10:家で出来る美味しいお仕事
翌日、マーゴットは早くに朝食の手配を終え、さっそくパイを焼く準備に取り掛かった。
アップルパイは何度も作っているので必要な材料や分量は頭の中に入っているし、レシピを見ずとも手が動く。
慣れた手つきで準備を進め、多めに用意してもらったリンゴを果物ナイフでスルスルと器用に剥く。パイに使う分はもう確保しているのでこれは朝食後のデザート用だ。テーブルの上に置かれたカゴにはまだリンゴが幾つか残っている。
今日はリンゴ三昧、とご機嫌で考えていると「おはよう、マーゴット」とエヴァルトの声が聞こえてきた。
「お師匠様、おはようございます。朝食の準備できてますよ」
「いつもありがとう。今日はマーゴットのアップルパイが食べられるんだよな。楽しみだ」
「アップルパイが食べたければ会議に出席してくださいね。でも出席するだけじゃ駄目ですよ、あとから所長さんと副所長さんから会議中のお師匠様の様子を聞く予定ですから、真面目に出ないとアップルパイは食べさせません」
「マーゴットはしっかりしてるなぁ。分かってるよ、ちゃんと真面目に出席するし協力する」
これでは師弟が逆転してるとエヴァルトが笑いながらテーブルの一脚に腰を下ろす。
マーゴットも彼の向かいに座った。今朝の朝食は肉と野菜を挟んだパンとスープ、それにデザート。簡単な料理ではあるがエヴァルトはいつも「美味しい」「ありがとう」と労ってくれる。
「会議はお師匠様の部屋から参加できるんですよね? 一時からならお昼は早めに用意しましょうか」
「そうだね。準備はもう出来てるから、昼は俺が用意するよ。玉子が余ってるならオムレツでも焼こうか」
「本当ですか? 嬉しい、お師匠様のオムレツふわふわで大好きです」
師のお手製オムレツを思い出してマーゴットの表情が緩む。
無意識に微笑めば、それを見ていたエヴァルトがじっと見つめてきた。
「幸せだなぁ」
「お師匠様?」
「おっと失礼、なんでもない。そういえば、マーゴットは今日は家に居るとしてルリアとドニはどうしてるんだ?」
「二人はそれぞれ別の依頼を受けるって言ってました。ルリアは街の図書館で資料整理の手伝い、ドニは採掘に行くパーティーに臨時で加わるって。パイをお裾分けするから、二人ともうちに来るはずです」
「そうか。それならマーゴットを独り占めしたお詫びに二人には夕飯をご馳走しようか」
「独り占め?」
「そうだよ。だって今日のマーゴットはギルドにも行かずに家に居るだろう? それも俺がちゃんと議会に参加するか見張ってる。これは独り占めと言えるだろう」
穏やかな表情で自論を語るエヴァルトに、マーゴットは肩を竦めて「お師匠様ってばもう」と呆れの声を出した。
「その調子で会議に出るのはやめてくださいね」
「なるほど、それは有りだな。せっかくこの俺が出席してやるんだから、少しぐらい時間を貰わないとな。三十分くらいマーゴットへの愛を語ってから本題に入って貰おうか」
「……それやったらアップルパイどころじゃすみませんからね。私、この家を出ます」
「じょ、冗談だよマーゴット。そんな事するわけじゃないじゃないか。俺は真面目な魔導師だから、会議にもちゃんと真面目に取り組むよ」
マーゴットがじっとりと睨みながら脅しを口にすれば、エヴァルトが慌てた様子で訂正を入れてくる。
だがそれだけでは足りないとマーゴットは更に眼光を鋭くさせ「本当かしら」と更に疑いの言葉を投げかけた。
「本当だよ、信じてくれ俺のマーゴット。俺は一度やると決めたらやりきる男だからな。こう見えて根は真面目だし」
エヴァルトの様子は随分と必死だ。
それを見てマーゴットは「約束ですよ」と念を押して、彼を信じる事にした。
◆◆◆
エヴァルトが出席する会議は昼過ぎの一時から始まる。
