26:ステファンと七人の妻
ステファン・ルミニアは王都や周辺で暮らす親族から離れ、田舎に屋敷を構えてそこで暮らしている。
悪評から逃れるためか、もしくは親族や社交界の目から己の悪行を隠すためか。どちらにせよその思惑の通りステファンは怪しまれこそするものの噂程度に留まり、正式な調査の手までは入らずにいた。
世間に公表することなく嫁を娶り、社交の場に出ることもせず、ひっそりと結婚生活を終え、また新たな嫁を……。
ステファンはそうやって七人の妻との生活を送っていた。
もちろん、そんな彼を周囲が放っておくわけがない。
公爵家の権威を前にすると踏み込むことは出来ないが、否、だからこそ、興味だけは湧いていく。
ステファンは娶った事で満足して妻を蔑ろにしていたのでは、公爵家という立場を利用して妻を虐げていたのかもしれない、妻を利用して何か良からぬことをしていた可能性は。家が持てあました娘を彼に宛がってどこかに身売りさせているのでは……。
そんな良からぬ噂が流れ、だが噂の域を出ずに居た。
挙げ句、ステファンの周りには殺された夫人の亡霊達がいまも彷徨っており、彼の周りにいると彼女達の悲鳴が聞こえるだの、屋敷では怪奇現象が起こるだの……。
「さすがに亡霊に関しては信じてる人の方が少ないけど、どう調べても良い話は聞かない男ね」
一部始終を説明し終えたロゼリアが、あまり気分の良い話ではないと言いたげに深く息を吐いた。
「私も詳しく調べたわけじゃないけど、どの相手の時でもステファンの結婚生活は長くて五年程度だったみたい。でも不思議なことに相手の家からは何も訴えられていないのよ。そもそも、ステファンも相手の家も結婚についてはあまり公表せずにいたみたい」
そんな彼の七人目の妻が亡くなったのが二年前の事。
たった四年間の結婚生活だったという。その後彼は二年間は独り身で暮らしていたが、このたびシンディ・オルテンとの婚約を結んだ……。
そんなステファン・ルミニアと妹が結婚させられる……。
「シンディは結婚を嫌がっています。でも両親が話を進めてしまっているようで……。だから私に助けを求めてきたんです」
手紙には突然の連絡を詫び、そして両親から逃げられた姉を危機に晒すことも詫びていた。
それでも助けを求めてきたのだ。きっと縋る相手がマーゴット以外に居ないのだろう。
どんな気持ちでこの手紙を綴ったのか。姉に届くかすら分からずに手紙を出した際のシンディの気持ちを思うと胸が痛む。
「私、シンディは大丈夫だと考えていたんです。シンディは『女児の双子の災厄を招く方』じゃなくて『栄光をもたらす方』だから……。でも本当は、シンディも一緒に連れ出してあげるべきだった」
自分が逃げる事に必死で、妹の事まで考えてやれなかった。
そうマーゴットが過去を悔やんで俯けば、ルリアが優しく肩を擦ってきた。
「マーゴットのせいじゃないわ。シンディお嬢様とは部屋も離れた場所だったし、二人きりで過ごすことも碌に出来なかったじゃない。あの時のマーゴットの環境を考えれば、連れ出すのなんて無理よ」
はっきりとルリアが断言すれば、ドニもそれに続いた。
彼等の言葉に、マーゴットもなんとも言えない表情で、それでも頷いて返した。
家族から目に見えた冷遇はされてはおらず、世間的にはマーゴットもオルテン家の令嬢として育っていた。
だが実際にはマーゴットは『災厄を招く娘』であり、家の中では冷めた対応を受けていた。
日常生活、家族との対話、与えられる物や教育……。そういった生活環境の端々から埋めようのない溝と、妹との格差を感じ取っていたのだ。
その果てに両親が迷信を信じて自分を害そうとしていると知り、マーゴットは家から逃げ出した。『栄光をもたらす』と信じられ優遇されていた妹は無事だと信じて。
「オルテン家にとってシンディは大事な娘のはず。それなのにどうして……」
「……大事な娘だからだろうな」
マーゴットの躊躇いの言葉に返したのはエヴァルトだ。
彼は言い難そうな表情を浮かべ、それでもマーゴットから「お師匠様?」と問われると溜息交じりに口を開いた。
