第七章 大事なものを隠さない少女
ヘンドリックが命令して、俺たちの旅の準備が整うまで、半時間かかった。準備が整ってすぐに俺たちはヴュルテンベルクに向かった。
猫系の遊撃隊や監視網には、デジレがうまく対応してくれたので、引っかからなかった。
そして、俺たちがたまに休憩しながらも、エレオノーラの支配する町、ヴュルテンベルクのそばにある湖畔に到着したのは、その翌々日の昼くらいのことだった。
つまり、俺たちが出発してから五日目だ。デジレによれば、ルイーゼの両親を拉致した遠征隊は絶対に帰るまで一週間以上かかるから、間違いなく先に着いているそうだ。
四人で相談した結果、まずヴュルテンベルクに潜入して状況を見た上で、町に戻ってくる遠征隊を到着直前で襲うことにした。到着直前なら、デジレが先遣隊より先に戻れたことも何とか説明が付くし、油断もすると思う。
むしろ問題は、町に潜入する方法だった。ヴュルテンベルクは、サントジョージと違って塀で囲まれていないから、町そのものには気が付かれないで入りやすいようだ。だけど、デジレを除く三人が町中を歩くと、かなり目立つに違いない。
そこでデジレが一計を案じた。デジレが先に町に入って、ネコミミの着いた帽子を持ってくる。それを三人がかぶるって言う寸法だ。それから、猫系の亜人間がよくつける香水と、服も用意してもらうんだ。
デジレが戻ってきたのは、それからちょっとしてからのことだった。
俺はデジレの手からネコミミの帽子をとって深めにかぶってみた。デジレは、俺を見て何だかとっても感激したようで、いろんな角度から俺とネコミミ帽子を眺めて何度も頷いてた。
ただ、ルイーゼは、ネコミミをつけるのがすごい屈辱的だったようだ。なんだかぶつぶつ言いながら、耳の位置を微妙に調整していた。ネコミミの位置にポリシーがあるらしい。
猫系の種族は、帽子をかぶるときに、自分のネコミミを覆う形の帽子をかぶるのが流行なんだって。耳の形が悪い人は、帽子に付けたネコミミパッドを使って、耳の形を矯正するんだそうだ。ルイーゼはひたすらそのパッドの位置を調整してた。エルンストはいつもの仏頂面で、大きめのネコミミ帽子をかぶっている。
そして、みんなでデジレが持ってきた服装に着替えることにした。ルイーゼが着替える間、俺とエルンストはちょっと離れた場所で待ってた。エルンストはその間とってもそわそわしていて、ちょっぴり笑いたくなった。
そして、最後に、全員で猫が好む匂いの香水を振り掛けて完成だ。
だけど、本当にこれで大丈夫なんだろうか?
何か忘れているような気がして、すっごい心配だ。
俺とルイーゼが何度も念押ししたけど、デジレは自信満々に『大丈夫』って言い切った。
デジレは、まるで恋人のように俺の腕を取って、意気揚々とエレオノーラの支配するヴュルテンベルクに入っていった。ルイーゼはちょっと離れた場所で、相変わらずネコミミの位置が不満らしく、位置を調整しながら、俺とデジレを追いかけてきた。
ヴュルテンベルクは、塀に囲まれていないだけでなく、あちこちに河川があり、川を渡る橋が町のトレードマークらしい。サントジョージのように整備された城下町ではなく、地方都市のように、いかにも自然発生的で、町の中と外が明確に分かれていない。
そして、ちょっと歩いて分かったけど、このヴュルテンベルクは風光明媚で、観光都市と言ってもいいくらいに思えた。
これなら、見つからないかもしれない。
俺は最初は警戒しながら歩いたけど、すぐに大丈夫そうだと思い直した。
そして、ヴュルテンベルクの衛兵に俺たちが捕まったのは、その十分後のことだった。
「だから、ばれるって言ったではありませんかっ!」
ルイーゼは、デジレに小声で食って掛かってた。無理もない。町の衛兵は開口一番、ルイーゼとエルンストをじろりと見て「何で犬系がここにいるんだ?」って聞いてきた。ばればれだったらしい。不思議なことに俺の方はばれなかった。
しかし、デジレはここで取って置きの技を出していた。
デジレは、その衛兵の前にすっと立つと、厳しい顔でこう言ったんだ。
「あたしは虎族のベルナルディーヌ・ウジェニー・デジレ・クラリー。捜索隊の指揮官よ。あたしはウルリカ・エレオノーラ様からじきじきに依頼された極秘の任務で、この子を連れているの。あなたは通常任務に戻りなさい」
その衛兵はびっくりして、デジレをじろじろ見てた。
そして、確かに虎族のデジレであることを確認すると、慌てて「申し訳ありませんでしたっ」と敬礼して、足早に立ち去っていったんだ。
初めてデジレの力の一端を見た気がする。
「デジレ。助かったよっ」と俺がデジレに言うと、デジレは今までのきりっとした顔からふにゃっとした顔になって、俺の腕を取った。
「デジレを褒めてくれる?」
俺が頷いて、頭とネコミミをなでると、とろけるような顔になっていく。尻尾を立てて震わせていた。ルイーゼはなんだか不服そうな顔をしている。
「あの、早く移動しませんか? 注意を引きたくないのですが?」
俺は頷いて、デジレから手を離した。しばらく名残惜しそうに俺を見ていたけど、デジレは何か思いついたようだ。
「じゃあ、一度あたしの家に行こうよ」
デジレの家? それは結構いい考えかもしれない。少なくとも、そこに行けば周囲の人の注意を引くことはないはずだ。
俺とルイーゼは頷いて、デジレの家に行くことにした。
デジレの家は、町の中心部に近い場所で、そこから町の様子が一望できそうだった。デジレの家はそれぞれ六畳くらいの客間が二つに、寝室と、それから続きの居間と台所があって、いわゆる三LDKらしい。この家にデジレは一人で住んでいるんだそうだ。猫系の人は独り立ちするのが早いってデジレが言ってた。
この町の家は、どうやら漆喰で出来ているらしくて、俺にとって馴染みやすい家だった。床は板張りで、廊下にはリースのようなものが飾られていた。サントジョージのレンガ造りの家より、俺にとっては落ち着く感じだ。デジレは俺たちを居間まで案内してくれた。居間は二〇畳くらいあってかなり広かった。
居間には応接セットがでんと置かれていて、柔らかそうなソファーもあった。いかにも高そうな調度品も置かれている。どう見ても女の子が住む家って言う感じじゃなかった。たぶん、親から受け継いだんだろう。
俺は、とりあえずソファーに体を預けると、ネコミミの帽子をテーブルに置いて、ちょっとだけ休憩することにした。デジレは俺に体をぴったり寄り添わせてきた。ルイーゼは呆れたようにそれを見て、その反対側に座った。
「思ったより簡単に私たちが犬系だってわかってしまいましたね?」
ルイーゼの言葉に俺は同意した。
「何でだろう? 俺の方は気が付かれなかったのにね」
デジレはちょっとだけ体を起こして、ルイーゼをじっと見てから言った。
「ほんの少し犬系の香りがするからかなあ?」
そう言われたルイーゼは飛び起きて、自分の匂いをかぎ始めた。
「匂いなんてしないですっ!」ルイーゼは憮然とした顔で言った。
「自分の匂いが分かるわけないよ」
その言葉を契機にデジレとルイーゼが口論を始めた。
その時俺はふと気がついてルイーゼに聞いてみた。
「あのさ、ひょっとしてルイーゼってば、尻尾を隠してなかったからじゃないの?」
「あ!」ルイーゼが叫ぶ。今まで気付かなかったらしい。
――これって、頭隠して尻尾隠さずってやつじゃないの?
