21:エヴァルトの昔話
うとうととしていたマーゴットは聞こえてきた物音にはっと気付いて顔を上げた。
扉を開ける音。屋内を気遣っているのか妙にゆっくりだ。扉を閉める音も普段よりも小さい。
「おかえりなさい、お師匠様」
「マーゴット、起きてたのか」
室内に入ってきたエヴァルトが僅かに驚いたような表情を浮かべる。
そんな彼に対して、マーゴットは先程までうつらうつらと半ば眠っていた事は隠して「本を読んでました」と返した。
「スープの用意をしますね」
ソファから立ち上がり、キッチンへと向かう。鍋の蓋を開ければふわりと上がった香りが鼻を擽った。作ったばかりなのでまだ冷えてはおらず、これならば直ぐに出せるだろう。
このスープはマーゴットの得意料理の一つ、ジンジャーを使っており、香りと仄かな辛みが味わい深い一品である。
元々お酒を飲んだ後に飲むと良いとルリアから聞き作るようになったのだ。それ以外にも、寒い日に飲むといつまでも体を温めてくれる。
「わざわざ帰ってきてから作ってくれたのか?」
「お師匠様、お酒を飲む時にはいつもこのスープをリクエストするでしょう。ルリアとドニも作るって言って、三人で材料を買いに行ったんです」
今頃それぞれの家でスープが振る舞われているのだろう。その光景を想像してマーゴットが笑う。
エヴァルトも表情を和らげ、マーゴットが温めたスープを渡せば嬉しそうに受け取った。一口飲むとまるで堪能したかのように深く息を吐いた。
「美味しいよ。ありがとうマーゴット。そういえばあの時もこのスープを作ってくれたね」
「あの時?」
このスープの作り方を教えてもらったのは数年前。それから何度も作っている。
エヴァルトはとりわけ気に入っているようでよくリクエストしてくるし、誕生日や記念日に豪華な料理と共に振る舞った事もあった。他にも、今日のようにエヴァルトの帰りが遅くなる日や、夜遅くまで研究をしている彼に夜食として振る舞いもした。
だからこそ「あの時」と言われても……、とマーゴットは記憶を引っ繰り返し、ふと思い出した光景に「あっ」と小さく声をあげた。
「あの時って……、お師匠様の家族が来た時ですか?」
「あぁ、そうだよ。あの時、俺の家族を追い返した後にマーゴットがこのスープを作ってくれたんだ。こういう時は心もだけど体も温めるべきってね」
懐かしいとエヴァルトが笑う。
穏やかな微笑みだ。家族を追い返したという物騒な話題ではあるが、それによる傷はもう彼の心にない事が分かる。むしろマーゴットがスープを作ってくれたという思い出になっているようだ。
それを見て、マーゴットも苦笑を漏らした。
◆◆◆
エヴァルトはもともと貴族の子息だった。
だが父親である当主が跡継ぎが出来ないことに焦り、他所の女に産ませた子供だ。優れた子供を望んだ当主が条件に合う女に金で子供を産ませただけで愛人ですらない。
母親である女も金を渡されるやすぐに子供を差し出して姿を消してしまった。
皮肉なことに彼等の打算は当たり、高い魔力量と才能に恵まれたエヴァルトは幼少時から神童と呼ばれ跡継ぎにと考えられていた。当人もそのために自分は生まれたのだと言い聞かされ、厳しい勉学にも励んでいた。
家族愛に恵まれたとは決して言えない。産みの母親は居らず、育ての母親はおろか父親ですらもどこか壁を作って接してくる。
冷遇という程ではないがさりとて親子という近さでもなく、常に余所余所しさが付きまとう。
だがそれすらもエヴァルトは受け入れた。
立派な跡継ぎ、それこそが親から自分への期待。少なくとも彼等は期待を抱いてくれている。……そう信じていた。
……そんなエヴァルトの考えも、生まれた理由も、人生の根底すらも狂ったのは八歳の時。
子供を望めないと思われていた本妻の懐妊。それも生まれたのは健康な男児。
