22:家を守る箒
『さっきから聞いていれば勝手な事ばかり……! もうお話は十分です、私達の家から早くお帰りください!!』
威勢のいい声で怒鳴りつけたのはマーゴットだ。
片手には武器のつもりなのか箒を握っている。まだ少女と言える年齢のあどけない顔付きをそれでも厳しくさせ、玄関に立つエヴァルトの両親を睨みつけている。
マーゴットらしからぬ表情だ。マーゴットは優しく温厚で誰に対しても友好的、どう接して良いのか分からず素っ気ない態度を取ってしまう師に対してだって怒る事も怯えることもなく笑顔で接してくれたのに……。
『マーゴット……』
『お師匠様はもう私のお師匠様です。貴方達の息子じゃありません。私の! お師匠様です!』
自分のだとあえて強く断言し、マーゴットが再び『お帰りください!』と促した。
言葉遣いこそ丁寧ではあるが怒気が込められており、帰れと命じているようなものだ。手にする箒を振り回す覚悟すら漂わせている。
そんな年若い少女の醸し出す気迫にエヴァルトの両親が僅かに怯んだ。
自分の言いなりになると考えていたエヴァルトのまさかの拒絶、更にはエヴァルトを師と呼ぶ少女にまで拒否されたのだ。彼等からしたら想定外の連続である。
その隙を見てとったのか、マーゴットがエヴァルトの隣に立つとぐいと腕を掴んできた。それだけでは足りないとぴったりとくっついてくる。
『昔は引き留めもしなかったくせに、今更呼びにくるなんて遅いんです。もう私のお師匠様ですから渡しません! だから早急にお帰りください!』
マーゴットの口調は変わらず強い。……だが己の腕をしっかりと掴むマーゴットの手が震えている事に気付き、エヴァルトは小さく息を呑んだ。
こんな状況で啖呵を切るのが怖くないわけがない。マーゴットはこの中で一番年若く、そして小柄だ。なによりマーゴットにとって『子供をぞんざいに扱う親』というのは恐怖の対象のはず。
それでも自分のために奮い立ってくれるマーゴットをじっと見つめ、次いでエヴァルトは親へと向き直った。
自分の視線が温度を変えるのが分かる。マーゴットに対しては温かく愛を込めて、そして親に対しては冷ややかに侮蔑を込めて。
『聞いただろう、さっさと俺達の前から消えて二度と現れないでくれ』
『エヴァルト……、お前まで……』
『もう話す事もない。ただ、もしも育てた恩を返せと言うのなら……』
ふと、エヴァルトは言葉を止めた。
己が纏う空気が冷ややかになっていくのが分かる。そんな自分を案じたのかマーゴットが更に強く腕を掴んできた。しがみつくように身を寄せてくるのは自分の意志は変わらないという意思表示だろうか。
マーゴットの気持ちを嬉しく思うからこそ、そして彼女を愛しく思うからこそ、ここではっきりと蹴りをつけなければならない。
そう考え、エヴァルトはゆっくりと息を吸うと口を開いた。
『もしも育てた恩を返せと言うのなら、今ここで何もせず見限ることが恩返しだと思え』
『は……? 何を言ってるんだ』
『今の俺なら家督を得るぐらい造作ない。……ただし、その時は継ぐなんて生半可な事をする気は無い』
継ぐのではない、奪うのだ。
だがそれをせずに見限るだけで済ませてやる事こそ、育ててもらった恩返しである。
エヴァルトの言わんとしている事と、そしていざとなれば迷いなく家督を奪いにくると理解したのか、親の顔が次第に青ざめていく。
言葉を失い、躊躇いを露わに視線を泳がせ、そしてついには碌な言葉も残さずに去って行った。その後ろ姿は完全なる逃げであり、二度と彼等がこの地に来ない事が分かる。
その背中が遠ざかっていくのを見届け、見えなくなるとエヴァルトは深く息を吐いた。
寄り添うマーゴットへと視線を向けると、眉根を寄せて警戒の表情で道の先を睨みつけていたマーゴットが視線に気付いてこちらを向いた。
途端、慌ててしがみついていた腕をパッと放す。
『あっ、ご、ごめんなさいお師匠様。強く掴んじゃって、痛くなかったですか?』
『いや大丈夫だよ。ありがとうマーゴット』
『私、あんな事を言う人達が許せなくて……。だってまるでお師匠様を自分の物のように言って、許せないじゃないですか』
『だから箒を片手に出てきてくれたんだな』
いまだマーゴットの片手に握られている箒を見れば、気付いたマーゴットが慌てて箒を壁に立てかけた。
頬を赤らめてつい咄嗟に掴んでしまったのだと恥ずかしそうに話す。先程まで箒片手に啖呵を切ったとは思えない態度の変化だ。
それが面白くてエヴァルトが小さく笑えば、気付いたマーゴットが唇を尖らせて『笑わないでください』と訴えてきた。その仕草も表情も愛おしい。