俺はすっごいばかばかしくなった。早々に席をはずそうと思って、「お手洗いはどこ?」ってデジレに聞く。デジレに場所を教えてもらって、俺はトイレに行った。
この世界のトイレは、普通の洋式のトイレとそんなに違わなかった。だから、使い方も特別迷うことなんてなかった。用を足した後、手を洗って戻るとき、居間の方から甲高い金属音が何度か鳴り響いてきた。俺はそれに気付いたけど、何かあったのかなあとのんびりと考えていた。そして、居間に戻ったとき、血塗れになったエルンストと、俺が知らない女の人が一人増えてた。俺がビックリして大声を上げる。
「エ、エルンスト! どうしたの?」
ルイーゼも真っ青になって、剣に手をかけていた。エルンストは剣を構えて、はあはあ息を切らせながらルイーゼを守るように前に立っている。
その前に悠然と立っているネコミミの女の人がいた。その人は毅然とデジレを非難した。
「デジレ・クラリー? この犬系は何なんですか? それに、突然私に襲い掛かるなんて、失礼でしょう?」
「俺はお前のことを知ってるぞ! この殺戮猫め! 許さんっ!」
エルンストは叫んで、その女性に飛びかかった。だが、簡単にその人は剣を振って、飛び込んでくるエルンストの剣を振り払う。キンという耳が痛くなる音と共に、エルンストの剣が俺の前を横切って、壁に突き刺さった。そして、剣を失ったエルンストにその女の人が襲いかかる。避けようとするエルンストの腿が切り裂かれた。エルンストはどっと倒れ込む。その女性は、とどめの一撃を加えようと剣を振り上げた。
――なんで? 何でいきなりこんなことになってるんだよっ!
あまりのことに、絶句するより早く身体が動いていた。俺は部屋に飛び込んで叫んだ。
「待ってくれ!」
その言葉に、その女の人はぎょっとしたように俺を見た。一瞬だけ剣を俺に向けたけど、何か様子がおかしい。
デジレは、俺を庇うように身を投げ出してくる。だけどその必要はなかったようだ。
その女の人は、「はい。分かりました」と言って、突然剣を収めた。
そして、ボーっと立ち尽くしていた。
エルンストは腰と腿に怪我をして出血していたけど、命には別状なかった。
ただ、しばらく歩くのは大変だろう。
ルイーゼが手当てをしてあげた後、客間に寝かせようとしたら、なおもルイーゼを警護しようとしたエルンストが抵抗して一騒動あった。だけど、なんとか納得してもらった。
エルンストを切った女の人はデジレよりちょっと背が高かった。腰くらいまでの長髪で、ちょっぴりアリシアに雰囲気が似ている。ただ髪は赤みを帯びた金色だ。
デジレよりかなり布の多い服装をしていたので、スタイルはわかりにくかったけど、間違いなく大人の女って言う感じだ。いろんなアクセサリーを身につけててよく似合ってた。そして、デジレとかルイーゼに負けないくらい綺麗な人だった。アリシアは超然とした美しさだけど、この人は何だかしっとりした雰囲気で、年は、たぶんルイーゼよりかなり上に見える。
ルイーゼが確か一四歳とか言ってたから、この人は二〇代くらいかなあ。
「この人は?」
俺がルイーゼに聞くと、デジレが「知り合いが来たの」と答えた。
俺は、その人の方を向いてから頭を下げる。
「俺は水川信二って言います。デジレと一緒に旅してきました。あなたは?」
その女の人は、ぼーっとした感じで答えた。
「私はウルリカ・エレオノーラと言います。この町の指導者をやっています」
そこで突然俺は気がついた。
――俺、ネコミミの帽子かぶってないっ! まずいよ。人間だってばれちゃう。
そして、別なことにもやっと気付いた。
――ん? ちょっと待って。今この人なんて言った? エレオノーラって言わなかった?
「エ、エレオノーラ?」
その人は軽く頷いて、俺のほうに何歩か寄って来た。
「私、なんだかとっても変な気分なんですけど、どうしてでしょう?」
「あっ!」俺は、突然ヴィレムから聞いたフレーメン反応のことを思い出して、後ろに退いた。「デジレ、エレオノーラが俺に近寄らないように押さえていてくれる?」
デジレは「うん」って言って立ち上がると、俺とエレオノーラの間に立った。
「信二様はあたしのものだから、ちょっとだけ離れていてほしいのです」
デジレの言葉に、俺とルイーゼがほぼ同時に叫んだ。
「なっ、何言ってるんですかっ」
「なっ、何言っているんだよっ」
とりあえず四人は、俺が部屋の一番奥に座って、その隣にルイーゼが、俺の向かい側にデジレ、その隣にエレオノーラという席次で確定した。
エレオノーラは、俺が気になるみたいで、俺のほうを熱い目つきでちらちら見ている。
「それで、この狼族は何でここにいるの?」
エレオノーラが、何とか視線を俺からはずして、ルイーゼを見ながら聞いてきた。
「それは……」とデジレが口ごもる。
俺は、ルイーゼとデジレを見つめてから、エレオノーラに宣言した。
「俺がデジレに頼んだんです」
エレオノーラは、ちょっとだけ俺を見ないように努力してたみたい。でもその抵抗は無意味だったようだ。一度、俺に視線を合わせたら、もう目をそらさなくなっていた。
「なぜです? 信二さん。あなたは人間ですね? なぜ、デジレ・クラリーにそんなことをお願いしたんですか?」
俺から目線をはずさずに、エレオノーラが尋ねてきた。まばたきするのも惜しいって言う感じで、じっと見つめている。デジレがいつも俺を見るときと同じ、例の火がつきそうな熱い目線だ。
「あなたは狼族を捕まえようとしていたでしょ?」
俺の問いにエレオノーラは頷いた。
「猫系と犬系は敵対しています。いま猫系の人々が集結しなければなりません。狼族はその障害なんです。今猫系が統一しないと、大変なことになるんです。犬系に邪魔されたくはないから仕方がないんです」
