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キヨスイ

 それから十数分後、情緒不安定だった千早はようやく落ち着きを取り戻し始める。


「もう大丈夫だから……」


 そう気丈に答える千早はいつもの……いや、クラスで見せる親分の立ち振る舞いを真似ている時の顔つきに戻っていた。


「うん、それじゃあ行こうか」


 そう言って優輝は誠を連れて学校の外へと案内する。


 数十分ほど3人は歩き、駅前近くの国道へと出る。そこからさらに数分歩くと、地面が舗装されたコンクリートから石畳になる。


「ここは……」


 辿り着いた場所は球場だった。


 まるで巨大な円盤のようなコンクリート剥き出しの外壁が誠の前に広がる。高さは十数メートルだろうか。年季を感じさせる、ところどころひび割れた部分が存在する外壁が海鹿内の陽光を受けてキラキラと光っている。


 内・外野のスタンドから伸びている計4機のナイター用の照明鉄塔がまるで物言わぬ巨人のように悠然とそびえ立っているのだった。 


 だが、この球場が特徴的なのは球場そのものよりも、周辺の環境だった。


 球場のすぐ外が海岸となっており、場外ホームランを打てば、簡単に浜辺や海に打球を飛ばすことができるほどの近さだった。それ故に、この球場周辺は海からの潮風が強い。吹き荒れる風が誠や千早たちの制服をバタバタと激しくなびかせるのだった。


 そして、球場の外壁の高い位置には『海鹿内市民球場』と記されている。ここが、海鹿内オーシャンズの本拠地である球場だ。


「こんなところに連れてきて、どうするつもりなんだ?」


「どうしても、まこっちゃんに見てほしいものがあるんだ」


 優輝はそう答えると、球場のすぐ横にある管理事務所で鍵を借りにいく。


 千早も優輝もオーシャンズのスタッフなので難なく鍵を借りられたようだ。潮風によってだいぶ錆が目立つ鉄製の門を開錠して、3人は球場の内部に入る。


 バックネット付近の門から内部に入り、誰もいない静まり返った球場内の通路を歩く3人。その足音だけが静かに響く。


 球場の通路はただでさえ陽光が差し込みにくいうえに、夕暮れに近い時間になったので辺りは非常に薄暗い。


たしかにナイターなどの設備があるため、日本中のどこにでもある平凡なとまでは言いがたいが、それでも海からの強風以外はさほど特徴的な球場ではない。


 優輝はこんなところに誠を連れてきて、どういう説明をするつもりなのだろうか。


「ここだよ」


 優輝と千早の足が止まる。


 球場内の通路──その一角に、その部屋はあった。


『西本一人記念室』


 ふたりはここに誠を連れてきたかったようだ。


 記念室といっても通路の一角の空きスペースを利用しただけなので、きちんと鍵のついたドアがついているわけではない。球場の中にさえ入りさえすれば誰にでも見学可能なその7坪ほどの広さの部屋の中に入ると、親分に関するさまざまな品物が展示されていた。


 親分の生誕から現在までの軌跡を辿った年表。スタジアムで実際に使用したジャンパー。野球殿堂入りした時に創られたレリーフ。選手時代に使用したバットやグラブ。選手時代から監督時代までさまざまな写真。地元が生んだ偉大な英雄の足跡と記録が、この部屋には展示されている。


 中でも誠が目をひいたのは、1枚の写真だった。


 かつて『勇者』と呼ばれた関急ブレイヴスのナイン。その勇者たちがグラウンドで日本シリーズの優勝ペナントを持っている。


 中心にはもちろん、当時監督をやっていた若き日の親分。そのすぐ傍にはユニフォーム姿の誠の父・杉浦忠治がいて、千早の父・西本十八や海鹿内高校で野球部の顧問をしている中根の姿もある。


