とりあえず今日は
とりあえず今日は、扉の影から観察することにした。
奴は本を読んでいる。
ずいぶんと集中している。
……こっちに気付きもしやがらねぇ。
「うわぁん! 覚えてろ!」
「な、なにが!?」
---
とりあえず今日は、ソファの裏に潜んで聞き耳を立てることにした。
奴は本を読んでいる。
ページをめくる音が聞こえる。
……何の情報も聞き取れねぇ。
「ちっくしょー! 負けないからな!」
「うわっ! なんでそんなところに!?」
---
とりあえず今日は、手の届かないギリギリの位置をキープすることにした。
奴は本を読んでいる。
何となく集中できないようだ。
……おっ、こっち見た。
「なに? この距離感」
「お気になさらず」
「……とても読みづらいんだけど」
---
とりあえず今日は、隣に座って素知らぬ顔をすることにした。
奴は本を読んでいる。
普段と何も変わった様子はない。
……気にしろ! もっと! こっちを!
あっ、立ち上がった! 逃げる気か!?
「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「飲む!」
「チョコレートも出そうか」
「グレイト! グレイテストショーマン!」
「一つだけね」
「前言撤回!」
---
とりあえず今日は、服の裾を掴んでみることにした。
奴は本を読んでいる。
かなり居心地が悪そうだ。
……ふっふっふ、いつまで耐えられるかな?
「ねぇ、これ何の遊び?」
「この手を離したら最期、二人は永遠に引き裂かれてしまうのだー、ごっこ」
「そ、そうなんだ」
---
とりあえず今日は、がんばってたくさん話をすることにした。
「ねぇねぇ、あのね……」
奴は本を読んでいる。
ふんふんと相づちを打ちながらページをめくる。
……聞け! 人の話を! もっと真剣に!
「うーん、気持ちは分からないでもないけど、それは」
……意外と聞いてた。そしてまさかのダメ出し。
でも違うんだ!
求めてるのは正しさじゃなくて同意だ!
「察しろ!」
「な、なにを!?」
---
とりあえず今日は、がんばってたくさん話を聞くことにした。
「というわけで、さあ、私にどんなことでも言ってみるがいい」
「何が『というわけ』なのかさっぱり分からないけど」
奴は本を読んでいる。
意外とまつげが長い。
……でもとりあえずこっちを見ろ!
おっ、顔を上げた。
「本当に何でも言っていいの?」
まじまじとこちらを見つめる。
「も、もちろん」
ちょっと照れる。
近付きすぎ?
「だったら、この本読んでもいい?」
「くぅっ!」
---
とりあえず今日は……今日は、なにをしよう?
「うーん」
腕を組んで考える。
「どうしたの?」
奴は本を読んでいる。
「なかなかたいへんだなーって思って」
「何が?」
「心のふれあいってやつ」
「ああ、最近の奇行にそんな意味が」
奴に顔を向ける。
「でも、悪くなくなかった?」
奴が顔を上げる。
「そうだね」
奴が本を閉じた。
「月に一度くらいならね」




