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お嬢

「へえ、それで先生は大学を卒業して関急ブレイヴスに入団して、親父とはチームメイトだったんですか?」


「ええ。あなたのお父上、杉浦のアニキには現役の頃からお世話になり、義兄弟の契りを交わした仲です」 


 その後、誠は筋肉熊に職員室に連れて行かれ、お茶と菓子の接待を受けるのであった。


この熊のように大柄な男性教師……名前は仲根といい、かつては親分や父と同じチームで活躍したプロ野球選手なのだという。誠が物心つく前に引退していたので、実際にプレーしている姿は見たことはないが、ブレイヴスの昔の映像や記録などではDHや外野手として一時期レギュラー格だったので、その名前は聞いたことがある。


「あなたのお父上……アニキには本当にお世話になりました。アマチュア時代は自分よりも巧い人間がいなかったので、天狗になっていた私の性根を叩き直してくださったのもアニキです。思い出します。あれは私が入団して1年目のこと、周囲の先輩の忠告も聞かず舐めた態度で野球をしていた私に、それまで静観をしていた親分もついに雷を落としました。しかし、わたしもあの頃は若かった。わたしのためを思って叱ってくださった親分の前でふてくされた態度を取ってしまったたんですよ。それに激怒したのはアニキです。有無も言わさず、わたしの顔面をコブシで殴り飛ばしました。それからはもう大喧嘩ですよ。当時のわたしは気が荒かったですからね。結果? いやですよ。そんな分かりきっているじゃないですか? 相手はあの杉浦忠治ですよ。あのかたは正真正銘のバケモノです。私のようなただの人間が勝てる相手ではありません。そりゃあもう、無残な完全敗北。最後は、私は親分とアニキに土下座で謝りましたよ」


「そうですか……」


 平静を装いながらそう答える誠。しかし実は冷や汗が止まらない。自らの肉親が、こんな身長190オーバーでオーバーで高校生を片手で持ち上げる筋肉熊相手に素手の殴り合いで勝ちを制するなんて。しかも、誠の目からどうみてもバケモノにしか見えない中根からさらにバケモノと称されるなんて、父はどんな人外の戦闘力を誇っていたのか考えるだけでも恐ろしい。あと、この人が「親分」とか「アニキ」という言葉を口にすると、元野球選手ではなく完全に『その筋の人間』にしか見えないのだった。


「それから私は心を入れ替え野球に取り組んだのですが、残念ながら、私にはアニキのような才能はなかったので、プロでは活躍できなかったんですが……」


「いやいや、プロで11年も現役をやって、500本以上もヒットを打っているんですから、充分成功していますよ」

「それで、引退して次の仕事を探していた私に親分が声をかけてくださって、この海鹿内市にある『キヨスイ』という水産会社の野球部のコーチをしていました。でも、やはり高校生のガキ共を指導する夢を捨てきれずに、勉強し直してこの海鹿内高校の教師になって、野球部の指導をしているんですよ」


「この高校にも野球部があるんですか?」


「ええ。海鹿内高校といえば昔は甲子園常連で、南和歌山を代表する高校だったんですが、やっぱりもう何年も前から有名私立に押されっぱなしで……。でも、最近になってようやくそういう私立といい勝負ができるくらいには立て直してきたんですよ。でもね、今のうちのチーム、打撃陣はまだいいんですが、投手陣がいかんせん打たれすぎるですよ」


「へえ、どんな感じなんですか?」


「じつはうちのチームの試合を録画したものがあるんですが、観てみますか?」


 それから誠は仲根が持っていたノートパソコンで海鹿内高校野球部の投手の映像を見るのだった。


「ああ……たしかに先生の言うように、速いストレートを投げてはいるんですけど、怖いストレートじゃないんですよね」


「若もやっぱりそう思いますか?」


「ええ、投げるときに左肩の開きが早くて、トップの瞬間に右腕が体の陰に隠れていないから実際のスピードガン表示よりもめちゃくちゃボールを見やすいんですよ。あとスライダーやカーブという変化球に関しても、リリースポイントが早すぎるますね。これだと確かに変化幅の大きいボールを高い位置から落とすことができる利点があるんですけど、そのせいで変化点も早くなって打者にも早く見極められているし、なによりボールが横に流れるから制球が一定しない原因になっている感じですね」


「そうなんですよ。ピッチングの基本は球持ちを長くする事だと口をすっぱくして言ってるんですが、やっぱり若いからなんでしょう。『速いストレートを投げたい』『変化幅の大きい変化球を投げたい』という欲求が強いのか、なかなか直らないんですよ。ストレートのスピードも、変化球の変化幅も、打者に打たれないボールを構成する一つの要素に過ぎない事を分かれば、若のようにもっといい投手になれるとは思うんですがねえ」


