第五章 女ったらしは狭い部屋にいられない
ルイーゼは準備を終えると、腰に一メートルくらいある細身の剣を下げて、デジレと一緒に部屋にやってきた。例の蟻地獄、別名サンドワームを両断したこの剣はバスタードソードって言うらしい。
そして、ルイーゼと俺は一緒に行動することになった。
たぶん俺は足手まといになる。だけど、ルイーゼを一人で行かせるのはとっても不安だった。
それにデジレがいる。デジレは俺と一緒にいたほうがいいだろうし、たぶんデジレは虎族からルイーゼの両親を取り返すのに絶対役立つだろう。それにルイーゼとしては、自分が主体的に両親を救い出す手助けをすることに意味があるらしい。そして、その中には俺が一緒にいることが不可欠で、それは譲れないようだ。
そうしないと、ルイーゼは両親に何かの許可が取れなくて、それが取れないと、皇都にその届出が出来ないんだそうだ。まあ俺には関係のない話なんだろうけど。
三種族混在、しかもありえない組み合わせのパーティがここに完成したというわけだ。
最強の犬系である狼族と、最強の猫系の虎族、そして伝説の人間の三人にエルンストを含めた四人だ。だけど、虎族のデジレは俺のそばだとメロメロで役にたたないし、俺はそもそも戦力にならない。というわけで実際の戦力はルイーゼと、なぜか頬に手の跡が付いたエルンストの二人という、まったく張りぼての戦力がここに誕生していた。
エルンストに頬のことを聞いたけど、何も教えてくれなかった。ルイーゼが不愉快そうな顔をしていたから、エルンストがルイーゼに何かして、叱られたんだろう。
デジレは最初から準備なんて必要なかった。もともと遠征隊だったから。デジレが腰に下げた剣は、例のレイピアって言うフェンシングとかで使いそうな細長い剣だ。今までいろいろな戦いで何度も伝説的な力を発揮してきたんだって、デジレはいつも自慢していた。
俺たちは、ヴィレムの見送りを受けて、不満そうなエルンストと共に夕刻前に城を出発した。俺は馬に乗れないから、ルイーゼの後ろに乗せてもらった。エルンストは自分の後ろに乗せることを主張したけど、ルイーゼは認めなかった。デジレも熱烈に自分の後ろに乗るように主張したけど、俺が後ろに乗ったら間違いなくデジレはふにゃふにゃになっちゃうだろう。だから、デジレ以外の全員がそれを認めなかったことは言うまでもない。
日が沈んで真っ暗になるまで、俺たちは馬を走らせた。猫系ならまだしも、犬系はそれほど夜目が効かないから、俺たちは追跡を中止するしかない。そして、ちょっとすると小雨まで降ってきた。
仕方がないのでテントを張って食事と睡眠を取ることにしたんだ。
ルイーゼがもってきたかなり広めのテントは中に四人が入っても、まだ空間には余裕があった。だけど、エルンストは乾燥食料を取り出してから、テントの外で防水コートのようなものを頭からかぶって、テントに入ろうとしなかった。たぶん、周囲を警戒しているんだろう。ルイーゼを守っているんだ。
ルイーゼと俺がテントに入った後、デジレが入ってこようとした。何だかテントの外でエルンストと一悶着あったようだけど、「まあお前は虎族の例外としておく」という言葉を最後に、デジレはテントに入るのを許されたようだ。
テントの中でルイーゼはいつもの祈りをしてから、三人で食事を始めた。俺はもぐもぐ食べながら、ルイーゼに聞いてみた。
「あのさ、俺って、役に立つのかなあ?」
ルイーゼは、俺を見て微笑んでくれた。
「私は信二のこと頼りにしているんですよ。だって、伝説の人間ですからね?」
デジレは俺とルイーゼの両方を見たあとに、こう宣言した。
「デジレは信二様に従うよ。だから、ルイーゼに協力してあげる。デジレ、狼族に恨みがある訳じゃないもん」
「助かりますけど、虎族から裏切り者って言われますよ? それでもいいのですか?」
「デジレは虎族にそんなに執着してないもの。それにデジレが今一番大事なのは、信二様! そのためなら何でもするよ。デジレ、信二様のためなら世界を敵に回してもいいからね」
ルイーゼは、それを聞いてちょっとだけ複雑そうな表情をしたけど、最後に微笑んだ。ルイーゼとデジレの仲が良くなってちょっとだけ安心だ。
そして、ちょっとだけ仲良くなった三人は食事を終えると、川の字になって眠ることになった。エルンストは、テントの中で寝るのを頑なに拒んだ。俺は、エルンストのことをちょっぴり尊敬するようになった。コイツは俺のことを嫌いらしいけど、ルイーゼのことが大好きなんだ。そして、ルイーゼを本気で守ろうとしている。
率直にすごいと思う。
そして、俺はやっぱり疲れていたんで、すぐに寝入ってしまった。寝ている間、なんだか重いものが乗っかってきたり、悪夢を見たり、痛い思いをしたような気もしたけど、疲れ切っている俺は、目が覚めることはなかったんだ。
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翌日、なぜかルイーゼとデジレの仲が最悪になっていた。夜中に二人の間に何かがあったらしい。ひりひりする感触を覚えて頬を触ってみると、どうももみじが増えている雰囲気だった。ルイーゼに借りて鏡を見たら掌の跡が三つあった。しかも、なんだか俺の首にいっぱい蚊に刺されたみたいな跡があった。
俺の首筋を見たエルンストは一瞬目をむいた後、「どうしようもないヤツだ」と、吐き捨てる口調で言った。何だか俺は酷い濡れ衣を着せられている気がする。
朝食の後、俺たち四人は予定通りサントジョージって言う町に向かうことになった。
その犬系の街までは、直線で向かえば二人乗りの馬で丸一日くらいだ。ただ、あちこちに警戒網があるらしくて、猫系のヤツラがそれに引っかからずに迂回するには、かなり遠回りになるそうだ。そして俺たちは、日が沈むまでに何とか到着出来そうだった。
「サントジョージって、ルイーゼのいた王都とは違うの?」
「全然違いますよ。政を司る王都なんてそんなに人はいりません。ですが、サントジョージは交易都市です。だから、住んでいる人だって何万人もいますし、かなり栄えているようです。私も前に来たことがありますが、市場も王都では見ないような、いろいろなものが売られていて、とても楽しかった憶えがあります」
