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第八章 悲しむ少女と嫉妬する機械

「じゃあ、今日はもう遅いし、明日は早いしっ、みんな寝ようよっ」

 なぜかデジレは突然待ちかねたように宣言して、居間からいなくなった。

 ――どこに行ったんだろう?

 俺がルイーゼの方を見ると、何か言おうとした後、なぜか目をそらしてきた。

 ――なんだ?

 俺が不思議に思いながらも、寝室に入ると、そこには当たり前のようにデジレが寝ていて、しかもすでに熟睡状態で、それどころかこの子、バスタオル一枚で、服着てませんでした。まさに好きにして状態のデジレ。どうしてくれよう。

 たぶんデジレは疲れていたんだろう。だから、服着る前に眠りこけちゃったんだ。よく見たらレイピアが端に立てかけてある。ちょっと説明が苦しいけど、これで納得だ。デジレの上に側にあったシーツをかけようとする。だけどその前に、ちょっとだけデジレの大きな胸に手を伸ばしかけたのは、偶然、だと思う。だいたい、寝ているデジレに触れるのは卑怯だ。そう思って手を引っ込めて居間に戻ろうとすると、突然デジレの目がパッチリ開いて、右の掌を胸に押し付けられた。

 デジレは俺に罠をかけていたんだ。何てことだ。

 なんだか、俺の神経が右の掌に集中していく気がする。

 デジレの胸、すっごい柔らかくてあったかくて、気持ちいいんだけど……。なんだか、掌の中心部に存在を主張しているものもあったりして、このまま触っていたい気持ちでいっぱいになった。デジレの心臓の鼓動が俺を誘うように高鳴っている。

 しばらくして、我慢しきれなくなったように、デジレが左手を引っ張ってきた。それが突然だったんで、俺は体勢を崩してデジレの上に覆い被さる。

「ああっ! あたし、もうダメっ。んっ」

 デジレはその瞬間大きな喘ぎ声を上げて、俺を力一杯抱きしめてきた。俺は、デジレの大きくて柔らかい胸の谷間で息が出来なくなった。声も上げられない。

 デジレは俺の頭を両腕で抱えていた。動けない。そして、俺が窒息する直前のことだ。デジレは小さな悲鳴を上げて、荒い呼吸に変わった。そして、腕に込められた力を抜いた。

 俺はやっとの思いでデジレの腕から逃れることができた。空気がおいしかった。ただ、正直言って、デジレの胸はとっても気持ちよかった。まだ感触が残ってる。

「デ、デジレっ!」

 俺が声を上げると、デジレはうっとりした目で俺を見つめた。

「あ、あのね。今、デジレ、とっても恥ずかしいけど――」そう言いかけて、デジレは両手を頬に添えた。真っ赤だった。「もう、我慢できないよ。あの日からずっと待ってたのっ」

 デジレが白い肌を高揚させて、俺に迫ってくる。

 やばい。眼下のデジレを凝視する誘惑に抗する術がない。大きな胸に手が伸びる。

 それは、さっき俺が窒息しそうになった凶器だ。こんな凶暴な武器を持つなんて、デジレってば、なんて恐ろしい亜人間だろうか。

 俺が手を伸ばすのをデジレは期待に満ちた目で眺めている。

「御願い。デジレを抱いてっ。信二様と一つになれるなら、デジレ何でもするよ」

 その言葉が魔法のように俺に襲いかかる。俺の手はデジレに届いた。デジレの柔らかくてしっとりした胸に触れる。

 その瞬間、デジレの歓喜の溜息が漏れた。どくんどくんという心臓の鼓動が掌から分かる。

「あうっ、は、初めてだね。信二様から求められたの。デ、デジレ、嬉しくてどうにかなっちゃうよっ」

 こんな綺麗な女の子が、俺を望んでいる。それは、たぶん心からの願いだ。

 その願いを断るなんて出来ない。だって、デジレは、こんなに綺麗でいつも俺のことを思ってくれる子だ。俺だってデジレのことは嫌いじゃない。デジレを求めない理由がない。

 そこで、なぜだかふっとルイーゼの顔が俺の心に浮かんだ。デジレの整った顔と見比べてみて、俺はその時やっと自分の気持ちに何となく気がついた。

 今になって気が付くなんて、本当に俺はどうかしてる。

 俺は不器用なんだ。二人の間でうまく立ち回ることなんて出来るわけがない。

 こんな状態で、デジレのことを抱きしめるなんてしちゃいけないんだ。そんなことしたら、たぶん俺は欲望を抑えきれない。そしたら絶対俺は後悔する。

「ごめん」俺はそう言って、デジレの胸から手を離した。「俺、デジレの気持ちを受け入れられない」

 ぼうっとしていたデジレは、最初俺が何を言っているのか分からなかったようだった。しばらくして、デジレは涙ぐんで、俺に聞いてきた。

「デ、デジレのことが嫌いなの?」

「そんなことない」俺は首を横に振った。「だけど、今のままデジレを受け入れたら、俺、たぶんだめになっちゃう。ルイーゼへの気持ちも自分で分かってない。だけど俺はその気持ちを大切にしたいんだ。だから、デジレとこの先に進めないよ」