そこまで言ってから、エレオノーラは納得できないという顔で続けた。
「ああ、なぜ私はこんな機密情報を、それも狼族がいる場で言っているのかしら? でも、どうしてでしょう。信二さんの前で隠し事なんて出来ないような気がするんです」
フレーメン反応は二メートルくらい離れた状態でも、かなり効果があるみたいだ。デジレほど極端じゃないみたいだけど、エレオノーラにもかなり影響しているみたい。エレオノーラに触ったりしたら、大変なことになりそうだ。
「大変なことって何ですか?」
ルイーゼが不機嫌そうに聞いた。俺は一瞬心を読まれたかと思ってビックリした。
エレオノーラは、それを聞いてちょっとだけ正気に戻ったようだ。
「そんなこと狼族の前で言える筈が……」
そこで、俺とエレオノーラの目線が合った。視線がねっとりした感触に変わる。潤んだ瞳と唇がもはや抵抗できないことを物語っていた。エレオノーラは俺の方を見続けて、熱病にかかったように熱く話し出した。
「皇都ヴェストファーレン近くのパウラに新しい国が出現しています。この王国は種族などと無関係に出来たようなんです。だから、軍隊は猫系と犬系の両方が混在しているようです」
「新しい国?」
俺が聞き返すと、エレオノーラがこくりと頷いた。
「はい。しかも、その兵士には魔法が使える者が含まれているようなんです。魔法が使える種族はいないわけではありませんが、無視していいほどの数のはずでした。だから人間だって言う噂さえあります。去年からその兆候はあったんですけど、今年になってその勢力がかなり大きくなってきました。早く猫系でこの地区を意思統一しないと、この地区はその波に飲み込まれてしまいます。だから早く犬系を掌握するために、狼族を捕まえなければいけないんです。
この町は塀に囲まれていませんから、もし攻撃されたらたくさんの市民が死んでしまうでしょう。だから、こちらから攻撃しなければならないんです。狼族が捕まれば、犬系のほかの都市も協力するようになるでしょう。だから絶対に捕まえなければならないんです」
ルイーゼを見たら、エレオノーラを睨んだまま、なんか考えているみたいだった。
俺は、アリシアの件と関係がありそうな気がして、とっても嫌な予感がしていた。
エレオノーラは、居間の椅子に深く腰を下ろすと、俺とルイーゼに向かって話し出した。
「パウラにある王国には代表とか権力者なんて一人もいないようです。一年位前からだと思います。軍勢が突然やってきて、パウラはあっという間に占拠されたと聞きました。そしてすぐに開放が宣告されたそうです。私が聴取した兵士は、その場に居合わせませんでした。ただ、魔法使いも居たのは確かです。魔法使いは、いつも選ばれた護衛達の側にいて、兵士の側には絶対に来ないそうです。
パウラの元からいた時の権力者たちは全員殺されたようです。もともとパウラは猫系の町で、付き合いもあったのですが、大量の犬系と混在することを強要されてからは、まったく様子がわかりません。版図に組み入れられた他の町でも同様のようです。パウラからもたくさんの猫系が連れ去られて、別な犬系の町に強制的に引越しさせられたようです」
「何でそんなのに従ってるのですか? 軍隊はいないのですよね?」
ルイーゼの問いにエレオノーラは肩をすくめた。
「軍隊がいないのは、いつもあちこちの町に遠征しているからです。健康な若い男は、みんな軍隊に持っていかれるようです。抵抗しようにも若い男がいないんじゃ話にならないでしょう。そもそも犬系と猫系が協力するわけもありません。そのために敵対関係のある犬系と猫系を一緒にしているんだろうと思います。それに戦場では、酷い扱いをされているようです」
「国王はこの街全体をどこかから監視しているようです。王令に反する行動は、天から飛んでくる魔法攻撃で、問答無用に死罪になるんです。年齢性別を問わずに。冷酷でしょう?」
「国王って何者なんだ?」
俺の質問に、注意深くエレオノーラは答えた。
「私は知りません。たぶん誰も会ったことないと思います。国王は皇都ヴェストファーレン近くにある遺跡にこもっているって言ううわさです。だから、ほとんど見たことのあるものはいないと思いますよ」
「ホントにその人って国王なの?」
俺の問いにエレオノーラは虚を突かれたようだった。
「私たちは国王と呼んでいますが、確かに本人は国王と自称してないかもしれません」
ルイーゼはふうんって言った後、エレオノーラをじろっと見て聞いた。
「それで、そのどこが圧政っていう話につながるのですか? 国王が命令するなんて当たり前のことでしょう?」
「まっとうな命令だったらそうでしょうね。だけど、年が一六を超えた男は全員徴兵されて、そして、必ず最前線に送られ、ほとんど戻ってこないんですよ? だから、パウラには女ばかりで、しかも、若い男は取り合いです。国王は魔法で監視しているし、毎日が不安なのは無理ないでしょう? 一〇歳そこそこの少女が、殺される場面が何度も報告されています。何で殺されたと思いますか?」
エレオノーラは押さえた口調で尋ねてきた。俺とルイーゼが首を横に振ると、言葉を継いだ。
「広場で魔法使いに関する冗談を言ったからです」
「それだけで?」
ルイーゼの問いにエレオノーラはゆっくりと頷いた。
「その国王に会う手段ってあるのかな?」
俺の言葉に、エレオノーラはびっくりしたように言った。
「そんな方法あるわけないでしょう? いつも遺跡にいるって話だし、国王以外は遺跡に入れないって聞きました。それに会ったとしても、殺されるかもしれません。触らぬ尻尾にたたりなしって言うでしょう?」
――尻尾がたたるのか? 何だそりゃ?