自室へと向かう彼を見送り、マーゴットはさっそくとアップルパイを焼く準備を始めた。
ついでにクッキーも焼いて三時のおやつは豪華にする予定だ。もちろんルリアとドニにお裾分けする分のクッキーも焼く。
そうしてパイとクッキー作りに励み、ふと時計を見上げた。気付けば会議が始まって一時間以上が過ぎている。
「そろそろ紅茶のおかわりを持って行こうかしら」
手早く紅茶の手配をして、ついでに焼き立てのクッキーも皿に盛る。
飲食物の差し入れが可能かどうかは事前に所長に確認してある。返事は「それでエヴァルト様が積極的に意見してくださるならぜひ」というものだった。
彼等の真剣な表情を見るにどれだけエヴァルトの協力が望まれているのかが分かる。差し入れすればエヴァルトも喜ぶし、これは双方共に喜ばしい事だ。
「ただ問題は喜び過ぎて『俺のマーゴット語り』が始まりかねない事ね。素早く差し入れをして部屋から出ないと」
撤退のタイミングを見誤ってはいけない。
そうマーゴットは己に言い聞かせ、紅茶とクッキーを乗せたトレイを手にエヴァルトの部屋へと向かった。
扉の前に立てば何やら声が聞こえてくる。
数人の会話。だが部屋の向こうに居るのはエヴァルトだけだ。彼は魔法を使って遠く離れた場所で開かれている会議に参加している。
その魔法はかなり難解らしく、優れた魔導師でも何か月も前から準備をして補助道具を揃えてようやく可能なレベル。それをエヴァルトは難なくこなすのだという。
「どんな魔法なのかしら。ちょっと見せて貰おうかな。……お師匠様、入って良いですか?」
控えめに扉を叩けば中からエヴァルトの声が聞こえてきた。
ゆっくりと扉を押し開く。中は当然だが会議室ではなくエヴァルトの自室だ。掃除のために何度も入っている見慣れた部屋。だが研究所の会議室と繋がっていると考えれば緊張してしまう。
机に向かっていたエヴァルトが顔を上げ、マーゴットと目が合うと嬉しそうに表情を緩めた。
「差し入れか?」
「……はい。紅茶とクッキーを持ってきました。……でも」
入って良いのだろうか、と扉の隙間から顔だけを覗かせてマーゴットが躊躇う。
中は会議室ではなく、いつも通りのエヴァルトの自室だ。だが仕事机に着くエヴァルトの目の前で鮮やかな色合いの水晶玉が七つ程ふわふわと浮いている。そこから人の声が聞こえており、不思議の一言に尽きる光景だ。
そこに足を踏み込むには些か気後れしてしまう。そんなマーゴットの胸中を察したのか、エヴァルトが優しく「大丈夫だよ」と声を掛けてきた。
「今は俺とは無関係な話をしてるから、こっちの声は伝わらないようにしてる。それにこっちの事は向こうには見えないようにしてるから平気だよ」
「そ、そうですか……? それなら失礼します」
エヴァルトの話を聞き、マーゴットはトレイを手に彼の机へと向かった。
机の上には書類が広がっており、邪魔にならないように端に紅茶とクッキーを置けばすぐさまエヴァルトの手が伸びてきた。
クッキーを一枚取りパクと口の中に放り込む。
「美味しいな。まだ温かいけど焼きたてか?」
「さっき焼けたばかりですよ」
気に入ったのかもう一枚と手に取るエヴァルトに小さく笑みを零しながら返せば、彼がより嬉しそうに表情を和らげた。
エヴァルトはクッキーを気に入ってくれたようだ。これなら積極的に会議に参加してくれるだろう。そう安堵しつつ、次いでマーゴットは机の上のクッキーからひょいと視線をあげた。
水晶玉はまだふわふわと浮かんでいる。その中には人の顔が浮かんでおり、一つ一つを見ていくと覚えのある顔があった。
「これ所長さんですか?」
「あぁ、会議の参加者を映してるんだ。といっても全員分を映すと部屋が不気味になるから、発言者と話題の関係者だけを映すようにしてる」
「凄いですね……。この水晶、魔法道具ですか?」