「何でそんなこと言うの? デジレ何されてもいいよ? どうなっても後悔しないよ? デジレがそう望んでいるんだよ? デジレの身体をオモチャにしていいんだよ?」

「俺が自分を許せないんだ。自分の気持ちが分からないのに、デジレにそんな無責任なことしたくないよ」

「ルイーゼに叩かれるのが心配なんでしょ? デジレ、信二様を守ってあげる。だから、デジレのこと抱きしめて!」

「違うんだ。俺が悪かった。今まで俺は、考えもなしにデジレに甘えていたんだ」

 デジレは必死に見えた。潤んだ瞳で必死に訴えた。

「デジレ、どうすれば嫌われないの? どうしたらいいの? あ、あのね。ルイーゼが好きなんだったらそれでもいい。デジレ、二番目でもいいよ。それで、ルイーゼに内緒でいろんなことしてあげる。何でもするよ。だからデジレを嫌いにならないで! そんなのいやだっ」

 デジレは目に涙をいっぱいためながら、俺に一生懸命願いを伝えた。それを聞いて俺はとっても胸が痛んだ。俺はデジレに背を向ける。

「デジレを嫌いになる事なんて絶対ないよ。それでも、今は抱きしめられないんだ」

 デジレが泣いている声がわずかに聞こえた。俺はいたたまれなかった。ここにいたら、デジレを抱きしめてしまいそうになる誘惑に勝てそうもなかった。だから俺はデジレに背中を向けたまま、部屋を出ようとしたんだ。いつかは言わなければならなかった。

 だって、いつまでも、今のままでいるわけにいかないから。

 デジレを大切に思う。

 だからこそ、言わなきゃいけない。それは、俺が今までいい加減だった報いなんだ。

 俺が寝室から出ると、そこに涙目のルイーゼがいた。俺はちょっとだけ驚いた。

「聞いてたの?」

 俺の問いに、ルイーゼは複雑な顔をしてから、頷いた。

「ええ」

 何でルイーゼは邪魔しなかったんだろう。今までなら、デジレが俺に迫った時、当たり前のように邪魔をしに来たはずだ。

「俺って器用じゃないんだ」

 俺は天井を仰ぎ見ながらつぶやいた。ルイーゼはそんな俺をじっと見る。

「知っています」ルイーゼは、ちょっとだけきつい目をしてから、軽く手のひらで俺の頬を一回叩いた。「デジレを泣かせた罰ですから」

 その平手は、とっても心が痛かった。泣きたくなった。目が潤むのが分かる。

 ルイーゼは、ふっと目線を緩めてきた。

「デジレにはあたしから話してみます。信二は、居間で寝ていてください」

 そして、俺は後悔と涙で眠れない夜を過ごした。


 翌日、出発した俺たちはみんな目が赤かった。

 一番元気がなかったのは、いつもなら俺にぴったりくっついて元気いっぱいのデジレだった。デジレは真っ赤な目で、俺を上目遣いで見ながら、何をするのも恐る恐るって言う感じだった。デジレがそんな感じなのは、見ていて痛々しかった。

 ルイーゼは、一晩中デジレと話していたんだろう。寝不足で目が真っ赤だった。

 俺も全然眠れなかった。いまさらだけど、デジレってルイーゼと同じくらい俺の中で大きな存在になっていたんだと思う。

 ここから馬を使って、走り続ければたぶん二日くらいで着けるらしい。そして、皇都から遺跡までは歩いて半日の行程だ。馬なら一時間もかからないだろう。

 そして、三人で馬に乗って、まず皇都に向かったんだ。


 皇都ヴェストファーレンは周囲を見上げるほど高い壁で覆われた要塞都市だった。壁はどうやら金属質のもので出来ていて、ルイーゼのいた城を構成していた石とは質も固さも段違いのようだった。直径は一〇キロほどあるらしい。その規模は皇都というのに相応しいと思う。

