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謝罪

「ねえ、まこっちゃん」


 誠が弁当をほぼ食べ終えた時、慈母のようなやさしげな笑みを浮かべて優輝が問いかける。


「千早のこと、どう思う?」


「西本か……」


 それまで綻んでいた表情を見せていた誠だったが、千早の名前が出た途端に不満げに眉根に深いシワを寄せるのだった。


「さすがに孫だけあって親分に似ていると思うよ」


 伝法な口調、言葉よりも態度と行動で意思相通を得意とする直情さ。なによりもどんな時でも自らが先頭に立って指揮し、いつのまにか周囲の人間に慕われる人間性。見た目こそは今風の美少女ながらも、その内面、性情はかつて『親分』と呼ばれた球史に残る名監督・西本一人を彷彿とさせるものだ。


 だが……


「俺はあの女のことを好きにはなれない」


 それが誠の正直な感想だった。


 やはり誠の心の中では、子供を泣かした変質者呼ばわりされた挙句、千早の勝手な独り相撲で痴漢扱いされて理不尽な暴力まで振るわれた出来事が大きく占めている。初対面がこれでは、好意を抱けるはずがない。しかも千早は、まる1日近くの時間が経過している現在でも謝罪の言葉がひとつもないのだ。


 たしかに、親分と呼ばれた西本一人の性格にもまったく理不尽な面がなかったとは言えない。

 親分は、どちらかといえば言葉で説明するのが苦手というか下手なタイプの人間で、態度や鉄拳制裁に代表されるような暴力で指揮官としての自分の考えや思いを選手に伝えていた。


 こんな話がある。


 今から20年近く前、『大鉄レッドブルズ』というパ・リーグのお荷物呼ばわりされていた弱小チームを指揮していた親分は、ある荒れ球の剛速球投手を攻略するためにベンチで円陣を組んで選手にこう指示した「この投手の初球はボールになる可能性が高いから絶対に振るな」。しかし、その回の先頭打者は親分の指示を無視して、いきなり初球を振って凡退してしまったのだ。頭に血が昇った親分はその選手がベンチに戻ってくるなり有無を言わさず殴り飛ばした。しかし、実はこれには事情があって、その選手は先頭打者だったため、円陣には加わらずバッターボックスに向かったため親分の指示を聞くことができなかったのだ。


 これなど理不尽の極みで、どう考えても非は100パーセント親分のほうにある。

だが、親分はそれでもその選手に対しては決して謝らなかった。


 そして、並みのチームならこれを契機に指揮官への不信感が生まれ、組織が空中分解してもおかしくない出来事だが、親分が指揮していた大鉄レッドブルズはそうならなかった。それどころか、殴られた選手本人が「親分に殴られたのだからしょうがない」と納得してしまった。


 なぜならば親分には、弱小だったチームを……そして選手を一流に育てあげようという不断の意志と熱い情熱があった。鉄拳制裁はその情熱の現われで、根底にはチーム……そして選手への愛情を誰よりも持っていた。だからこそ、誠の父や中根を初めとした教え子たちは親分を心の底から信頼、尊敬して崇拝に近い感情を持っているのだ。


 しかし、誠の目には千早の口調やこれまでの言動は、親分の立ち振る舞いを上辺だけマネたものにしか見えないのだ。


 好きな画家の程度の低い贋作を見せつけられたら怒りを覚えるのと同じで、誠はやはりこれまでの千早の言動、とくに初対面での変質者扱いをしておいて謝罪のひとつもないという事実は許容できるものではなかった。


「あのね、まこっちゃん」


 少しバツが悪そうな表情を見せながら、優輝がゆっくりと口を開く。 


「じつはこのお弁当、千早が作った物なんだ」


「なにぃ?」


 優輝のその発言に、誠はすでに食べ終えていたからっぽの弁当箱を危うく落としてしまいそうになるほど驚く。


「嘘だろ?」


「嘘じゃないよ。まこっちゃんの体の事を心配して、わざわざ千早が作ってくれたんだよ」


「あいつがか? あいつがこんな手間暇かかりそうな弁当をつくって、ウインナーをタコさんの形にしたりとか可愛らしいマネをしていたのか?」


「そうだよ。千早、じつは料理が得意だもん。勝気でリーダーシップが取れる男前な性格だから勘違いされやすいけど、お菓子作りや裁縫なんかも得意だもん」


 誠の中で築いていた粗野で横暴な千早のイメージが崩れかけていく。


 さらに追い討ちをかけるように優輝は語りかけるのだった。

「昨日のことは千早から聞いたよ。じつはね、千早、そのことをずっと気に病んでた。だから直接まこっちゃんに渡しづらいから、あたしに代役を頼んだんだよ」


「俺にはとても信じられないんだが……」


「千早は案外あれで照れ屋だからね。自分が悪いって思っててもタイミングを逃すとなかなか自分から謝れないんだよ」


「悪いけど、俺にはおまえの言葉は信じられない」


「まあ、あたしが出来るのは事実を話すだけで、信じるか信じないかはまこっちゃんの判断だから、これ以上はなにも言わないよ。あと、お弁当ともうひとつ、これも千早から預かってるんだよね」


 優輝はリボンが巻いてある薄いブルーの紙袋を誠に渡す。


 誠が中を開けると、そこには透明なビニールでひとつひとつ丁寧にラッピングされたクッキーが入っていた。


 そして、その脇には名刺サイズの小さなメッセージカードが添えられていた。


「……………」 


 それを見た誠は驚き、言葉を失う。


「ね、言ったでしょ? 照れ屋なだけで千早だって悪いとは思ってるんだよ」


 優輝が誠の横で素直に微笑む。


メッセージカードには蛍光ペンで『ごめんなさい』と女の子らしい丸っこい字で書かれているのだった。


〝あいつ、こんな女々しいところあるんだ……〟


 女相手に女々しいなんて形容詞は失礼だが、それでも誠の中では、千早は自分の意志を伝達する時は相手の正面に立ってきっちり言葉を述べるような女だと思っていたので、まさかメッセージカードという手段によって謝罪をされるとは思っていなかった。不意打ちとはまさにこの事だ。


 誠は、さっそく手作りのクッキーをひとつだけ口に運ぶ。


 さくさくと心地のよい歯ごたえを残しつつも口の中でやわらかく溶ける食感がバターと玉子の甘みを程よく引き立てる。


「うまいな……」


 誠はしみじみとその美味しさを噛みしめるのだった。


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