分達をどこかへ連れて行こうとしている。
そんな彼女の歩みは時に不自然なほどに早い。今だって走って追いかけたのに、曲がり角を曲がると彼女はだいぶ離れた道の先に立っており、そしてマーゴットが見つけるやまたも横道に入ってしまったのだ。
そして何より違和感を覚えさせるのが、シンディの姿をマーゴットしか見れていないという事だ。
最初こそ「たまたまマーゴットだけが気付いた」「マーゴットが一番夜目が効く」と考えていたものの、それが何度も続くと流石に偶然だの夜目だのとは考えられない。
「ねぇマーゴット、ちょっと待って。何かおかしくない?」
ルリアが異変を訴えながら足を止めた。
マーゴットとドニも彼女に続いて立ち止まる。足早に進み、時に走り、終始シンディに追いつかない焦燥感を覚えていたからか呼吸が早くなっている。足を止めて初めて心音が荒くなっている事に気付いた。
さすがにドニはまだ体力的に余裕があるようで呼吸は乱れてはいないが、手の甲で額を拭っている。「暑いな」という彼の言葉にマーゴットは荒れる呼吸を整えながら頷いた。風が生温く、湿気を帯びて顔に纏わりついている。
「マーゴットが見間違えてるとは思わないけど、やっぱり変よ」
「俺もそう思う。さっきから俺とルリアにだけは見えてないし、それに、本当にシンディお嬢様だとしてもどうしてマーゴットの呼びかけに応えないんだ」
どこかに連れて行きたいのなら説明をして「一緒に来て」と訴えれば良いだけの話だ。
なのに逃げるように、それでいて姿を見せつつ。まるで「追ってきて」と言いたげなシンディの行動はおかしいとしか言いようがない。
……いや、おかしいどころか怪しいとさえ言える。
罠かもしれない。
自分に助けを求めてきた妹のことは信じたいが、それでも、ここまでおかしい事が続くと疑ってしまう。
「そうね……、確かに変だわ。一度宿に戻りましょう」
ちらと道の先に視線をやる。
一瞬見えたシンディの後ろ姿。だが既に彼女の居た形跡はない。きっと追いかけて角を曲がれば、更に進んだ道の先で待っているのだろう。そしてマーゴットが一目見た瞬間に消えるように進んでしまう。
そうしていったいどこに行くのか、何が待ち構えているのか。自分達をどうしたいのか……。
それらが分からない以上、深入りは危険だ。
後ろ髪を引かれる思いを曲がり角を一瞥することで押さえ、マーゴットは元来た道を戻ろうとした。
……だがその足は再び止まってしまった。
来た道を戻ろうとした矢先に、数人の男達がぞろぞろと群れを成すように現れたからだ。
「なんだよ、戻ってきたのか。このまま大人しく屋敷の方に行ってくれりゃ俺達も楽に済んだのに」
吐き捨てるように話すのは集団のリーダーだろうか。
口調や立ち振る舞い、そして服装から粗暴さが現れている。それと同等の男が七人。
不穏な空気を感じ取り、マーゴットとルリアが一歩後退った。代わりにドニが庇うように前に進み出る。腰から下げている長剣に片手を掛けているあたり、彼もまた男達から言い知れぬ圧と敵意を感じ取っているのだろう。
「屋敷の方に……、ってどういうことだ」
「はぁ? お前達ミレニア家の屋敷に向かってたんだろ。大方、オルテン家の娘を連れ出そうとしてたんだろうが、残念だったな」
「……オルテン家の娘って、シンディお嬢様の事か? 連れ出すって?」
どうやら男達は、マーゴット達がシンディを連れ出すために屋敷に向かっていると考えているようだ。
つまりシンディが屋敷に居ると思っている。ということは、少なくともここまで連れてきた、前を行くシンディとは無関係ということだ。
もっとも、だからといって何が変わるわけでもない。
男達はいまだ敵意を漂わせており、察したドニも剣を抜きこそしないが一触即発の空気を纏っている。
男達は計八人、対してこちらは三人。
それも、ルリアは殆ど戦えないし、マーゴットもこの土地ではあまり魔法を使わない方が良いとエヴァルトから忠告されている。たとえ魔法を使えたとしてもこの人数を相手には出来ない。
