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歓迎会


「いやー、さすが親子、ほんまにそっくりや」


「ああ、最強の4番『ミスターブレイヴス』と呼ばれた杉浦忠治の生き写しや」

「あの杉浦忠治の息子が入団してくれるんやから。オーシャンズはこれで優勝や!」


 誠の海鹿内市での下宿先となる温泉旅館『西本屋』。


 親分の生家であるこの旅館の宴会場は、老若男女、大勢の人間で埋まっていた。30畳ほどある広さの和室では今まさに誠の歓迎会がおこなわれているのだ。


 誠はさっそく海鹿内の見知らぬ親父連中に取り囲まれて酒の肴にされている。そして、初対面である親父連中が例外なく口にするのは、誠と父との顔の類似性なのだった。


 誠の、気の弱い小・中学生が泣きそうな顔になりながら財布を差し出してくるほどに凶悪な目つきは、父親譲りなのだ。


 そして、その誠は父親というのは、かつて親分が指揮していたプロ野球チーム『(かん)(きゅう)ブレイヴス』で不動の三塁手と活躍。5年連続日本一を達成した期間中のリーグ戦と日本シリーズの全試合においてフルイニングで出場して4番を務めたほどの男なのだ。


 だが、投手を威圧するのには優れた三白眼も、日常生活をするに至ってはただの害悪にしかならない。誠は何度、己の体の中にあるDNAを呪ったかは分からない。だが勘違いしてほしくないのは、誠は今までの人生で何回も父親似だと称されてきたが、似ているのは目つきだけなのだ。あとは、体型はおろか、髪質や輪郭、鼻や唇の形に至るまで母親似なのだ。だが、ただ1ヶしまう。それほどまでにこの目のインパクトは凄まじいのだ。


 誠にとって常に父親と比較される事は決して楽しいことではない。


 誠も高校1年生にしてすでに甲子園での登板を果たしているほどの投手。しかし、父は野球ファンや評論家のあいだで史上最強打者論争がおこなわれると必ず名前が挙がるほどの大打者なのだ。野球関係のマスコミも含め誠の周りにいる大人は、野球選手としても人間として誠をいつまで経っても『杉浦忠治の息子』としか認識していないのが現状だ。


「お嬢、ビールもう一本!」


「もう、トクさん、あんまり飲みすぎたら駄目じゃない。お医者さんに控えるように言われてるんでしょ?」


「ええやないかお嬢。今日は杉浦忠治の息子の歓迎会なんや。固いことは言いっこなしやで」


「もう知らないからね」


 この西本屋に来る途中で誠が出会った少女が仕方なさそうな顔をして、酔っ払いの親父連中に酌をする。


〝親分の孫娘だから『お嬢』か……〟


 彼女は、親分の孫娘で名前は西本(にしもと)千早(ちはや)というのだという。

 あの後は大変だった。


 帽子が取れたおかげで誠の身分があきらかになり、子供を泣かした事に関する誤解が解けたまではいいが、この西本屋に案内してもらうまでのあいだ千早はずっと不機嫌そのものだった。


 たしかに、初対面でいきなり尻を鷲掴みにされた相手に愛想よくしろとまでは言わないが、今回の件は千早のほうが勘違いした挙句に勝手にすべって転んでしまった結果の完全な独り相撲、不可抗力なのだ。


 結果、誠のほうも謝罪する気にはおろか、話しかける気にもなれずに、道中はお互いに終始無言を貫いてじつに気まずい雰囲気だった。今も千早は誠を取り囲んでいる親父連中とはまともに会話するのだが、誠本人とは目も合わそうとしない。


「あっ……」


 そのとき、誠は酌をしている千早と目が合う。


「ふん!」


 しかし、千早はすぐにそっぽを向いてしまうのだった。


〝かわいくねえな〟


 たしかに千早は人並み外れた美人で、この宴会での立ち振る舞いを見る限り、酔っ払いの世話をしたり、主婦や老人相手に世間話を興じたり、退屈をしている子供に対して遊び相手になってあげたりと、快活で周囲への気配りができる姉御肌の人間だ。だが、それでも誠は千早に好感をいだくことはなかったのだった。


