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27:海上の景色

 


 町に出て馬車に乗り、港に着くと船に乗り換える。オルテン家から逃げた後に辿った道のりを今度は遡っていくのだ。

 もっとも、当時はいつ追手がくるか分からず金も無かったため、あちこち寄りながらの道程だった。馬車から船へ、船から馬車へ、安住の地を求めて一年間彷徨い、ようやくヴィデル国の小さな町に辿り着いたのだ。

 対して今は真っすぐに、追手を恐れることも資金に悩むこともなく最短の道を選んでいる。

 そうすると一年どころかたった数日で辿り着いてしまうのだから、あの一年の苦労は何だったのかとマーゴット達が肩を落としてしまったのも無理はない。


 船だって、当時は客室を取る余裕などあるわけがなく、仕事を手伝うから乗せてくれと頭を下げて臨時船員としてなんとか乗せてもらったのだ。

 ベッドなんて贅沢は言ってられない、寝袋に入って身を寄せ合って眠ったのを今でも覚えている。

 だが今はきちんと客として船に乗っている。客室も、さすがに一人一部屋ではないが男女で一室ずつ取ってベッドも三つだ。――この部屋割に対して、ドニだけは「寝袋を借りて甲板で寝ようかな……」と項垂れながら呟いていた。エヴァルトとアーサーに左右から腕を掴まれ客室に引きずられていったが――




「……あの時は、こんな風になるなんて思っても無かったな」


 客船の甲板に立ち、軽やかに吹き抜ける風を感じながらマーゴットがポツリと呟いた。

 既に日は落ちて海面はどこまでも深い黒一色だが、夜空には無数の星が広がっているので怖さはない。むしろ幻想的で美しい光景が眼前に広がっており、仮にこれが只の旅行であったなら見惚れていただろう。