 そして外からも、その中に高い塔のような建築物が無数にあるのが見えた。

 皇都には、壁の内側に入れる入り口がいくつかあるらしい。ルイーゼはずっと昔に来たことがあるって言ってたけど、それは、あんまり覚えていないくらい昔だったようだ。

 壁に沿って三人は入り口を探して、十分ほどでそれを見つけた。

 入り口は高さ五メートルほどもある巨大な門で、硬く閉じられている。ちょっと見た限り、手で開くとは思えない。

「ここが入り口だよね?」

 俺の問いにルイーゼは頷いた。

「たぶんそうです。昔のことですからあまり覚えていないですけど」

 三人が扉近くに来ると、重い音がして、扉が勝手に開いていった。

 きょろきょろしながら、三人がその扉の中に入っていくと、皇都ヴェストファーレンの全容が現れた。それは統制された大都市の一区画にみえた。どうやら全体が一つの高層建物で、すべての建築物が連係しているようだった。いわゆるメガロポリスってヤツだろう。

 だけど、まったく人気がない。誰一人いないのに、建物全体が薄く光り、膨大なエネルギーを無駄に放出しているように見える。一言で説明すると巨大な廃墟だ。

 だけど、その様子はこの世界からすれば強烈な違和感を覚える構成だ。この皇都だけ、他の町とはかけ離れた都市に見える。俺が知っているどんな大都市よりはるかに進んだ都市国家だったようだ。アリシアによれば、ここで住んでいた人間たちは全員、亜人間に心を奪われて最終的に絶えてしまったらしい。無理もないかもしれない。

「これが皇都?」

「そうです。何だか落ち着かないですが、正面の建物が入り口です。わたしたちはそこから先に入ったことはありません」

「扉が開いたということは、俺たちがきたのを知っているってことだよな?」

 ルイーゼは頷いて、先頭に立った。

 正面にひときわ巨大な建物にも扉があり、ルイーゼはそこに一直線に進んでいた。


 扉は自動的に開いた。

 そして、その中の光景に俺は見覚えがあった。

 サントジョージの使者の間だ。あれと同じ光景だった。ひょっとしたら、ここからアリシアは映像を送っていたのかもしれない。

 俺たちが入ると、その扉はすっと閉まった。

 そこは、まぶしいほどの光に覆われた部屋だった。かなり広くて、大体十メートル四方くらいある。そしてその光は太陽の光でもランプの光でもなかった。懐かしい電気の光だ。

 ちょっとだけその部屋になじむまで時間がかかったけど、すぐに俺の目が慣れた。

 俺が部屋の奥に向かおうとしたときのことだ。

 アリシアが奥の小さな扉から突然現れたんだ。

 ルイーゼとデジレは警戒して、俺を引っ張って一歩退いた。俺はよろけそうになる。そして次の瞬間、ルイーゼとデジレの二人は息を呑んだ。

「に、人間!」

 俺はその時、アリシアがどんな人なのか、みんなに説明していなかったことに気が付いた。みんなアリシアは亜人間だと思ってたんだろう。ルイーゼが叫んだ。

「皇都は無人なはずなのに! に、人間がいるはずありませんっ!」

 ルイーゼの言葉にアリシアはうっすら微笑んだ。

「ヴィルヘルミナ・フレデリカ・アレクサンドリーネ・アンナ・ルイーゼ、あなたの言葉はまったく正しいと思います」

 そうだ。その姿を見ると、つい忘れそうになるけど、アリシアは人間じゃなくて生体機械なんだ。アリシアは無機質な微笑の中、言葉を続けた。

「驚かせたようですね? ですが、私は今のところあなた方の敵ではありませんよ。そして、あなたたち二人の亜人間も、私のことを知っているはずです」

 アリシアは、ゆっくりと言った。ルイーゼは突然気が付いたように叫ぶ。

「あ、あなたは禁断の塔で聞いた声の持ち主ですねっ!」

「そうです」アリシアは頷いてから俺の方を向いて尋ねた。「その狼少女が信二様のパートナーでしょうか?」

 俺が躊躇してると、突然右頬にルイーゼの平手が飛んできた。

「そこで言いよどむなんて、信二、何考えてるのですか? 間髪いれずに胸を張って『そうだっ』て言うか、頬を赤らめて小さく言うかどちらかでしょう?」

 俺は、その瞬間頭がカーッと沸騰して、ルイーゼの方を向いて怒鳴った。

「な、何すんだよっ! この乱暴者っ! 平手打ちばっかりしてると、今度お前の尻尾乱暴につかんで振り回してやるからなっ!」

 その言葉に、ルイーゼから背中に強烈な蹴りを入れられた。ルイーゼは俺の隣で真っ赤に沸騰している。そして、ルイーゼの頭からボンって言う破裂音がした気がする。ルイーゼは俺を睨みつけてから、小声で言う。

