本当の千早
「ごめんね、まこっちゃん。驚いたでしょ? あたしもおかしいと思ったんだ。昼休みからずっといつもの千早に戻っててさ。そんで、放課後になって思い詰めたまなざしでまこっちゃんと一緒に保健室に向かって行くのを見たって、あたしに教えてくれた人がいたから、急いで駆けつけて来たんだ」
千早の号泣が再びすすり泣きに戻っていった頃、優輝が誠に話しかける。
だが、誠は優輝の言葉に違和感を覚えるのだった。
「いつもの千早、だと……?」
誠が抱いていたイメージだと、むしろ今の千早はいつもの千早とかけ離れているように思える。しかし、優輝は今の千早を『いつもの千早に戻っている』と表現している。それがどういうことなのか分からない。
そして、そんな誠の疑問を読み取ったのか、優輝は説明のために口を開く。
「まこっちゃんから見た千早の印象ってどんなの?」
「そりゃあ……」
明るくて場を仕切るのがうまく、気が強くて行動力もあるからいつもクラスの人間に頼りにされていて、人望が厚い。そんなところだろうか。
「うん。そうだよね。そして、今の千早はそんなイメージからかけ離れている。……でもね、これが本当の千早なの」
「どういうことだ?」
「まこっちゃんは、千早が海鹿内市の出生じゃないのは知ってる?」
「ああ。知っている」
千早の父親であり、親分の長男であるプロ野球選手『西本十八』は、(親分がいなくなった後に、誠の父が関急ブレイヴスから東京の球団に移籍したように)千早が生まれた年に関急ブレイヴスから横浜の球団にトレードで移籍をしており、現在もその横浜の球団で投手コーチをしている。
そして、7歳の時に母親と死別した千早は、遠征で家をあけることが多い父の仕事の関係上、その当時すでに海鹿内市で隠居していた親分と旅館を経営していた弟夫婦のもとに預けられる事になったという。
千早が他のクラスの者と違って、誠と同じ標準語を話すのはそのためである。
「それでね、海鹿内市に引っ越してきた当時の千早は、お母さんが亡くなったショックと都会から田舎への環境の変化のせいですっごい人見知りになって、クラスに馴染めなかったの。あたしはその頃から千早と仲良くしてたんだけど、あの頃の千早の口癖は『みんなあたしのことを嫌ってる』とか『いつもあたしは馬鹿にされている』って具合だった。本当は千早のことに好意を持っている人だっているし、クラスのみんなだって1日も欠かさず千早を馬鹿にしているわけじゃないのに、そういった言葉によって精神的に自分で自分を追い込んでた。
でも、いつまでもそんな状態じゃあ駄目だって悟って、千早は自分の性格を変えようとするだけど、具体的にどうしたらいいのか分からくて悩んでいたの。そんな時に自分のすぐ身近に誰からも頼りにされて人望も厚い人物がいることに気づいて、その人の口調から立ち振る舞いまで全てをマネした結果……」
「それが、今の親分にそっくりな千早の源流ってことか……」
「そう。もともと千早は成績も要領もいいし、なによりも親分譲りの人の感情の機微を読む才能があったからうまくいって、いつのまにかクラスの中心的人物になっちゃったのよ。そして、親分の立ち振る舞いをマネしていくうちに周囲の大人も『お嬢』なんて呼んで、チヤホヤしだしたのよ。
でもね、いくら長い年月を重ねて積み上げたとしても仮面はしょせん仮面。千早の本質は臆病でいつも他人の視線を気にする繊細な女の子なの。剥がれにくくはなるものの仮面は決して本当の顔にはなれないの。だから平時は大丈夫でも、今日の昼休みみたいなイレギュラーな事態に陥ると、もうアウト! もともとのメンタルの弱さがモロに出ちゃうの。今日だって、そう。あたしや他の誰かに相談すればいいものを、自分ひとりで勝手に事態を悪い方向に悪い方向に考えちゃって、最後にはとんでもない行動に走っちゃうの」
「そういうことか」
誠が初対面から千早の存在が気に食わなかった理由。それはただの誤解や暴行だけが原因ではない。それは千早の立ち振る舞いが親分の上っ面を真似ただけのイミテーションだったからだ。そして、誠の中にあった千早はなんとなく裏表がありそうな性格だという直感は当たっていた。ただ違っていたのは、教室や近所の親父連中に見せていた親分を思わせる姉御肌的な性格が本性ではなかったということだ。
「……でも、ひとつ分からねえんだよ」
誠が疑問の声をあげる。
「たしかにこいつのメンタルが想像以上に弱くて、パニくって時折とんでもない行動に走っちまうってのは分かった。でも、なんで、こいつはそこまでオーシャンズに肩入れしているんだ? 女がカラダを好きでもない男に差し出すなんて、いくら平時の思考回路とかけ離れているとはいえそうそう出来ることじゃないだろう。まあ、親分と一緒のチームでプレーするために海鹿内市にまで来てしまった俺が言うのはアレだが、オーシャンズなんてしょせんはどこにでもある独立リーグのチームに過ぎないだろ? しかも、こいつは(一応)監督ではあるが経営者ってわけじゃないんだ。チームが立ち行かなくなったって、高校生のこいつに責任なんてないし、そこまで気にする必要はないと思うんだが?」
十数年前までは日本には存在すらしていなかった独立リーグだが、10年ほど前の四国を皮切りに、北信越、そしてこの海鹿内市がある近畿にもリーグが発足して今ではさほど珍しい存在ではなくなっている。そのうえ、圧倒的な人気を誇るプロ野球やコアで根強いファンを持つ高校野球に比べて、独立リーグの存在は全体的に地味だ。それでもプロ野球チームの本拠地がない四国や北信越などではそれなりに地域の人々に受け入れられているが、近畿地方は複数のプロ野球チームがあるうえに高校野球や大学野球も盛ん。後発の近畿独立リーグは観客動員に伸び悩み、平日の試合など3桁に届かない事もあるらしい。
だから、たとえ明日にこの近畿独立リーグがなくなったとしても、大抵の野球ファンは「ふーん」くらいの反応で、野球に興味のない一般人に至っては「えっ? 近畿に独立リーグがあったの?」「そもそも独立リーグって何?」といった感じで、3秒後には明日の天気を気にしだすだろう。悲しいが、これがこの近畿独立リーグの現状だ。
だが、誠に疑問を投げかけられた優輝は、少し冷めたような口調でこう呟くのだった。
「そうだよね。東京もんのまこっちゃんにとっては独立リーグ……オーシャンズはそういう認識だよね」
東京もん──今日だけで、何度そう呼ばれただろう。そのあきらかに差別的な表現に誠は少しムッとする。
「東京もんとか関係ないだろ。それよりも何で西本はこんなにも倒錯的にオーシャンズに肩入れをしているんだ? 教えてくれよ!」
「うん。わかったよ。それじゃあ、場所を変えようか。そこでオーシャンズが千早にとって……ううん、あたしたち海鹿内の人間にとってどういうものか教えてあげるよ」
優輝は達観したような表情でそう答えるのだった。