昼休み
4時間目の体育の授業が終わり、校内はそれまでの堅苦しい空気は消え失せ、一気に昼休みモードに突入する。
教室は、仲のよい者同士で昼食を取るためにいくつもの集団が出来上がり、廊下は移動する人間で溢れ返り、活気に満ちている。
そのざわめき、食とそれまでの束縛から解放される自由に対する熱気は、規模は違えど、誠がいた東京の私立校も地方の公立校も変わらない。
「千早、ちょっと聞いてよ!」
クラスの女子のひとりが血相を変えて千早の名を呼ぶ。その声は荒く、緊急を要する用事だという事が分かる。
「文化祭でわたしたちのクラスが午後から使うはずだった視聴覚室。いま生徒会の人たちに聞いたら、午前の10時からの予定に変わってるんだけど、千早は聞いてた?」
「ううん。わたしは聞いてない」
今まさに昼食を食べようと持参していたお弁当を広げていた千早はその言葉に驚いて、眉を跳ねさせる。
「そうだよねえ。人の配分とかがあるから、午前よりも午後のほうがいいって、あれほど言ってたのに……」
「わかった。それと、あたしたちの代わりに午後から使う予定のクラスって3年生だよね?」
「うん。ひどいよね。わたしたちのほうが先に使用予定は申請していたのに」
「やっぱり。そんなことだろうと思ったわ。一年生のあたしたちは、それだけで舐められているって事か……。それじゃあ、あたしが今から生徒会の人たちともう1回、話し合ってくるから、準備の計画は今までどおり進めておいて」
「うん。お願いね千早」
「任せなさいって」
千早は親指をぐっと立てて、まだ昼食も取っていないにもかかわらず颯爽と教室を飛び出してゆく。
千早はとにかく誰からも頼りされている様子がある。誠が登校してから昼休みのあいだまでしゅっちょう誰から頼みごとを持ちかけられ、働いているような気がする。
傍から見れば「自分でなんとかしろよ」と思うような些細な頼みごとも多いのだが、千早は嫌な顔ひとつせず、見返りもないのに誰かのために汗を流している。
しかし、そこには己を殺してというような自己犠牲や押し付けがましさは存在しない。 だから周囲の人間もそんな千早のためにいざというとき協力を惜しまず、千早を信頼している。そして、千早もそんな仲間たちのためによりいっそう頑張るという好循環が生まれているのだった。
ただ──
〝なんか気に食わないんだよな〟
誠の目にはそういうふうな千早の立ち振る舞いは──うまく言えないのだが──どこかわざとらしく映り、不快感を覚えるものなのだが。
〝まあ、いいや。メシでも食うか〟
誠は千早のように弁当を持ってきているわけでも、登校途中に何かを買ってきたわけではない。学生食堂へ行かないと昼食を食べ損なうことになる。
「まこと~」
食堂へ向かうため教室を出て、ひとりで廊下を歩いていた誠を忍が呼び止める。
「これから食堂でごはんを食べるんでしょ?」
「ああ」
「だったら、一緒に行こうよ。ついでに他の施設とかも案内するから」
忍は見ている者を心の底から和ませてくれるような屈託のない笑顔で誠を誘う。ああ、ホント。こいつが女だったらどれほど良かっただろう、と誠は思う。
だが、そんなやりとりをしているふたりのあいだに横槍が入る。
「忍くん❤」
甘ったるい猫なで声が忍を呼ぶ。
「わたしたち、忍くんのためにお弁当を作ってきたの❤ 一緒に食べましょう❤」
同じクラスの女子3人(名前は知らん。もしくは忘れた)が忍を昼食に誘っている。その3人が忍に気が有るのは、声、態度、表情から見ても明らかだった。
中性的で人形のように整った顔だち、慎み深く、それでいて分け隔てなく誰にでも平等な気遣いができるやさしさ。たしかに忍は男の誠からみても女にもてるのが納得の美少年だ。もっと男くさいマッチョマンが好きだという特殊な性癖の女以外なら忍を恋人にしたいと思う女性が大半だろう。
「えっ……でも、ボクは誠と……」
忍は女子3人組の誘いにあきらかに困惑の表情をみせるが、女子3人組は「ええ~。いいじゃん」と譲らない。そして忍の腕を掴んで猫なで声で誘惑する一方で、ちらちらと誠に「空気を読んでね」と視線を送るのも忘れない。
「あ~。忍、俺はひとりで食堂に行くから別にいいぞ」
誠がそう告げると、女子3人組は「ええ~? そうなの?」「杉浦くんはひとりで食べたいんだって~」と大仰な演技で意外そうな声をあげる。
「ごめんね。誠。本当にごめんね。あしたは絶対に一緒に食べようね」
「ああ。まぁそんなに気にすんな」
背中を向けながら、忍に対して手を振る誠はひとりで廊下を歩く。だが、その足を動かす腰に鈍痛が走るのだった。
「──ッ!!」
誠は一瞬、その場で立ち止まる。
〝やべえな。本格的に痛くなってきた〟
昨日から続いた腰痛は、朝の走り込み、そして四時間目の体育の授業と体を動かすたびに悪化していくのだった。