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第一〇章 狼少女の嘘(後編)

 ルイーゼはもう涙がこらえられなかった。だから、部屋を出た。

 もうルイーゼは二度と信二には会えない。

 悲しい。

 寂しい。

 涙が止まらない。

 ルイーゼは、信二が勝つこと、信二にまた会うこと、信二を抱きしめること、この三つを祈っていた。何度も祈った。なのに、ルイーゼの願いは一つだけしか叶わない。

「でもいいんです。もともと私たちが信二のことなんか考えもせずに、迷惑をかけてたのですから。それで十分です。私が引き止めたら信二を困らせちゃいますから」

 ルイーゼはだいぶ前から、信二が自分の尻尾を見て本気かどうか判断してることを知っていた。だからルイーゼは信二に見えないように、後ろ手で無理矢理尻尾を揺らして見せたんだ。ちょっぴり痛かったけど、信二はそれに気付かなかったと思う。

 それは狼少女(ルイーゼ)の優しい嘘。

 信二を困らせないために、ルイーゼが出来るただ一つのこと。

 もし信二を無理に引き留めたら、ルイーゼは生涯後悔する気がしていた。

 そんなことをしてはいけないと分かっていた。

 別れる時は最高の笑顔で送ってあげたかった。

 だってそうしなきゃ、信二は絶対悲しむ。苦しませる。そうしたら、絶対後悔する。

 ルイーゼは涙を湛えたまま亜人間の塔のあちこちを探した。涙が乾いて目が痛かった。

 デジレは全然見つからなかった。ひょっとして、外かもって思って、外に通じるドアを開けた。外に出てみると、人間の塔が虹色に光っていた。たぶん、これがセカンダリーの世界に通じる道の光だ。

 信二が自分の前から消えていく。ルイーゼにはもうどうしようもない。

 それは大切な人が消える瞬間だ。

「信二、お別れですね? 私、信二のこと大好きです。でも、元の世界に帰りたいですよね? 信二は家族のそばにいたいですよね? だから私、我慢します。信二がいないことを」

 言葉に出すと、ルイーゼはそれが震えるほど冷たい響きであることに気がついた。

 信二がいない世界。

 そんな世界に意味があるんだろうか? 本当に我慢できるんだろうか?

「そんなの無理に決まってますよね――」

 これから、信二を見る事も、触れることも出来ない世界が待っている。

 それはぞっとするような現実だ。

 ――信二はもう私の思い出の中にしかいられない。そんな世界なんて消えてもかまわない。

 ルイーゼは人間の塔をじっと見つめた。召喚の光はもう消えてなくなっていた。

「信二が現れたのは、たぶん必然なんです。私は、信二を待っていました。私、信二と約束したんです。だからずっと待っていました。何度も何度も待ってました。デジレの剣に触れて、なぜかそれがわかりました。私、ずっとずっと、信二とまた会えることを信じていました」

 そして、約束通り、信二が現れてくれた。

 ――わかりますか? 私の世界が一変したことを。

「それはまるで止まっていた時間が動き出したような気持ちだったんです。

 信二はやっぱり魔法使いでした。信二は私と私の世界を変えました。それが信二の魔法なんです。だから、私はもう十分です。だって、信二は約束を守ってくれたのですから。信二と一緒にいた時間には、一生分の幸せが詰まっていたのですから。今それがわかります」

 ルイーゼの頭に信二が浮かぶ。はっきりとした姿がそこにあった。

 それでいい。十分だ。やっと思いが叶ったんだから。

 ルイーゼは自分にそう言い聞かせた。もう後悔したくないから。信二を止めたらダメ。

 だけど――ルイーゼは信二と約束していない。もう一度会うことを。

 だから、このまま別れれば、ルイーゼは二度と信二に会うことができない。それが分かる。

 その確信がルイーゼの脳裏を貫いたとき、嗚咽で立っていられなかった。涙が溢れた。

「私は――バカです」

 信二とまた会いたい。もう一度、触れ合いたい。そして――もっと一緒にいたい。

 その想いはルイーゼを絶望に追いやった。そして永遠に苦しめるだろう。


 * * *


 アリシアは絶句と半狂乱のちょうど中間のような表情をしていた。スクリーンを凝視したまま言葉も出ないようだ。

『やあ。この画像が現れたと言うことは、俺が成功したと言うことだ。そして、其処にアリシアがいることも間違いないだろう。因みに俺が成功してこの映像が出るのは、プランク確率以下だと言われたから、宇宙創生以来の賭に勝ったことになる。それは、この世界に掛けられた呪いを打ち破ったことに他ならない。さすがは俺だ』

『シン様! シン様! ああ、また会えるなんて!』

 やっと言葉を発することの出来たアリシアは、手で唇を覆いながら、涙を拭こうとしなかった。俺は頭の中が整理できない。

 ――誰だ? こいつは? 何が起きているんだ?

