01:令嬢は家を出る
【女児の双子は呪われている。
片方は家に栄光をもたらし、片方は家に災厄をもたらす。
逃れる方法はただ一つ、双子が十二歳になる夜、災厄を招く娘を葬り去ること。
そうすれば家には栄光だけが訪れる】
こんな馬鹿げた話をいったい誰が信じるというのか。鼻で笑ってしまうような迷信だ。
だがこんな馬鹿げた話を信じてしまった者達がいた。
よりにもよって、女児の双子を持つ親である。
◆◆◆
「古臭い迷信を信じて娘を殺そうとするなんて、自分の親ながらに呆れちゃうわ」
うんざりとした声色でオルテン侯爵家の令嬢が呟いた。
場所は屋敷の裏手。侯爵家であるオルテン家の屋敷は大きく立派だが、さすがに裏手ともなると暗く人気もない。それも夜中なので尚更だ。
本来であれば貴族の令嬢がこんな時間にこんな場所にいるわけがない。それも着ているのは令嬢らしからぬ黒いローブ。
この暗がりに溶け込むためのローブはその役割をしっかりと果たしてくれている。首元からすり抜けるように垂れた銀の髪も暗がりに当てられ色味を増して見せていた。
お供は同い年のメイドが一人だけ。彼女も同じように黒いローブを纏っている。
傍目には令嬢がお忍びで夜遊びにいくとでも見えるだろうか。だが二人の表情を見ればそうでないことは一目瞭然。
少女は諦め半分の達観した表情で、対してメイドは不満を露にした表情だ。
「まだ来ないのかしら……。遅いわね、もしかしたら何かあったのかも」
心配そうに令嬢が呟き屋敷を見上げた。
そろそろ日付が変わりつつあるこの時間、屋敷の殆どの明かりは落とされている。
だがさすがに全員が眠りについているわけではない。
貴族の家だけあり、いつ何があっても対応できるように少数だが給仕が控え、夜間の警備は深夜だろうと常に目を光らせているのだ。
もしかしたら誰かに気付かれたのかもしれない、ここに来るまでに警備に見つかったのかもしれない。
なかなか来ない待ち人を案じれば、メイドが宥めるように腕を擦ってきた。
「大丈夫ですよ。あいつはここぞっていう時にヘマをする抜けた性格ですが、私達の逃亡がバレるほど抜けきってはいません」
「もうちょっと言い方があるでしょう」
遠慮のないメイドの言い分に思わず笑ってしまう。
そうしてふと道の先に視線をやり、「あ、」と小さく声をあげた。
こちらに近付いてくる人影。途端に緊張してしまうのは、あの人影が自分達が待っている人物なのか、そうでないのかが暗くて判断出来ないからだ。
あの人影は誰なのか。
自分達が待っている人物ならば良いが、見回りの警備か、もしかしたら屋敷の者が自分達の脱走に気付いて追ってきたのかもしれない。
緊張のあまり息を止めながら待てば、その人影は大きくなり足音も聞こえ……、
「お待たせしました……!」
一人の少年が息を切らせながら駆け寄ってきた。
彼に対して、令嬢は安堵の気持ちを込めて、対してメイドはまったくと言いたげに、そろえて彼を呼んだ。
「貴方が無事で良かった」
「ご心配おかけしました……。それに、お待たせしてしまって」
「まったくよ。あんたを待っててお嬢様が見つかったらどうするつもりだったの?」
「そ、そんなに言うなよ。俺だって大変だったんだ。こっちに来ようとする警備が居てさ」
「警備!?」
少年の話に二人が息を呑み「それで!?」と彼に詰め寄った。
警備に見つかったら全てが台無しだ。部屋に戻され、きっと監視は厳しくなるだろう。
逃げるチャンスはもう二度と来ないかもしれない。
そして十二歳の誕生日を迎えてしまう。
……迎えて、殺される。
それが分かっているから今ここに居るのだ。
「それで警備は? どこに行ったの!?」
「大丈夫ですよお嬢様、落ち着いてください。それよりもひとまずここを離れましょう。夜のうちに馬車を見つけて出来るだけ距離を取らないと」
ここで話し合うよりもまずは行動だと諭され、頷いて返した。