ルイーゼは空を仰いで思い出すように言う。
俺がちょっと顔を上げると、ずっと先のほうになんだかいくつかの高い建物が見えた。
高層ビルっぽい建物だ。ただ、窓ガラスが全然見えなくて、のっぺりした感じだった。あそこまでの距離がわかんないから、高さも全然つかめなかった。
「あの高い建物はなんなの?」
俺の問いに、ルイーゼはちょっとだけ微笑んで言った。
「あの遺跡はモニュメントみたいなものです。ただそこにあって、周囲からの目印になっています。だから、あれを目印に進む旅人が多いのです。とっても役に立っていますよ」
何でも、五つある遺跡は、サントジョージの壁に沿ってちょうど正五角形の位置にあって、町への入り口は、この遺跡のそばに作られているんだそうだ。
だから、遠くからでも見える遺跡のどれかを目指していけば、必ず町の入り口のどこかにいけるということのようだった。
俺たちはちょっとだけ馬のペースをあげた。そして、町には一時間ほどで着いたんだ。
その町サントジョージにはたくさんの犬系の人々と、捕虜として極少数の猫系、その他少数系統の人々がいるそうだ。
サントジョージの入り口の両脇に、槍を構えた犬系の衛兵らしき人がいた。俺たちが入り口に近づくと、その槍を交差させて通せんぼをしてくる。
そして俺たちをじろじろ見た。
ルイーゼとエルンストは問題なかったけど、その後デジレが通ろうとすると、かなりの騒動になった。やっぱり、猫系は町中に入れたくないみたい。
衛兵は王族が虎族と行動しているのが信じられなかったようだった。
そして、デジレは取りあえず執政官とかいう代表者の決定待ちということで落ち着いた後、大騒動の混乱は頂点に達した。それは俺が入ろうとしたときだ。
「なっ!」
衛兵は言葉を失ったらしい。俺が軽く会釈をしたとき、その頭に耳がついていないことに気がついて、別の衛兵が大声で叫んだ。
「にっ、人間? なっ、何で人間が?」
その叫び声に衛兵全員が飛び出してきた。そして全員が目を丸くして俺をじろじろ眺める。そして、伝令らしい人が慌てて飛び出してどこかに走って行った。
「町を通りたいだけですけど? この町かなり大きいから、この塀を回っていくとすごい遠回りになるらしいんで」
俺が怪訝そうな顔で衛兵の一人に答えると、衛兵の集団が集まって大口論を始めた。
『ここでこの人を追い返したら、大変なことだ。人間がくることなんて二度とないぞ』
『いや、これはなんかの罠だ。虎族と人間が一緒にいるわけがない! 変だっ』
『お前は馬鹿か! そもそも人間がどんなやつと一緒なら変じゃないって言うんだ?』
『この人間にうちの娘を紹介したいんだが、町の外ならいいよな?』
『あっ、お前、そんな抜け駆けが許されるわけがないだろっ。うちの娘の方が先だっ』
『とにかく、追い返すことには俺は反対だ。中に入ってもらおう。俺の尻尾にかけてそう思う。後は執政官がどう判断するかだ』
衛兵全員が俺を刺すように見つめている。俺が一体何したって言うんだろう?
俺たちは衛兵に囲まれて、目立たないように門の中に通された。
門を通り、街中に入ると、そこにはヨーロッパの小さな城下町のようなレンガ造りの町並みがあった。遠くに見える大通りには、バザーのような出店がたくさんあるようだ。地面は石造りのようで、ところどころに装飾がある。そして、たくさんの人の喧騒が伝わってきていた。ずっと先のほうには噴水のようなものもある。
俺はそんな町並みを見たことがなかったので、思わず周囲に見とれてしまった。
「うわあっ、すげえ……」
海外に行ったような気分になって、思わずそんな感想が俺の口をついて出てきた。
だけど、俺が見とれたのは短い間だった。すぐに俺は衛兵に、門の近くにある大きな建物に引っ張っていかれたんだ。そして、丁重に部屋に案内された。
全員、個室を与えられて執政官の決定を待つことになったんだ。
その部屋は二〇畳くらいの広さにソファーとテーブルがあった。ソファーは横になっても大丈夫な大きさのものが二つ、テーブルを挟んで向かい合わせに並んでた。そして、床には綺麗な毛皮の敷物が置かれていた。奥には簡易式のベッドがある。
ルイーゼとデジレは別の部屋だった。ここの所ずっと一緒だったから、正直一人になれたのはちょっとだけ気が軽かった。
だから、ちょっぴり羽目を外して一人で部屋の外に出た俺を、責められるものは誰もいないはずだ。
* * *
そこは外交用の次女待機室。そこには衛兵から連絡を受けた三人の次女がいた。
活発で積極的なノーマと、まだ幼さの残るオリヴィア、そして家庭的で一番年上のサラだ。三人は家族ぐるみで仲がいいこともあって、いつも行動が一緒だ。
自慢の緑髪を揺らしながらノーマが話しかける。
「ねえ、聞いた聞いた?」
ノーマの言葉に青髪で小柄なオリヴィアは微笑みながら返してきた。
「人間のこと? 知っているよ」
オリヴィアはまだ幼い表情を隠さずにノーマをのぞき込んだ。ノーマは夢見るように呟く。
「どんな人かな? あたし、後で挨拶に行けっていわれたんだけど、追い返されたりしないかなあ? だって、人間なんて会ったことないし、どきどきしちゃう」
「ノーマがそんなこと言うの? 初対面の男と会う時なんて、いつだって、相手の男を値踏みばっかりしてるじゃない」
「オリヴィアはまだ子供だからわかんないかもしれないけど、人間の人と話す機会なんて、ずーっと前からないんだからねっ。千年に一度あるかどうかなんだから」
「へー。人間ってそんなに珍しいの?」
「珍しいですって?」ノーマはあきれたようにオリヴィアを睨んだ。「あんた、ほんとに何も知らないのね。人間を彼氏にできたら、あたしたちは一生安泰なのよっ。ううん。それどころか、もし子供ができたら、子孫永劫、王族に近い地位になることができるの。狼族だって怖くないわ。人間との間に生まれた子供なら、狼族なんかより上よ」
その言葉を聞いたオリヴィアは露骨に嫌悪を顔に示した。
「えー? 私はなんかいやだな。それって、打算じゃないの? そこに愛はないの?」