『そして、君の名前は分からないが、君に一つだけ警告しておくよ。狼少女のフレデリカは俺がセカンダリーの世界に向かうことに最後まで反対していた。それを彼女が後悔していることは間違いないから、おそらくこの世界では、愛すべき狼少女は、君をセカンダリーの世界に笑顔で送り出すことになるだろう。だが、その瞳は本当に笑っていたかい? 狼少女は優しい嘘をついているのかも知れないよ』

 ――フレデリカ? 誰だよ、それ? 狼少女ってルイーゼのこと? それに警告って何?

 たくさんの疑問符が頭をよぎる。その時出しぬけに、俺は気がついた。

 ルイーゼの笑顔。

 何度も見た、俺が大好きなルイーゼの笑顔。

 ――だけど、さっきのアレってホントに笑顔だった? ルイーゼって、今にも泣きそうな瞳をしていなかったか?

 俺の全身を衝撃が貫いた。それは辛くて、後悔に満ちた真実だ。

 ルイーゼは俺のためにあんな態度を取ったんだ。

『俺はフレデリカに酷いことをしてしまった。だから、渡せなかったプレゼントの代わりに、別のものをあげることにしたよ。後は君の決断次第だ』

 軽い調子でその男は、言い放つと、今度は神妙な声で続ける。

『最後に、アリシア、君に言っておくよ。ここにアリシアがいると信じている。君は一人じゃない。いつも俺が一緒にいるから。それを忘れないで欲しい』

『はい、シン様』アリシアは涙に震えていた。

『あ、そうそう、フレデリカに渡そうとしたあのレイピア、例の護衛をしてる虎族の女の子にあげちゃったこと、ずっと謝ろうとしていたって――、もう伝えられないか。あはは――』

 その画像はぶつ切りで終わっていた。その男の泣きそうな笑顔が最後の画像だ。

 ――レイピア? 虎族の女の子? ひょっとしてデジレのこと?

 俺は大混乱した後、涙で震えるアリシアにゆっくり尋ねてみた。

「あの人は?」

『はい、信二様。あの方はシン様です』

 アリシアは涙で真っ赤な目のまま俺を優しく見つめて答えてくれた。

『私のご主人様でした。そして――』

 そこまで言って、アリシアは再び目線を反らして言葉を失ったようだった。


 ルイーゼの瞳を思い出して躊躇する俺に、アリシアが優しく囁いてきた。

『信二様は今まで犠牲になられてきました。もう悩む必要なんてありませんよ』

「犠牲? 犠牲になってきたのはアリシアの方だろ? 人間は、ずっとアリシアを犠牲にしてきたんだ」

 俺の言葉にアリシアは目にたくさんの涙を湛えて頭を振った。

『――いいえ』

 それは初めてのアリシアの否定の台詞だった。俺は衝撃を受けてアリシアを見つめるしかなかった。アリシアは必ず俺との会話で『はい』と言っていたはずだ。それはつまり――。

『いいえ、いいえ、信二様。違います。確かに人間のために私は生きてきました。ですが、それは私がそうしたかったからです。自分の意志(クオリア)でそう望んだからです。私は犠牲になんてなっていません。私はあなたのために生きたかったんです。私は――』

 ――俺は酷い言葉を発したんだ。俺はアリシアのことを何も分かってなかった。

 そしてアリシアの言葉が俺を打ちのめす。

『私はあなたに愛されたかったんです。あなたを守りたかったんです』

 今、俺は世界を選ばなければならない。

 アリシアは俺のことを守ろうとしていた。

 ルイーゼは俺のことを考えてくれていた。俺はそんなルイーゼが大好きだった。

 デジレは俺のために文字通り命を賭けた。そして何度も助けてくれた。

 エルンストは俺の仲間だった。そう認めてくれた。

 みんな見返りなんて求めてもいなかった。

 俺が出来ることは――。

 俺は必死に考えた。俺のことじゃなくて、みんなのことを想う。世界のことを願う。

 そして俺は一つだけ、蜘蛛の糸のような細い可能性を一つだけ思いついた。

「アリシア。一つだけ思いついたんだけど――」

 アリシアの瞳は、なぜかそれを予期していたとでも言うように揺れていた。

「エルフが連携させた二つの世界を、再び隔絶することが出来ないか? そうすれば二つの世界はそれぞれ生き続けることが出来るんじゃないの?」

『はい、信二様。ですが、それは一時しのぎにしかなりません。いったん縮退した世界は、いずれは潜在的な不確定性が増大し、隔絶レベルを超えてお互いの世界に干渉するでしょう。その時は今のように選択することすら出来ないかもしれません。

