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第四章 記憶に残らないほど情熱的なキス

 俺は夢を見ていた。

 その夢はとっても現実感があるものだったけど、夢は概ねそうしたものだと思う。

 夢の中で、俺とルイーゼは恋人だった。ルイーゼはちょっと乱暴で怒りっぽいけど、俺のことをいつも考えてくれている。それを俺は知ってる。

 俺がルイーゼに平手打ちを食らったのは、数え切れないくらいだ。

 今度からルイーゼの平手打ちの回数を数えておいて、いつか文句をつけてやることにしよう。

 狼族の女の子は、他の亜人間と違って人間に媚びない。孤高の種族らしい。何度もルイーゼとケンカしたけど、決まって謝るのは俺の方だ。

 だけど、ルイーゼは人間じゃなくて狼族だから、俺と一緒に歩いていると、人間の、それも特に女の子から、汚らわしいものを見るような目で見られることも少なくなかった。

 そんなときはいつもルイーゼはとっても悲しそうな顔をして、俺に聞くんだ。

「本当に私なんかが恋人でいいのですか? 私は人間じゃなくて、亜人間ですよ?」

 何度も聞いた、その悲しい台詞。

 そのたびに俺は胸が締め付けられて心が痛むけど、ここで笑わなきゃいけないことは分かってる。だから俺は、ルイーゼの頭と耳を撫でて、微笑みながらこう言うんだ。

「俺には過ぎた恋人だよ」って。

「で、ですが、もし亜人間でしたら猫系とかの方が尽くしてくれますよ? 私はすぐ怒ってしまいますし、可愛くないですよね?」

「尽くしてくれる子なら、もういるしなあ」

 俺の側にはとってもキレイなメイドさんがいて、いつもお世話をしてくれていた。だけど、その子のことをルイーゼはとっても嫌っていた。俺が誰のことを言ったのか、瞬時に気が付いて、ルイーゼが不満そうに言う。

「あの人の話はしないでくださいっ!」

 そう言って、いつもの平手打ちが俺を襲うんだ。

 さっきまでのルイーゼの悲しそうな顔が吹っ飛んでいた。そして、ルイーゼの頬を膨らませた顔がとっても可愛かった。

 だけど、これは夢。俺が見ている夢だった――。

 だって、そのルイーゼの瞳の色は全てを見通すような神秘的な黒で、碧眼じゃなかったから。


 * * *


 翌日、日の出は午前五時くらいだった。ルイーゼは、二人とまだ暗い時間に朝食を済ませて、三人は日の出とほぼ同時に出発した。

 そして、禁断の塔に到着したのは、それからしばらくしてからのことだった。

 禁断の塔の近くに、人気のない廃墟があった。その周辺も異様な光景だった。周囲の森は毒々しい原色に覆われ、その廃墟の入口付近はなんだか半分溶けている。その廃墟はルイーゼたちが見たこともない規模だった。ただ、その廃墟はほとんど原形を止めていない。破壊された建物と、何だか高熱でさらされたような半分溶解した建物がその廃墟を多い尽くしている。

 その光景にルイーゼは、ほんの少し恐怖を感じ始めていた。

 そして禁断の塔は、隣の廃墟と異なり、キレイに磨かれたような光沢を持ってそびえたっている。下から見上げると分かりにくいけど、その高さはルイーゼが今まで見た一番高い塔に匹敵するだろう。

 そして、一〇〇メートルほどまでその塔に近づいたとき、それが起きた。

 塔の上の方で光が煌めいた。ルイーゼはそれが何であるかヴィレムから知らされていた。

「さがりなさいっ」

 その言葉を発したのはルイーゼだ。そしてほぼその言葉と同時に馬を駆る。

 デジレとエルンストはルイーゼの言葉に一瞬躊躇した。ルイーゼの馬だけ突出していった。

「このバスタードソードは王家に代々伝わる剣です。デジレっ。貴女はただ見ていなさいっ」

 ルイーゼは剣の刃を肩の上で構えている。

「この剣で、もし私が失敗したら、あなたたちはすぐに引き返して、デジレのレイピアを持ってきてそれを使いなさい。デジレとあのレイピアなら必ず出来るはずです」

 ルイーゼは声を張り上げてデジレとエルンストに言う。そして馬を加速させていた。

 次の瞬間塔から衝撃が走った。


 直線的な光が先行したルイーゼを襲う。ルイーゼはその光の流れを速度を上げて横切った。

「狼族を甘く見ないでっ」

 ルイーゼは剣の刃を天にかざしている。そして、光を振り払うように振っていた。ルイーゼは計算された位置から自分の身に光がかからないように避けていた。

 ほんの一瞬。ルイーゼはその瞬間だけあえて攻撃を受けていたんだ。

 その刃は正確に来襲した方向に向けられていた。


 * * *


 デジレは気付いていた。

 ほんの一瞬の反射光。それが塔の上に向かい、ルイーゼ達を攻撃してきた場所を襲っていた。

 ルイーゼは自分が持つ剣が、ほんの一瞬だけ攻撃を反射できることを知っていたらしい。

 それを塔の攻撃場所にお返ししたんだ。その代償として高熱を受けたルイーゼの剣は、ルイーゼの掌を焼いているだろう。

「し、信じらない。ルイーゼ様っ、なんということをっ」

 エルンストが驚愕の叫びを上げている。

 デジレは、熱を放つ剣を握りしめるルイーゼの瞳が不敵に輝いていることを見て取った。

 デジレは天才だ。それも、自分の才能に胡座をかくこともなく常に努力を重ねた剣士。デジレと同等の戦士が存在を止めて久しい。種族を問わず最強、天才と言われ続けてきた剣士が、デジレの前で赤子同然の扱いをされたときの周囲の衝撃は、既に遠い過去の話だ。