「別にどんな変なやつでも、あたしは我慢してみせるわ」
ノーマがそう断言すると、オリヴィアはあきれたように言った。
「ばっかみたい。私、人間なんて全然興味ないもん。勝手にすればいいよ。私、大好きな人が見つかるまで、自分を安売りなんてしないんだからっ」
その様子を見ていた赤髪のサラが薄く笑った。
「オリヴィアもノーマもまだ知らないのね?」
サラが振り返ると、その大きな胸が揺れる。ノーマとオリヴィアは口をそろえて聞く。
「何を?」
「もしそこに人間の方がいたら、あたしたちは夢中になるしかないのよ。だって、とっても素敵な人に決まっているから。打算も、愛も関係ないわ。ただ、好きで仕方がなくなるのよ」
サラが訳ありげに微笑むのを、二人は怪訝そうに見るしかなかった。サラは唇に人差し指を当てて続ける。
「あなたたちは、きっとその人のものになりたいと願うわ。命をかけて、そして心からね」
オリヴィアはおそるおそるサラに尋ねてみる。
「サラは人間に会ったことがあるの? どんなだった?」
「もちろん会ったことなんてないわよ。だけど、知っているの」
その言葉でノーマとオリヴィアは思い出した。サラは昔話や過去の文献が大好きで、よく読んでいたことを。
過去の文献で人間が出てくる話は、決まって亜人間が人間を愛し、人間のために尽くして、そして身を滅ぼす話だ。そして、ヒロインがハッピーエンドになる話は皆無だった。
そういえば、人間は必ず男で、ヒロインは亜人間の女だった気がする。人間の女が出てくる話なんて聞いたことがない。なんでだろうか。
ノーマはそんなことを思い出しながら、不満そうに呟いた。
「そんなの、単なる伝説でしょ?」
「私も最初はそう思ったわ。だけど、お父さんの熱狂を見て、事実だとわかったわ」
サラの言葉でノーマは思い返した。確かに、人間の元に行けって言ってきたときの父親は、いつも冷静な姿が想像できないほどの興奮状態だった。
「私は、その言い伝えが事実か知りたいの。もしその真実がわかるなら、私、どうなってもいいわ。だって、こんな機会二度とないもの」
ノーマはその言葉を聞き流して宣言した。
「どっちでもいいわよ。あたし、いずれにしても、その人間を落としてみせる。今まで女を磨いてきたのは、こういうときのためだもん。色仕掛けであたしに夢中にさせてみせる。狼族なんか、あたしの風下にしてみせるわっ」
鼻息荒く、ノーマは外交塔から外に出た。
自宅に忘れた化粧道具の一つを、市場で買い足そうと思ったからだ。
だけど、こんな時に限って、市場で買おうと思っていた色の口紅がなかった。
心にいらいらする気持ちを納めたまま、塔に帰るしかない。
そして外交塔に戻る途中で、よそ見をしていた通行人と肩がぶつかった。
ノーマは肩に衝撃を受けただけですんだけど、相手は尻餅をついていた。
「ど、どこ見てんのよっ! ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
「ご、ごめん。悪かったよ。大丈夫?」
その言葉を発したヤツを睨み付けた時、ノーマは絶句した。
「なっ!」
耳がない。尻尾もない。そして神秘的な黒髪と、黒い瞳。
その優しそうな瞳に見つめられると、ノーマの全身に衝撃が貫いていた。
に、人間だ! この人、絶対あのウワサの人間だよ!
だけど、予想したのと全然違う。
優しそうだし、ノーマの八つ当たりに、謝ってくれた。
甘くて幸せな香りが漂うのが分かる。人間ってこんなにいい香りなんだ。
この人に抱きしめられたら、どれだけ幸せだろう。この人を一目見た瞬間に分かった。
――この人は、自分のずっと求めていた運命の人だ。この人があたしの王子様。
あっという間に自分の身体が、潤んでいくことに気付いた。頬を赤らめて口を開く。
「あ、あの、人間の方、ですよね?」
ノーマは手を引いてその人が立ち上がるのを手助けした。
「あ、あの、あなたはたしか外交塔に招待されていましたよね? 何でこんなところに?」
「いや、ちょっと部屋の外を見ようと思っていたんだけど、迷って外に出ちゃって、戻れなくなったんだよ」
「じゃあ、あたしが案内しますっ。実はあたし、あの塔で侍女やってるんです」
「いいの? 助かるよ」
「あたし、ノーマって言います」
「俺は水川信二」
ノーマは信二が狼族と虎族と一緒にいるって聞いていた。
特に狼族のルイーゼは美しいと評判だった。そのまま戻らせるなんてあり得ない。
――絶対にこの人を手に入れるんだから。
外交塔に入ってすぐに、ノーマはその人に告げた。
「部屋にお連れする前に、お世話する他の侍女を紹介しますね?」
もちろんノーマには信二に他のライバルを紹介するつもりなんてない。
今の時間は食事の用意で侍女はかり出されていることを知っている。
侍女の部屋で二人っきりになったら、ノーマは鍵をかけて迫る予定だった。
侍女待機室のドアを開けたとき、ノーマは自分の考え違いに気付いた。ちょうどエプロン姿に着替えたオリヴィアとサラと鉢合わせしたからだ。
「あら、ノーマ。遅かったわね。今から行くところだから、あなたも早く着替えて――」
サラの言葉はノーマの後ろを見て固まった。
「まさかっ!」
サラが叫ぶ。ノーマは慌てて背後の信二を隠しながら、じりじりと退いた。
「すぐに行くから、あんた達は先に行っててよっ」
ノーマの言葉にサラが言い返す。
「ちょっと! ノーマっ。後ろにいる人はだれよ? ひょっとしてっ!」
「あ、ダメ! この人、あたしの大切な人なんだからっ」
「大切な人なら余計見たくなるわ」
サラが鋭い目で、ノーマの背後に回った。そして叫ぶ。
「や、やっぱりっ! 人間の方ねっ」
いつも冷静なはずのサラが、震えているように見えた。
オリヴィアが興味なさそうにのぞき込む。だが、次の瞬間、声を上げた。
「わ、私! 見つけた! 大好きな人っ!」
ノーマはあっという間に、サラとオリヴィアがこの人の虜になったことを見て取った。
先制攻撃しかない。ノーマは断言する。
「あたしの大切な人。信二様です」
だけど、一瞬で否定された。
「嘘つきなさいっ。この方は大切な人間の方よっ」
「私が初めて見つけた大好きな人だもんっ」