「ひょっとして国王って人間なのかな?」
俺の言葉にルイーゼが声を上げた。
「人間が国王? まさか! 人間なんてこの世界に……」
そう言いながら、ルイーゼは俺をじろじろ見た。俺が人間なのを思い出したらしい。
「何でそう思うのですか? 魔法使いがいるから?」
「サントジョージで、俺が皇都の使者にあったのは知ってるよね?」
ルイーゼとデジレが頷くのを見て続ける。
「使者はアリシアって言う名前だった。アリシアは人間を起こそうとしていた。そのために俺が皇都に来ることを望んでいたんだ。その人間は女の人で、男の人間が表れるのをずっと寝たまま待っているらしいんだ」
「へぇ、で、あなたは、その人間の女の子に会いに行くわけですか?」
ルイーゼが凶暴な目つきで俺をにらみつけてきた。俺は手を振って言う。
「アリシアは、その子を起こさないことを納得してくれたよ。その子を起こしたら、この世界から亜人間を滅ぼすことになるから」
ルイーゼはビックリして俺の説明を求めた。俺はゆっくりとアリシアが病原体をばら撒こうとしていたことを説明した。全員が絶句している。
「だけど、ひょっとして、別な人間の男がいたら、俺がアリシアを説得しても意味がなかったことになるでしょ? アリシアは何か知っているかもしれない。だから、皇都に行って話を聞いてみようと思うんだ」
俺の言葉に、ルイーゼは突然気がついたように叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 何でそうなるのですか? 信二っ、あなたは一体どうやってそのアリシアって言う使者を説得したのですか?」
「簡単さ。もし、亜人間を滅ぼそうとするなら、俺も死ぬって脅したんだ。この世界にいる人間の男は俺だけらしい。もし俺が死ぬなら、その女の子を起こすなんて、意味がなくなるでしょ? その子が起きるときに亜人間を滅ぼすことを求めているんだから、みんなを護れるよ」
俺の言葉にルイーゼは衝撃を受けたらしい。
「なななななな、なんてことを言ったんですかっ! 皇都の使者に対してそんな誓約をすることの意味、あなたはわかってないのではありませんか?」
「いいさ。別に本気だから。そんな無差別な殺人、許せないよ。そんなのを見るくらいなら……、俺が――」
俺の言葉に、ルイーゼは平手をかまそうとして、辛うじて思いとどまったようだ。
そして、ルイーゼの瞳は涙でいっぱいだった。
だけど俺は、ルイーゼとデジレと、そしてこの世界を守りたかったんだ。
そのために俺は――。
俺は全員の前で宣言した。
「俺は、ホントに人間がいるかを確認しなきゃなんないよ。だって――この世界は、もう亜人間のものだからさ。人間なんて、この世界じゃあ滅び去った過去の存在なんだよ」
俺の言葉に、デジレが涙をたたえて口を開く。
「そんなこと言わないでっ。信二様は過去の存在なんかじゃないの。デジレが愛する信二様は今もここにいるの」
「違うんだ。デジレ。デジレの気持ちは作られたものなんだ。デジレが幸せなのは、そうなるように作られていたんだよ。アリシアはそう言っていた。デジレのその気持ちは偽物なんだ」
「信二様、何でそんな酷いこと言うの? デジレは本気で信二様が大好きなんだよ? 信二様のこと、デジレはとってもとっても大切に思っているよ。絶対嘘じゃないもん」
デジレは必死に訴えかけた。俺が首を横に振る前に、頬を一発張られた。ルイーゼだ。
「あなた、まさかわたしにも同じことを言うつもりはありませんよね?」
ルイーゼは俺を睨みつけて続けた。
「あなたは、デジレを侮辱していますっ。確かに、デジレはあなたに触れるとふにゃふにゃになるかもしれません。ですがデジレは本気であなたのことを好きなのも事実です。私には分かります。あなたはそれを認めないのですか? そんなこともわからないのですか?」
俺ははっとして、デジレを見つめた。デジレの瞳から涙があふれている。デジレは必死に自分の気持ちが嘘じゃないことを示そうとして、言葉を探しているようだった。だけど、言うべき言葉が見つからなくて、おろおろするばかりのようだった。
そして俺はデジレに罪を犯したことを知ったんだ。平手はその報いだ。
俺はデジレに向いて、頭を下げた。
「ご、ごめん。俺、変なこと言っちゃった。謝るよ」
デジレは、俺の言葉に不安そうだけど、ほんの少し安心した顔を見せた。
――俺はやっぱりバカだ。
心の底から俺はそう思った。
後数日で、デジレの部下達が到着する。たぶんエレオノーラを懐柔して、ルイーゼの家族を助けることは出来るだろう。でも、そんなことをしたら、この町の市民と、猫系の人たちを守るべきエレオノーラを犠牲にすることになる。
それに、相手に魔法使い、場合によっては人間がいるかもしれないというのも心配だ。だって、もしその人間が男だったら、とってもまずいことになるだろう。アリシアを押さえきれなくなることが明白だ。
「俺、皇都に行って情報を得てから、相手の国王に会ってみようと思う。俺は人間だから、少なくともすぐに殺されたりはしないだろうから。それで、もし可能なようだったら、相手の代表者に話してきて、戦いを避けるようにお願いしてみる。会ってくれないかも知れないけど、やってみる価値はあると思う」
「デジレは信二様に従います。どこでも一緒に行くよ」
デジレは即答だった。
ルイーゼはちょっとだけ考えてから、エレオノーラをきっと睨んで聞いた。
「その国王が皇都近くの遺跡にこもっているって言うのは確実なのですか?」
「噂話だから、確実かって言われると困るわね。ただ、間違いないと思うわ」
「でしたら、パウラを無視して皇都に向かうのが一番適切でしょう。私も信二に同意します」
俺はエレオノーラの方を向いて言葉を続けた。
「それから、俺が帰ってくるまで、狼族のみんなをお客様として扱ってもらいたいんだ。その国で、犬系と猫系が仲良くする方法を教えてもらえるかもしれないし、そもそも戦いをしないで済むのなら、狼族を捕まえなくていいよね?」
「危険ですっ」
そう言ったのはルイーゼでもデジレでもなかった。エレオノーラだ。
エレオノーラは、大げさに首を横に振って言った。
「だから、それはだめです。もしどうしてもそうしたいのなら、一つだけ私のお願いを聞いてください。その後なら考えて見ます」
「お願いって何?」
「私があなたの子供を授かってからですっ」
俺は絶句した。
――何言ってんだ、この人? こりゃ、爆発する人が絶対――。
デジレは恨めしそうにエレオノーラを睨んでいた。
そして、ルイーゼは予想通り爆発して叫んでる。
「なっ、何言ってるのですかっ、ここここここここここの泥棒猫っ!」
ルイーゼは俺の腕をつかんで大声で言った。
「し、信二はっ、私が好きなのですっ。私の尻尾を何度も掴んだのですからっ。だから、信二は貴女などと、エ、エッチなことなんて絶対しませんからっ!」
「あら、でも、信二さんは男の人でしょ? 女の人が何人いても、全員身篭らせることが出来るじゃない? 取り合いになんてならないわ? 譲り合いの精神が大事よ?」
エレオノーラはとんでもないことを言ってきた。
――猫系って、ひょっとして、一夫多妻オッケーなの? 正直ちょっと魅力的だ。
そんな馬鹿を考えていると、ルイーゼは俺の考えが分かったらしい。当然のように平手がやってきた。そして、それは当然のようによけられるはずもない。『ぱちーん!』
当然のようにいい音がして、左の頬が当然のようにいい感じに赤くなった。
「信二っ! あなた、いまとんでもないこと考えていたでしょうっ?」
「ま、まさかっ」と言ってから俺はルイーゼの尻尾を凝視した。
「俺は、ルイーゼのことを考えてたんだよ」
嘘じゃない。ただ、正確に言えばこうだ。
『俺は、ルイーゼの尻尾を見て状況を考えてました』
ルイーゼの尻尾は横に振られていない。なんだか地面にまっすぐ突き刺さってる。
――警戒? やばい。はずしたかも!