 デジレは、信二のために命を捨てることを躊躇しないだろう。それは信二のためだからだ。

 だが、ルイーゼは必要なときは躊躇無く仲間のために命を賭ける。

 たとえそれが敵対する猫系であろうとも。

 そして、それがデジレとルイーゼの決定的な違いのような気がした。

 だから、デジレはとっても悲しくて、そしてルイーゼが眩しかった。


 * * *


 塔の扉は固く閉ざされていた。

 デジレの力で押してもびくともしなかったから鍵がかけられていることは間違いない。

「扉は私が開けます」

 ルイーゼは返事を待たずにバスタードソードを振るった。扉の隙間に沿って刃を移動させたから、簡単に蝶番を切断できた。

 それを見たデジレが感心したように呟いた。

「流石は狼族だな。見事だ」

「貴女も出来るでしょう?」

 ルイーゼの言葉にデジレは不愉快そうに言ってきた。

「ふん。このデジレ・クラリーと剣技を比べるというのか? 愚かな姫だ」

「貴女は何も分かっていないわ。信二を守るのは剣じゃありません。貴女は大切なものを全てを失ってからそれに気付くわけですか?」

 ルイーゼの言葉にデジレは怒りを込めたように低い声で言った。

「分かっていないのは貴様だ。信二様を守るだと? どうしたらそんな傲慢な言葉を発せられるのだ? 守られているのは――」

 そこで、デジレの言葉が止まった。そして呟くように言う。

「そうか。お前は守りたかったのか。シルヴァーストーン――」

 デジレは突然我に返ったように天を見上げる。そして、その後の言葉はなかった。


 その塔の中は、壁全体が光っていた。炎や太陽の光以外の明かりを見たことのないルイーゼにとって、それは今まで見たことのない種類のものだった。だいたい一〇メートル四方の広さで、たくさんの四角い椅子のような物が置かれている。そして、奥の一段高くなった床にテーブルのような物があった。祭壇なのかもしれない。

 そして、デジレが塔の中に一歩入った瞬間に、声が響いた。

『なぜ虎族のお前が? 心して答えなさい。その質問のためにこの塔への侵入を許したのよ』

 それは女の声だ。だけどルイーゼにはどこから声が響いてきたか分からなかった。

 デジレはそんなルイーゼの疑問をよそに急いで答える。

「信二様を助けたい。だから魔法薬が欲しいんだ。狼族の神経毒であたしの大切な人間の意識が戻らない。もし魔法薬がもらえるなら、あたしは何でもする」

 デジレの言葉に興味深そうに問う声が響く。

『お前がいつも持っていたあの剣は? なぜ持っていないのですか?』

「あの剣はあたしの命。だから、信二様の傍らに置いた」

『では、もしあなたの命と引き替えに治療薬を渡すと言ったら、どうしますか?』

「いいよ。あたしはどうなってもいい。だけど、約束して欲しい。信二様を助けられると」

 デジレは即答した。だが、その声は今度はルイーゼに向いた。

『狼族の少女。あなたはどうなの?』

 その口調にはなぜか挑発するような攻撃的な響きが漂っていた。

「信二を助けたい。だから魔法薬をください」

『そのために命を賭けられる?』

「わたしは――」ルイーゼは一瞬口籠もった。「わたしは、信二と一緒に生きたいのです。お願い。信二を死なせたくありません」

 そして、その言葉の後、部屋の奥の祭壇に光が宿った。

『人間のためだと理解しました。そこに魔法薬を置いたから、すぐにこれを持ち帰って人間の方に飲ませなさい。ただし、その時にあなた達は一つの選択をせねばならないでしょう。その魔法薬は全ての病気を治癒させることが出来ます。よくそれを覚えておきなさい』

 エルンストは、遅れて部屋の外側に立って、そのやり取りを聞いていた。

 ルイーゼは一瞬だけためらった後、礼拝堂の奥に駆けた。デジレも後に続く。光がともされた場所に、透明な袋に包まれて、大豆くらいの大きさの丸薬が三つあった。

「これですね?」ルイーゼが確認すると、声が聞こえた。

『即効性の魔法薬よ。胃液に触れた後、気化して肺から即座に吸収されます。呼吸していれば飲んだ瞬間から効果がある筈。一人に対して一つを使えば十分でしょう』

「三つありますが?」

『見ての通りよ。好きに使っていいわ』

 ルイーゼは少し不審に思ったが、「大盤振る舞いですね」と言ってそれを手に取った。

 するとデジレはルイーゼの手を引いて、その魔法薬の包みを奪い取った。そして、腰に提げたバッグから革袋を取り出して、それに魔法薬を一つだけ移すと、ルイーゼに残りを返した。「あたしが一つ持って行く。二組に分けた方が安全だから。いい?」