 そんなふたりのあいだに流れる険悪な空気を読み取ったのだろう。すでに頬を赤らめている親父連中は再び誠を酒の肴にして盛り上がるのだった。


「なんや杉浦ジュニアはお嬢に嫌われたんか?」


 酒臭い息と誠に吹きかける親父A。


「さてはお嬢になんかやらしいことをたんやろ?」


 なにかよく分からない白身魚の刺身を食べなら核心をついてくる親父B。


「お嬢はホンマええ女になったで、乳なんて前までまったいらやったのに今はボーンや」


 自らの胸の前で両手を使って大きな円をふたつ描く親父C。


「トク、おまえ、お嬢に手ぇ出したら、親分に殴り殺されるで」


 再び親父A。


 そして、3人は「そらごめんや」と下品な笑い声をあげるのだった。


「あの、親分は?」


 今まで酒の肴にされながらも、ちびちびとウーロン茶に口をつけていた誠がようやく口を開く。


「親分はどこにいるんすか? さっきからぜんぜん姿が見当たらないんすけど」


 そう、歓迎会が始まってからすでに1時間ほどの時間が経過している。そのあいだに誠は自己紹介も済ませ、親分の息子であり千早の叔父にあたる、西本屋の旦那と女将夫婦にも挨拶もしたのだが、親分は一向に姿を現さないのだ。


 誠は親分の下でプレーするためにわざわざ元にいた高校をやめて、この海鹿内市にやってきたのだ。本来なら何を差し置いてもまっさきに顔をみせなければならない相手なのだ。


 しかし……


「……………」


 つい数秒前まで飲めや歌えやの騒ぎをしていていた親父連中が急に黙りだす。


「そんな事よりジュニア。刺身でも食いいな。海鹿内の魚はうまいでぇ」


「ジュニアは若いんやから、肉のほうがええやろ。パワー出るで」


「パワーと言えば、杉浦忠治のパワーはえげつなかったのぉ、いくら球場が狭い時代とはいえライト方向に場外ホームラン打てる右打者なんて、わしらが生きてるあいだはもうお目にかかれへんやら」


「けど、そんな個性的な選手もおったし強かったけど、関急ブレイヴスは人気がなかったのぉ。いつもスタンドはガラガラやった」


「あの頃のパ・リーグはどこもそうやったやろ、関急だけない。南洋(なんよう)ファルコンズ、大鉄(だいてつ)レッドブルズ。親分が指揮したチームはどこも強ぉなって優勝したけど、人気はさっぱりやったなぁ」


「けど、ジュニアも凄いでぇ。甲子園での準決勝、延長12回ウラ、2死満塁カウント3―2のピンチで外角高めのストレートで相手の4番を三振にしたんやらから」


「アホ! あれは捕手が外角低めに構えていたところをコントロールミスして外角高めにはずれたボール球を打者が振ってくれただけやろ。失投で抑えたことを褒められてもジュニアは嬉しいわけないやろ」


 親分の話題を振ると、親父連中にこんな調子で話を逸らされるのだ。


 結局、誠が諦めて再びウーロン茶に口をつけていると……


「ここ、いいかな?」


 絹のようなやわらかい声音で誠は話しかけられる。


「はじめまして❤ (しのぶ)って言います」


 忍と名乗る少女は、まるで恋人にしか見せないようなやさしさに満ち溢れた笑みで誠に挨拶をして、すぐ隣に座り込む。


 長い睫毛に縁取られた大きな二重の瞳。肩口近くまで伸びた妖精の羽のようなふわりと軽やかな黒髪。調和に守られた芸術品のような繊細な唇。


 誠は一瞬で少女の容姿に心奪われるのだった。


「杉浦誠くんだよね。千早ちゃんから聞いたよ、今日からここに住むんだよね? ボクもここに下宿させてもらいながら、学校に通ってるんだ。杉浦くんも高校一年生なんだよね」

