打ち寄せる信頼
目に痛いほどきらめく、眩い朝の港。徐々に温まる海原から、潮の香りが立ち上るそこは、既に人の賑わいで満ちている。
時刻は朝五ツ、辰の刻。漁船が行き交い、開かれた市では競り合いの声が飛び交う中。まだ数が少なく、旅人たちを乗せる帆船の傍らに、向き合う二組の姿があった。
「世話になったね、団史郎」
「おう。こちらこそ」
片方は出立する側の直武一行、もう片方は、見送る側の団史郎と史継。当初は団史郎だけが見送りに来るはずだったというが、史継が今朝、同行を願い出たのだという。
しかし、史継の表情は笑んでいるものの、複雑な色合いが抜けきっていない。それもあってか、今まで話に応じたり持ち掛けたりするのは、団史郎ばかりだった。
「妖雛ども。お前たちにやった刀は、幽世の空気に馴染んだことで、妖刀として変化しておる。お前たちが使っていけば、そのうち意思めいたものすら持ち始めるかもしれん。しっかり制御できるよう、己が主と教え込むことだ」
「妖刀……」
呟いて、志乃は腰に帯びた刀の柄に触れた。
武器に頓着しない志乃にとって、妖刀とは、作り話などに出てくる存在。あまり興味をそそられない存在だった。それを今まさに触っており、また自分が使うことで、武器がそう変じていくのだという。不思議で、ふわふわとした感覚だった。
「人妖兵の中には、実際に妖刀などの武器を使っている方もおりますよ」
直武と妖雛二人の間に立っていた紀定が、振り返って補足する。
「刀以外にも、妖力を宿し、幽世にて変じた道具は数多く存在していて、総称を〈妖魂器〉と言いますね。道具の妖怪である付喪神とは、また別の存在です」
志乃は笑みを浮かべながらも聞き入っているが、芳親は相変わらず視線をさ迷わせており、聞いているのかどうか分からない。いつも通りの反応だったため、紀定も構わず続けた。
「妖魂器は、持ち主の力に影響を受けて成長します。団史郎殿がおっしゃった通り、意思を持つまでに変化するものも確認されていますが、必ず支配下に置かなければなりません。最悪の場合、命を蝕まれてしまいますので」
「ふむ……支配下に置くというのは、どうすれば良いのでしょう」
「使っていればいいんですよ。使うことで、道具は主を認識しますからね」
志乃の問いに答えたのは、紀定ではなかった。ようやっと口を開いた史継だった。
赤茶の髪に瞳の青年は、苦い色が混じった笑みを浮かべている。無理をしていると露呈しても、浮かべずにはいられないのだと、彼の真面目を語る笑みを。
史継が団史郎の後ろから、前へと進み出たのを受けて、妖雛たちも直武の前に出る。が、芳親は志乃の隣に立たず、また志乃より前へも出なかった。自分も該当する話とはいえ、史継が言葉を投げかけたい相手など、明白だったが故に。
「あなた達なら難しくないと思いますよ。その力に助けてもらったんだから、分かります」
「そう見えますか」
「見えますよ。おいらの目、曇ってまではいませんから。……だから、貴女に悪意が無かったことも、分かっているんです、志乃殿」
崩れることなき空虚な笑みの前で、取り繕った笑みに歪みが現れる。けれど、史継は笑みを消し去りはしなかった。否、消えるわけがなかった。愚直なほどに善良な狸の青年は、自分が取った選択の証左を押し通すと、とうに決めていたのだから。
「怒るよりも信じる方が、おいらの性に合ってるんです。だから、信じることにしました。いつか、貴女に分かってもらえると」
声が形作るのは、あまりにも脆弱な綺麗事。発した史継でさえ、理想が過ぎると分かっている。それでも彼はこちらを選んだ。自分の心を、負の浸食から守るために。
告げられた志乃の方は、予想外とばかりに目を丸くしている。心側の空洞へ落ちてしまえば、どんな言葉もあっさり消えていってしまうのに。「信じる」という言葉は、引っ掛かってなかなか落ちていかない。
愛想笑いの蓋の下には、何もないのに。どうして、信じるなんて言葉を贈られるのだろう。その言葉に応じられるほど、自分は人間の振りが上手いのだろうか。
「俺が分からないままだったら、どうなさるので?」
「それなら、おいらに言えることはもう、何も。貴女のことを忘れるだけです。そんなものに心を割いていることが、馬鹿らしくなるでしょうから」
理解できないのなら、それは情のある生き物ではなく、ただの災厄なのだと。史継がそこまで口にすることはなった。自分が言うことではなく、言いたいことでもなく。お互いに不要な言葉と察して。
「でも、志乃殿。貴女はきっと、分かると思います。色んな人が貴女を信じて、そうして今の貴女が在るんでしょうから」
代わりに、言いたいことを言った。使いたい言葉を使った。相手にとっても自分にとっても、虚しくならず痛むこともない、美しくて柔らかい言葉を。
結局、史継は温かいものが好きだった。ちょうど今、世界を照らし出す陽光のような。人界たる現世のどこかにできているだろう、日だまりのような。