 ルイーゼは納得して、頷いた。

「じゃあ帰りますよ? 急げば、一〇時には着けるはずだから」

 デジレは小さく頷いて、ルイーゼと共に塔の外に走った。

 そして、塔の外に出て馬を見たとき、ルイーゼは愕然とした。一頭の馬の皮膚に、原色の変な斑点が浮き出している。それはエルンストが乗っていた馬だった。

「な、何? 一体何が起きてるのですか?」

「た、たぶん、この付近の風土病だろうと思います。禁断の塔の近くは、我々の知らない新種の流行病があると聞きますから」

 エルンストは狼狽したようにルイーゼを見て言った。

「たぶん、この馬はもうダメでしょう。残された二頭に乗って帰るしかありません」

 エルンストはデジレの方に向いて、ゆっくりと続けた。

「デジレ、すまないが、私はルイーゼ様を守らなきゃいけないから二人で馬に乗ろうと思う。だから、先に魔法薬を持ち帰ってくれないか? 二人で馬に乗ったら、速度が落ちるから、昼に着けるかどうか分からないからな」

 エルンストはそう言ってから、再びルイーゼの方を向いた。「いいですよね?」

「で、ですが……」ルイーゼが躊躇している間に、デジレは馬に飛び乗った。

「分かった。じゃああたし、先に行くよっ」

 そして、デジレは振り返りもせずに、その場から走り去っていく。

 ルイーゼは少しだけ困惑したが、もうどうしようもなかった。エルンストとルイーゼは、残された馬で行くしかない。ルイーゼは斑点が浮き出したエルンストの馬を綱から解いた。この近くに集落はない。死に場所くらいは選ばせようと思ったからだ。その様子を複雑そうな顔でエルンストが見ていた。

 そして、ルイーゼは自分の馬に乗りながら言う。

「仕方がないわね。とにかく急ぎましょう。ひょっとしたら、この馬だって感染しているかもしれない。もしそうなら、いつ走れなくなるか分からないですし……」

「そ、そうですね」

 エルンストが後ろにまたがると、ルイーゼはすぐに馬を走らせた。


 エルンストと二人で乗った馬は、やはりかなり速度が落ちている。ルイーゼが想像する限り、このペースでは昼に間に合うかすら怪しかった。焦り始めたルイーゼは、一時間ほど馬を走らせて昨日テントを張った道の近くまで出たところで馬を止めた。

「エルンスト、悪いけどここで降りてください。このままじゃ午前中に間に合わない。すぐに迎えをやるから、ここで待機しててください」

 ルイーゼの言葉にエルンストは叫んだ。

「え? いや、それじゃ作戦が――」

 そう言いかけてエルンストは慌てて口を押さえている。ルイーゼは耳をぴんと立てた。

「作戦って何ですか?」

「あ、いえ、別に何でも……」

 ルイーゼはエルンストを一瞬不思議そうに見たが、すぐにそれどころではないと思い返した。

「じゃあ悪いけど、ここで待っててね」

「は、はい。分かりました。ですが、無理しないでください。デジレが先に向かっていますから、それほど心配なさらずとも……」

「なにか変ですね。あなたは昨日までデジレのこと全然信用していませんでしたよね? 何でそんなこと言うのですか? 突然信用するようになったわけですか?」

 ルイーゼはエルンストの態度がとっても変に思えた。だけど、とにかく、何より信二を助けに行くことが先決だと思って、そのまま馬を走らせることにする。

 もう八時近くだ。

 ここまで二人を乗せて馬が疲れていることを計算に入れると、正午に着くかどうかは、もうぎりぎりだろう。ルイーゼは焦る気持ちを抑えながら馬を走らせた。

 そして、二時間ほど走ったところで、ルイーゼが目を疑う光景が広がっていた。

 主を失った馬と共に、デジレが道端に倒れている。

 慌てて、デジレの側で馬を止めた。そして馬を下りたルイーゼは、デジレに駆け寄ろうとした。その瞬間、デジレの苦しそうな声が響いた。「来ちゃ……、ダメ!」

 ルイーゼは、訝しそうにデジレを見て、ぎょっとした。デジレのキレイな肌に、何だか赤い斑点が見えている。そして、顔色が真っ青だ。「ど、どうしたの?」

「たぶん、あたし、罰が当たったんだ。信二様を独り占めしようとしたから」デジレがぜいぜいと荒い息で言った。「あたし、たぶんもうダメ。こんなに早く衰弱する病気なんて、聞いたことないもの。ルイーゼもあたしの近くに来ないで」