『だけど咄嗟に箒を掴むなんて魔導師らしくないな。魔導師なら魔法陣を出すのが一番だ。魔法陣を浮かび上がらせれば魔導師以外はすぐに怯むからな』
『お師匠様ってば、魔法を脅しに使うなんて駄目ですよ。魔導師たるもの魔法は崇高な目的に使わないと』
『箒を脅しに使うのは良いのか?』
『それは良いんです。私は魔導師であってお掃除専門家じゃありませんから』
自論を語るマーゴットは随分と得意気だ。
それを聞いたエヴァルトはついには声をあげて笑ってしまった。親を見限った直後とは思えない、楽しく、晴れ晴れとした気持ちだ。
エヴァルトが楽しそうに笑うのを見てマーゴットは『また笑う』と不満げに眉根を寄せ……、だが次の瞬間、つられるようにふっと表情を緩めた。
穏やかで愛らしい微笑み。
その笑みの明るさに、エヴァルトは己の視界が眩く輝きだすのを感じた。
『マーゴット……』
『お師匠様、スープを作ってあげますね』
『スープ?』
『こういう時は美味しくて温かなものを食べて、心も体もお腹もぽかぽかさせると良いんですよ』
上機嫌で話しながらマーゴットが家の中へと戻っていく。
エヴァルトは己の表情が和らぐのを感じながらその後を追った。
◆◆◆
「あの時から、箒の置き場所が玄関になったな」
過去を思い出していたエヴァルトが玄関へと繋がる扉に視線をやった。
ここからでは見えないが、今も玄関には箒が立てかけられている。さすがに当時使っていたものではなく買い換えてはいるが、それでも置き場所は必ず玄関だ。
あの日、エヴァルトの親を追い返したマーゴットが箒をたてかけた場所である。
「なんだか家を守ってくれてるような気がするんですよね」
「それなら俺達の家紋は箒にしようか」
「私達の家紋?」
家紋とはいったいどういう事か? とマーゴットが首を傾げて問う。
エヴァルトはあの一件で家とは絶縁状態になり、マーゴットは言わずもがな家から逃げて今に至る。二人とも貴族の出ではあるものの名乗ることはせず、当然だが生家の家紋を使う事はない。
それをさして不便に思った事はないが、なぜ家紋を? と疑問を抱けば、エヴァルトがそっとマーゴットの頭に手を置いてきた。
彼の大きな手が髪を梳きながら優しく頭を撫でてくる。
「……俺とマーゴットの家紋だ。いずれ、ね」
エヴァルトの声色は普段通りのものだ。落ち着いていて優しい口調、温かな声。
だがどこか普段とは違う気がする。暖かな声の奥に、暖かさとは違う熱があるような……。
とくん、とマーゴットの心臓が跳ねた。
心音が早まる。胸の奥にぽっと熱が灯ったような気がする。その熱が緩やかに全身を巡るような不思議な感覚。
「お師匠様……」
「あの時、マーゴットが俺を『家督を継げなかった』から『家督を継がなかった』に変えてくれたんだ。あの時から今まで、これからもずっと、俺はマーゴットのものだ。『私の』って言ってくれたもんな」
頭を撫でていたエヴァルトの手がすると滑り頬に触れてくる。
マーゴットの心臓が更に跳ね上がり、それどころかつられるように小さく体も震えてしまった。
じっと見つめてくるエヴァルトの瞳から目が離せない。彼の瞳の奥にある熱が自分にも燃え移ったかのようだ。
体中を覆う熱が意識まで溶かしてしまっているのか考えが纏まらない。
「マーゴット……」
エヴァルトの形良い唇が名前を呼んでくる。普段はとくに意識せずに聞いているこの声すらも、今はなぜか熱く感じてしまう。
どうして良いのか分からず、返事すらも出来ず、マーゴットは息苦しさすら覚える緊張の中でじっとエヴァルトを見つめ返した。
そうして見つめ合うことしばらく……。
バサバサッと聞こえてきた鳥の羽ばたきの音に、マーゴットとエヴァルトは揃えたように体を跳ね上がらせた。
張り詰めていた空気が一瞬にして弾けるように消え去った気がする。
その後に待ち構えているのはどうして良いのか分からない混乱と、どうしようもないほどの恥ずかしさだ。
マーゴットの顔がより熱くなるが、エヴァルトも一瞬にして顔を真っ赤にさせている。
「あっ、えっと、も、もう寝ようか!」
「そ、そう! そうですね!! 明日はアーサー様のお家にお掃除に行くので、は、早く寝ないと!!」
不自然に声をあげながらあわあわと離れ、そそくさと互いの自室へと向かっていった。
そうして自室に入り、熱に浮かされるようにポスンとベッドに倒れ込んだ。
就寝の挨拶を告げはしたが、きちんと言葉に出来ていたか分からない。それと同様に、エヴァルトからの就寝の言葉も聞いた気がするがどんな言葉だったか思い出せない。
「なんだかドキドキしちゃう、どうしたのかしら……」
いまだ熱を持っている頬を押さえ、マーゴットはいまだ己の心臓が早鐘を打っているのを感じながら深く息を吐いた。