「おいらが言えることは、これで全部です。あなた達の旅路に、幸多からんことを」
だから、怨嗟なんて嫌悪するようなもので、互いの心を軋ませてしまうより。温もりと希望に満ちた言葉で、ぽっかりとうつろな洞が少しでも埋まるように。愚直なほどに善良な狸の青年は、丁寧に別れの言葉を贈った。破れないように、そっと離すように、話した。
ざわめきが遠く、波音が近く。様々な音が溶け合った中へ、史継の言葉も溶けていく。志乃が何か返す前に、出航間近を告げる声が、忙しなくも和やかな空気を切り裂いていった。
「おっと。お引き止めしすぎましたかね、申し訳ない」
苦笑して頭を掻く史継に、「いえ」と志乃が変わらない笑みのまま、首を横に振る。それだけだった。史継に返せる言葉など、志乃は一言も持ち合わせていなかった。
会話の終わりを察して、直武たちも前へと出てくる。簡素な別れの挨拶を済ませて、一行は船に乗った。開かれた帆は年季を重ねていたが、朝日を受けるとまっさらな輝きを宿していた。
海原へ滑り出す船体を、団史郎たち以外にも、多くの人が見守っている。船の上からは、直武一行以外にも、多くの人が離れゆく港を見ている。別れを惜しんだり、滞在の記憶を思い返したり。そんな中に混じって、志乃はじっと、頭を巡る言葉に耳を澄ませていた。
――色んな人が、貴女を信じて、そうして今の貴女が在る。
確かにそうだ。今まで、志乃は周囲の信用を得てきた。そのために、できることを積み重ねてきた。信用、信頼。そういったものがなければ、人の世界に混じることはできず、生きていけないが故に。
身をもって知っていながら、改めて考えると不思議に思える。自分は明らかな異物なのに、人は自分を迎え入れようとする。馴染ませようとする。信じて、そうあれかしと願う。何の繋がりがないのにも関わらず。
――本当に、手が届くことなんてないのに。ここは、自分のいる世界ではないのに。
求められずとも笑みを湛える顔の下、心側に広がる空洞へ、何度目かに浮かんできた思考を再び沈める。港はもう見えず、島は青い影と化しつつあった。それにつれて、島を眺めていた人々も、大半が手すりから離れていた。
一刻後、巳の刻。直武一行を乗せた船は、緑峰府慈方郡の港町、麹口に到着した。英崎や両入浜と同じく活気のある港町だが、今は休憩しているように穏やかな空気が漂っている。
船着き場にも満ちる穏和な空気の中へ、芳親がいち早く降りて行く。意気揚々と進む彼の足取りは、しかし後ろに引っ張られて止まってしまった。
「食事処を探すのは待つようにと言われましたでしょう、芳親殿」
襟首を掴んで芳親を止めたのは紀定。言葉での制止に加え、目も咎めるように細くする彼から、芳親は短い呻きと共に顔を逸らす。
「……探すつもりなんて、ない……」
「私の目を見て言ってほしいものですね」
にっこり笑う紀定に対し、芳親は仏頂面を浮かべていた。その顔は、親犬に首根っこをくわえられ、探検を邪魔された子犬のように見えなくもない。
「駄目じゃないか、芳親。まずは案内人を探すって言っただろう?」
一歩遅れて、直武と志乃がやって来る。二人が追い付いてから、紀定は芳親を解放した。
「案内人まで困らせてしまったら、遣わしてくれた兼久君も困らせてしまうよ」
「う……」
義兄の名前が出た途端、後ろを向かない仏頂面が気まずそうに歪む。兼久を困らせることは、芳親の本意ではなかった。
直武一行を無事に迎え入れるという名目で、兼久が寄越すと決められた迎え兼案内人なのだが。直武がより詳細に聞いたところ、橙路府現地の協力者が是非にと願い出た結果、決定されたことだという。
「しかし、それらしい方は見当たりませんねぇ、旦那」
「そうだね。一目で分かるくらいの特徴を持っていると言っていたから、簡単に見つかるとは思うけど」
きょろきょろと船着き場を探す志乃に合わせて、直武も一度、ぐるりと周囲を見回した。残る二人もそれぞれ探してみるが、目立つような人物は見当たらない。
「とりあえず、町の方へ行ってみようか。もしかしたら、もうどこかで待ってくれているかもしれないし」
「僭越ながら、直武様。手分けして探すことを提案いたします。一目見て分かるというのであれば、分散して探した方が早いかと思われますし……兼久様に迷惑を掛けられないという制限がある以上、芳親殿が勝手な行動をすることもないでしょう」
堂々と宣言された芳親は、不服やら苦渋やらが綯い交ぜになった顔で、紀定を見つめる。が、にこりと含みある微笑みを返された途端、顔を逸らしていた。
「手分けした方が良いのは、そうだね。ふむ……では、芳親と志乃君。君たち二人で行動させても大丈夫かどうかの確認も兼ねて、組んでもらおうかな。紀定は私とおいで」
決定に異は唱えられず、了承の返事が三つ揃う。見つからなかった場合の合流場所も即座に決められ、一行は早々に別方向へ別れていった。