「あの馬と同じ病気かしら?」

 ルイーゼの言葉にデジレは息を継ぎながら答えた。

「馬は、病気にかかってなんて、いない。エルンストに頼んで、病気のような模様を、つけてもらった、だけ。そうすれば一人で、信二様のところに、向かえる、でしょ?」

「な、何ですか、それって?」ルイーゼはデジレの言葉に絶句しそうになる。

「あたし一人で、信二様を助けて、そのまま、連れ去ろうとしたんだ。あたしってホントにバカだ。あたし自身が、ホントに、病気にかかっちゃう、なんて」

「エルンストは貴女に協力していたのですね? 後でとっちめてやりますっ」

「信二様に、薬を届けてくれる? あたしの薬、渡すから、お願いね?」

 デジレの悲痛な願いにルイーゼは首を横に振った。

「貴女はバカです! 貴女は自分でその薬飲めばいいでしょう!」

「でも――信二様がっ、信二様を助けないとっ」

 そう言いかけるデジレを制して、ルイーゼは腰袋から包みを取り出した。そしてもう一錠の丸薬を取り出すと、デジレに渡して言った。

「それは、エルンストに渡して頂戴。私はここまで来られたからもう大丈夫ですが、エルンストはまだ危険地帯にいます。貴女はすぐに薬を飲んで、具合が良くなったら、今来た道を戻ってエルンストを拾いに行ってください。場所は昨日休んだあの場所だから、分かりますよね? 念のためそれを持っていって、エルンストの具合が悪そうだったらそれを使いなさい。私は、このまま信二のところまで薬を持って行きますから」

 デジレは不安そうにルイーゼの方を向いた。

「でも、あんたまで具合が悪くなったら信二様を助けられない――」

「私は大丈夫です。狼族を舐めないでください。純粋な狼族は滅多なことじゃ病気に罹りません。狼族は猫系を含めた亜人間の中でも特別な種族だって、貴女も知っているでしょう?」

 ルイーゼはそう言って馬に跨った。もう時間がない。

「いい? 貴女に魔法薬を渡したのだから、間違いなくエルンストに会ってください。もし私の後をついてきて、信二の方に向かおうとしたら絶対許しませんからっ」

 デジレは、信二のことを考えて魔法薬を飲もうかどうか迷っている。ルイーゼはそう思ったから魔法薬を渡した。エルンストのことはおまけみたいなものだけど、デジレの様子から考えて、病気になっている可能性もある。禁断の塔近くは、やっぱりとっても危険だったんだ。早くエルンストを帰らせなきゃならない。

 ルイーゼは、振り返りもせずに馬を走らせると叫んだ。

「エルンストのこと貴女に頼みましたからっ!」


 * * *


 夢の中で、俺は黒い瞳をしたルイーゼにかなり怒られた。

 俺は、ルイーゼが喜ぶかと思って頭に大きな毛皮ミミのアクセサリーを買って来てそれをつけていた。そしたら、部屋に入るや否や、ルイーゼに平手で三発殴られたうえに、胸倉をつかまれて問い詰められた。理不尽だ。

「あなたは私にケンカ売っていますかっ?」

「ええっ? よ、喜んでもらえるかと思ってつけたんだけどな」

「ああああ、あなた、それってどんな耳だか分かっています?」

「え? 似合わなかったかなあ? あの護衛の人に選んで貰ったんだけど」

 俺の脳裏に喜々として耳を選ぶ護衛の姿が蘇る。

 あの人は俺にこの耳が似合うって太鼓判を押した上で、記念とかでツーショットの写真まで撮られた。万全な準備をした俺は、間違いなく世界に通用するスタイルの筈だ。

 だが、不機嫌なルイーゼは俺を一喝するように言い放った。

「それってネコミミですが? 私が猫系が嫌いなの、知っていますよね?」

 やばい。そんな落とし穴があったとは。

 うっかりして俺はネコミミのアクセサリーを買ってきてしまったらしい。

 そういや、護衛は猫系の子だった。失敗したっ。

 ルイーゼはネコミミが大嫌いな女の子だ。喜ばせようとして最悪の選択をしたんだ。

 だけど、正直言えば、俺、ネコミミって好きかも知れない。それに、結構高かったんで、捨てるのはもったいない。ちゃんと音の方を向く優れものだし、セットで尻尾も付いてきた。尻尾は動きにあわせて自在に動くようだ。しかも永久保証付き。

 だけど、ルイーゼが悪鬼のような目で睨むので、命が惜しい俺としては、それをつけることは出来なかった。そういうわけで、いつも俺の世話をしてくれているメイドさんにプレゼントしてあげた。もちろん、ルイーゼには内緒だし、いないときを見計らったんだ。メイドさんは微妙な顔をしてネコミミセットを受け取った後、なぜか付けるのを躊躇していた。

