月見草
「クソッ! あのオッサンはなんなんだ! 人の神経ばっか逆なでしやがる!」
西本屋の従業員用の食堂。練習を終えた誠と忍は夕食を取っている。そして、誠はアジのフライをほおばりながら、先程の鹿村のおこないを思い出して怒りに目をむくのだった。
ちなみに誠と忍は、朝と夕の1日2回、いつもこの西本屋の食堂でまかないを食べている従業員と一緒に食事をしているのだった。
「そんなことがあったんだ」
味噌汁のわかめを上品に一切れずつ口に運ぶ忍。練習の後は、いつもかきこむように食べる誠とは大違いである。
「でもね、たしかに鹿村さんは誠に対して辛くあたっているけど、それは誠に期待しているからなんだよ」
忍がやわらかい口調で誠をそう諭すのだった。しかし、誠はそんな忍の言葉をさも忌々しげに一蹴するのだった。
「そんなわけないだろ。あのオッサンは俺に何も期待しちゃいねーよ!」
「それは違うよ、誠。鹿村さんは誠が海鹿内市に来る何週間も前から、ボクや千早ちゃんや優輝ちゃんに『今度来る杉浦忠治の息子はどんな奴なんや』って尋ねまくっていたし、誠が甲子園で投げている時の映像も穴があくほど見てたんだよ」
「はっ! 信じられないね」
「それに誠のお父さんは、鹿村さんのライバルで、現役時代のタイトル争いでどうしても敵わなかった憧れの相手じゃやないか。だから鹿村さんも息子の誠に対してどうやって接したらいいのか分からないか戸惑っているんだよ。ほら、小学生が好きな女の子に対してイジワルしちゃうのと同じ理屈なんだよ」
「そんなかわいらしいモンじゃねーぞ。あのオッサンの嫌味は……」
だが、鹿村は永きに渡って誠の父である杉浦忠治とパ・リーグの打撃タイトルを争い、幾度も苦杯を舐めさせられた相手なのは確かである。息子の誠に対して特別な感情を抱いているというのも事実だろう。だが、かつてはパ・リーグ……いや、球界を代表する強打者でライバル同士だった2人だが、その入団の仕方は天と地ほどの差がある。
誠の父・杉浦忠治は、三塁手として東京の六大学リーグで数々の記録を塗り替えたスーパースター。去就が騒がれたドラフト前には「逆指名はしない。だが、自分の今の打撃フォーム──一本足打法を矯正しようと考えている指導者がいるチームは指名を控えてもらいたい」などと傲慢としか思えない発言をしながらも、最終的には5球団が1位指名。その後、関急ブレイヴスに入団してからも「あんな無駄だらけの打撃フォームでは活躍できるのは大学まで。プロでは絶対に壁にぶち当たる」などという一部の解説者の辛口批評などモノともせず、その才能を信じきった親分の薫陶と時には愛情溢れる鉄拳制裁に支えられながら1年目から本塁打王と打点王を獲得。それ以後は、数々の打撃タイトルとチームの優勝を手にして、ついに長いプロ野球生活で一度も2軍落ちを経験することなく9年前に現役を引退したのだった。
一方、杉浦忠治から遅れること1年、野球の無名校からテスト生で南洋ファルコンズにドラフト外入団を果たしたのが、鹿村だった。だが杉浦忠治とは違い入団時の評価は最底辺、契約金などもちろん無し。入団1年目のオフには早くも戦力外通告を受けているが「もう一年だけやらしてください。クビになったら南洋電車に飛び込み自殺をします!」と懇願してようやくクビを繋いでもらった経験まである。
その後、猛烈な努力の末に3年目にはレギュラー捕手と4番打者の座を掴み、最終的には監督兼任選手にまでなってしまったのだから、一昔前のスポ根アニメのような成り上がりストーリーだ。
だが、打者としては通算打率、通算本塁打、通算打点と全てで杉浦忠治の後塵を拝しており、決して主役にはなれなかった。特に有名なのは、90年代のあるシーズン、鹿村はシーズンの日本記録を塗り替えて初の本塁打王を獲得。ライバルを退けての新記録達成に鹿村は喜びの涙にむせた。しかし、その翌年には鹿村の活躍に奮起した杉浦忠治が、その記録をさらに塗り替えて本塁打王を獲得。鹿村の新記録はわずか一年でその輝きを失った。そのとき「スギさんが太陽の下で輝くひまわりなら、ワシは日本海の浜辺にひっそりと咲く月見草や」と嘆いたのは有名な話だ。
そんな鹿村だから、『坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い』の精神で誠に対して辛く当たるのも理解はできる。しかし、あくまでも理解できるだけであって感情として納得ができるわけではない。やはり誠にとって鹿村は、昔の人間関係をいつまでも根に持つ陰険で度量の狭いおっさんにしか思えないのだった。
「ところで誠、あしたはどうするの?」
忍が誠に尋ねる。
「あした?」
「あしたはオーシャンズの練習はないけど、どうするの? ふたりだとできる練習が限られるから、仲根先生が野球部の人たちと一緒に練習したらいいとは言ってくれてるよ」
「ああ、そりゃありがたいな。でも、俺は学校が終わったら用事があるから、それが終わってから練習するつもりだ」
「用事って、どこかへ行くの」
「ああ、親分の見舞いにいくつもりだ」
誠はそう静かに答えるのだった。