 それに、そのためにはセカンダリーの世界からの操作が必要になります。そして、隔絶してしまえば、二度とこちらの世界に戻ることは出来ません』

「セカンダリーからの操作?」

 アリシアが言っている言葉の意味は明確だ。

 一時的な回避策はある。ただ、それは単なる時間のばしにしかならない。それに、そのためには、俺が向こうの世界(セカンダリー)に行く必要がある。

 そして、俺自身の手でこの世界(プライマリー)への扉を閉じなければならない。

 俺はもう二度とルイーゼと会うことが出来ないんだ。

 俺の頭の中を過去の記憶が交錯する。

 俺はみんなを不幸にすることしかできないのかもしれない。

 だけど一つだけ分かった。

 ルイーゼが苦しい中で吐いた嘘。悲しい中で微笑んだ想い。泣きそうな笑顔。

 俺はその嘘に気付かない振りをしよう。

 それがルイーゼの想いを理解するということなんだ。

 だから俺は決断した。そうするしかなかった。

 俺はアリシアに向けて命令を下したんだ。

「アリシア。この世界は俺が何とかしてみせるよ」

 アリシアはその言葉を聞いて、溢れる涙を隠そうとしなかった。たくさんの涙と共に、それでも微笑みながらアリシアは俺を見た。

『私は永遠に待つでしょう』

 アリシアはその後、小さな声で、俺にささやいた。

『いつまでも、あなたのことを――』

 愛していますと、言ったような気がした。


 俺は、結局ルイーゼの幸せを選ばなかった。

 俺は、世界を捨ててルイーゼを選ぶことをしなかった。

「俺はルイーゼといられることより、ルイーゼと世界が今のままあることを望むよ」

 俺はルイーゼの幸せのために全てを捨てられると思っていた。

 ただ、たぶん俺にはその覚悟がなかったんだ。


 そして、俺はこの世界(プライマリー)から消え去った。

 だけど、奇跡は起きることはなかったんだ。

 だって、それは必然だったから――。

 そして……。

 そして、俺は一つの選択をした。


 * * *


 ルイーゼがぼうっとそのまま立ち尽くしていると、不意に人間の塔の扉が開いて誰かが出てきた。

 たぶんあのリウィアって言うエルフだろう。

 信二が全員助けろって言ったから、蘇生されたのに違いない。

 リウィアは、ゆっくりと亜人間の塔に近づいてくる。

 ルイーゼは身構えていたけど、不意に気がついた。

 違う気がする。誰だろう。

 じっと見つめてみた。腰に細長い剣を下げている。それはデジレのレイピアのように見える。

 ああ。分かった。この人は――。

 ルイーゼは、再び大粒の涙が自分の瞳にたまっていくのを感じた。

 それが誰なのか、ルイーゼはやっと気がついた。

 ――今分かりました。私の願いは三つとも叶うのですね。私の欲しいものは、いつもこの人が与えてくれる。私は、ただ、それを信じていれば良かった。私ってバカです。

 ルイーゼは、その人のもとに走り出した。相手もルイーゼのことに気が付いて、こっちにゆっくり歩いてくる。

 一〇〇メートル。五〇メートル。

 どんどん二人の距離が近づいてくる。でも、ルイーゼはすっごい長い時間がかかっているような気がしていた。

 ――何でこんなに時間がかかるんでしょう?

 それに、なぜだか周りの景色が、ゆがんでよく見えなかった。

 そしてやっとふれあえるぐらいの所まできた。でも、ルイーゼはそれが現実じゃないような気がして、ちょっとだけ躊躇した。触れたら消えちゃいそうな気がしたから。馬鹿みたいだと自分でも思った。そしたら、その人が腕を上げて、ルイーゼに触れようとしてくる。

 もう我慢できない。涙があふれていた。全身が震えるのが分かった。

 ルイーゼはその人の胸に飛び込んで、力いっぱい抱きしめた。

 その人もルイーゼのことを抱きしめてくれた。これは夢じゃない。現実だ。

 それも、とびっきり甘い、砂糖菓子のような――。

 今までずっと待っていた。ルイーゼが求めて、そしてやっと得られた、小さくて、そして大切なもの。大事で、失いたくなくて、だから我慢して嘘を吐いた。

 ただ、ホントは違う。大切なものは一つじゃない。たくさんの大切なものがある。

 だから大切な人とずっと離れたくなかった。

 でも、そんなこと、現実に生じるはずがないと思っていた。

 それが現実になった。幸せは、全部自分のものになった。

 ルイーゼは大きな声でその人の名前を呼ぶ。

「信二っ!」

 そのとき、ルイーゼの願いは全部叶えられた。


 そして、今、世界と幸福はルイーゼの下にある。

 ルイーゼが求めていた全てがそこにあった。

この後、なぜ信二が戻ってこられたか、短いエピソードが続きます。


それでルイーゼ編は完となりますが、是非評価をお願いします。


その結果で、この後まったく別な話を投稿するか、伏線のままで書かれなかった、序の別世界から引き続きとなるデジレ編(逆襲のデジレ編 笑)になるかを選ぶ予定です。


それと、ほぼ同時進行で、「天使が守るもの」も投稿しています。もしよろしければそちらもご覧いただければ幸いです。

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