「つけて見せてくれない?」

 俺がそう言うと、何だか悲しそうな顔をした後、ネコミミと尻尾をつけてくれた。

 ネコミミをつけたその子は想像通りかわいくて、元々キレイなその子がとっても映えて見える。俺は大げさに両手を挙げて言う。

「ブラボー! すごくカワイイよっ! やっぱり似合うなあ。ずっとつけててよ」

「はい。分かりました。ですが、お掃除とかで邪魔になるときもありますので、特別なときにつけさせていただきます」

 そう言いながらも、何だか不満そうだ。俺が不思議に思っていると、俺のメイドさんは、背を向けて小声で何か呟いている。俺は耳を澄まして聞いてみた。

『屈辱だわ屈辱だわ屈辱だわ屈辱だわ屈辱だわ屈辱だわ』

 俺はその言葉を聞かなかったふりをすることにした。


 * * *


 全身が疲労感に襲われる。ルイーゼは必死に馬にしがみついて、城に向かう。

 ルイーゼは自らもデジレと同じ病に冒されていることに気付いていた。

 でも、何とか耐えられる。城までは、信二のいる場所までは、たどり着ける。

「だって、わたしは狼族だから。約束と、家族は絶対守るんですっ」

 何度も意識を失いそうになった。それに必死に耐えた。

 そして、城が見えた時、ルイーゼは全身に張り詰めた気が緩むのがわかった。


「ル、ルイーゼ様! いったいどうなされたのですか?」

 衛兵はルイーゼの様子に気付いて声を上げたようだ。

「だ、大丈夫ですっ。それよりも念のため私に近づかないようにしなさい」

 ルイーゼは城門で馬を下りると、衛兵に馬を渡さず、自分で近くに置いた。衛兵はルイーゼが真っ青なことに気付いて、声を掛けようとしが、ルイーゼはそれを手で制止した。 

 ルイーゼは、歩き出したとき自分の身体が思い通りに動かなくなっていることにビックリした。いつも軽快に動く手足がゆっくりとしか動かない。こんな経験は初めてだった。

 周囲の困惑を気にする余裕なんてない。ルイーゼがよろよろしながら、信二がいた部屋に向かった。そしてやっと信二のベッドの近くまでやってきたとき、背後から声がした。

「ルイーゼ、遅かったようじゃ」

 ルイーゼが苦労して振り返ると、そこにヴィレムがいた。「ど、どういうことですか?」

 ルイーゼがベッドを見ると信二が寝ている。だけど、その顔には布がかけられていた。

「信二殿は息を引き取られた」

「嘘ですっ!」

 ルイーゼは思わず言い返した。ヴィレムはゆっくりと説明する。

「ほんの今しがたのことじゃ。突然息が荒くなった後、もはや呼吸をしておらん。残念じゃが、仕方あるまい。魔法薬はこの方には間に合わなかったが、お主には役に立とう。お主、禁断の塔で流行病に犯されておるじゃろう。神がお前に生きろと言っておるんじゃ」

 ヴィレムの言葉にルイーゼは叫んだ。

「神なんて知りませんっ! 信二を助けられない神様なんて、わたし信じません!」

 ルイーゼはうっすら涙を浮かべながら、ヴィレムに聞いた。

「信二が息をしなくなったのはいつですかっ?」

 ヴィレムはその質問に不思議そうな顔でルイーゼに答える。

「一、二分前だと――」

 その言葉を聞いたルイーゼは、腰袋から魔法薬を取り出すと、信二が寝ているベッドの側に寄った。そして、傍らにおいてある水の入ったコップをじっと見る。そして、おもむろに取り出した丸薬を自分の口に放り込んだ。

 そして、ルイーゼは、ほんの少し水をほおばると、信二に口付けをした。

 ヴィレムは突然のことに目を白黒させている。

「な、何を?」

 ルイーゼは、そのまま信二の口の中に、強引に噛み砕いた丸薬と水を流し込む。そして、信二の胸に耳を当てて食道にその丸薬と水が流れ込んだことを確認した。その後、ルイーゼはもう一度信二の唇に自分の唇を合わせて、今度は人工呼吸を始める。

 その時やっとヴィレムはルイーゼが何をしているのか気がついたようだった。ヴィレムが悲痛な叫びを上げる。

「な、なんてことをするんじゃ!」 

 ルイーゼは、最後の手段をとっていた。魔法薬は即効性だ。無理やり信二に飲ませて、人工呼吸で蘇生させようとしていたのである。

 だが、それは、ルイーゼが助かる唯一の方法を、放棄したことにもなるかもしれない。

 ルイーゼは自分が危険で馬鹿なことをしていると分かっていた。だけど、信二が助かるかもしれない可能性を放置できなかった。もしルイーゼの運がよければ、エルンストが魔法薬を持って現れるかもしれない。だけど、そんなことはどうでも良かった。

 ルイーゼはただ信二のことを助けたかっただけだから。


 * * *


 エルンストがデジレを見つけたのは、馬で街道をひた走っているときのことだった。

 エルンストがなぜ一人で馬に乗っているかと言えば、偽の斑点模様をつけたエルンストの馬を、ルイーゼが離したからだ。ルイーゼと分かれてからすぐに、エルンストが乗っていた馬は、もと来た道を戻って、エルンストが待っていた地点に現れたのである。

 エルンストは斑点模様を消すと、ルイーゼの後を追って馬に乗った。デジレと出会ったエルンストは、彼女から事情を聞くと、二人で王都に大慌てで戻ることにした。

 そして、その途中でエルンストは気がついたのである。自分もデジレと同じ病魔に冒されていることを。デジレに言って魔法薬を飲むべきかどうか、エルンストは少しだけ迷ったが、結局それは飲まないことにした。ルイーゼは一つしか魔法薬を持っていかなかった。だが、エルンストと同様、ルイーゼも流行病にかかっているかもしれない。