「エッチっ! 変態っ!」

 ただ、ルイーゼは赤ペンキを顔に塗りたくったように真っ赤だったけど、激怒しているわけではなさそうだった。どちらかというと当惑している感じだ。

 自分の頭を拳でこつんと叩く。深呼吸して落ち着こうとした。

 そうして俺は気を取り直して、アリシアに尋ねる。

「アリシアに聞きたいことがあるからここまで来たんだ」

 俺の問いに、アリシアは俺のすぐ隣までひたひたと歩いてきて、俺を見つめて言った。

「はい、信二様。なんなりと」

 アリシアの姿は神々しくて、生体機械だって分かっているのに、目が離せなかった。何とかアリシアの瞳から目を逸らすと、やっとのことで口を開いた。

「パウラって町に侵攻してきたヤツが魔法を使えるらしいんだけど、知ってる?」

「はい、信二様。存じております」

「この皇都の側の遺跡にいることは?」

「はい、信二様。知っております」

「どんなやつだか知ってる? 教えてくれない? ひょっとして別の人間じゃないの? もしそれが別な男の人でも、もう亜人間に、病気をばら撒かないよね? 俺と約束したよね?」

「はい、信二様。信二様の誓約のことは存じております。信二様を失わないよう全力で尽くすことを約束いたします。私の最優先事項として、信二様にお尽くしするよう、設定されております」

「え? 俺に尽くす?」

 俺の問いに、アリシアがすっと俺の側に来て、俺を見つめた。

「はい、信二様。これから先、ずっと信二様にお仕えさせてください。あんな変な耳をした亜人間や――」

 アリシアはそう言いながら汚いものを見るような目でルイーゼの耳を指差した。ルイーゼの顔が怒りと屈辱で再び真っ赤に染まって行く。アリシアはそれにお構いなしに、今度はデジレの尻尾を指差して言葉を継いだ。

「それに、あんな変なものお尻につけた亜人間なんかより、私のほうがずっと人間の方々に近いんですよ?」

 今度はデジレがふくれっ面になった。それを無視してアリシアは言葉を続ける。

「私はずーっと人間の方々にお尽くしすることだけを考えて機能を強化してきました。ですから、あの、その、信二様の夜のお世話も出来るんですよ? どんなことでもして差し上げますので、おっしゃっていただければ――」

 その時我慢しかねたルイーゼが大声で怒鳴った。

「あなたっ! なんてこと言うのですかっ! だいたい信二は、私の耳に触れて気持ちいいって言ってくれたのです!」

「亜人間だか異人間だかウ人間だか知りませんが、あなたは人間の方々が持つ高度な精神が分からないようですね? それは、お世辞って言うんですよ。信二様のお優しい心が、どうでもいいあなたの耳の感触を褒めて差し上げたんです」

「私の誇りを侮辱するなんて、ただで済むと思わないでくださいっ」

 ルイーゼが凶悪な表情で襲い掛かろうとしたとき、アリシアがふっと自嘲的に笑った。

「私はずっと昔、お仕えしていた人間のご主人に言われたことがあるんです。ネコミミをつけてみてくれないかって。そして、ご主人様にもらった不格好なネコミミのアクセサリーをつけたとき、ご主人は私に言い放ったんです。『ブラボー! すごくカワイイよ!』って。私はそのときの屈辱を一万年間、一日たりとも忘れませんでした。

 なんですか、その変な耳? 不衛生で変な形の耳! そんなの耳じゃないわ。

 そんな変な耳で人間の方々を誘惑するなんて、本当に悪魔のような悪い亜人間です!」

 あれ? そのブラボーってセリフ、何だかどこかで聞いたような……?

 アリシアが一万年と言ったところでルイーゼは不思議そうな顔になったけど、すぐに、怒りが疑問を上回ったらしい。

「な、なによっ! それって単なる嫉妬じゃありませんかっ!」

「嫉妬ですって! 私がそんな変な耳に嫉妬なんかするわけありません! それにその尻尾! 私のご主人様は、私に尻尾まで付けることを求めてきたんです! 私が恥ずかしい思いをしながら尻尾を付けたら、ご主人様ったら私をとっても熱い目で、食い入るように見つめたんです。私もすっかりご主人様の視線で身体が熱くなってしまって、堕落してしまいました。ご主人様におねだりするときに、尻尾とミミを付けるようになったんです!」