確かに彼の言う通りだ。明日の朝にはどうしたって自分の不在は知られてしまうのだから、それまでに家から離れなければならない。
そうして、屋敷の裏手にある扉を開ける。
普段ならば鍵が掛かっているはずの扉は今夜だけは開錠されている。この日のために扉の鍵を盗んでおいたのだ。
そんな扉を通り、夜の道へ……、と行きかけ、令嬢がふと足を止めた。周囲を窺うように前を歩いていた二人が不思議そうに振り返る。
「……二人共、本当にいいの? 今なら戻れるけど」
寮に戻れば何もなかったことに出来る。
騒がしくなり疑われるかもしれないが、誰にも見つかっていないのだから知らぬ存ぜぬを貫けるはずだ。
「私と一緒に行ったらオルテン家はおろかこの国にも戻ってこられなくなるわ。……親にも会えなくなる」
「お嬢様……」
「だから戻っても良いの。私は一人でも大丈夫だから」
二人を巻き込むのが辛い。自分と一緒だと不幸になってしまうかもしれない。
少なくとも、オルテン家にいる時とは比べ物にならない苦労を強いてしまうはずだ。
そう告げればメイドの少女がそっと手を握ってきた。少年も穏やかに微笑んでいる。
「私達はお嬢様に着いていくって決めたんです。両親も、この事を知れば私達の決断を誇りに思ってくれるはずです」
「そうですよ。それに『女児の双子は呪われている』なんて迷信を信じてお嬢様を害そうなんて家に仕えていられません」
二人が口々に告げ、そして行こうと促してくる。
彼等の言葉に侯爵令嬢は自分の胸に湧いていた不安と罪悪感が薄れるのを感じ、握ってくれる少女の手をぎゅっと握り返した。
「それなら、今日から私のことは『お嬢様』じゃなくて『マーゴット』って呼んで。敬語もいらない。だってもうお嬢様じゃないんだから」
「お嬢様……、いえ、マーゴット。私のことは『ルリア』ね」
「俺は『ドニ』だったよな」
互いにこれからの名前を確認し合う。
かつての名前はもう名乗らないし呼ばない。これからの長い人生を新しい名前で生きていくのだ。
そんな覚悟を胸に、屋敷の裏手にある扉を通る。
外灯のない夜道、それも今夜は月が出ていないため少し先の道さえも暗闇に覆われてしまっている。
普段であれば歩くのに不安を覚えそうな夜道だ。
だけど二人が居てくれるなら不安はない。
この道の先にはきっと明るい未来が待っているのだ。
それを掴んでみせる。自分は『呪われた双子』でもなければ『双子の災厄を招く方』でもない。
「行きましょう、ルリア、ドニ」
マーゴットは二人に告げ、新しい人生を歩むための一歩を踏み出した。
◆◆◆
「……ん」
緩やかな海のような眠りからゆっくりと意識を戻し、マーゴットは薄っすらと目を開けた。
カーテンから朝日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえてくる。心地良い朝だ。
日の光を取り込んで明るくなった部屋に後押しされながらぞもぞとベッドから降りた。ひやりとした冷たい風が触れると布団への未練が掻き立てられるが、それは我慢だ。
「懐かしい夢を見ちゃった」
誰にというわけでもなく話しながら上着を羽織り、ぐっと体を伸ばせば次第に意識がはっきりとしていった。
あの夢は五年前、十二歳の誕生日を目前に控えた時の記憶だ。
古臭い迷信を信じ込んだ両親が自分を殺すために画策していると知り、月の出ない夜の暗がりに乗じて逃げ出した。
その後は生家の手の届かない安住の地を求めて三人で旅をして、二つほど国を渡り、ヴィデル国の小さな町マレールに落ち着いたのだ。
数え切れないほどの苦労をした、不安や後悔もあった。怖い目にもあった。
だがそのかいあって今があるとすれば、あの苦労はけして無駄ではなかったと思える。
「晴れの門出って考えると悪くない夢かもしれないわね」
何事も前向きに。
そう自分に言い聞かせ、よしと気合いを入れて部屋を出た。
※生家の名前を変更しました。