 それは、ルイーゼを助けるためには、エルンストが死ななければならないと言うことだ。エルンストは禁断の塔で聞かされた言葉を思い出していた。

『すぐにこれを持ち帰って、人間の方に飲ませなさい。ただし、その時にあなた達は一つの選択をせねばならないでしょう。いいですか。その魔法薬は、全ての病気を治癒させることが出来ます。よくそれを覚えておきなさい』

 つまり、人間を助けるためには、その場にいた亜人間の誰かが犠牲にならなければならないと言うことなんだ。ルイーゼは、自分を犠牲にしようとしていたんだろう。だけど、そんなことを許す訳にはいかない。あの高潔で、美しく、気高い王族のルイーゼを死なすなんて、エルンストには想像も出来なかった。

 ルイーゼを助けるためなら、エルンストは喜んで自分の命を差し出そうと思っていた。

 一一時を少し過ぎて、王都の近くまで来た頃、エルンストの容態が急激に悪くなっていった。エルンストはそれを隠していたが、デジレはそれを見逃さなかったようだ。

 馬の上でデジレが大声を上げた。

「一〇分だけ休もう。エルンスト、お前は疲れているだろう?」

 エルンストは、その言葉を聞いて反論した。今は時間が何より惜しい。

「大丈夫だ。あと一時間少しで城に着く。我慢できるさ」

「じゃあ五分だ。体力が回復するお茶を作ってやる。そんな調子で落馬されたらそれこそ無駄な時間がかかるからな」

 エルンストは、デジレの言葉に言い返せなかった。

 恐らくルイーゼが流行病にかかったとしても、夕刻くらいまではなんとか持つだろう。

 エルンストはそう考え直して、デジレに声を上げた。「分かった。五分だ」

 デジレは馬上で頷くと、馬を降りた。エルンストもそれに倣う。馬を下りたエルンストは自分の身体全体が、何かどろどろした粘液の中で動いているように感じられた。うまく身体が動かない。疲労感が全身に広がっている。そしてエルンストは自分の手の甲を見ると、斑点が見えていた。たぶん顔全体にもそれは広がっているだろう。エルンストは、それを覆い隠すように首筋から上を布で覆った。

 デジレはもう魔法薬を飲んでいるから、この流行病が感染する可能性はないはずだ。

 デジレは手際よく火をおこして、紅茶のような物を作った。そして、きっかり三分後、できあがったお茶に、ぱらぱらと何かを振りかけた。そしてエルンストにカップをつきだしてくる。

「飲め。残すんじゃないぞ?」

 有無を言わさないデジレの様子に、エルンストは少しだけ不満を持ったが、小さく頷いてからそれを受け取った。そして、一口飲んだ。

「苦いな」

「それはそうした物だ。文句言わずに飲み干せ」

 エルンストはカップを傾けて一気にそれを飲み干した。苦みが後を引く。だが嫌な感じではなかった。すうっと身体が楽になった感じがする。エルンストは感心して呟いた。

「ほお? 楽になった。虎族のお茶もたいしたもんだな」

「当たり前だ」

 デジレは吐き捨てるように言った。そして、すぐに馬にまたがる。

 エルンストもそれに続いた。さっきまでの身体全体にまとわりつく疲労感がすっかり消えていた。身体が軽い。これなら、ルイーゼの所まで気付かれずにいけそうだ。


 * * *


 それは、たぶん最後の夢だった。たくさんの想いが俺の頭の中をよぎる。それは整合性もなく時系列もごたまぜになった、強烈な後悔と、そして想いの集合だった。


『大丈夫。すぐに戻ってくるから。心配することなんてないよ』


 ああ。そうだった。これが俺のいつもの夢だ。

 救いようもない現実に涙が溢れる。


『だけど、誰かがやらなきゃなんない。残った人間は俺しかいないから、俺は行かなきゃなんない。人間のしたことの後始末だから、これは俺の仕事なんだ』


 ****の前から俺は消える。あの神秘的な黒い瞳は二度と見ることが出来ない。


『あのさ、俺は、必ずお前たちの前に戻ってくるよ。絶対だ。だから、俺を待っててくれ』


『この世界は俺が何とかしてみせるよ』


 俺は、****の幸せを選ばなかった。

 だって、それを選んだら、一つの世界が崩壊してしまうから。

 そんなこと出来るはずがない。そんなの間違ってる。だけど、今俺は分かる。

 それでも****を選びたかったんだ。

 みんなが幸せになれるはずがない。世界全体が幸せにはなれない。

 俺は****の幸せのために全てを捨てられると思っていた。

 だけど、たぶん俺にはその覚悟がなかったんだ。


 そして、俺はゆっくりと意識を取り戻していくのが分かった。


 俺が目を覚ましたのは、ベッドの上だった。枕が涙で濡れている。何だか、今まで長い夢を見ていたような気がした。目を覚まして、突然家が消えて、そこは砂漠で、イヌミミの綺麗な女の子に助けられて……。そして、その子の瞳の色は――。

 背中が痛くて横を向いた。

 隣のベッドに綺麗な女の子がこっちを向いて寝ていた。長い睫と輝くような金髪が見える。

 そして、思わず触りたくなるようなふかふかのイヌミミが枕の先に飛び出ていた。

「そうそう。この子だよ」

 狼族の女の子。夢で見た少女。その子が横に並べられたもう一つのベッドで寝ている。

 ということは――。まだ夢の中だ。間違いない。頬をつねってみる。

「痛っ!」

 痛いと言うことは、どういうことだ。最近の夢は頬をつねっても分からないってこと?