「いいや、安いガラス玉だよ」
クッキーをサクサクと食べながらエヴァルトがあっさりと言い切る。
これにはマーゴットも目を丸くさせてしまった。この魔法がどれだけ大変かは想像も出来ないが、少なくとも大変だという事は分かる。それも補助道具も無しに……。
改めて凄い人なのだとマーゴットは浮かぶ水晶からエヴァルトに視線をやり……、
「もうクッキー食べちゃったんですか!?」
と、空になった皿に再び目を丸くさせた。
十分に用意していたはずのクッキーが一枚も残っていない。さながら魔法で消えたかのようだ。
もっともクッキーに関しては魔法も何も無くエヴァルトが食べきっただけである。ちょうど最後の一枚を食べ終えた彼が嬉しそうな表情で「美味しかったよ」と告げてきた。
「お師匠様、そんなにすぐに食べなくてもクッキーは無くなりませんよ」
「マーゴットのクッキーが美味しいのが悪いんだ。……おっと、議題が変わりそうだ」
エヴァルトが浮かぶガラス玉の一つに視線をやった。
副所長の顔が写り込み、エヴァルトを呼ぶ彼の声が聞こえる。
差し入れだけのつもりが長居してしまった事に気付き、マーゴットは慌てて空になった皿をトレイに載せて部屋を出ていった。
「お師匠様、頑張ってくださいね」
最後に一度扉の隙間から顔を覗かせて告げれば、彼が嬉しそうに片手を上げて応えてくれた。
◆◆◆
「マーゴット、今日はお疲れ様。大成功だったらしいじゃない」
ルリアが労ってきたのは夕食を終えた頃。
そろそろデザートのアップルパイを……となった時、エヴァルトがパイを食べる前にガラス玉を物置に戻してくると席を立った。「手伝ってくれるよな、ドニ」と半ば強制にドニを連れて行くのを見送り、ルリアが今回の依頼について話し出したのだ。
もっともルリアに労われてもマーゴットは今一つ実感出来ずにいた。
「成功って言っても私はパイとクッキーを焼いただけなのよ。なんだか達成感が無いわ」
「でも研究所の人達も感謝してたんでしょ?」
「そうだけど……」
会議が終わるやマーゴットに所長から魔法で連絡が入った。
その連絡は感謝の言葉で溢れており、実際に目の前に居たら拝み倒しかねないほどだ。最後も「次もどうかご協力を」という言葉で締められていた。これが社交辞令ではないことは圧でわかる。
それ程までにエヴァルトは会議に協力的だったのだろう。それはマーゴットがパイを焼いて、クッキーの差し入れをしたからだ。元々そういう依頼だったので成功と言えば成功である。
……だけどやっぱり達成感はない。
「私のアップルパイが世界で一番美味しいのは事実だけど、でももっと依頼らしい依頼をこなしたかったわ……」
「さり気なく自分のアップルパイは自画自賛するのね。でもこれは正真正銘、マーゴットにしか出来ない依頼よ」
「……そうかしら」
「そうよ。あのエヴァルト様に何かをさせるなんてマーゴットにしか出来ないわ。それにしても、エヴァルト様がまさかここまでマーゴットを溺愛するなんてね。初めて弟子入りした時は考えもしなかったわ」
過去を思い出してルリアがクスクスと笑う。
釣られてマーゴットも笑みを零した。
「確かに、あの時のお師匠様は酷かったものね」
「そうそう。そこからエヴァルト様を懐柔して今日があるんだから、やっぱりマーゴットの功績よ」
改めてルリアが労ってくるのとほぼ同時に、エヴァルトとドニが戻ってきた。
「物置もそろそろ片付けないとな。その時にはもちろん手伝ってくれるよな、ドニ」
「分かりました、手伝いますよ……」
「持つべきは可愛い弟子と、可愛い弟子の友人だな。さぁアップルパイを食べよう」
パイを食べられるからかエヴァルトは随分とご機嫌だ。
そんな彼を見て、マーゴットはルリアと顔を見合わせて笑みを強めた。