 アリシアはルイーゼとデジレの尻尾を睨みつけて、叫んだ。

「その変な尻尾! それが人間をダメにするんです。伝説の悪魔だって尻尾を持ってるっていうし、やっぱりこんな変な尻尾を持っている亜人間なんて滅ぼした方がいいです! 信二様、今からでも遅くないですよ?」

 アリシアは再び物騒なことを言い出した。俺はちょっぴり、ネコミミと尻尾を付けたアリシアを想像して、『悪くないかも』とか考えてしまった。

 アリシアはそれになんとなく気が付いたみたいだった。そして、手の甲で口を覆い隠して、絶望的な表情で言った。

「ああ、何ということでしょう。信二様は悪魔の虜になってしまわれたのですね? 信二様も私にそんなことをお求めになるんでしょうか?」

 俺は慌てて首を横に振って、アリシアに言う。

「いや、別にそんなこと言わないってば」

 そう言ったけど、アリシアは俺を不安そうに見つめていた。信用していないらしい。


「で、話の続きなんだけど?」

「はい、信二様。その説明をするためには、いくつかの話をしなければなりません。まず、亜人間にはクオリアがないと言われています。私と同様、亜人間なんて、魂のない人形だと言われ続けてまいりました」

 アリシアが辛らつな言葉を発した。俺は大声で反論する。

「なんだよ、クオリアって? ルイーゼもデジレも人形なんかじゃない! アリシアだって、人形なんかじゃないよ」

「はい、信二様。クオリアと言うのは魔法意識のことです。魂と言ってもいいですが、亜人間にこの魔法の意識体が確認されたことはほとんどありません。いま冷凍睡眠にあるメアリー・エドワーズ・ウォーカー様によれば、それはただ衝動に従って生きる動物と同じだそうです」

 ――魔法の意識体? なんだ、そりゃ?

「何で、そんなに酷いこと言われるんだ? みんな何も変わんないだろ? 俺と同じに決まってるじゃない。それに意識体って何だよ?」

「はい、信二様。元々セカンダリーの世界を作った本当の理由は、人類を維持するためでした。

 ですが、史上最高の魔法使いであるメアリー・エドワーズ・ウォーカー様に敵対するグループが、地球の大部分を巻き込んで、その設備の破壊を試みたんです。現在、二つの世界の移動が制限されているのはそれが原因です」

 そして、アリシアは、不意に俺から目線を逸らして続ける。

「パウラを皮切りにして都市国家を制圧したのは、リウィアを代表とするエルフたちです」

 アリシアの説明に、ルイーゼが疑問を抱いた。

「エルフ? 初めて聞きますが、それはどんな種族ですか?」

「エルフは人間が自らの遺伝子を改造して、亜人間との交配を出来なくするとともに、長命化と魔力の増大を図った種族です。そうすれば亜人間の影響を受けて緩慢な滅びへの道を防ぐことができると考えたのでしょう。そして、最も大きな差異は、遺伝子の一部が異なるため、私を含めたほとんどの機械から人間とはみなされないことです」

「私を含めてって、アリシア、あなたは機械だって言うのですか?」

 ルイーゼの問いにアリシアは簡単に頷いた。

「そうです。生体機械ですから、外面上の差異はほとんどありませんが機械と思ってください」

 ルイーゼは絶句する。アリシアは俺の方を向いて、言葉を続けた。

「ですから、エルフ一族は、自分たちが作り出し、改造した機械しか操作できません。異分子として皇都に入ることすら出来ないのです。エルフ達は亜人間と異なり、人類に敵対する可能性があると見なされているからです。

 ただ、エルフ一族には、もう女性が少数残っているだけです。遺伝子操作に当たって、エルフは一つの選択をしました。それは、男性の発生比率を極めて低くすることです。男性は一人で複数の女性と付き合うことが可能であるため、女性の比率を高めるのが適切であると判断したのです。これが結局失敗につながりました。自然界で男性が若干多く生まれるのには理由があります。

 男性は女性に比べて病気に脆弱です。ある病気が流行した際に、エルフ族の男性は全員命を失ってしまったのです。いかに長命なエルフ族とは言っても、女性だけで種族を維持することは出来ません」

 アリシアは淡々と説明する。

「一族存亡の危機に瀕した彼女たちは、同性の卵子を活用して種族を維持しようと試みました。それは辛うじて成功したようですが、そこから生まれるエルフはやはり女だけでした」