 恐る恐る起き上がってみる。当たり前のようにそこは自分の部屋じゃなかった。ほんの少し離れたところにある椅子に、イヌミミの老人が座っていた。

 その老人は、俺が起き出したことに気付くと、立ち上がって一礼をした。

「信二殿じゃな?」その老人は俺が頷いたのを見て、丁寧に話し始めた。「わしはヴィレムと申します。このたびはケガをさせて大変申し訳ないことをしましたな――」

 そうして、俺にヴィレムと名乗る老人が始めた説明は、衝撃的な内容だった。


 ヴィレムは、フレーメン反応のことや今までの経緯を説明した。そして、俺が寝ているとき、デジレが置いていったレイピアが鈍い光を放ったことが何度かあったらしい。俺がその言葉を聞いて考え込んでいると、突然、この部屋に二人の亜人間が飛び込んできた。

 一人はデジレだった。もう一人は俺の背中を切りつけたイヌミミの青年だ。ヴィレムはエルンストと言っていた。一瞬俺は身体を硬直させたけど、さっきのヴィレムの説明からすれば、もう俺が襲われることはないだろう。

 ヴィレムは、エルンストに大声で命じた。

「エルンスト! 残った魔法薬をここに! すぐにルイーゼに飲ませるのじゃ!」

 エルンストは頷いて、デジレに向かって言う。

「デジレ。残った魔法薬を出してくれ」

 デジレは俺の方を見て満面の笑顔だった。エルンストの言葉なんて聞いていないようだった。

「信二様! 起きたんだね!」

 そして、俺の方に駆け寄ってくる。俺の身体に抱きつくと、蕩けるような表情になった。

「ああ。信二様。良かった。デジレ、今、幸せだよ」

 俺はヴィレムの話を聞いていたから、赤くなる前にデジレの耳元で尋ねた。

「あのさ、ルイーゼにも魔法薬を飲ませたいんだけど――」

 俺の言葉に、デジレは一瞬困ったような顔をして言う。

「もう魔法薬は無いよ?」

 デジレの言葉に、デジレとルイーゼを除く全員が声を上げた。

「「「え? 何で/じゃ?」」」

「だって、エルンストに飲ませちゃったんだ。あのバカ、流行病にかかってるのにそれを隠してるし、自分から飲みそうもなかったからお茶に混ぜて飲ませちゃった」

「「「なっ!」」」

 それに一番絶句したのはエルンストだろう。俺がそっちの方を見たら、可哀想なくらい狼狽していた。手の甲を見て、「斑点がなくなってる!」とか叫んでいた。その妙な雰囲気に気付いて、デジレはすまなそうな顔をしてから、俺に聞いてくる。

「ひょっとしてデジレ、悪い子だった?」

 俺は自分の頭の中を整理するのに、かなり時間がかかった。魔法薬は三つしかないと聞いた。俺とデジレとエルンストで、もう三つ全部使っちゃった。ルイーゼを助ける方法は?

「俺、禁断の塔って言う場所に行ってくる」

 俺の言葉にヴィレムが首を横に振った。

「無理じゃ。症状を考えれば、今からでは恐らく間に合わん。ルイーゼを連れて行くとしても、到着まで持ちはせぬ。むしろ、傍にいるべきじゃろう」

 ヴィレムが悲痛にあえぐ顔で言ったとき、背後から女の子の声が聞こえた。

「あなたたち、一体何を騒いでいるのですか?」

 俺が振り返ると、ルイーゼが半身を起こして碧い瞳で見つめていた。そして輝くような笑顔で続ける。

「信二! 良かった。意識が戻ったのですね? 呼吸が回復したからもう大丈夫だって思っていました。私疲れていたから、信二が息を吹き返した後、横にならせてもらっていたのです。そしたら寝てしまったのですね。ごめんなさい」

「ああ、ルイーゼのおかげだよ。でも、そのせいで、ルイーゼが……」

「私は大丈夫ですよ。もう私は元気ですから」

 俺は、ヴィレムと目を合わせた後泣き出しそうになった。

ルイーゼは俺を気にして無理をしてるんだ。きっと俺を心配させまいと――。

 俺はルイーゼの傍まで歩いていく。声が震えた。

「む、無理するなよ。身体の具合、悪いんだろ? 俺、ルイーゼに助けられたから、これからルイーゼの傍にずっといるよ。絶対離れない」

 俺はルイーゼのベッドの横に座った。ルイーゼのために俺は何が出来るんだろう。

 ルイーゼをじっと見つめる。ルイーゼはほんの少し顔に赤みがかっていた。

「あなたは尻尾を掴んだのですから、ずっと私の傍にいるのは当たり前ですっ。それより、何でそんなに見つめるのですか? 私の顔に何か付いていますか?」

 ルイーゼは気丈に言ってきた。涙が滲むのが分かる。

 俺はもう我慢できなくなって、ルイーゼのことを抱きしめた。ルイーゼはビックリしたようだけど、すぐに俺に身を任せてくれた。ルイーゼの柔らかい身体を俺の全身で感じる。ルイーゼのいい香りが俺の全身を覆った。そして、俺は抱きしめる手を緩めてルイーゼの顔を見つめた。ルイーゼはルビーみたいに真っ赤な顔色になる。

 あれ?

