25:マーゴット宛の手紙
「今日こそお師匠様抜きで仕事をこなさないと。……ピーマンの採取依頼とか無いかしら」
さすがのエヴァルトも嫌いな食べ物の採取依頼なら付いてこないだろう。
そんな事を考えながらマーゴットが出かける準備をしていると、部屋の扉がノックされた。
返事をすればゆっくりと扉が開かれ、エヴァルトが顔を覗かせた。眉尻を下げたなんとも言えない表情をしている。
「お師匠様、どうしました?」
「さっき手紙が届いたんだ。……マーゴット宛に」
「私宛?」
思わず首を傾げて尋ね返してしまった。
マーゴットがこの町に、それもエヴァルトの家に住んでいるのを知っているのは極僅かだ。町の住民やギルドで親しくしている冒険者、それと今までの依頼者。
彼等からの手紙だろうか。だが町の人達やギルドの冒険者達ならば手紙なんて手間を掛けずに直接話しかければ良いし、依頼者が個人的に手紙を送ってくるとは思えない。それに再依頼や依頼後のやりとりはギルドを通すのが決まりだ。
「誰からでしょうか?」
「……それは、封筒には書いてないんだ。ただ、もし読みたくないなら俺が読むからな」
「お師匠様?」
エヴァルトの様子に異変を感じ、マーゴットは首を傾げたまま彼を見上げた。
困ったような表情。それでも目が合うとぎこちないながらに微笑むのはマーゴットを安心させようとしているのか。
だがどうして安心させようとするのかが分からず、マーゴットはエヴァルトから彼が持つ封筒に視線をやった。
どこにでもあるような封筒だ。
これがいったい何なのか。マーゴットが首を傾げながらも封筒を受け取り、宛名を見て……、
「……え?」
と、小さく声を漏らした。
一瞬にして体が硬直し、内側からじんわりと汗を掻くような不快感が全身を覆う。心臓がぎゅうと握りしめられたかのように苦しく、それでいて大きく鼓動を鳴らす。
「なんで……」
漏らした自分の声は掠れていて弱々しい。封筒を持つ手が小刻みに震えているのが、まるで他人事のように視界に写り込んだ。
白い封筒。そこに綴られているのは確かにマーゴットの名前だ。だが『マーゴット』ではない。
【セシル・オルテン】
かつて聞いた名前、そして名乗っていた名前。
最後にこの名前で呼ばれたのは五年前だ。だが懐かしさは一切無く、体は動かないのに心臓だけが鼓動を速めていく。
なぜ、どうして、この手紙は、どうやって、いったい誰から。
矢継ぎ早に浮かぶ疑問を整理出来ずにいると、「マーゴット!」と名前を呼ばれた。
その声でようやく我に返って顔を上げれば、エヴァルトが心配そうに見つめている。
「……あ、お師匠様。すみません私、ぼーっとしちゃって」
「謝る必要はない。それより大丈夫か? やっぱりこの手紙は俺が読んだ方が……」
「いえ、私が……、私が読みます。私の手紙だから」
譫言のように『私』と繰り返すのは、綴られている名前が自分だと己に言い聞かせるためだ。
そんなマーゴットを案じ、エヴァルトが手紙を持つ手にそっと手を重ねてきた。大きく暖かな手が、小さく震えるマーゴットの手を優しく包み込む。
「温かいお茶を淹れるから、それを飲みながらリビングで読むと良い」
「……お師匠様」
「話したくなければ何も話さなくて良いから」
一人部屋で籠って読むなと言いたいのだろうエヴァルトの言葉に、マーゴットはまだ落ち着かない胸中のまま、それでもコクリと頷いた。
エヴァルトが淹れてくれた温かい紅茶を飲みながら、恐る恐る封筒を開けて便箋を取り出す。
待っているとプレッシャーになると考えたのかエヴァルトはキッチンへと向かってしまった。
だが彼はすぐ近くに居て、何か作っているのか物音がする。その生活音は耳に心地良く、同時に、【セシル・オルテン】の手紙を前にしてもなおマーゴットをマーゴットだと伝えているように思える。
エヴァルトが側に居てくれる。呼べばきっと直ぐに自分を「マーゴット」と呼んで、近くに来て、この手紙を破り捨ててくれる。そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと便箋を開いた。
手紙の差出人は【シンディ・オルテン】。
マーゴットの双子の妹。呪われた女児の双子の、栄光を招く娘。
その名前を見た瞬間にマーゴットの脳裏にシンディの顔が思い出された。
双子だけありよく似ていると言われていたが、確かにマーゴットもシンディと自分はよく似ていると感じていた。少し気弱で、だけど優しさに溢れた少女。
「……シンディが結婚」
便箋に書かれている文を読み進め、マーゴットは小さく呟いた。