「オルテン家はいま財政難に陥っている。シンディ・オルテンを無理やりにステファン・ルミニアに嫁がせるのはきっとステファンの財産目当てだろう」
「そんな……。家のためとはいえ、あまりに年齢が違うし、それにステファン様の噂はお父様もお母様も知ってるはずです」
社交界ではいまだに家の為の政略結婚が蔓延っており、顔を合わす前に縁談を結ぶ事も珍しくない。
だがそれでも親は子を愛し、政略であっても幸せを願うものだ。相手の家柄を見つつも同時に人柄も見て、娘や息子が不幸になりそうであれば縁談を断る。
いかに政略結婚が常の世界とはいえ、そこまでは非道になれないのが普通である。
そんな世で、今回の件はあまりに異常すぎる。欲しかなく、それを隠そうともしていない。
そうマーゴットが訴えれば、エヴァルトが同意を示すように小さく頷いて返してきた。「だけど」と話を続ける。
「オルテン家にとっては、これこそが『女児の双子がもたらす栄光』なんだろう。そもそも、迷信を信じて娘を亡き者にしようとする家だからな」
「……っ!」
「あ、すまないマーゴット。マーゴットを傷つけようとは思ってなかったんだ」
己の失言に気付きエヴァルトが謝罪の言葉を口にする。
それに対してマーゴットは「大丈夫です」と少し上擦った声で返した。
エヴァルトが謝る必要はない。彼が言った事はすべて事実だ。
そしてたとえ事実であったとしても、ここでただ傷ついて過ごしているわけにはいかない。
そう考え、マーゴットは苦しさを訴える胸元をぎゅうと掴み、深く息を吐いた。
「私、シンディに会いに行きます。私が助けてあげないと」
はっきりとした声色で告げる。
それを聞いたエヴァルトがやはりと言いたげな、それでいて少し困ったような表情を浮かべた。ルリアやドニも、それどころかアーサー達も、マーゴットの決断は想定内だったのだろう驚いた様子はない。
そんな中、エヴァルトがマーゴットを呼んだ。案じるような表情でじっと見つめてくる。
「妹に会いに行くなら家族にも会う事になる。傷つくかもしれない。それでも良いんだな?」
「はい。……私、ちゃんと決別しないと。いつまでもお師匠様達に護られてばかりじゃいられません」
「なんだ、気付いてたのか」
エヴァルトは、それどころかロゼリアもアーサーも、オルテン家の様子を調べ、彼等の捜索の手がマーゴットにまで及ばないようにと監視をしてくれていた。
今まで国に対して非協力的だった彼等が応じるようになったのはそのためだ。
そのことをマーゴット達は気付いていて、感謝すると同時に甘えていた。
「だけどもう甘えてばかりじゃいられません」
マーゴットのはっきりとした言葉に、困ったような表情を浮かべていたエヴァルトが「そうか」と返すと同時に深く息を吐いた。
弟子の成長を見る師の表情だ。
「そうだな。マーゴットはもう一人前だもんな」
「はい。だから私、きちんと家族に会って話をしてきます」
「きっとマーゴットなら大丈夫だ」
「お師匠様、私がちゃんと家族と決着をつけて帰ってくるのを待っててくれますか?」
「…………」
「……お師匠様?」
先程までは優しい声色で答えてくれていたというのに、途端にエヴァルトが黙り込んでしまった。
そのうえマーゴットから露骨に顔を背けてしまう。回答拒否の姿勢だ。
良い流れだったのに、とマーゴットが心の中でぼやいた。
「……付いてくるつもりですか?」
「むしろどうしてこの件だけ俺が付いてこないと思ったんだ?」
開き直りなのか逆にエヴァルトが尋ねてくる。心の底から疑問だと言いたげな不思議そうな表情だ。
これに対してマーゴットは「そうですよね」とだけ返した。
考えてみれば当然。普段でさえあの手この手で付いてきたエヴァルトなのだから、今回の件で大人しく待っているわけがない。
……そう納得してしまうのもどうかと思うが。
だが今回の件に限ってはエヴァルトが付いてきてくれるのは有難い。何かあった時に頼れるし、たとえ何もなかったとしても、彼がそばに居てくれるだけで落ち着ける。
「お師匠様、私と一緒に行ってくれますか?」
改めてマーゴットが尋ねれば、エヴァルトが穏やかに優しく「もちろんだよ」と微笑んだ。