ただ、本当の敵は最期にやってくる。そのすぐ後に、ドアの向こうから声が響いた。
「信二が見当たらないのだけど、誰か知っていますか?」
そこには狼族の超絶美形のお姫様がいた。
ノーマはその時、狼族のルイーゼを初めて直接見た。恐らくサラもオリヴィアも同じだろう。
みんな、自分たちがキレイであることに自信を持っていた筈だ。外交塔の侍女になるためにはまず容姿端麗であることが必要だ。数千人の応募の中から選りすぐられた美人といえる。
だけど、このお姫様はダメだ。正面から戦うのは無理っぽい。
身分じゃない。そんなことじゃなくて、ルイーゼは全身が光り輝いていた。スタイル、顔、雰囲気、どの部分をとっても勝負になりそうもない。辛うじて戦えるのは胸のサイズくらいだ。
――ひどい。お姫様なのに、その上こんなにキレイなんて、神様、ひどすぎるよ。これじゃあ相手になんないじゃない。
ノーマはルイーゼを見つめて呆然とするしかなかった。
ルイーゼは奥にいる信二を見つけたようだった。
「あなた、なぜこんなところにいるのですか?」
ルイーゼの問いに、信二が肩をすくめた。
「迷っていたら、この子が助けてくれたんだよ」
「ホントに?」ルイーゼが警戒するようにノーマ達を見る。「この子達、なにか別の目的があったりしませんか?」
ノーマはその言葉に、返す言葉がなかった。読まれてる。
だけど、この人は不愉快そうに王族のルイーゼに言ってくれた。
「ノーマは迷っていた俺を案内して、友達まで紹介しようとしてくれたんだ。なんだよ、その言い方? 謝れよ」
その言葉にノーマは絶句して、信二をぼーっと見つめるほかなかった。
――え? 何で? なぜこの人は、お姫様に対して謝れって言ってくれるの?
この人は、ルイーゼよりノーマを選んでくれている。そう理解した瞬間、ノーマの全身が熱く燃え上がるのが分かった。全身が幸福感で満たされていく。
信二の言葉にルイーゼは目線を反らした。ふてくされたように小さく言う。
「わ、悪かったかもしれません」
それを聞くと信二はノーマの方を見て微笑んだ。
その瞬間ノーマは理解した。身分違いかもしれない。だけど、信二が自分の王子様なんだと。
「し、信二様。すぐに食事を用意しますので、少しだけお待ちください」
言葉が震えた。
「うん。ありがとう。俺、部屋で待ってるね」
信二がノーマに微笑んだ。ノーマは全身が震えていることに気付いていた。
――私、ひょっとして信二様に選ばれたの?
ノーマが信二の部屋に向かい、ドアを叩くかどうか躊躇していると、突然内側からドアが開けられた。
『待っていたよ。ノーマ。入ってくれ』
信二に手を引かれて、半ば強引にノーマは部屋の中に連れ込まれた。
『ししし、信二様? もう少しで食事が出来ます。それを知らせようと――』
『ありがとう。だけど、食事より、君に早く会いたかったんだ』
ノーマはその言葉に頬を染めながら聞き返した。
『あたしに? どうしてですか?』
『最初にあったときから、キミが運命の人だって分かったんだ。それが理由じゃだめかな?』
『あ、あたしもっ! あたしもそうでした!』
信二はノーマの言葉を聞いて、優しく微笑んだ。だけど、その行動は積極的だった。
ノーマの付けていたエプロンをはぎ取ると、服を脱ぐように言ってきた。
『あ、あの……、信二様はあたしのこと? 抱きたいんですか? ルイーゼ様よりも?』
信二はノーマの言葉に薄く笑ってから頷いた。
『ノーマ。俺のものになるんだ』
真治の言葉は魔法のようで、ノーマは抵抗できなかった。小さく頷いて服を脱いでいく。生まれたままの姿になったとき、信二はノーマをベッドに押し倒した。ノーマは小さく聞いた。
『あたし、今日だと子供が出来ちゃうかも――』
信二はその言葉の途中で遮るようにノーマの唇を奪った。そして、こう聞いてきた。
『――欲しいの?』
信二との口付けは甘くて、頭が蕩けそうだった。
『信二様。あたし、あなたの子供が――』
信二の瞳をじっと見つめたあと、自分から信二に抱きついて叫んだ。
「欲しいっ」
ノーマがそう叫んだ瞬間、信二のきょとんとした顔が目に入った。
「ほしい? 何の話?」
信二の言葉にノーマは妄想から現実に戻る。ルイーゼが睨んでいるのが見えていた。
ノーマは慌てて手を振りながらごまかそうとする。
「いいいいいいえ。なんでもないです」
「そう? じゃあまたあとで」
ルイーゼとともに信二が部屋を出た後、ノーマをオリヴィアとサラが取り囲んでいた。
サラが詰問口調で聞いてくる。
「ちょっと! 今の何? 『部屋で待ってる』ってどういうこと? さっきルイーゼ様からノーマを守ったように見えたのは気のせいよね?」
ノーマはまだ震えていた。ひょっとしたら、人間の恋人をゲットできそうな気がする。
あの人は王族のルイーゼからノーマを庇ってくれた。幸せで心の震えが止まらない。
「人間に興味のないオリヴィアにはわからないかもしれないけど、あたし、信二様のものになるよ。人間だからじゃなくて、信二様のこと、身分を超えて好きになったの。失いたくない。サラも邪魔しないで。さっき見たよね。あたしと信二様の間にはルイーゼ姫だっては入れないんだからっ」
オリヴィアは声を張り上げた。
「いやよっ。私、絶対引かないからねっ。どんなことあっても私のこと好きになって貰うんだ。人間だからじゃなくて、大好きなんだもん」
「バカ言いなさいよっ。あんた、さっき一瞬見ただけで、話もしてないでしょ!」
「一目惚れだもん。ノーマだって、ほんのちょっとだけしか話してないでしょ?」
ノーマがオリヴィアと口論を始めると、サラが宣言した。
「ヤメなさい。そんなの、信二様が決めることよ。そして、私はわかったわ。私、あの人のことどうしようもなく愛している。ほんの少し見ただけなのに。だから、私もあの人のものになるまであきらめないわよ」
サラの言葉にノーマはため息をついた。
「そうよね。サラが言った言葉は正しかったわ。どうしようもなく好きになる、だっけ?」
サラはノーマの言葉に頷いた。
