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友士灯―ともしび― 探求編  作者: 葉霜雁景
第三章 沢綿島
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想起

 長く伸びる哀愁の音色が、ゆっくりと降り積もっていく。二胡にこという異国の楽器の音色だと、何故か志乃は知っていた。否、思い出した。もう一人の育ての親から教えて貰ったと。


「……うーん……」


 横になっていた体をゆっくりともたげると、さほど長くない髪が流れ落ちた。

 志乃が寝ていたのは牀榻しょうとうで、垂らされている薄布の幕を開けば、異国の調度品が並べられた部屋が現れる。色彩はほとんど白黒だったが、黒檀こくたんの調度品がどれも美しい意匠をしているため、落ち着いておもむきのある雰囲気がかもし出されている。


 積雪の庭と同じ色合いをした部屋の中で、紺瑠璃こんるりを基調とした衣服の少女は浮いていた。

 幼い彼女が身にまとっているのも異国の衣服で、大袖に裳、飾りが吊るされた帯、腕には領巾ひれが絡められている。寝台のすぐ近くには、平たいくつそろえられていた。

 沓に足を滑りこませて下りると、鬱陶うっとうしいほどひらひら揺れる衣を気にすることなく、志乃は丸窓へと歩み寄った。微風と共に、二胡の音色が流れ込んでくる。


 開け放たれた窓外には、秘境の風景が広がっていた。武骨な岩山群、緩やかに流れるあおい川、生い茂る屈強な木々。雲とも霧とも言えるものが漂い、幽玄な雰囲気に拍車をかけている。

 山水画や水墨画といった絵画を元にして作ったと、教えて貰ったことも思い出した。

 つい見入ってしまうほどの絶景だが、少女の青白い目はすぐさま下を向く。回廊の屋根があるのを確かめると、躊躇ちゅうちょなく窓から小さな体を躍らせる。涼しい顔で着地すると、何事もなかったかのように回廊の中へ入って行った。

 聞こえてくる二胡の音が大きくなっている。演奏者はさほど遠くない場所にいるらしい。


「……三番の庭、ですかねぇ」


 呟いて、少女は歩を進める。ここには彩鱗国いろこのくに式と異国式、大小様々な庭があり、それぞれに番号が振られているのだ。三番の庭は異国風の庭で、大きい部類に入る庭だった。

 廊下を一人、衣服をなびかせて歩いていく少女の姿は、青い蝶のように可憐。ところが、宮殿と言っても差し支えないほど広いこの場所に、人影は全く見当たらない。彼女を見る者もまた、一人もいない。

 途中、奏でられていた旋律が終わり、静寂が訪れた。けれどそれは一時で、次は琵琶びわの音色が響き始める。彩鱗国の琵琶ではなく、二胡と故郷を同じくする琵琶の音色。

 はたしてその音色は、確かに三番の庭から流れて来ていた。演奏者は、澄んだ池に建つ東屋あずまやにいる。


「雷雅さん」


 歩み寄って名を呼ぶと、黄金こがねの双眸が開かれ、空虚な微笑によって細められる。志乃が返す笑みも空虚で、血が通っていない。作られた人形同士が向かい合っているかのように。

 志乃にとっては、この鬼こそ最初の手本で、参考だった。言葉遣いも、人称も。空虚の上に、愛想笑いを被せることも。楽器の弾き方を真似するように、自分の振る舞いにしていった。


「おはよう、志乃。今日寝かせた部屋はどうだった?」

「はて。よく見ておりませんでした。異国風の部屋であることを察したくらいです」

「えー。まあ、彩鱗国式も異国式も、全部似たようなものだからねぇ」


 言いながら、雷雅は琵琶を二胡の隣に下ろして膝を叩き、座るよう催促する。志乃は遠慮なくそこへ座った。

 志乃同様、異国の衣服を纏う雷雅は、ぞっとするほど艶麗な男だ。結い上げても座れば椅子に流れる濡れ羽色の髪、白皙の肌に優美なたたずまい。額からすらりと生えた二本の角と、わずかに覗く牙という鬼の特徴が無ければ、どこかの貴公子と間違われてもおかしくない容姿を持っている。

 爪の先まで綺麗な指で、さらさらと志乃の髪をきながら、美しい鬼は目を細めた。


「大きくなったねぇ、志乃。今、五つだっけー?」

「はい。もうすぐ年が明けますので、六つになりますが」


 この場所に季節は無い。現世の四季を告げてくれるのは、一番を振られた彩鱗国式の庭だけだ。それもまた雷雅から聞いたこと。宮殿の中央にある一番の庭には、現在、しんしんと雪が降り積もっている。


「そっかぁ。じゃあ、もうすぐお別れだねぇ」

「そうですね」


 双方とも笑顔を浮かべていながら、交わされる言葉は酷く淡々としている。二人のやり取りに微笑ましさはなく、代わりに薄気味悪さがあった。


「敬語と礼儀は染み付かせたから、現世でも大丈夫だよー。それに、君を預けるのは、妖雛の扱いに手慣れている人間だからねぇ」

「存じ上げております。俺はここでのことをすべて忘れて、その方に育てていただくと」

「ずっとここにいても良いんだけどねー、それじゃあ志乃のためにならないんだよー。あと、風晶に叱られるし」


 正反対の雰囲気を持つ鬼の名を挙げ、雷雅は大仰なため息をついた。


「ねぇ、志乃。箏弾かない? 彩鱗国の箏と異国の琴、どっちでもいいからさぁ」

「お望みならば弾かせていただきます」

「ありがとー。それじゃあ、楽器が置いてある部屋、どれか適当に行こっかぁ」


 雷雅は懐から紙を取り出して投げ、志乃を抱え上げて歩き出した。後ろからは、布面を付けた使用人に変わった紙人形が、楽器を持ってついてくる。どこからか、鈴に似た小さな音色も。


 さり、さり、さり。さり、しゃら、さり。


 志乃が見つけやすいようにと、雷雅が帯から下げている飾りが立てるものだった。玉がこすれる小さな音なのに、何故かはっきりと聞こえてくる不思議な音。


 ああ、だから――ぼんやり、志乃は思う。

 弦楽器ばかりだった音の中に、鈴の音が混じっていたのか、と。


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