 俺はその時突然気がついた。ヴィレムが言っていた。ルイーゼは病で顔が真っ青だって。

 ルイーゼの顔をじっと見つめたけど、傷一つ無い綺麗な肌だ。

 青くなんてない。むしろ真っ赤だ。何で?

「ヴィレム! ルイーゼの顔、真っ青どころか真っ赤なんだけどっ」

「なんじゃと?」

 その言葉に、事情を理解したらしいルイーゼは呆れたように言った。

「貴方たち頭が悪くないですか? 私は信二を助けようとしましたが、自分が死んで信二を助けるなんてしません。信二だってそんなの嫌でしょう? 私は信二と一緒に生きたいのだから」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「あの魔法薬を受け取るときに私は聞きました。胃液に触れた後、気化して肺から即座に吸収されると。私はその時に思いました。信二と息を合わせられれば一緒に生きていけると。私はその可能性に賭けて人工呼吸をしたのです。私は王族。私はあなたを悲しませたりしません。私一人でどこかに行ったりしません。あなたは私を信じてくれればいいのです」

 ルイーゼは顔を俺からぷいって背けてから続けた。

「あなたは私の尻尾とファーストキスを奪った人ですから、ちゃんと責任を取ってください」

 俺はルイーゼの背中をじっと見つめて、その唇を思い出して、その感触を想像した。

 何だかとってももったいないことしたような気がする。

「あ、あのさ、もう一度――」と俺がつい言いかけると、ルイーゼが振り返った。

「何ですか?」

 ルイーゼの唇に俺の視線が集中する。ルイーゼの整った顔にしっとりとした唇が栄えていた。

 あれが俺の唇に触れたの? 意識がなかったのは俺の一生の不覚だっ!

 ルイーゼは俺の視線に気がついたようだ。

「あ、あなた、何考えているのっ!」

 俺が慌てて自分の口を押さえると、ルイーゼはマグマみたいに真っ赤な顔になって俯いた。そして、話を逸らすように、ヴィレムの方を向いた。

「それで、父君と母君は?」

「それなんじゃが、サントジョージから虎族に関する情報が来たんじゃ。だいぶ前から、警戒しておったからの」

 俺がルイーゼに目で聞くと、ルイーゼが早口で説明してくれた。

「サントジョージはこの付近じゃ一番大きな町です。犬系の拠点でもあります」

 ルイーゼはヴィレムの方に向き直って言葉を続ける。

「それで? 情報を説明してください」

 ヴィレムは、エルンストに言ってデジレを部屋の外に出させようとした。だが、デジレは俺の側から離れようとしない。梃子でも動かなそうだ。

 エルンストは肩をすくめて言う。

「ルイーゼ様。この方とデジレを置いて別室で――」

 ルイーゼは首を横に振って、ヴィレムを促した。

「デジレは、信二があたし達といるかぎり裏切らないでしょう。違うかしら?」

 ヴィレムはデジレをちらりと見てから頷いた。そして説明を始める。

「虎族はサントジョージの警戒網に触れぬよう大廻りをしているようじゃ。恐らくその迂回路はかなりの遠回りになろう。我らがサントジョージを突っ切れば追いつくことが出来る。どうやら、フレデリック王達は眠らされたまま移動されているようじゃな。だから、救援隊を向ける必要があろう。ただし、問題は奴らの目的地じゃが――」ヴィレムが俺の方に水を向けた。「信二殿。デジレ殿に目的地を聞いてもらえませぬか?」

 俺は最初、ヴィレムが何で直接デジレに聞かないのか理由が分かんなかった。だけど、デジレが嘘を言うのを警戒していると思い当たった。俺が聞いたらデジレは嘘をつけないと踏んでいるんだ。

「ルイーゼの両親をさらった奴らがどこに向かっているか分かる?」

「エレオノーラ様が支配するヴュルテンベルクだよ。デジレがサントジョージを避けるように指示したの」

 デジレは即答して、デジレは褒めて欲しいように頭を突き出してきた。

 俺がデジレの頭と耳を撫でてやると、デジレはうっとりしたような表情になる。

「あうっ」

 その声はデジレじゃなくて俺が出した。ルイーゼが俺の耳をつねったんだ。酷い。

「余計なことはしなくていいわっ」ルイーゼはそう言って睨みつけた後、ヴィレムとエルンストの方を向いて言葉を継いだ。「ヴュルテンベルクということは、サントジョージを通る経路を使えば、迂回路より一週間は短縮できますね。良かった」

 ルイーゼは少し横になってすっかり回復したようだった。元気一杯に、ルイーゼは宣言した。

「さあ、彼らがヴュルテンベルクに着く前に、父君と母君を取り返しましょうっ!」

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