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自己紹介CM

作者: 村崎羯諦

『長田祐太郎氏は、19XX年X月X日にこの世に生を受けました』


 木曜夜のゴールデンタイム。某キー局の有名番組。その合間に流れる自己紹介CMを、俺は安い発泡酒を片手に視聴していた。広告代理店とテレビ局に高い金を払って制作してもらっただけあって、映像の出来は素晴らしい。述べられているのは嘘偽りない事実なのに、音楽と演出のおかげで、あたかも自分が凄い人間であるかのような印象を与えてくれる。十五秒という短い時間、俺は食い入るようにテレビに齧り付いた。そしてCMが終わったタイミングで、片手に持っていた発泡酒を勢いよく喉に流し込むのだった。



*****



 この世界には数えきれないほど沢山の人間が住んでいて、自分はその中の一人に過ぎない。歴史に名を残す人間、誰かの記憶に残る人間。そんな数少ない才能と運に恵まれた人間とは違って、俺はどこにでもいる冴えない中年男性の一人。俺を知っているのは周囲にいる数少ない人間だけで、この世界に存在する99.999999999%の人間は、長田祐太郎という人間が存在しているという事実すら知らない。


 俺が死ねば数年のうち俺のことを思い出す人はいなくなり、俺という存在はこの世界から本当の意味で消え去ってしまう。仲の良い友達もいなければ、恋人も子供もいない。でも、孤独であることやいつか死んでしまうということが怖いわけではなかった。怖いのは、この世界から自分という存在が跡形もなく消え去ってしまうこと。


 自分という存在をできるだけ多くの人間に知ってもらいたい。そんな気持ちをずっと持っていたからこそ、自己紹介CMというサービスを知った時、俺は縋るような気持ちで申し込みを行った。これは不況が続くテレビ業界と広告代理店が打ち出したサービスで、その言葉通り、お金さえ払えば、自分のことを紹介してくれるCMをテレビで流してくれるというもの。


 簡単に手が出せる金額ではない。それでも、効果は絶大だった。CMが終わると同時に、SNSでエゴサーチを行うと、検索結果が大量にヒットする。俺の経歴を好意的に受け取る人間。自己紹介CMを流すなんて、自己顕示欲の強い証拠だと非難する人間。色んな人間が俺という存在を認知し、そして、俺について話していた。そして大事なことは、SNSで実際に投稿していなくても、あのCMを見て、俺という人間を知った人間がその奥にたくさんいるということ。俺はその事実がただただ嬉しかった。俺は検索結果を何度も読み返しながら、この世界のどこかにいる誰かに、自分をことを知ってもらっている喜びを噛み締めた。


『昨今、特に若者層ではテレビ離れが深刻になっています』


 もっと誰かに俺のことを知ってもらいたい。そんな欲が出始めた頃、そんなネット記事に目が止まった。俺はふと思い立ち、自己紹介CMを担当してくれた広告代理店の営業に電話をかけ、ネット広告や動画配信サイトなどで自己紹介CMを流すことはできないかを相談してみた。営業は俺の提案に乗り、早速手配を行ってくれた。とんとん拍子に話が進み、費用についても、この自己紹介CMを広めるための広告費の一環として援助してくれるとさえ約束してくれた。


 しばらくすると、俺の自己紹介CMはテレビを飛び出し、ネットの世界へと広がっていった。ネットサーフィンをしていても、お気に入りの動画を見ていても、SNSを開いてみても、どこかしこにも俺の自己紹介広告を見つけることができる。途中からは、多言語化対応が進められ、俺の存在は世界中へと伝わっていった。世界的に使われているSNSを覗けば、英語、中国語、ドイツ語、あらゆる言語で俺の名前呼ばれ、俺のことについて話が交わされていた。


「ちょっと古いですが……飛行船なんてどうです?」


 営業に言われるがまま、自己紹介広告を貼り付けた飛行船を飛ばすこともした。最近ではなかなかお目にかかれないからか、飛行船が東京の空を飛び始めるや否や、SNSでバズり、ネットニュースにもなった。それ以外にも、俺はありとあらゆる広告手段を使って、自分の存在を全世界に向けて発信し続けた。プロ野球が行われる東京ドームやサッカー競技場の内広告。電車やバスの吊革広告に、新聞や雑誌、無料で配布されるティッシュ。広告と呼ばれるありとあらゆるものに、俺は俺の自己紹介広告を出し続けた。


 その頃になると、俺の知名度は全世界的になり、それと同時に各国のメディアからは『知名度がある』という理由で取材を受けるようになった。メディアで俺が取り上げられ、それによってさらに俺の知名度が上がり、そして俺の名前を知った人々がさらに俺のことを話題にあげる。まさに絵に描いたような好循環だった。