「ええ。私自身びっくりしてる。だけど、信二様のためなら何でも出来る。信二様に抱いてもらえるならどうなってもかまわない。もし最期に捨てられるとしても、恨むことなんてない。死ぬまで愛し続けられる自信があるわ」
ノーマはサラの目が本気であることを見て取ると、再び深いため息をついた。
そして、サラはオリヴィアと目を合わせてから言い放ってきた。
「だけど、ノーマの抜け駆けを許すほど私は亜人間が出来ていないわ。悪く思わないでね」
その後、抜け駆けを恐れて、サラとオリヴィアがノーマを監禁したのは言うまでも無かった。
* * *
ルイーゼと一緒に自室近くまで戻った時、じろりと睨まれた。
「あの侍女達に変な気を起こしたら許しませんからっ」
「変な気って何だよ?」
俺が聞き返すと、ルイーゼは背を向けて言い放った。
「自分の心に聞けばいいのではありませんか?」
それだけ言うと、ルイーゼは振り返った。
「食事はあなたの部屋で食べることになっていますから、後で行きます」
俺は自室に戻って、それまで休むことにした。
だが俺の考えが甘かったのはすぐに判明した。
俺がソファーに横になると、すぐにドアがノックされた。
「はい?」
ドアを開くとそこにいたのは、デジレだった。デジレは悪戯っぽい目つきで言う。
「退屈だから来たの! 一分でも一緒にいないと、デジレには耐えられないの」
そう言いながら、デジレは俺の腰に手を回してから俺の首筋に顔を埋めてきた。デジレの瞳が恍惚としたものに変わっていく。デジレがうっとりした口調で囁く。
「あーっ、しあわせっ」
タイミングって言うものがある。そして、タイミングのいいやつと悪いやつがいる。
タイミングのいいやつは、何をやっても成功する。そして俺はタイミングが悪いやつなんだ。
開けっ放しのドアの先に、ルイーゼが来てた。俺は思わずデジレの手を払って離れた。デジレはよろめいて、ソファーの端に座りこむ。でも、もう遅かったんだ。
「おおお、お楽しみだったようですね? この短期間に、そんなことするなんて、私、信二のことを甘く見てたようですっ」
俺は、ルイーゼがまとうどす黒いオーラをちょっとだけ感じた気がする。だから、そのオーラに押されて何歩か部屋の奥に後ずさった。ルイーゼは部屋にずいっと入ってくる。
ドアがパタンと閉まった。腕組みをしたままだったから、尻尾で器用に閉めたようだ。
行儀悪くない? 少なくともお姫様のやることじゃないだろ。
そして、ルイーゼの尻尾が天井に届くくらいにそびえ立っていく。
なるほど。バベルの塔ってこうやって積み上がってきたんだろう。だけど、神の怒りはバベルの塔じゃなくて、それを見ている俺の方にやってきそうだ。
「なるほど、さすがに女ったらしの人間の部屋は私の部屋よりずっと広いんですね? そうですね。狭かったらたくさんの女の子を部屋に入れられないですしね?」
悲鳴を口に出す前にルイーゼは飛び掛ってきて、俺の上に馬乗りになった。
やばすぎる。これって、あの有名なマウントポジションじゃないか?
「お、おいっ。ギブアップだってばっ」
そして、頬に平手打ちを何発か食らった。俺は平手打ちの回数を数えることしか出来なかった。最初に一発、間髪をいれずに二発、三発、ちょっと時間を置いてから四発、五発。全部で五発。だけど、ルイーゼの怒りが収まりそうもない。
「デ、デジレは今来たばっかりなんだよ? ルイーゼの考えているようなことはないって」
俺が無理とは思いつつも言い訳をしてみたら、案外効果があった。
「そ、そういえば、私も、あれからすぐ来ましたが……」
「そうそう。きっとデジレも今後のことを相談しようと思ったんだよ」
俺が適当なことを言うと、ルイーゼの尻尾は微妙に下がっていった。たぶん平手打ちをして気が納まったんだろう。俺の上からルイーゼはゆっくり体を起こした。
さすが俺様だ。その場しのぎの言い訳に関して、右に出るものなどいない。
俺は自分を褒め称えたあと、ふと気付いた。ルイーゼのショートパンツの先の柔らかそうな太ももが俺の目の前に露になっている。俺は顔が赤らんでいくのを感じた。
ルイーゼは俺の目線に気が付いて、突然俺の上からぴょんと飛び退いた。
「そ、そうですか」ルイーゼはそう言いながら、ソファーの真ん中あたりに座った。
「たしかに今後の相談をしなきゃいけませんね。執政官がどう判断するかも心配ですし」
なんとか、ルイーゼの気は収まったらしい。よかった。
俺が安心して、ソファーに座った。しばらくは休めそうだ。
だけど世の中はそんなに甘くないらしい。
五分くらいして、この部屋に四人分の料理が運ばれてきた。
運んできた女の子はさっきの赤髪の女の子だった。
「あれ? ノーマは?」
「急用が出来たらしいです。信二様を後回しなんて仕方のない娘ですね」
赤髪の子は肩をすくめながらそう言った。そして、丁寧にお辞儀をして胸の奥まで俺に覗かせてくる。吸い込まれるように目線が胸に向いた。
やばい。この娘、めちゃ巨乳かも。
「私はサラと言います。何でも言いつけてください」
その後小声で付け加えてきた。
「料理以外のことも、何でもします――」
この子のイヌミミは垂れていて、とってもかわいらしかった。褐色の肌のこの子は、背が低くて幼い顔立ちなのに、胸が強烈に大きい。デジレもかなり胸が大きいけど、それよりもさらにでかかった。褐色の肌なのに、その肌にはくすみ一つなく、水を弾きそうな程艶々していた。その子は、やたら体の線を強調して胸全部が見えそうなくらい胸元が開いたメイド服にわざわざ着替えてから、料理を運んできたんだ。そして、意味ありげな視線を俺に送ってくる。
つい胸を見ちゃうのは、男の本能だ。健康な男だったら誰だって見ちゃうはずだよ。
健康的な褐色の肌に柔らかそうな胸。手を伸ばしたくなる衝動に駆られて、俺は必死にそれを押さえ込んだ。
だけど、しばらく目線を逸らせずに胸元を見つめていると、それに気がついたその子は頬を赤らめて、俺の耳元で小さく言った。
「私の胸、もっと見たいなら――」
そう小声で言って、みんなから見えないように胸の谷間から小さなメモを取り出して、ウインクしながら手渡してきた。
俺がメモを開くと、読めない文字で何かが書かれていた。
どうしろっていうんだ?
