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投球の精度


 その後、誠は朝のホームルームが終わったあとに質問攻めに遭うことになる。


 どんな平凡な人間でも転校生というだけでちやほやされるものだが、甲子園の優勝投手。父親がプロ野球選手。東京の出身──など、地方の公立高校の生徒にとって誠はよりいっそう好奇心をそそられる対象なのは間違いなかった。


 しかし、2時間目終わりの休み時間を過ぎたあたりから、誠に関するクラスメイトの関心は急速に薄れていき、3時間目終わりの休み時間になると、もう教室は誠が来る前と変わらないような風景に戻っていたのだった。とくにその傾向は男子よりも女子が強かった。


 だが、それもそのはずだ。


 都会に対する憧れが強い女子は、誠に対して東京の流行や遊び場などに尋ねたりするが、そもそも誠はそんなものに興味がないし、答えられない。なぜならば、誠はつい最近まで野球の名門校・高森学園の野球部寮で生活をしており、寮とグラウンドと学校をただ往復するだけの日々を送っていたのだ。海鹿内市の女子高生が憧れるような華やかな生活とは無縁の汗苦しい生活なのだ。


 このクラスの人間のほうが、よっぽど誠よりも華やかで文化的な生活をしているのには間違いない。さらにそれに加えて誠は、話術が達者なタイプではないので気が利いたお喋りなど出来るはずがない。


 結果──


 4時間目の体育の授業の頃になってもまだ誠に話しかけてくるのは、忍を除いては、少しでも誠から野球に関する技術と心構えを聞き出そうとする向上心の高い野球部の部員だけになってしまったのだった。


 誠たちのクラスは今、体育館でバスケットボールの試合をしている。


「それで、高森学園の寮生活ってどんな感じなん?」


「甲子園でも投げてたんやろ。やっぱ凄いよな」


「甲子園ではカーブとスライダーで抑えてたけど、それ以外に球種はあるん?」


 そして、体育の授業などそっちのけで、とくに熱心に質問してくるのは、皆川(みながわ)宅和(たくわ)という野球部に所属しているふたりの生徒だった。


 そばかすとクセの強い髪質なのが宅和。


 身長が高く、やや痩せ気味なのが皆川。


 ふたりとも野球部では投手の練習をしているのだという。誠たちは体育館の端であぐらをかき、他のチームの試合を漫然と眺めながら、野球談義に耽っていた。


「いや、俺の球種は甲子園で投げていたカーブとスライダーだけで、それ以外の球種はない」


「案外、少ないんやな」


「落ちる球があったら空振りを奪うのに便利だなって思って、地方予選が終わって甲子園大会に入る前、フォークの練習をやったことがあって、試しに先輩の捕手に何球か受けてもらったけど『使えない』って一蹴された。俺もこれ以上練習を続けても精度が上がるような実感が持てなかったから、それ以来使っていないし、シュートに関してはヒジを壊しそうなんで練習すらやっていない。それに、これ以上球種を増やしてもそれはそれで不便だから、今のところ新しい球種は覚える必要はないと思う。まあ、覚えたとしても高校のあいだはあと一種類くらいだと思う」


「球種が増えて不便ってなんでなん? 持ち球なんて、あればあるほど便利なんちゃうん?」


 皆川が疑問の声をあげる。


「いや、ピッチングはシンプルであればあるほどいい。たとえば投げ込みをするとするだろう。俺の球種は、さっき言ったカーブとスライダー、それにストレート(フォーシーム)の3種類だ。そして、実戦と同じように全ての球種を使って練習をしようと思うと、最低でも6球は投げないとならない」


「なんで? 3種類やから3球ちゃうん?」


「いや、たとえば実戦を想定して投げ込みをしようと思えば、ストレートの後にカーブ、ストレートの後のスライダー、カーブの後のスライダー、さらにその逆のパターンも入れなければならないから最低でも六球はいる。前と違う球種を投げると微妙に指先の感覚が狂っていて、連続して投げるよりも精度が落ちる場合が多い。その危険性を考えたら、絶対にこの練習は必要になってくる」


「なるほどなぁ」


 皆川が感嘆の声をあげる。


「──で、さっきの話の続きだが、今は3種類で3×2の6の投げ込みで済むが、もう1種類増やすと4×3で最低12球も投げ込まなければなってしまう。5種類なら20球だ。そうなると同じ精度の投球を続けようと投げ込みをすれば、3種類の時に比べて6倍以上も肩やヒジに負担がかかることになる。俺の投球はシンプルであればあるほどいいって言った意味が分かるだろ?」