貴族の令嬢らしい美しい文字で綴られた手紙。だが内容は美しい文字には似合わぬ、突然の手紙に対しての詫びの言葉で始められている。
そして己の結婚が決まった事、それが早急に進められている事を綴り、最後にどうか自分を助け出して欲しいと助けを乞う文章で締められた。
「そんな、シンディが結婚なんて……」
マーゴットが息を呑む。
もっとも、シンディはマーゴットと同じく十七歳。貴族の令嬢ならば婚約や結婚が決まってもおかしくない年齢である。
だが問題なのは相手だ。
結婚相手として綴られている名前にマーゴットが青ざめていると、カップを二つ手にしたエヴァルトが対面に腰を下ろした。
そっと差し出してくるカップにはスープが入っており、ふわりと湯気と共に覚えのある香りがマーゴットの鼻を擽った。
「これは……、ジンジャースープですか?」
「さっき作っておいたんだ。マーゴットほど美味しくは作れてないけどな」
苦笑交じりに話しながらエヴァルトがさっそくとカップに口を付けた。「なかなかだな」と自画自賛するのは冗談でマーゴットの気持ちを和らげようとしているのだろう。
『こういう時は美味しくて暖かなものを食べて、心も体もお腹もぽかぽかさせると良いんですよ』
かつて彼に告げた言葉を思い出し、マーゴットもまたカップに口を付けた。コクリと飲めばジンジャースープ独特の味と香りがふわりと口内に広がる。
「美味しい……。お師匠様、ありがとうございます」
「いや、礼を言うほどじゃないよ」
エヴァルトの口調は穏やかで優しい。手紙について話すよう促すことも無く、ましてや話題に出そうともしない。
このままマーゴットが話さなければそのままで終わらせてくれるのだろう。
だけど、と考えてマーゴットは一度ゆっくりと息を吐いた。
「……妹からでした」
呟くように話し出したマーゴットに、エヴァルトが「妹?」と返してきた。
「はい。シンディ・オルテン。私の双子の妹です。……結婚が決まったって」
「結婚、そうか。でも貴族の令嬢ならその年で結婚も珍しい事じゃないだろう?」
「でも相手が……」
便箋に視線を落として、マーゴットが深く溜息を吐いた。
◆◆◆
「ステファン・ルミニアって……、あのルミニア家の?」
ぎょっとした表情を浮かべたのはルリアだ。
隣に座るドニもまた信じられないと言いたげな顔をしている。
二人の反応に、マーゴットは静かにコクリと頷いて返した。
あの後、ルリアとドニを呼んで妹シンディから手紙が来た事を話した。
当然ながら二人はどうしてここに手紙がと驚き、自分達の居場所がオルテン家にバレたのではないかと危機感さえ覚えていた。
だがそれはマーゴットが宥めた。文面を見る限りマーゴット達の現在地はシンディしか知らない。否、彼女も詳細は分からず、伝手を何人も渡って手紙を寄越してきたようだ。
便箋には『この手紙がどうかお姉様に届きますように』と儚い願い事のように綴られている。
それを説明し、改めて手紙の内容を二人に伝えた。
シンディの結婚が決まった。それも早急に進められている。
相手は【ステファン・ルミニア】
その名前を聞いて、ルリアが驚愕を露わに声をあげたのだ。
「ステファンって誰だ?」
とは、ドニと共に家に来たアーサー。
元より彼は社交界どうのについては興味がまったくなく、それも国も海も挟んだ先の事なのだから知らなくても仕方ない。
対してロゼリアはさすが情報通だけあり把握しているようで、アーサーの疑問の言葉に深く息を吐いてゆっくりと口を開いた。
「ステファン・ルミニア。ルミニア公爵家の当主の弟よ。確か五人兄妹の末子」
「公爵家が相手なら別に変な話じゃないだろ」
「年齢は確か今年で四十五歳だったかしら」
「四十五歳!?」
アーサーが驚いて声をあげる。
だが彼が驚くのも無理はない。ロゼリアの言う通り、ステファン・ルミニアは今年で四十五歳になる。対してマーゴットの妹シンディ・オルテンは十七歳だ。
二人の年齢差は親子程。むしろステファンはマーゴットやシンディの父親よりも年上なのだ。
そんな男との結婚。異常としか言いようがない。
だがステファン・ルミニアの名前を聞いてマーゴット達が青ざめたのは年齢差だけではない。
ステファンにはとある悪評があるのだ。
その悪評を思い出し、マーゴットが難しい表情のまま「ステファン様は……」と話し出した。
「私がまだオルテン家に居た五年前でさえ、ステファン様には七人目の奥様が居ました」
「七人って、そんなに嫁がいるのか? 一夫多妻じゃないだろ」
「……ステファン様の奥様はどの方も、結婚して数年で亡くなっているんです」