「どこ見てるのですかっ?」
「俺はいつもルイーゼのことを見てるよ」
嘘じゃない。ただ、これも正確に言えばこうだ。
『俺はいつも、状況判断のためにルイーゼの尻尾を見てます』
ルイーゼは、俺の言葉を聞いて真っ赤になった。尻尾も何回か横に振られた。
よかった。さすが俺様だ。その場しのぎの言動で右に出るものなどいない。
ちょっとだけ安心だ。ただ、どんどん俺はだめな人間になっている気がする。
「ほら、聞きましたか? 信二は私のものですから、変なちょっかいを出さないでください!」
ルイーゼは勝ち誇ったように宣言する。
――デジレといいルイーゼといい、いつから俺は誰かの所有物になったんだろう?
エレオノーラはちょっとだけ怯んだけど、すぐに言い返した。
「信二さんはあなた一人だけのものじゃないわ。別にとって食べるわけじゃないから安心なさい。ほんの数日、私と夜を過ごすのを認めるだけよ? 信二さんには、とろけるような日々を約束するわ」
そう言ってから、エレオノーラはそっと付け加えた。
「でも、信二さんが私に夢中になっちゃったらごめんなさいね?」
それを聞いてルイーゼは怒りが頂点に達したらしい。
「あったまきたっ!」ルイーゼがお姫様らしからぬ口調で声を上げた。
「この雌猫、わたし絶対許しませんっ! あなたに信二を賭けた試合を要求しますっ! 信二はわたしだけのものです。それをはっきりさせておく必要がありますっ!」
ルイーゼはバスタードソードを手にすると、とんでもないことを言い出した。すると、デジレが俺の隣に来て、俺の服の袖を引っ張る。
「やめさせたほうがいいよ。エレオノーラ様はすっごい剣の使い手だから。ルイーゼが強いのは分かるけど、まだ相手にならないと思うよ」
「そんなに強いの?」
俺が聞くと、デジレは頷いた。
「デジレはエレオノーラ様の師範だから分かるの」
師範だって? デジレより、エレオノーラの方が年上に見えるけど、ホントに?
「デジレはどのくらい強いの?」
「ヴュルテンベルクの剣士の中で、男の人を含めて、デジレは誰にも負けたことないよ。一対一なら誰にも負けない。八歳から大人の男にだって負けたことないもん」
「八歳から? 本当に?」
それが本当だとしたら、信じられないほどの天才と言うことになる。師範であってもおかしくない。俺はデジレの説明に納得すると、ルイーゼを止めに入った。
「ちょっと、ルイーゼ、落ち着いてくれよ」
俺はルイーゼとエレオノーラの間に割り込む。ルイーゼは興奮してて、手がつけられそうもない。エレオノーラといえば……。
――しまった! 止めるときに触っちゃった。
エレオノーラは俺が間に入って、手のひらが肩に触れた瞬間、ビクッとした後、とろんとした顔に変わった。やばいかも。
「あぁん。信二さんにちょっと触られただけで、私、理性が飛んじゃうのがわかるわ。どうしよう? 今、信二さんに触られているだけなのに――、私、こんなにドキドキしてる。こんなに幸せなんだ……。これで抱きしめられたりしたら、私どうなっちゃうんだろう? エッチなことなんてしたら、私、幸せすぎて本当に死んじゃうかも? ああっ、信二さんに全部奪われたいっ。私の全てを上げられたら、どんなに幸福かしら」
エレオノーラはすっごい甘い声を出して言った後、めちゃくちゃ大切なもののように肩におかれた俺の手に自分の手を重ね合わせた。そして、舌を出して舐めようとしている。
俺は慌てて手を引っ込めて、ルイーゼの肩を掴むと、エレオノーラから引き離した。
「あのさあ、俺は商品なんかじゃないんだから、俺をかけて勝負なんてしないでくれよ? それで怪我なんかされたら、俺いやだもん」
その言葉にルイーゼははっとしたようだった。
「そ、そうですねっ。私、信二の気持ちは分かっていたはずなのにっ。それも考えずに、勝手に勝負なんて言ってしまって――すみませんでした」
ルイーゼはそういって、頬を染めながら尻尾を俺に絡めてくる。それは予想外の行動だった。
――それって、犬とか猫だと確か所有物に対する行動だろ? 結局もの扱いかよ。
そしてバスタードソードをテーブルに置くと、勝利の笑みと共にエレオノーラに宣言した。
「信二の気持ちを大切に思えば、戦いでそれを決めるなんて無粋ですわね。ふふ。信二に窘められてしまいました。信二に免じて止めることにします」
なんだかルイーゼの中で、俺はどんな扱いになっているのかとっても不安になった。
エレオノーラを見ると不愉快そうに目を光らせていた。
「信二さんを独占しようとするなんて、なんて強欲な女なの。許せない。いま殺してあげるっ」
その言葉の次の瞬間、エレオノーラは剣を抜いてルイーゼに向けていた。
ルイーゼは意表を突かれたようだった。ルイーゼはバスタードソードを手にしていない。
それに気付いた俺は、エレオノーラの正面に立って盾になる。身体が勝手に動いていた。
「信二さん。どいてっ。この女殺せないっ」
エレオノーラの言葉にデジレがふいと動いた。デジレは次の瞬間、エレオノーラの剣を払っていた。それは目にとまらない速度だった。デジレは俺が今まで見たこともない冷たい表情で、エレオノーラを睨んでいる。右手にレイピアを持ち、その刃はエレオノーラに向けられていた。
「デ、デジレ・クラリーっ!」
「あたしは、信二様が悲しむのを見過ごせません。もしこの場でルイーゼを傷つけるというなら、あたしが敵になるとお考えください。あなたを殺すことを躊躇しません」
冷徹なその言葉にエレオノーラは驚いたようにデジレをまじまじと見た。そして、それが本気であることを理解すると、身体を引いた。
「デジレを敵にする気はありません」
俺たちは、エルンストとも今後のことを相談する必要があったから、エルンストが寝ている客間で続きを話すことにした。
「デジレ・クラリーがいれば、大丈夫でしょう。明日の早朝に出ると言いましたね?」
俺が頷くのを、エレオノーラは潤んだ瞳で見つめて続けた。
「絶対に、ここに戻ってきてください。捕らえた狼族は、この町に到着してから、王族の客人として取り扱うことを約束しましょう。エルンストもちゃんと病院で看護することを約束します。だから絶対に戻ってきてください。そして、うまくいったら私を抱いてください」
そう言って、その様子を想像するように空を仰いだ。自分で自分を抱きしめてぽーっとしている。ルイーゼはその言葉を聞いて、ちょっとだけ頬を赤らめてから言った。
「何を考えているのですか? 信二があなたにそんなことするわけありませんっ!」
「エレオノーラ様。デジレ達は明日の早朝に出発しますから、この町のことをお願いします。デジレは、信二様のことを任されますからご心配なく。信二様は絶対守って見せます――」
そうきっぱり言った後、デジレはやっぱり俺に抱きついてきてトロンとした目つきになった。
エルンストはこの様子を見て、「この人間め、マジで地獄に落ちろ」とベッドの中で呪いの言葉と共に小声で何度も呟いているようだった。
そしてルイーゼが、エルンストに今後のことを話し終えたあとのことだ。
俺はエルンストに二人きりで話したいと言われた。俺とエルンストを除く全員が部屋から出ると、エルンストは口を開いた。
「私はお前が嫌いだ」
開口一番エルンストはそう宣告した。俺は苦笑して頷く。
「知ってるよ」
「お前は人間だ。ただ人間と言うだけでルイーゼ様に好かれている。ただ人間だと言うだけで虎族を従えている。私が決して得られないものを何もせずに受け取っているんだ」
「確かにデジレが一緒にいる理由は、俺が人間だからかもしれない。だけど、ルイーゼが俺といる理由はたぶん違うよ」
「違うだと?」
俺の言葉が余程意外だったんだろう。エルンストはベッドから上半身を起こして言う。
「お前がルイーゼ様に好かれるどんなことをしたと言うんだ」
エルンストの追求に、俺は天井を仰いだ。
「俺はたぶん、酷いことをしたんだ……」
俺はそう呟いた後、その言葉を発した自分に驚いた。エルンストも同様だったようだ。
――何で俺はそんなことを言ったんだろう?