エヴァルトにとっては弟である。だが不自然なこの家の中で、生まれた男児は弟であり、それでいて当主と本妻の血を受け継いだ唯一の男児でもある。
元より温かさの感じられなかった親からの視線が日に日に冷たくなっていく。
勉学に関してだけは認めて時に褒めてくれていた父親が、自分の成長に対して複雑な表情を浮かべるようになった。母からの視線もより鋭くなっていく。
対して、弟に注がれる彼等の視線のなんと温かなことか。
跡継ぎになるためだけに生まれたのに、跡継ぎになる事を望まれなくなった。
それでもと希望を抱き続け、十五歳の時にエヴァルトはある決断をした。
『魔法の研究をするためにこの家を、それどころか国を出て行こうと思う。もしかしたらもう連絡すらも取れなくなるかもしれない』
極端な話だ。
だがこれほど極端な提案を親に打ち明けたのは、決断と同時に、彼等の気持ちを確認するためでもあった。
もしかしたら引き留めてくれるかもしれない。
『なにを言ってるんだ、お前が家を継ぐんだろう』
『家は継がせられないけど、兄として弟を支えてあげて』
『魔法の研究をするなら国内でも良いじゃないか』
『連絡が取れない場所に行くことなんて無い』
……と、そう言って自分を求めてくれるのではないか。
そんな期待を抱いたが、両親はあっさりとエヴァルトの話を肯定した。
『良い話だ』だの『お前も独り立ちすべきた』だのと耳障りの良い言葉を並べ、世間に対してもまるで息子の英断を認めて背を押す良い親をアピールしていた。
その時に彼等が見せた笑みは気持ち悪いの一言に尽きるものだった。
そうしてエヴァルトは家を出て国を渡り、ヴィデル国の小さな町マレールに辿り着いたのだ。
体面だけを取り繕った親の白々しい笑みがいつまでも忘れられず、他者と交流する気にならず家に籠り研究に没頭する日々。
だがマーゴットが現れてエヴァルトの生活は徐々に変化していった。マーゴットを通じてルリアやドニ、彼等の師と知り合い、町の人達と交流し、自分を囲む世界もそう悪くはないと思えてきていた。
かつての家族が現れたのは、そんな矢先の事だ。
『エヴァルト、探したぞ。魔法研究の方はどうだ。何もない田舎に住まなくても家で研究を続けられるんじゃないか?』
『元気そうでよかった。ところで、そろそろ家に戻ってもいいんじゃないかしら。貴方が家を支えてくれれば私達も安心できるわ』
家族として共に。優れた才能を家のために。
父と母が口にする言葉は、どれもかつてエヴァルトが望んだ言葉そのものだった。当時だったならば喜んで彼等の希望に応じただろう。
だが今のエヴァルトにとって告げられる言葉はどれも薄っぺらく、耳には届いても胸までには至らない。これほど軽く中身の無い言葉は久方ぶりだと頭の隅で考えていた。
彼等が突然訪問しエヴァルトに戻ってくるよう求めたのには理由がある。彼等が跡継ぎにしようとした息子の出来が悪いからだ。
他に男兄弟がいないことから自分の地位は揺らがないと考えているのか、勉学を疎かにして遊んでばかり。同年代の子息令嬢は貴族としての自覚や振る舞いを身に着け始めているというのに、いつまでたっても子供っぽさが抜けない。
待望の男児ゆえに甘やかしてしまったのも原因の一つだろう。
そんな跡継ぎに不安を覚え、親はエヴァルトを呼び戻すことにしたのだ。
弟を当主に立て、実務の殆どはエヴァルトに押し付けるためである。
『馬鹿らしい、今更戻る気なんて無い』
呆れを込めて溜息交じりに告げれば、父の顔に一瞬にして怒りの色が浮かんだ。
ここまできてエヴァルトが自分達に逆らうとは思っていなかったのだろう。
『なんだその物言いは。何のためにお前を産ませたと思ってるんだ! 育ててもらった恩を返せ!!』
品の無い怒声が響く。
それを聞いたエヴァルトが湧き上がる感情に顔を歪ませ、怒鳴り返そうと口を開く。だが怒声を発するより先に『お帰りください!』という高い声が響いた。