「ああ、海鹿内市には高校はひとつしかないからそこに通うことになると思う」


「だったら、同じ高校だね。一緒のクラスになれるといいね❤」


 会話をしながら、まるで人懐こい猫のように誠に擦り寄ってくる少女。


 忍の服装は、ノースリーブのシャツに綿のハーフパンツという明らかに部屋着っぽい格好だったが、シンプルな分、変にも着飾るよりも清楚な少女の美しさをより際立たせている。なにより露出が激しいため恐ろしいまでに滑らかな少女の肌がまぶしいほどに強調され、誠は体温が1度ほど上がったような錯覚に陥るのだった。


〝これだよな、これ。やっぱり女の子はこうじゃなきゃ〟


 この西本屋で暮らしているという事は仲居かなにかの見習いをしながら高校に通っているだろう。楚々として淑やかな振る舞いは千早とは大違いだ。


 急に恥ずかしそうにもじもじと身をくねらせて何かを言い出そうとする忍。


「あの、杉浦くん、これからは『誠』って呼んでもいいかな?」


「ああ、べつにいいぜ」


「ありがとう。その代わりボクの事も『忍』って呼び捨てにして構わないから。嬉しいな。同い年の男の子をファーストネームで呼ぶなんて、ボク初めてなんだ❤」


 ただそれだけの事なのに、まるで砂漠の中で泉を見つけたかのように嬉々として瞳を輝かす忍。ボクっ娘なのはさすがにニッチな層を狙いすぎな感があるが、今まで高校の野球部の寮で暮らしていた誠は海鹿内市での新たな生活に希望が湧いてくるのだった。


「早速だが忍、ひとつ聞いていいか? この西本屋で暮らしているっていう事はとうぜん親分の事は知っているよな? さっきから親分の姿がどこにいるんだ?」 


「じつはね、親分は体調を崩して入院しているんだ。誠の歓迎会に出席したかった言って残念がっていたよ」


「なにぃ!」


 驚き、誠は立ち上がる。


 そして、忘我のあまり忍に詰め寄るのだった。


「親分が入院だと!」


「う、うん……」


 それまでどちらかといえば静かに相手に話を合わせていた誠の豹変ぶりに忍は驚き、目を白黒させる。


「何でそれをもっと早く教えてくれないんだ! クソッ! こんなところでメシなんて食っている場合じゃねえ! 忍、親分はどこの病院にいるんだ。教えてくれ! 俺は今すぐそこに行く!」


 誠の叫びは30畳ほどある部屋の端から端まで響くほどの大きさだったので、宴会場の空気は騒然となる。


「お、落ち着いてよ、誠。今から病院に行っても面会時間はとっくに終わってるよ。それに入院っていっても命に関わるような重大な怪我や病気じゃないんだ。検査入院みたいなもので、本当にたいした事はないんだ。その証拠に親分も『誠に心配をかけたくないから、楽しい宴会中くらいは黙っていてやってくれ』って言ってたくらいだから」


「本当か? 本当に親分の入院はたいした事はないのか?」


「本当だよ。だから落ち着いてよ」


「わかった。それじゃあ、明日、学校を休んで朝一番に親分の見舞いに行く」


「なに言ってるの。面会は午後からだし、なにより誠は明日が転校初日でしょ? 学校をさぼってお見舞いに行ったって親分は喜ばないよ。あした学校が終わったらボクが付き添うから。それまで我慢して、ね? だから落ち着いてよ」


 そして、誠はその後、忍に「落ち着いて」という言葉を10回以上かけられて、ようそく納得して、その場に座り込む。


 その様子に、忍だけではなく宴会場にいた全ての人間がほっと胸を撫で下ろす。


「あの様子やと、『あの事』はまだ言わんほうがええなぁ、なあ、お嬢?……」 


 だが、興奮冷めやらぬ誠は、酔っ払い親父のひとりが千早に対して呟いたひとことに気づいていないのだった。


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