沈黙が客間を覆う。
それに耐えかねたように、エルンストはため息をついて沈黙を破った。
「――まあいい。私はルイーゼ様を護れなかった。残念だが、今の私がついていっても、ルイーゼ様の邪魔になるだけだ。少なくとも足が治癒するまで同行できないだろう。怪我を見た限り、杖を突いて歩けるようになるまで、どれだけ早くとも数日はかかるだろうな。我ながら情けないことだ。ヴィレム様や国王陛下に言い訳のしようもない……」
そう言ってエルンストは天井を仰ぎ見た。
「それと忠告しておく。デジレのレイピアに気をつけるがいい。あれは普通の剣ではない。王都で貴様が無様に倒れた後、私の鍛えられた剣を、それも刃を切り裂いたんだ。物理的にありえない。デジレはあの剣は伝説と共に生きたと言っていたが、その伝説がいいものとは限らぬからな」
「どういう意味だよ?」
「伝説というものは、幸福と共にあるものではない。常勝の軍は伝説にならない。危機にさらされたとき、悲劇と共に伝説が生まれることだってあるのだ」
俺は首を横に振ってから、エルンストに言った。
「デジレが俺たちに何かするなんてありえないよ」
「違う。私はレイピアに気をつけろと言ったのだ」
「意味わかんないよ。剣に気をつける? 剣の何に気をつけるんだよ」
「剣が巻き込む運命、だろうな」エルンストは、しばらく考えてからそう言った。
「そして、私が生きているのもお前のおかげだと認める。だから、ルイーゼ様をお前が守ってくれ。癪だが、お前なら猫系からルイーゼ様を守ることが出来るだろう。だが、ルイーゼ様に何かあったら、私はお前を許さないぞ。狼族の血を引く私の誇りにかけて」
その真剣な瞳を見て、俺はエルンストに誓った。
「俺は必ずルイーゼを守るよ。約束する」
居間に戻ると、ルイーゼとデジレ、そしてエレオノーラ達全員がいた。
「信二様。デジレは、今から行政府に報告に行くので、暫くルイーゼ達と共に待っていてください。信二様とルイーゼの安全はエレオノーラ様も保証してくれますね?」
「いいわ。この館にいる限り安全を保証しましょう」
「二つの客間は自由に使っていいよ。信二様は、デジレの寝室を使ってね」
エレオノーラと外出したデジレは、なかなか帰ってこなかった。先に寝た方が良さそうだ。
ルイーゼと相談した結果、俺は寝室に、ケガをしたエルンストは運んだ客間で、そしてもう一方の客間にはルイーゼが寝ることになった。デジレは多分居間で寝るんだろう。
だけどルイーゼはなかなかもう一つの客間に行こうとしなかった。
そして、聞きにくそうにしながらも、やっと言葉を発した。
「あ、あなた、さっき私の盾になろうとしましたよね? 人間なのにどうしてですか?」
――人間なのに? どう言う意味だ?
「身体が勝手に動いたんだけど……」
「それだけ、ですか?」
ルイーゼが心なしか落胆したように言ってきた。
いや。たぶん違う。サントジョージのことを思い出した。
「たぶん俺は、自分でルイーゼを守りたかったんだ。俺は自分で何もしてないから――」
「自分で? 私を? 守りたかったのですか?」
* * *
その言葉にルイーゼは犬耳を疑った。
ルイーゼを守りたい。
確かにそう言った。亜人間のルイーゼを守りたいと言った。サントジョージのときは口だけかもしれないと思った。だけど、ここでは実際に身体を張ってルイーゼを守ろうとした。
伝説に伝わる人間の王子様。お姫様を守る存在。夢物語だと思っていた。それが実在した。
それは狼族に伝わる物語しかあり得ない。それ以外の話で人間が出る場合、悲劇しかあり得ないからだ。つまりそれは、狼族だけが人間と幸せに過ごすことが出来ることを意味している。
自分が信二を初めて見たときに感じた衝撃が、どうしてだったのか理解できた気がした。
――ほんとに? この人が私の王子様だったりするのでしょうか?
だけど、もしそれが本当なら、伝説によれば白馬に乗っているはず。信二はそもそも馬に乗れない。その矛盾はどういうことだろうか。
理論的に考えれば、信二は今から白馬を調達するのかもしれない。だとすれば、ちょっぴりはしたないかもしれないが、青田刈りをするべきなのだろう。デジレが帰ってきたら、寝室で信二に襲いかかるに違いない。約束だから手を出せないけど、そんなことはさせない。
ずっと願い、望んでいた伝説の人間の王子様。
だとすれば、今までルイーゼ自身が戸惑っていた気持ちの理由が明らかだ。
「信二。あなたの気持ちは分かりました」
* * *
その時、俺は強い力で手を引っ張られた。
「あの、あのですね」ルイーゼは俺の方ににじり寄ってきた。「やはり敵国での夜って心が高ぶるものですよね?」
「そうかもね」
ルイーゼは、ちょっとだけ躊躇していたけど、思いきったように提案してきた。
「だから、私の部屋のベッドで一緒に寝てくれませんか? 落ち着いて寝られると思うの。わ、私を守るために、もし良かったらですが……。も、もちろん、変なことはしないでください」
――え? マジで? 一緒に寝る?