「はあ……やっぱり高森で野球をやってた奴は、俺たちと考える事がちゃうわ。なあ、宅和?」


 皆川は隣にいる宅和に同意を求める。


「…………」


「なあ、宅和?」


「……ああ、そうやな」


 しかし、宅和はどこかうわの空で聞いているのか聞いていないのか分からないような返答をする。


「なんや、おまえ、せっかく杉浦がタメになる話を聞かせてくれたのに、聞いてなかったんか?」


「いや、聞いてた。聞いてた」


「ウソつけ! おまえ、今あきらかに返事が遅れとったやろ」


「ごめん。半分聞いてなかった」


「おまえ、何してたんや」


「バスケの試合、見てた」


「はあ、女子のチームの試合なんて見て、なにがおもろいねん?」


 宅和に続いて、皆川も視線を体育館の中心にあるコートに移す。


「あれ、反則やろ?」


「確かに……。目の前であんなもん見せられたら、そりゃガン見するわ」


 宅和の問いかけに皆川は激しく同意する。


 ふたりの視線の先には、千早がいた。


 さすがにプロ野球選手の血を引いているだけあって、千早の運動神経は体育の授業レベルの試合だと飛びぬけていた。祖父、そして父親ゆずりのサウスポーでドリブルをしながら中央突破をしていく姿は、最高速度に乗った猫科の獣のような躍動感に溢れていて美しい。


 だが、宅和と皆川は純粋に千早の運動神経やプレーそのものの美しさに見とれていたわけではない。


「なんや、あれ。おっぱいバインバインに揺れてるやん」


「エロすぎ……。絶対、このあと男子トイレの個室あいてへんわ」


 野球選手である誠とそれほど変わらないほどの長身に、細く引き締まったウエストと丸みを帯びた美しい曲線で描かれたヒップ。そして、モデルのような長い頭身。


 たしかに、千早のスタイルはクラスの中でも際立っている。いや、東京の繁華街を歩いてたしてもそうそうお目にかかれるレベルではない。


だが、皆川や宅和が注視しているのは、体の一部分のみだった。


千早の体操着姿。それは一見するとサイズが合っていないように見える。しかし、よく見てみると、肩幅やウエストなどサイズはある程度の余裕を残してはいるものの、体の大きさにぴったりとフィットしている。だが、それでもサイズが合っていないように見えるのは、ときどきその体操服とハーフパンツの間からチラチラとヘソが見えてしまい、裾が短いように見えてしまうからだ。そして、そうなってしまう原因は、千早の胸が大きく、しかもぴっちりと張り付いて体操服を押し上げてしまうからだ。


 そして、千早がドリブルで走るたびに、レイアップやリバウンドでジャンプするたびに胸元にある豊かなふたつの果肉は激しく上下に揺れ動く。


 その色気は魅了されている者は皆川や宅和だけではない。すでにクラスの男子の大半の目を釘づけにしている。だが勘違いしないでほしいのは、千早の色気はむやみやたら男の欲情を誘うようなだらしのない色気ではなく、あくまでもスポーツに興じる女子高生らしい健康的な色気なのだ。


「ええなあ。西本。あのおっぱいの中だったら、窒息死してもええ」


「揉みたい(心の底からの本音)」


 宅和と皆川は口々に下品な欲望を口にする。


「けど、ええよなあ杉浦は。西本の実家に下宿してるんやろ? 万が一仲良くなって恋人にでもなったら、あの胸、自由にできるやん」


 うへへへ、と下品な欲望にまみれたうすら笑いを浮かべる宅和。


「べつにぃ、たしかに俺もあの女は美人だと思うけど、どうも好きになれそうにないし」


 しかし、宅和の言葉に誠はそっけなく答えるのだった。


 そう、誠はやはり昨日の一件のこともあり、未だ千早に好意を持てずにいた。向こうが勝手に勘違いをして独り相撲をした挙句、痴漢扱いで平手打ち。しかも、そのことに関する謝罪はいっさい無し。


 たしかに、千早は昨日の宴会の場でも学校でも周囲に気を配る事ができ、リーダーシップを発揮している。すこし見直したところもあると言ってもいいし、なにより尊敬する親分の孫娘だ。それでも、やはり誠は千早に対していい感情を持っているとは言い難かったのだった。



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