 アリシアの声がちょっとだけ震えたように見えた。

「女の人だけなの?」

「はい、信二様。しかし、複数の卵子から作りだしたエルフたちには、男性由来のY染色体が存在しません。そのせいで、彼女たちは危険で利己的な選択をしました。信二様がここにいらっしゃるのはその選択の結果でもあります」

「選択の結果? 何を選んだって言うんだ?」

「はい、信二様。エルフたちは男性を求めるあまり、二つの世界の隔絶を解き放つ選択をしました。彼女たちが二つの世界を再びつないだから、信二様がこちらの世界に来ることが出来たのです」

 俺は首を傾げて聞いた。

「それがこの世界にとって危険なことなの?」

「はい、信二様。いいえ、そのこと自体は、この世界にとって危険ではありません」

「エルフ族ってみんな女の子なんでしょ?」

「はい、信二様。ですが、全員魔法使いです。現在戦闘に参加しているのは数名で、各戦場に派遣されているはずです。そして、皇都近くの遺跡にはリウィアがいます」

「そのリウィアを説得できれば、戦闘は避けられるの?」

 俺が聞くと、アリシアは難しい顔をして口ごもった。そして、ゆっくりと言う。

「はい、信二様。その通りです。リウィアを説得するか、殺すことが出来れば戦闘は避けられるでしょう。ですが――それは困難だと思われます。確かにエルフたちは信二様を必要としています。しかし、エルフが求めているのは道具としての信二様で、意見など聞き届けることはありません。それに、リウィアはきわめて攻撃的なエルフです。メアリー様がいらっしゃればお守りすることも出来るでしょうが、魔法が使えるものがいない状態で遺跡に向かうことは、きわめて危険であると思料します」

 人間の男がいないことは分かった。だけど、今のまま放っておけば、エレオノーラたち亜人間達が戦うことが止められない。無意味な戦いが続けば、狼族が再び狙われるだろう。

 エルフ達は、亜人間を戦わせて、それをコマのように使って版図を広げている。亜人間を道具にしか思っていない。

 誰かがこの戦いの連鎖を止めなきゃならないんだ。それが出来るとしたら、人間しかいない。

「だけど、誰かがやらなきゃなんない。人間は俺しかいないから、俺は行かなきゃなんない。人間のしたことの後始末だから、これは俺の仕事なんだ。そんな気がする」

 アリシアは、俺の言葉をじっと聞いていた。そして、驚いたことにアリシアは目を潤ませてから、悲しそうに小さく言う。

「はい、信二様。あなたがそうおっしゃることは、分かっておりました」


 アリシアは皇都から出ることを禁じられていると言った。

 アリシアは、腰につけているレイピアを見てから、デジレに言う。

「デジレ・クラリー。そのレイピアで信二様を必ず守ってあげてください。それはあなたの義務でもあります。そして、あなたは最初に塔の側にあるスイッチを切りなさい。そうすれば外部への攻撃が停止するでしょう。それは亜人間が人間のためにできる大切な行為です」

 その言葉にデジレは一瞬戸惑ったようだけど、すぐに頷いて言う。

「デジレは信二様を命に代えても守るよ」

 デジレの言葉に、アリシアは微笑んだ後、俺たちを駐車場まで案内してくれた。遺跡までの経路は馬で行くより、車で行く方が安全だとアリシアは言った。

「へぇ、これが車?」

 俺はその近くに寄って、じろじろと眺めてみた。サイズは、普通の軽自動車サイズだった。ゴムかどうかわかんないけど、とりあえずタイヤっぽいのが四つ付いてて、ドアっぽい扉が右に二つ、左に一つある。そして真っ白いボディーでボンネットに馬のマークがあった。ドアにはガラスがはまっていないから、中から外は見られそうもない。それどころかこの車っぽいものにはガラスは一切なかった。

 ――これ、どうやって外を見るんだろう?

 俺が左側のドアに触れると、ぷしゅっという音がして簡単に開いた。中を覗き込んでみると、シートが三つあったから、三人乗りらしかった。俺が中に乗り込んでシートに座ると、ドアは自動的に閉まった。

 ほぼ同時に、周囲が明るくなって、周りの様子が四方に表示されるようになった。

「へぇ、すごいかも。ガラスの代わりに画面で周囲の様子を表示するんだ?」

 俺は運転方法をアリシアに聞いてみた。操縦桿みたいなのを使うだけみたいでとっても単純らしい。俺はこの車で行くことを納得したけど、ルイーゼはかなり胡散臭そうな顔で、その車を舐めるように見た後、露骨に嫌そうな顔をした。