俺はため息をついて、胸ポケットにそれを入れておいた。
それはちょっぴり暖かかった。そしてほのかにサラの良い香りが漂っていた。
テーブルに並んだ四人分の料理は、あっという間になくなった。それは美味しかったこともあるけど、第一の理由は、四人ともお腹がすいていたからだ。
そして、気が付くともう日が暮れていた。今日一日ずっと移動していた俺は、眠くてたまらなくなっていた。俺はルイーゼとデジレに言って、簡易ベッドに横になることにした。
日が暮れた後に執政官に呼ばれることはないだろう。ルイーゼとデジレも、シャワー室を教えてもらってシャワーを浴びた後、それぞれ眠ることにしたんだ。
俺も二人がシャワーを終えた後ちょっとだけ使ったけど、自分の部屋に戻ると、当然のようにタオルを纏っただけのデジレがいて、憮然としているルイーゼもいた。ルイーゼがいると言うことは、当然仏頂面のエルンストもいる。
俺が部屋の奥に入ると、ルイーゼはずいっと俺の前に立って右腕を突きだしてきた。
ルイーゼは一枚の紙切れを、俺の目の前に差し出している。そして、ルイーゼは震える声で、聞いてきた。
「あああああ、あなたに聞きたいのですが、これって何ですかっ?」
その紙は、食事の前に赤髪のサラから渡された紙だった。たぶん部屋の中で落としたんだろう。俺はかなり嫌な予感がしたけど、天地神明に誓って悪いところなんてない。
俺の中の全米に正義がみなぎっている。だから胸を張って聞いた。
「何て書いてあるの?」
その瞬間、俺の左右の頬を二発の平手が襲った。避ける間もない。
「あなた、ホントにエッチなんですねっ! そんな恥ずかしいこと、どうして姫である私に言わせようとするのですかっ!」
俺は、ひりひりする頬をさすりながら、ルイーゼに言い返した。
「お前なあ! 俺はこの世界の文字読めないんだよ!」
そう言ってから、俺はルイーゼからメモを取り返すと、デジレにそれを見せた。
「これって読める?」
デジレは頷いて、メモを見つめて、そして頬を染めるという一連の行動を取った。
「デジレはこんなの恥ずかしくて口に出せないけど――だけど、ここに書いてあることなら、二人っきりの時にしてあげるよ?」
読めない? 恥ずかしくて? してあげる? 一体なんて書いてあるんだ?
強烈な不安感に襲われた俺は、「いや、結構です。もういいです」と言ってから、メモを取り返した。ルイーゼは真っ赤な顔のまま、腰に手を当てて聞いた。
「で、誰からもらったのですか?」
「食事を持ってきてくれたサラって子――」俺はそう言いかけてから、慌てて口を押さえた。「だ、誰だっていいだろ! とにかく、俺は疲れたから、三人とも出て行ってくれよ!」
「ダメに決まってるでしょう。あなたは、その子がこの部屋に来るから、私たちを追い出そうとしてるんでしょう? そそそ、そんなの許さないですからっ!」
ルイーゼの言葉に俺は手を振った。もう限界だ。
「誰も部屋に入れないから、みんな出て行ってくれよ。一人で眠りたいんだから。この世界に来てからこっち、ずーっと誰かと一緒だったから、一人で寝たいんだよ!」
俺はそう言ってから、三人に部屋を出るように手で合図して追い出した。
ルイーゼは俺が本気で疲れていることを確認した後、デジレを引っ張って、不満そうな顔をしながらも出て行った。ただ、一瞬エルンストに目配せをしていたから、どうせ外で監視させるとみた。エルンストも災難だけど、同情する気にはならない。
俺はすぐに部屋に鍵をかけて、ベッドに横になったんだ。でも俺はふと気が付いて、部屋のドアの所にソファーを移動させて、内開きのドアを外から開けられないようにした。
我ながら良いアイディアだったと思う。その後、俺は再びベッドに横になったんだ。
そしたら俺は疲れていたのですぐに寝入ってしまった。
夜中合い鍵でドアを開けようとしてがちゃがちゃやっている人がいたような気がしたのは、たぶん夢なんだろう。そうに決まってる。
朝起きてみると、ベッドで寝る俺の右腕にルイーゼが、左にデジレがいた。ルイーゼはなんだか眉間にしわを寄せている気もする。そして、昨日の夜に移動したはずのソファーは元の位置に戻されていた。
確か俺は一人で寝たいと宣言したはずなんだが……。
俺は二人を起こさないようにそっと腕を抜いてベッドから外に出る。
俺はなんとなく部屋を見渡して、びっくりして声を上げた。
「うわっ!」
だって、部屋のドアがはずされて壁に立てかけてあるよ。その向こうには、剣を抱いたエルンストの姿が見える。それに、なんだか頬が痛い。一人で寝たはずなのに、俺は全然疲れがとれていない気がする。いや、気がするというか、実際疲れがとれてない。
そして、暫くするとルイーゼとデジレがほぼ同時に目覚めた。
「信二、昨日はお楽しみだったようですね?」
「信二様。おはようございます。今度はお邪魔虫がいないときにしたいっ」