 アメリカ大統領。ローマ教皇。世界的ミュージシャン。そして、長田祐太郎。これは。俺と一緒に広告を打ち続けてくれた広告代理店が全世界的に行った知名度調査の結果だった。街を歩けば週刊誌の記者につけまわされ、街を歩かなくても、アパートの外からは俺のことを噂している誰かの声が聞こえてくる。もちろん若干の煩わしさはあった。それでも、みんなに俺という人間が知られているという幸せに比べてたら、そんなのいくらだって我慢できた。


 広告費のために生活費はギリギリまで切り詰めなくちゃいけなかったし、友達や恋人がいないという事実は以前と変わらない。それでも、俺には知名度があった。俺はそれだけで十分だった。だから、家で突然倒れ、救急車に運ばれた時も、身元保証人になってくれる人間が周りにいないと医者に伝え、医者と看護師が哀れみに満ちた表情でこちらを見つめてきた時も、末期の癌でそれほど長くは生きられないことを知った時も、俺は自分のことを一切可哀想だなんて思わなかった。


「どんなに世界的に有名でも、誰一人お見舞いに来てくれないんじゃあねぇ……」


 入院中のベッド。寝たふりをしている俺の近くで、看護師が陰口を叩く。彼女らが言うことは事実だった。が入院していることはネットニュースにもなり、病院の外では週刊誌の記者が張り込みを行っている。入院している病院は検索すれば出てくるし、病室の番号だって突き止められる。しかし、それなのに、俺を見舞いに来てくれる人は、誰一人として存在しなかった。


 しかし、そのこ陰口に腹を立てることはなかった。むしろ、二、三人と深く繋がっていることで満足している凡人たちの低俗な嫉妬とさえ感じた。たとえ俺のことを心から心配し、見舞いに来てくれる友人や恋人がいたとしても、それが一体何になるのだろう。後世まで語り継がれるという偉大さと比べたら、そんなものはしょうもない代物に過ぎなかった。俺はお前らと違って、死んだ後もみんなの記憶に残り、語り続けられる。俺は心の中でそう呟いて、俺を憐れんでくる奴らを逆に馬鹿にしてやった。


『いやー、ネットニュースで見ましたけど、入院してたんですね』


 入院してから一週間後に、初めて広告代理店の担当営業から電話がかかってくる。俺は奴の適当な労いの言葉を遮り、どうすればもっと俺の知名度をあげることができるのかを単刀直入に尋ねる。


『うーん、考えられる広告はあらかたやってしまいましたからね……』


 営業は少しだけ考え込んだ後で、無邪気に笑いながら俺に答える。


『あとやるとしたら悲劇的な死を遂げるとかじゃないですかね。あはは、冗談ですよ冗談。でもほら、そういうのってすごく大々的に取り上げられますし、有名な文豪とかもみんな自殺してたりするじゃないですか』


 俺は耳から携帯を離し、ゆっくりと部屋の窓へと視線を向ける。そして、俺が今いる部屋の階数を思い出し、ゆっくりとベッドから立ち上がった。窓際に立ち、下を見ると、そこには何度か見かけたことのある週刊誌の記者が数人立っていた。そのうちの一人がふと顔をあげ、窓から顔を覗かせる俺を指差す。そして、近くにいたカメラマンが俺の方へとカメラを向けて、嬉しそうに俺を撮り始めた。


『もしもし。もしもーし』


 握りしめた携帯から営業の声が聞こえてくる。しかし、俺の頭の中には、先ほどの言葉が繰り返し再生されていた。


 あとやるとしたら悲劇的な死を遂げるとかじゃないですかね。あはは、冗談ですよ冗談。でもほら、そういうのってすごく大々的に取り上げられますし、有名な文豪とかもみんな自殺してたりするじゃないですか。


 俺が初めて出したCMは、『長田祐太郎氏は、19XX年X月X日にこの世に生を受けました』という言葉で始まっていた。だとしたら、それに相応しい結びの言葉は自ずと決まるはずだ。 俺は頭の中で非業な死を遂げた有名人を思い返す。週刊誌の記者が真下から俺に向かって、何か質問らしきものを投げかけており、そして、隣のカメラはまっすぐに俺の姿を捉えていた。


 孤独であることやいつか死んでしまうということが怖いわけではない。怖いのは、この世界から自分という存在が跡形もなく消え去ってしまうこと。


 俺はゆっくりと目をつぶり、窓枠を掴む。そして、もう一度心の中でその言葉を呟いた後、そのままゆっくりと、身体を前へと傾けていくのだった。

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