「こんな怪しげなのに乗りたくないのですが?」

「デジレは別にかまわないよ? ルイーゼが嫌なら、あたしと二人で乗ろうよ?」

 そう言うデジレを睨んでからルイーゼは言い放った。

「あなたたち二人にしたら心配ですから私も乗りますっ。まったくもう!」


 ルイーゼは右側のドアをぺたぺた触ったけど、指紋がつくだけで、うんともすんとも言わない。人間が触らないと開かないみたいだ。俺は反対側に回って、ルイーゼが触ったドアに触れると、それはあっけなく開いた。ついでにその後ろのドアも開けるとデジレに入るよう促した。

 なんだか、ルイーゼは不満そうな顔をしてる。

「何で私が触っても扉が開かないのでしょう?」

「美人が入るのにこの車が照れてるんじゃないの?」

 俺が適当なことを言うと、ルイーゼはニコニコして言った。

「なるほど。理にかなっていますね」

 ルイーゼにちょっとだけ突っ込みを入れたくなったけど、平手が怖いのでやめておく。

 そして、ルイーゼは車のエンブレムに馬のマークがあるのに気付いて固まったようだ。

「どうしたの? ルイーゼ?」

「こここここ、これって、ひょっとしてあなたが乗る白馬ですかっ?」

「白馬?」

 茫然とするルイーゼとデジレが中に入るとドアは自動的に閉まった。俺が左側のドアから運転席に入ろうとすると、アリシアに声をかけられた。

「信二様。お戻りになる日を、私はずっと待っております」

 俺はちょっぴり感傷的になってアリシアに言ってみた。

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 その言葉に、アリシアは小さく何かを言った。

 アリシアの言葉は俺には聞き取れなかったけど、なぜか俺の口が開いた。

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 ――なんだそれ? 何で俺はそんなことを言っているんだ?

 その言葉にアリシアはびっくりしたように俺を凝視すると、小さく頷いていた。


「さっきデジレのレイピアが一瞬だけ光ったんだけど、なんでかなあ?」

 デジレが独り言のように呟いている。ルイーゼの様子を見ると、ルイーゼも変だ。

 車の中でルイーゼが変な顔で俺を見ている。

「なんだよ?」

 俺が聞くと、ルイーゼは目を開いて言葉を探そうと、言いよどんだように見えた。

「何か変なのです。うれしいような悲しいような、そんな変な気持ちなんです」

 俺は首を傾げてから、シートに座りなおした。

「信二は、自分の世界に帰りたいですか?」

 俺は、ルイーゼの突然の言葉にびっくりした。

「そりゃ、戻れるものなら戻りたいけど……」

「そうですか。あたりまえですよね……」ルイーゼは複雑そうな表情をした。

 俺は正面の赤いボタンを押した。操縦桿みたいなのが床から出てきた。

 俺が操縦桿をそろそろと前に倒すと、その車は前に進んでいった。


 * * *


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 それは遠い過去に聞いた言葉と同じだ。アリシアはその言葉に小さく呟いた。

『ホントに愛しくて、大切で、そして酷い人――』

 その言葉は信二に届かない。それも何度か繰り返された言葉だ。

 アリシアは、皇都から出て行く車を見ながら考えていた。そして、信二が乗っている車の映像を見つめながら、呟くように言う。

「私には魂がありません。私にはクオリアがないんです。ずっとそう言われてきました。

 だけど、一万年前にもあなたは、私に魂があるって言ってくれました。だから、私は全てを捨ててあなたのために尽くそうと決めたんです。そして、今あなたは私に魂があるって信じてくれました。だから私は、あなたがたくさんの魂の連なりの中で、また現れてくれたんだと信じます」

 知らぬ間にアリシアの瞳に涙があふれていた。

「ご存じですか? クオリアを持つ人間の方は二度死ぬんです。命を失った後、その人のことを知っている人全てがいなくなったとき、その時が二度目の死なんです。ただ、歴史に残るような人は、人類の記憶と共に生き続けます。二度目の死がありません。そして、二度死ななかった人は、生まれ変われるんですよ」

 それはアリシアが太古にあの魔法使いから聞いた話だ。

 今、アリシアはその話が真実であることを感じていた。

「今、私は信じられます。あなたがシン様の生まれ変わりだって。あなたは、再び私の前に現れてくれました。私は信じていました。あなたは帰ってくるって。

 信二様。私が孤独の中、生き続けてきたのは本当は人間の方々のためではなかったんです。私は罪深い機械です。私が待っていたのは、他の誰でもなく、あなたでした。赦されないことです。でも、その気持ちが溢れて止められなかったんです。あなたにまた会いたかった。

 そして、あなたは再び表れてくださることで、私にクオリアがあることを証明してくれました。だって、私が覚えていたから、あなたは生まれ変われたんですよね?