「あああ、あなたは、今、私のことをお邪魔虫って言いましたかっ?」
「ルイーゼってば、背中が煤けてるしっ」
「デジレの言葉の意味がわかりませんっ」
二人はひとしきり口論をしたあと、一度部屋に戻って身だしなみを整えて、もう一度この部屋に来た。もうこの部屋にはドアがないので、俺にはそれを止めるすべはなかった。
そのうち朝食の準備が終わったらしく、部屋に四人分の料理が運ばれてきた。運んでくる女の子は例の青髪の一番若いオリヴィアとか言う子だ。
「おはようございますっ。信二様っ」
「あれ? ノーマとサラはどうしたの?」
「抜け駆けしようとしたので二人とも監禁――、あの、その、何か用事があるようでした」
オリヴィアは下着が見えそうな短いスカートをはいて、料理を運んできた。そして、意味ありげな視線を俺に送ってくる。俺の前でくるりと回ったり屈んだりして、自分の下着を見せまくってた。青い横しまの下着は扇情的で、いつもなら食い入るように見つめただろう。
だけど、さすがにこの精神状態では無理だ。俺はそんなに図太く出来てない。
俺とルイーゼとデジレは、昨日何があったのかは一言も話すこともなく、ルイーゼの祈りの後、無言で朝食を食べていった。
なんだか朝から精神修行しているような気がする。
そして、朝食後ほんの少し経ってからのことだった。部屋の前まできてドアのないことに気が付いて、壁をノックする人がいた。俺は顔を上げた。
「ドアないのでご自由にどうぞ」と俺はやけくそ気味に言う。
ノックの後、衛兵の一人が入ってきた。
「この町の執政官がお呼びになっています。お手数ですがおいでください」
そこから代表がいる建物まではかなりの距離があった。衛兵の後を付いて四人が歩いていくと、なんだかたくさんの人が俺たちを眺めていたような気がする。拝んでいた人がいたように見えるのは気のせいだろうか? 狼族ってすごい人気なんだなあ。
レンガ造りの町並みを、俺は興味深くあちこち見ていた。建物は計画的に立てたみたいで、ところどころ高さが違うものもあったけど、全体に区画整理されていて、とっても美しい町っぽい。だけど、俺が興味を引かれたのは、たまに建っている銅像だ。当然のようにイヌミミと尻尾が付いていて、俺はちょっぴりおかしくなった。
一五分ほど歩くと、衛兵と俺たち四人の目の前に、ひときわ大きな目を引く建物が現れた。
俺たちは建物の中に案内された。そして、その建物の奥にかなり広い執政室があった。俺たちはそこに導かれたんだ。
執政室はシンプルだったけど、歴史を感じさせる雰囲気だった。背を向けたままの椅子には複雑な装飾が施され、黒光りがしているのが見える。大きな机は丁寧に使い続けられてたようだ。傷一つない。そして、壁際に設置された書庫は、たくさんの見たこともない文字のタイトルが書かれた本で埋め尽くされていた。そして、椅子がくるりとこちら側に向いた。
椅子には威厳を持った老齢の人が座っていた。こちらをじろりと見つめてからすくっと立ち上がる。そしてその老人は口を開いた。
「わしがサントジョージの執政官、ヘンドリックじゃ」
四人が身分を名乗り、今までの経緯を説明すると、ヘンドリックは俺たちに言った。
「この町に来訪した理由は分かっております。虎族がいる理由もじゃ。お三方の通過を許可しよう。王族の話であれば是非もない。しかし、信二殿は、申し訳ありませぬが、この町にしばらくとどまって頂きたい」
「なぜ?」
その問いは俺じゃなく、ルイーゼが発した。ルイーゼはヘンドリックをにらみ付ける。
「王族とその仲間に対して、行動を町の執政官が制限できると思っているのですか?」
「皇都ヴェストファーレンから指示が出ておるのです。人間の方を保護するように、と」
ルイーゼはその言葉にぎょっとしたように叫んだ。
「皇都? 皇都から指示なんて出るはずがありませんっ! あそこは無人の街ですよね? 私たち王族が血筋を報告するときに使うだけの神殿ではありませんかっ!」
「先ほど、使者から伝達があったのです」
「使者から伝達ですって? ちょっと待ってください。皇都から使者なんて、一体いつの時代の話してるのですか? ありえないでしょう? 皇都が亜人間一人いない無人の都になってから、もう何千年も経っていますよね?」
「わしらも最初は信じられませんでしたが、執政室に使いの方が現れ、指示があり申した。『程なく人間の方が現れるはずだから、保護した上で、丁重に皇都ヴェストファーレンまでお連れする手配をするように』とのことですじゃ」
「悪いですが、それには応じられません。信二は私と一緒に行かなければならない場所がありますから。皇都ヴェストファーレンは父君の許可を得てから報告に行きます。父君に話す前に、私と信二だけで行くなど、そんな勝手なこと出来る訳がありません」
なぜだかルイーゼは頬を染めながら言った。
何の報告だ? なんだかやばげな雰囲気があるのは気のせいか?