つまり男達が本気で仕掛けてくればドニに頼るしかなく、彼はマーゴットとルリアを庇いながら八人を相手にしなくてはならないのだ。
「さすがに八人は厳しいな……。あっ、今のは別に弱音とかじゃないからな。だから師匠には言わないでくれよ!」
「ドニ、今はアーサー様を恐れてる場合じゃないわ。とにかくこの状況をどうにかしないと」
「そうだな。このままだと囲まれるかもしれないし」
ドニはけっして弱くない、むしろあのアーサーの弟子であり、彼のお墨付きの強さである。
だがさすがに二人を庇いながら八人を相手にするのは難しいようだ。とりわけ現在地は入り組んだ場所にあり、下手すれば囲まれたり背後を取られてしまう。
それを危惧しているのかドニは渋い表情を浮かべているが、彼に考える余裕は与えるまいと男の一人がナイフを手に切り掛かってきた。
「くっ……!」
ドニが瞬時に刀を抜き、長剣の刃でナイフを受け止める。
「へぇ、なかなかやるな」
「くそ……。なんだよお前達、何が目的なんだ」
「俺達は別に用はねぇよ。ただ、お前達を……、いや、そこのお嬢さんを連れて来いって依頼だ」
男の視線が一瞬ドニから反れる。
視線が向かう先は……、マーゴットだ。
さすがにここまで来ればマーゴットも覚悟と予想をしており、男の下卑た視線に晒されると負けじときつく睨み返した。
驚いたり怯えを見せれば男を喜ばせるだけ。せめて大人しく従う気は無いという意思を返さねば。
「依頼主はオルテン家ね」
「あぁ、そうだ。事情はよく知らねぇが、ガキ一人を家に送り届ければ金が貰えるんだ。良い仕事だろ。ぞろぞろ歩いてるから機会を窺ってたが、ちょうどよくガキだけで出てきてくれて助かったぜ」
「私達だけで? それじゃあ、お師匠様達の部屋に関与はしてないってこと……?」
勝利を確信して浮かれているのか、それともこの優劣を見せつけようと考えているのか、男は妙に饒舌に話す。
その話の中でもマーゴットは違和感を覚えた。
真夜中に現れどこかへ案内しようとしていたシンディ、合鍵でも開かなかったエヴァルトとロゼリアの部屋、一向に起きなかったアーサー。これらは男達の仕業では無く、依頼主であるオルテン家が仕組んだ事でも無いのか。
だとすると何か……。
考えを巡らせようとする。
だが次の瞬間、マーゴットの頭の中にドニの声が聞こえてきた。
『ルリア、一瞬こいつらを足止めしてくれ』
短いメッセージ。これは魔法を使った連絡手段だ。どこに居ても相手に連絡する事が出来る、魔導師の初歩的な技術。
ドニは魔法に関してはからっきしだが、いつ使えるようになったのか。だが今はそんな疑問を抱いている場合ではない。
ルリアがこの頼みに『分かった』と短く返す。
横目で窺えば、彼女はじっと男達を見つめ……、次いで、男達が悲鳴と共に目を押さえた。目晦ましの魔法だ。
「行くぞ! 走れ!!」
男達の隙を突いてドニが駆け出し、マーゴットとルリアもそれに続いた。
背後から男達の怒声が聞こえ「追え!」だの「逃がすな!」だのと物騒な声と共に足音もする。目晦ましの魔法の効果が切れたか、不便な視界ながらに逃がすまいと追いかけてきたのか。
複数人に効果をもたらす魔法はそのぶん威力が弱く、持続時間が短いのが難点だ。完全に姿を見失わせることは出来ない。
「ドニ! このまま宿に戻るの!?」
「駄目だ、ここじゃ先回りされるかもしれない! こっちだ!」
前を走るドニが道を曲がる。
宿の周辺、そしてステファンの屋敷までの道のりは事前に地図で確認しておりマーゴットも覚えている。だがドニが向かう先は宿でもなく、屋敷へ向かうというわけでもなさそうだ。
どこかに助けを求めるつもりなのか。だが夜遅くに開いている店は殆ど無く、逃げ込んでも助けて貰えるかは分からない。
かといって闇雲に走り回っても体力を消費するだけだし、男達が地元の者ならば裏道を取って挟み撃ちされかねない。
そうマーゴットが案じるが、ドニが選んだ道はマーゴットが心配する状況よりも更に不利な場所へと繋がっていた。
人がようやくすれ違えるぐらいの細い道。
それも、しばらく進んだ先には高い壁が道を塞いでいる。つまり行き止まりだ。