「先生、今は生徒と教師の関係なんですから俺に対して敬語を使うのはやめてください。あと『若』って呼び方もやめて、普通に他の生徒と同じよう接してくれて構いませんから」


 最初は仲根の迫力に圧倒されていたが、誠だったが、そこは野球人同士。


 野球の話をすれば、年齢や立場に関係なく時間が経つのも忘れて没頭してしまうのだった。


「先生!」


 だが、そのとき職員室の扉が勢いよく開かれる。


 千早だった。


 いかにも不機嫌そうな顔で、キリキリと眉を吊り上げている。


「先生、いつになったら教室に来るんですか? 先生が来ないからいつまで経っても朝のホームルームが始められないじゃないですか。みんな待ちくたびれてます」


「おお、もうそんな時間か。お嬢、悪いな」


「あと先生! その『お嬢』って呼び方は学校ではやめてください。何回も言ってますよね?」


「わかった。わかった。それじゃあ若……じゃなくって杉浦、教室へ行こうか」


 そして、仲根と千早と誠の3人は教室へと向かうのだった。


「まったく……。転校初日で何やってるのよ。あたしはクラス委員長なんだから、あんまり、あたしの手を煩わせないでよ」


 廊下を歩きながら千早は唇を尖らせて、誠に毒づくのだった。やはり昨日のこともあって、千早の誠に対する態度は非常に刺々しい。


 そして、誠は仲根と共に教室に入る。

その途端に、すでにクラスの全生徒が着席していた教室は、喧騒に包まれるのだった。



──あれが噂の東京からの転校生か?

──甲子園優勝投手っていっても、そんなに体はでかくないんやな。

──馬鹿。おまえ知らんのか。父親は『あの』中根先生を舎弟にしてるほどのバケモンなんだぞ。息子も只者なわけないやろ。

──やべえ。やべえよ。絶対あの目は人ひとり殺ってるよ。



〝なんか噂がひとり歩きしているような〟


 誠は苦笑するのだった。見ると、教室の隅のほうの席には、忍がいる。どうやら同じクラスのようだ。


「それじゃあ、杉浦はいちばん後ろの空いてる席に座ってくれ」


「はい。わかりました」


「それじゃあ、遅くなったが今から出席を取るぞ~」


 そう言いながら、仲根が出席名簿を開こうとすると──


「先生、なにいつものホームルームみたいにしているんですか。ちゃんとここは転校生に自己紹介させないと駄目でしょう」


 すでに自分の机に着席していた千早が柳眉を逆立てるのだった。


「ああ。そんなの別にいいだろ。今までわしがさんざん言ってきたから、ここにいるみんなだって大体のことは知っているだろ。この杉浦の父親とはわしはプロだった時に義兄弟の契りの交わした仲で、杉浦本人も東京の高森学園で……」


 しかし、千早は即座に仲根の反論を封殺する。


「そうじゃなくて! そういう紹介は転校生に自分の口で言わさないと意味がないでしょう!」


「そんなもんか?」


「そんなものです!」


「それじゃあ、杉浦。自己紹介してくれ」


「わかりました」


仲根は誠を教壇まで促す。


「杉浦誠といいます。よろしくお願いします」


 一礼し、そのまま教壇を後にして自分の席を向かおうとする誠、だがその首根っこを、こめかみにぶっとい血管を浮かび上がらせている千早が鷲掴みするのだった。


「なに? その気合の欠片も感じられない自己紹介は? あんた、このクラスに馴染む気ないの? クラスのみんなからハブられる事に快感を覚えるドM体質なの?」


「そんなこと言ったって、これ以上なにを言えばいいんだよ?」


「趣味とか特技とか、前はどんな学校にいたとか、いろいろあるでしょう。あたしから見たら、20文字も喋っていないのに、やることやったって顔してるあんたのほうが信じられないわよ」


 誠は教壇に戻って、自己紹介をやりなおす。

「東京の高森学園からやってきました杉浦誠です。趣味は野球、特技も野球、将来の目標はプロ野球選手、尊敬する人物は元関急ブレイヴスの監督の西本一人。以上です」


 誠が自己紹介を終えると、生徒たちから「うわー。東京弁や東京弁」という訳の分からないざわめきが起こる。なんだよ東京弁って。誠はあくまで標準語で話しているだけだ。


 そして、誠さっさとは着席するのだった。


 千早は、学校でも千早だった。


 気が強く、男のいかつい教師相手でもクラスを代表して真っ向から言うべき事は言ってのける責任感の強さは昨日みた千早の姿と何も変わらない。誠は、なんとなく千早は外面を気にしそうなタイプだと思っていたから、家や身内のあいだなどでは強気な態度を取っていても、学校などではお淑やかに振舞っているのかもしれないなどと考えていたが、どうやらそうではないらしい。千早は学校でも親分の孫『お嬢』だったのだった。


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