俺が疑問に思っていると、その言葉をエルンストが聞いて、不愉快そうに小さく言った。
「ルイーゼ様。フレデリック様がお認めになるか、まだ分かりませんよ?」
「大丈夫です。私、なぜだか信二のことをとても昔から知っているような気がしますから。だから絶対大丈夫です」
ルイーゼとエルンストに向かってヘンドリックは首を振った。
「申し訳ありませんが、執政官として皇都の使者の意向に従わぬわけにはいきませぬ。皇都の使いに逆らうことは、この町に対して魔法攻撃を看過することに他なりませぬ」
俺はふと気がついてヘンドリックに聞いてみた。
「その使者と話すことって出来るの?」
「信二殿は人間ですから、それは当然ですな。結構。わしの後を付いてきてくだされ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 私も一緒に行きますっ」
ルイーゼが叫ぶ。だが、ヘンドリックは首を横に振った。
「大変恐縮じゃが、王族といえども、王家の部屋の先にある使者の間には入れませぬ」
デジレとエルンストを一瞥したヘンドリックは続けた。
「そして、あなた方はこの部屋に留まる他はありませんな。この先は、執政官と王族、そして人間以外は入れぬからのう」
ヘンドリックは、デジレをじろりと睨んだ。俺はそれを見て、デジレを説得した。
「デジレ、悪いけどこの部屋でちょっとだけ待っててくれ」
「えー? デジレも信二様と一緒に行きたいっ」
「頼むよ。すぐに戻るから」
俺が見つめた瞬間くらいから、デジレはうっとりした目つきになって、小さく頷いた。
「分かったよ。信二様が言うならそうするよっ」
そしてエルンストはいつもの仏頂面で俺とヘンドリックを交互に睨み付けていた。
ヘンドリックと俺とルイーゼは王家の部屋に向かうことになった。王家の部屋は、王族が立ち寄ったときに使う部屋らしい。使者の間は王家の部屋の先にあるんだそうだ。廊下をしばらく進むと、ある部分を過ぎたところから突然装飾が豪華になって、絵画が飾られ、床には絨毯が敷き詰められるようになった。たぶん、そこからが王家のエリアなんだろう。
「あのさ、ルイーゼ。ちょっと気になるんだけど、執政官と王族ってどんな関係なの? 王族の方が偉いんでしょ?」
「この町を管理するのが執政官ですね。町によって違いますが、選挙で有力者が選ばれるのが普通で、言ってみれば行政の代表です。王族はよほどのことがなければ、それぞれの町の行政には関わりません。王族はこの町を含めた犬系全体の外交を決定するのです。もちろん戦争もその範疇になります」
「ふーん。何だか複雑だね。王族が町の管理も行わないの?」
「昔はそうだったらしいですが。猫系の町は今でもそうしているみたいですね」
そして、程なく、王家の部屋の前に着いた。ヘンドリックがドアを開く。俺が中を覗くと、絨毯、装飾ガラス、いろんな模様の付いた机や椅子など、贅を尽くした部屋がそこにあった。それらは全部職人の手作りっぽかった。
俺が部屋の中に入ると、部屋に置かれた宝飾品で一瞬目がくらむほどだった。
そして、部屋の奥に一段と豪華な扉が置かれていた。それは、幅五メートルほどの巨大な扉で、その扉の付近は明らかに異なる素材で出来ているようだった。
「その先が使者の間。普通の方法では開けることは出来ませぬ。ですが、信二殿であればあるいはその扉を開くことが出来るでしょう。ただし、記録によれば、数千年前に一度開いたのが最後という事じゃ」
その説明に俺が疑問の声を上げる。
「えー? それって変でしょ? ついさっき使者が通ったんじゃないの?」
「その使いの方は、執政室に突然現れ、命令を伝えてからすぐに消えてしまったのじゃ」
「それって、画像だけ送ってきたの?」
「人間の方にはそんなことが出来るのですかな? ああ、魔法の一種じゃな」
「魔法? 単なる科学だけど――」そう言いかけて、俺は突然思い出した。
確かルイーゼが、人間は魔法を使うって言ってたけど、これのこと?
そういえば、なんかの本で、『進んだ科学技術は、それを知らない人にとっては魔法に見える』とかって聞いたことがある。
俺は納得して、ルイーゼと王家の部屋の奥に進んだ。
そして、その大きな扉の前に立ったけど、何も起きなかった。
「なにも起きないようですが?」
ルイーゼは不満そうだ。ヘンドリックも当惑している。
俺はもう一歩進んで、その扉に触れてみようとして失敗した。
俺は扉に触れることは出来なかった。
俺の手はその扉を、まるで映像のようにすり抜けたんだ。
ルイーゼはビックリして俺の傍に駆け寄ると、同じ事をしようとした。だけど、ルイーゼは扉をすりぬけることが出来なかった。ルイーゼは扉を叩いたり引っ掻いたり押したりしている。どういう原理だか分からないけど、この扉は人間だけ通すようだ。
「な、何だ? この扉は?」
俺は扉から掌を引っ込めてから、ルイーゼの方を振り返った。ルイーゼは不安そうだ。
「ちょっと行ってくるよ。ルイーゼはここで待ってて」
「心配です。あなたは警戒心が抜けてるところがありますから……」
「大丈夫。すぐに戻ってくるから。心配することなんてないよ」
俺がそう言った瞬間、ルイーゼが突然大きな涙を瞳に浮かべた。俺はビックリして、ルイーゼの肩を掴んで聞いた。
「ど、どうしたの? 俺、何か変なこと言った?」
ルイーゼは俺から目を反らして小さく囁いた。
「いいえ。なんでもありません」
ルイーゼは俺の手をふりほどくと、俺を見て明るい声で言う。
「ほら、早く用を済ませて、早く行ってください。私は通れないみたいですから、早くすませて、すぐに戻ってきてくださいねっ」
俺はちょっぴり心配になったけど、言われたとおり扉の方に向かうことにした。
たぶん話をしたら使者だって分かってくれるはずだ。きっとそうだ。そして、ルイーゼの所に戻ればいいんだ。
そして、意を決した俺は、扉の中に入っていった。
* * *
ルイーゼは信二が扉に入っていく姿をじっと見つめていた。
そして、信二がいなくなった後、ヘンドリックに聞こえないように、小さく呟いた。
「私、何だか変です。さっき、信二の言葉を聞いたとき、私の胸がきゅっと締め付けられて、とっても悲しくなったんです」
『大丈夫。すぐに戻ってくるから。心配することなんてないよ』
信二の言葉がルイーゼの心の奥の柔らかいところに、ナイフのように刺さっている。
苦しくて、悲しかった。涙がこぼれてとまらない。
不安と心配で全身が震えていた。そんなの初めての経験だった。
ルイーゼは何かを思い出そうとするように、その理由を一生懸命考えた。だけど、どこにもその回答はなかった。
「何で? 何でこんなに心が苦しくなるんでしょう? 何でこんなに不安になるんでしょう?」
そして、たぶん自分の不安の原因が信二にあることを確信した。
だから信二が戻ってきたら、平手打ちをプレゼントしようと、ルイーゼは心に堅く誓った。