 だがどうしてもこの旅の目的と、そして目指す土地に居る者達のことを考えると見惚れる気にはなれない。美しい景色を前にしても心は焦燥感に支配されてしまっているのだ。


「もったいない……」


 溜息交じりに小さく呟く。自分の胸の内を呟いただけだ。誰かに聞いて欲しいわけでもなく、返事を期待しているわけでもない。

 だが「何がもったいないんだ?」と返事が返ってきたので、マーゴットは驚いて後ろを振り返った。

 そこに居たのはエヴァルトだ。緩やかな風に髪をなびかせ、美しい夜空を背に立つ彼は様になっている


「お師匠様、どうしたんですか?」

「マーゴットが外を見に行ったって聞いて、可愛い弟子が船から落ちるんじゃないかと心配になって見に来たんだ」


 冗談めかして話しつつ、エヴァルトが隣に立った。

 夜の海と星空。境目は混ざり合うかのようで、その景色の美しさにエヴァルトが「これは凄いな」と感嘆の言葉を漏らした。

 そんな彼の服の裾を掴んで「見惚れて落ちないでくださいね」と告げる。もちろんこれは先程の言葉の仕返しだ。エヴァルトが楽しそうに目を細めて笑う。


「それで、こんなに綺麗な景色を前にして何が勿体ないんだ? 夕食をおかわりしなかったのを今になって惜しんでるのか?」

「もう、茶化すのは程々にしてください。……この景色が勿体ないと思ったんです」

「この景色が?」


 いったいどうして、と言いたげにエヴァルトが眼前へと視線をやった。

 景色は先程から何も変わっていない。相変わらず夜の海は黒一色に覆われ、頭上では星空が輝いている。なんて美しいのだろう。まさに絶景と呼べる壮観さで惜しむ要素はない。

 マーゴットはそんな景色を見つめ、小さく溜息を吐いた。美しいと思う、だけどやはり胸の内までは届かない。


「こんなに綺麗な景色を前にしてるのに、シンディや両親の事を思い出してしまうんです。ここで考えたってどうしようも無いのは分かってるのに……」

「そうか」

「もったいないですよね」


 胸の内を押し隠すようにマーゴットが自分の気持ちを笑い飛ばした。だけど上手く笑えない。

 そんな弟子の強がりを見て、エヴァルトが穏やかな声色でマーゴットを呼ぶとそっと手を伸ばしてきた。

 彼の手がぽんと頭に乗る。大きくて優しい手だ。


「それなら帰りにまた眺めよう」

「帰りに?」

「あぁ。だけど帰りはもっと豪華な客船にしても良いな。いっそどこか他の国を見て回ろうか」


 船内でパーティーが開かれるような豪華な客船で、せっかくだから途中で下船して各地を見て回っても良い。

 既にエヴァルトは帰りの事を考えているようで、あれもこれもと追加している。これでは帰路だけで十日以上、むしろ一ヵ月近く掛かってしまいそうだ。

 根から人見知りで出不精な彼にしては珍しい提案だが、出掛けたのならいっそ兼ねてからの希望を全てこなしてしまおうという気持ちなのかもしれない。


 次から次へとあげられる計画はどれも華やかで楽しそうで、ついていけずに思わずマーゴットがぱちくりと瞬きをしていると、気付いたエヴァルトが目を細めて微笑んだ。


「どうしたんだ?」

「だって、お師匠様……、帰りって……」

「『用事を終えたら家に帰る』、当然の事だろう。それにマーゴットが帰るのはあの家だけだ」


 オルテン家ではなく、自分と共に生活する田舎町の家。

 そう断言するエヴァルトの言葉と、優しく頭を撫でてくれる彼の手に、マーゴットは胸の内に渦巻いていた不安や困惑がゆっくりと溶けて消えていくのを感じた。

 不思議と「大丈夫」と安堵さえ湧いてくる。強張っていた体が、張り詰めていた胸の内が、無理に笑おうとしていた表情すらも、緩やかに和らいでいくのが分かる。


「お師匠様が一緒なんだから大丈夫ですよね」

「当然だろ。この俺には出来ないことなんて無いからな」

「私が仕事を終えて帰ってくるのを家で待つのは出来ませんよね?」

「あれは『出来ない』じゃなくて『しない』だから」


 悪びれる様子一切無く断言してくるエヴァルトに、マーゴットは思わず笑みを零してしまった。

 クスクスと肩を震わせて笑えば、それを見てエヴァルトも表情を和らげる。安堵の色を交えた表情だ。

 次いで彼の手が今度はマーゴットの頬に触れてきた。大きくて暖かい手がそっと頬を包む。


「お師匠様……?」


 くすぐったさと何も言わなくなったエヴァルトに疑問を抱いてマーゴットは彼を見上げ……、そして小さく息を呑んだ。

 エヴァルトは変わらず穏やかに微笑んでいる。優しい笑みだ。

 だがなぜか普段とは違うと感じてしまう。自分を見つめる彼の瞳の奥に、温かさを超えた熱が宿っているように思える。

 その目に見つめられ、マーゴットの心臓がトクンと跳ねた。鼓動が早まり、エヴァルトの瞳の奥にある熱が自分にまで伝わったかのように胸が熱くなる。


 何か言わなくてはと思っても何も言えず、エヴァルトの瞳から目が離せない。

 ようやく「あ、」と小さく掠れた声を漏らすも、それに被さるようにエヴァルトが口を開いた。


「大丈夫だよ。マーゴットのためなら、俺はなんだって出来るから」


 愛おしそうに目を細めて、優しい声で、それでいてどことなく熱っぽく、エヴァルトが告げてくる。

 その言葉に、マーゴットは己の胸が更に高鳴るのを感じた。普段ならば「ありがとうございます」と素直に弟子としての感謝の言葉を返すのに、今だけは声が出てこない。

 先程の彼の言葉は師としてのものではなかった気がする。普段だって同じような意味合いの言葉を告げてくるが、それでもなぜか、普段とは違うと思えてくる。


 だけど、『師匠』としてではないとしたら、彼の言葉は……。


 心臓が痛いぐらいに跳ねる。

 そんなマーゴットの躊躇いに気付いているのかいないのか、エヴァルトはじっとマーゴットを見つめると、ゆっくりと顔を寄せてきた。



 まるでキスをするかのように……。




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