ルイーゼの大きな瞳と、思わず抱きしめたくなるような綺麗な身体を見つめる。ルイーゼの透き通るような真っ白な肌は、どんな男だって夢中にさせられちゃうだろう。そして、ルイーゼの整った顔に見つめられて、心が動かないヤツなんているわけがない。
――この子と一緒に寝ちゃうの? いいの? ホントに?
そして俺は、どきどきしながら頷いた。
「う、うん」
客間は居間よりちょっぴり狭くて、小さな机と椅子、それから化粧ダンスのようなものがあった。質素なつくりだけど、きれいに掃除されているようだ。
そして、ベッドは部屋の奥の方にある。そのベッドはセミダブルくらいの幅があったんで、二人が寝るにはちょうど良かった、と思う。ルイーゼが部屋の手前側、俺が奥で寝ることにした。俺は正直言ってこんなことに慣れている訳じゃないので、心が高ぶって眠れそうもなかった。ちょっとだけ悩んだ後、俺は安全側の選択をした。
つまり、ルイーゼに背中を向けて寝ることにしたんだ。
そしたら、ルイーゼは小さい声で、「うーっ」と威嚇してきた。
「なに?」と俺がルイーゼに聞くと、すぐに答えが返ってきた。
「何でそっち向くのですか?」
俺は、ルイーゼの方を向いた。
「だって、そっち向いたらルイーゼが見えるでしょ? そしたら……」
「そしたら?」ルイーゼが俺に聞き返した。
「俺我慢できなくなるもん」
ルイーゼの顔とか胸とかを見たら、寝てる間に絶対変なことしちゃう。賭けてもいい。取り返しのつかないことをしそうな予感が止められないし。
『…我慢なんてしなくても…』
俺が正直に言うと、ルイーゼは小声でなんか言った。俺はそれが聞き取れなかった。
「え? 今なんて言ったの?」
「な、なんでもありません。それでしたら、私が背中を向けますから、信二はこっち向いてください。は、恥ずかしいですけど、私は背中向けられるの嫌なのです」
ずいぶん勝手な言いぐさだけど、俺は言われたとおりルイーゼの方を向いた。ルイーゼは俺をじーっと見た後、背中を向けた。ルイーゼの青っぽい色をした薄い寝間着から、ルイーゼの綺麗なスタイルが丸わかりだ。ルイーゼの長い尻尾が二人の間に来た。
なんだか、ふるふる震えている尻尾が、俺を誘っているように見える。そして理解した。
――そっか。たぶんルイーゼも求めてるんだ。いちいち許可を求めていたら、悪いよな?
俺はそう思って、ゆっくりルイーゼの尻尾の方に手を近づけた。
とりあえず尻尾の先端部分に手の甲を触れてみた。
ルイーゼはびくっとしたけど、何にも言わなかった。少しだけその状態で尻尾を撫でていたけど、しばらくしてから、手のひらで尻尾を触ってみた。
「あう」ルイーゼはちょっとだけ喘ぎ声を上げた。
でも、体を震わせながらも、ルイーゼは俺に抵抗していなかった。俺がルイーゼの尻尾の全体を触っていると、ルイーゼが突然小声で聞いてきた。
「し、信二って、いきなり尻尾触るの好きなのですか? そ、そういう趣味?」
「どういう意味?」俺はなんだか不思議になって聞いてみた。
「唇とか、む、胸とかの前に、尻尾触るのがすすすす、すきなの?」
「へ?」俺は変な声を上げてしまった。「ぎゃ、逆の方が良かった?」
「わわわ、わたしは、そういうことよくわかりませんっ。ですが、しし、尻尾を触られるのは恥ずかしいことですから、最後の方で触るものだと思ってたのです」
――ひょっとしてこの世界だと、尻尾触るのってすっごい恥ずかしいことなのかなあ? 俺、頭撫でることと同じ様なつもりで触ってたけど、実はとんでもないことだったのか?
よく考えてみると、今までそのとんでもないこといっぱいした気がする。
まずいかも。
――あれ? よく考えたら、ルイーゼの言葉って、唇とか胸触っても良いって言う意味?
そうだ。そうに違いない。
俺は、そろそろと尻尾を握っていた手を離して、ルイーゼの肩に手をやって、体を仰向けにした。ルイーゼは大きな瞳をそっと閉じた。なんだかちょっとだけ震えてる。そしてルイーゼの寝間着から、何となく胸が存在を主張していた。
やばい。ルイーゼってすっごいかわいい。もう止めらんないかも。
そして、俺が、ルイーゼを抱きしめようと手を伸ばした瞬間のことだった。
ドアが開いてデジレが飛び込んできた。
「信二様? ここにいるの?」
そうだった。俺はタイミングの悪い男なんだ。ルイーゼを見たら、尻尾を立てて激怒してた。さっきまでの良い雰囲気はどこにもない。ルイーゼは、布団を俺の側に押しやって、デジレから俺を見えないようにした。そして不愉快そうに声を上げる。
「デ、デジレッ! ノックくらいしなさいっ! し、信二はここにはいません。外に散歩でも行ったのかもしれません。見てきたらどうですか? とにかく眠いから早く出てください」
ルイーゼはデジレを追い出そうとしてたけど、たぶん無理だ。だって、デジレって俺の匂いに目がないみたいだもん。絶対気が付くよ。
「この家はあたしのものなんだから、部屋に入って悪いわけないでしょ?」
デジレはもっともなことを言いながら、部屋の中に入ってきた。
そしてデジレは鼻をくんくんさせた後、案の定、すぐにベッドの奥で布団にくるまった俺を発見してしまった。
その時俺は、居間がある奥の方で何か物音を聞いた気がしたけど、それどころじゃない。
「いるじゃない! 一体あんたは信二様と二人っきりで、ベッドで何をしてたの?」
「信二は、わ、私のものですから、な、な、何をしても勝手でしょう!」
ルイーゼがとんでもない理屈を出してきた。デジレは俺を見て妖艶に微笑んだ。
「エッチなことだったらあたしとしない?」
俺はデジレを見て真っ赤になった。
だって、今気が付いたけど、デジレが来ているネグリジェって、ほとんど中が透けて見えているんですけど。体全部が見えてますけど。それって着てる意味ないんですけど。
ルイーゼもそれに気が付いて、言葉を失っていたようだ。
それでも、ルイーゼの怒りが絶句を超越したらしい。
「あ、あなたって、一体なんて服着てるのですか! いやらしい、いやらしいわっ!」
「えーっ? こんなの大人だったら普通だよっ。エレオノーラ様は裸で寝てるもん」
デジレの口から聞きたくない名前を聞いてルイーゼはさらに怒った。
「あんな雌猫なんてどうでも良いですっ!」ルイーゼはそこで、俺の顔を見ながら続けた。「と、とにかく、この部屋は私に割り当てられてるのですから、私の好きなようにします。今後のことを信二と相談していました。あなたは虎族だから、相談に入れませんよっ」
「あたし戦士だもの。相談ならあたしも乗ってあげられるんだからねっ」
「し、信二と相談したいのですっ! 二人っきりでっ!」
「絶対嘘だもん。エッチなことするのに決まってるよ。そんなこと許さないんだから」
ルイーゼも俺も返す言葉がなかった。実際そんなことする直前だったし。
この場をクリアする方法が何かあるだろうか。
俺はしばらく考えて、ルイーゼとエッチなことをする方法が無いことを理解した。
どうにもならない。俺はあきらめる以外選択が無かった。
「俺寝室に行くよ。ルイーゼ、ごめんね?」
俺はデジレから手をほどいて、ルイーゼを見つめた。ルイーゼは寂しそうな目をしてた。だけど、「分かりました」と言って、俺に背中を向けた。
「信二も気にしないでください」
ルイーゼの言葉は明るかったけど、尻尾は力なく下がってた。気落ちしてるらしい。
「また相談に乗るからさ」と俺が言ってから、自分が何を言ったか気が付いて、真っ赤になるのがわかった。それって、また夜にルイーゼの所に行くって言うことだよね?