 写真の下に書かれている解説文を読まなくても、誠は即座にこの写真がいつどこで撮られたものか分かった。


 場所は兵庫県西宮市の北口球場。時代は今から23年前。関急ブレイヴスがパ・リーグの球団としては最多となる5年連続日本一を達成した時のものだ。


 だが、親分が優勝を果たした時の写真はそれだけではない。親分が選手としてプロ入り、その後に初めて指揮を取った球団である『南洋ファルコンズ』。かつてパ・リーグのお荷物球団と揶揄されながらも後にリーグ連覇を果たすまでになった『大鉄レッドブルズ』。この場所には、リーグ優勝8回、日本一5回を誇る親分の輝かしい栄光の写真が全て飾られていた。


 だが、その中に1枚、誠も見たことがない写真がある。


 その写真の色彩は白黒で、あきらかに年季の入ったものだということが分かる。なにせ写真の中央で映っている親分が、あきらかに20代だと分かるくらいの若々しさなのだから。


 この写真もおそらく何かの大会で優勝したものだろう。今まさに獲物に飛びかかろうとする獅子の刺繍が施された旗を親分が手に持ち、その周りにユニフォームを着た選手たちが整列している。しかも、ユニフォームを着ていないあきらかに選手ではない者たちも、選手たちの周りに大勢集まって記念撮影に参加している。


「この写真はいったい何だ?」


 誠は隣にいる千早に質問する。


「この写真は、今から46年前の東京の後楽園球場でおこなわれた都市対抗野球の表彰式での記念写真よ」


「これがそうか……」


 そういえば聞いたことがある。


 親分のプロ入りは29歳と遅いが、それまでは社会人野球のチームでプレーしていたという。そして、選手兼任監督として臨んだ都市対抗野球での優勝を手土産に、南洋ファルコンズに入団したはずだ。ちなみに都市対抗野球とは、毎年、夏季に東京でおこなわれる社会人野球の全国大会のことだ。


 たしか、親分が所属していた社会人チームの名前は……


「キヨスイ……」


 慈しむかのような口調で、千早がその名を口にする。その瞳は、まるで小さな頃に大事にしていた宝物をみつめるかのようなやさしさに満ちている。


「キヨスイっていうのは海鹿内市にある水産会社の名前でね。おじいちゃんはそこの野球部で選手兼監督を務めていたの。それは東京の後楽園球場で黒獅子旗を受け取った時の写真よ。海鹿内市がいちばん幸せだった時のでもあるわ」


 この写真が撮られたこの時代には生まれてすらいないはずなのに、千早はまるで自らの記憶を掘り起こすかのようなまなざしを写真の中の親分に向けるのだった。


「東京で生まれて、どこでも野球の試合を観戦できるような環境で育ったスギには分からないだろうけど、キヨスイの野球部はあたしと優輝にとって……ううん、海鹿内の人間にとっては唯一の……なにものにも代えがたいチームだったわ」


 そして、千早はキヨスイ野球部の思い出を語りだす。


 横浜から海鹿内に引っ越して、環境に馴染めないなかで勇気を与えてくれたのはキヨスイの野球部の試合だったこと。


 千早と優輝は出会ったのも試合を観戦しているスタンドで、2人はすぐに意気投合して親友になったこと。

都市対抗や日本選手権の予選があるたびに、試合のある球場まで町の人間が総出で応援に出かけて、勝っても負けても大騒ぎをしていたこと。都市対抗の優勝記念の写真も、感極まった海鹿内の人たちがスタンドからグラウンドに流れ込んできて、そのまま写真撮影に加わったのだという。

「不思議なものでね。昔からのキヨスイ野球部のファンである年配のおじさんとかの思い出話をスタンドで聞いていくうちに、おじいちゃんがいた頃の事も都市対抗での優勝もまるで自分が体験した事のように思えてくるようになるの。あたしと優輝が応援していた時は、都市対抗優勝なんか夢のまた夢くらいのチームだったんだけど、それでも今は弱いけど、近いうちにまた昔みたいに強いキヨスイが戻ってくるって、本気で信じてた」


 そう語る千早のまなざしは、誠が今まで見たなかで一番やさしさを感じられるものだった。まるで目に映る全てを慈しむかのような穏やかな表情を浮かべている。


「けどね……」


 千早の表情が空洞となる。それは先程の誠に自らのカラダを捧げようとした時の思い詰めた暗いまなざしとはまた違う、哀愁に満ちた表情だった。


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