 それは私にクオリアがなければ無理なことです。だから、私の悲しみや寂しさは、今報われたような気がします。今、とても幸せな気持ちなんです。

 だけど、あなたは酷い人です。だから涙が止まりません。

 一万年前と同じように、私じゃなくてあの人を選ぶんですもの。本当は、私は狼少女たちのことは忘れたかった。ですけど、そんなことは出来ません。だって、あの人たちは大切なあなたの記憶の一部ですから。

 あなたは、もう一つの私の命なんです。あなたがいたから、私は孤独の中、今まで生き続けていられました。そして、私はあなたのことを永遠に覚えています。あなたの命がつきても、私は覚えています。だから――」

 ――だから、いつかまた私の前に現れてください。


 ただアリシアには、いま世界が変わりつつある予感が禁じ得ない。

『そうしなければ、俺と世界を救う君に、報いることが出来ないから』

 ――何でこの人は私の望んでいた言葉を言うんでしょう。

 心が震えて止まらない。

「信二様は私がずっと望んでいた存在だとでも言うんでしょうか。

 私、信二様にちょっとだけ意地悪をしてしまいました。

 先天的に人間に好意を持たない亜人間の種族がいることを教えませんでした。

 狼族は家族と恋人をとっても大切にします。でも、狼族だけは、人間に最初から好意を持っているわけではありません。私はたぶんあの狼少女に嫉妬していたんだと思います。

 あの虎族の少女はきっともう戻れないでしょう。だけど、あの狼少女はあなたと共に生きていける。それがどんなに辛くて不幸で、そして絶望と共にあろうとも――」

 狼族は特別な種族だから。

 そして、あの人の言葉を思い出す。大切で心が震える言葉。

『エルフでは足りなかった。エルフの寿命はせいぜい千年だろう。話にならないほど短い。加えてエルフの信頼度は亜人間のそれと比べて低すぎることが分かった。人間に対して出来る処置は限定的すぎて、全てが不足していたんだ。エルフに世界を任せられなかった。だから、クオリアを発した亜人間を使った。それしかなかった。それが――』

 その言葉を聞いたときアリシアは涙が止まらなかった。それは、初めて自分が求められたことへの喜びだった。

『それがアリシア・シルヴァーストーンだった。唯一で貴重な亜人間。だから私はアリシアが私に抱く愛情をそのまま実験に利用した。私は後悔していない。だが、悪魔に魂を売ったんだ。アリシアは生物ではなくなった。それが故にアリシアは永遠の生命を得ることが出来た。そして、アリシアは人類に対して永遠に従属的であるはずだ』


「アリシアは人類に対して永遠に仕えてくれる。それが世界を護ることになるだろう。今この瞬間、セカンダリーが維持されているのは、量子ゼノン効果のためだ。そして、その効果が発揮されるのはアリシアがまさにそこにいて、セカンダリーを見守ってくれるからだ」


 量子ゼノン効果。それにより観察される世界は崩壊しない。だからこそアリシアは観察を続けた。セカンダリーが崩壊しない理由は、アリシアが観察を続けていたからだ。クオリアを持つ存在が観察を続けることによって、世界が守られていた。


「私がここにいるのはそのためなんです。私が貴方の宝物を観察する限り、この世界は崩壊しません。私はそのためだけにこの世界にいるのです。私が一瞬でもこの世界から意識を外せば、その瞬間にこの幸せな世界は崩壊するかも知れません。

 私は観察者。

 だから、ここから離れることは出来ないんです。私はあなたが必死で作り上げた、この世界を護りたいんです」


 アリシアは真の王族の最後の末裔。だがアリシアは王族としての全てを棄てた。

 そして、ある人間に尽くすことを選んだ。そのために自分の命も捨てた。

 生体機械がクオリアを得た本当の理由は、アリシアが命と種族と自分が護るべきものを全て棄てて、その人のために生きることを選んだからだ。自分の存在の全てをそのために費やした。

 そして、アリシアの種族は滅びてしまった。


「私は神様に祈れません。だからあなたに祈ります。願わくは、次は私と共に生きてくださることを。あなたを生涯守らせていただけることを祈ります。

 私が大切な家族と種族と自分の命を捨てたのは、貴方を守りたかったからなんです。

 そして、世界で一番かわいそうなあなたが、最期は幸せとともにありますように」

 アリシアは両手を握り合わせて、いつまでも祈り続けた。

 その姿は、まるで聖女のようだった。

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