ルイーゼも振り返って、真っ赤になってこくんと頷いてた。それを見たデジレは俺の手を引っ張って言った。
「今からデジレの相談にも乗ってほしいなっ!」
今にも相談どころか、俺の上に乗りそうな雰囲気でデジレが言った。ルイーゼは当然収まるはずもない。
「あなたの、エ、エ、エッチな相談なんか許しませんからっ!」
ルイーゼはそう言った後、口を押さえてた。ルイーゼが自白したも同然だ。デジレは、薄いネグリジェの上から腰に手を当てて言った。
「へぇ、やっぱりエッチなことしようとしてたんだ?」
デジレはそう言ってから、俺の方を熱い目で見た。
「デジレ、信二様が望むこと何でもできるよ? あたしの方が胸が大きいし、デジレは尽くすタイプなの。だから、デジレの相談に乗ってほしいな」
俺はデジレの胸に吸い込まれるように目がいったけど、何とか目線をそらした。エレオノーラの苦労が少しだけ分かった。あの人も苦労して俺から目線をそらしてたよなあ。
そして俺はデジレに宣告した。
「今日の相談はもう打ち切りです」
デジレが人差し指を唇の端に当てて、物欲しそうな顔をするのを一生懸命に無視して、ルイーゼとデジレに微笑んで、「お休みなさい」と言った。
デジレとルイーゼを置いて、寝室に行こうとすると、居間でなんだか物音がした。気になって居間に入ると、周囲が暗くて目が慣れないせいか、ドア付近のソファに足を引っかけた。
足をもつれさせながら居間の奥のソファに横倒しになる。
「うわぁ! な、何!」
俺は倒れた瞬間、大声を上げた。なんか、俺の横にやわらかいものがあったんだ。それは次の瞬間、俺の上に覆い被さってきた。唇に触れる物がある。
刺客?
――やばい。俺、ルイーゼを残して死んじゃうの? ごめん、ルイーゼ!
ちょっとしてから、俺の耳元に息がかかった。
――何だ? あれか。死に際の台詞? たしか、『こんな場で死ぬ自分の愚かさを呪うが良い』とかいうやつ?
でも、その言葉は俺が想像できないものだった。
「信二さん?」
その声には何となく聞き覚えがあった。
「エ、エレオノーラ?」
俺がその声を思い出して聞いてみた。俺は思い切って目を開けた。目の前には、俺の上に乗りかかってきたエレオノーラがいた。
「信二さん。私、はしたないとは思ったんですけど、信二さんのことを思うと、もうどうしようもなかったんです。信二さん。信二さん! もう我慢できなかったんです」
そう言って、エレオノーラは、俺の首筋にキスをした。そして、目つきがとろんとしてもう理性を失っているように見えた。その後、エレオノーラは目を閉じて、俺の首筋に跡を付けることに夢中になっていた。いくつもの跡をつけた後、感極まったように「ああっ」という色っぽい叫びをもらした。身体全体を俺にぴったりくっつけて、一センチも離れるのが耐えられないっていう感じで俺にしがみついている。全身が熱く興奮しているのが分かる。
「ちょ、ちょっと……」
「信二さん、もう私はあなたなしでは……、あなたのためなら、どんなことでも――」
俺はびっくりして体を横にした。その拍子に、俺がエレオノーラの上に乗っかる形になった。エレオノーラはそれに気が付いて、一瞬目を見開いたけど、すぐに目を閉じたんだ。
――これって、俺が求める形ですか?
「信二さんはやっぱり優しい人なんですね? あたしを守ってくれるんですね? 私を求める形にしてくれるなんて……。もう私、どうなっても構いません。私をあなたのしたいようにしてください。私、信二さんが欲しくてたまらないの」
何となく暗い場所に目が慣れて、俺は気が付いた。
「エエエ、エレオノーラ? ひょ、ひょっとして服着てないでしょ!」
「はい。私は寝るときはいつもそうですけど?」
臆面もなく言い放つエレオノーラだった。俺は発すべき言葉を失うしかない。
そして、俺はタイミングが悪い人間なんだ。
俺が叫び声を上げたときに、異常に気が付いたルイーゼとデジレが、その最悪のタイミングで居間に飛び込んできた。デジレは状況を一瞬で把握したようだ。
「デジレも一緒に相談させてほしいのっ!」
状況に気が付いたデジレが最初に言った言葉がそれだった。
俺は怖くてルイーゼのことを見ることができなかった。そして、その後のことも怖くて言えない。ただ、平手打ちを四発食らった。俺が一体何をしたって言うんだろう?
疲れ果てた俺をよそに、居間でルイーゼは俺を白い目で見ている。デジレも不満そうな目で俺をちらちら見ていた。そして、熱い目で俺を見ているエレオノーラもいた。
「あのさあ、ルイーゼ?」
「なんでしょうか?」
ルイーゼは氷点下の表情で機械的に言葉を放ってきた。
ルイーゼは完全に機嫌を損ねているみたい。さっきまであんなにかわいかったのに、もはや別人だ。あのときのルイーゼ、もう二度と見られないのかなあ?
「あれは俺のせいじゃないって説明したよね?」
「話だけは聞きました。ですが私は全く納得していませんから」
エレオノーラが夢見るような目で、火に油を注いだ。
「信二さんが私の胸にキスしたときは、死んじゃうかと思うくらい気持ちよかったわ」
それは別に俺が意図して触れた訳じゃないんだ。俺はそれをルイーゼに力説したんだ。ルイーゼも分かってくれたはずなんだけど、感情は納得してくれないらしい。
「わわわわわ、私の胸には直接触ったこともないのにっ!」
その言葉を聞いて、デジレも一緒に火にガソリンを注ぎまくってる。
「ルイーゼの胸小さいからしかたないよ」
俺はその場から逃げだそうと力強く宣言した。
「お手洗いに行ってきます」