第九章 幸せな少女の願いと狼少女の祈り(後編)
リウィアは杖を向けて、俺に言ってきた。
「あ、あなたも馬鹿だわね。でも、死なないくらいに傷付ける程度ですませてあげる。そうすれば少しは冷静になるでしょ? 魔法が使えるエルフを甘く見ない方がいいわよ?」
「ふざけるな。俺だって人間だ! 舐めるなよっ! 絶対に負けないからな」
その言葉にリウィアが一瞬目を閉じた直後、電子音が響いた。
『政令七一一に基づき、この試合は監視されています。この試合は皇都ヴェストファーレン及び各都市とその執政室に中継され、その結果によって行政措置に影響いたします』
その言葉にリウィアは驚愕の表情を見せた。
「まさか!」リウィアは叫んだ。「政令七一一なんて! やっぱりあなたは!」
そしてリウィアは悲痛な顔を示した。
「あなたには悪いけど――そして、本当に残念だけど、本気で戦って――そうしなきゃ――」
リウィアは俺の方を見つめた。瞳が潤んでいる。リウィアの瞳からやがてぼろぼろ涙が溢れていった。
俺は、その様子に困惑するしかなかった。しばらくしてリウィアはゆっくりと口を開いた。
「私は、とっても大切で、かけがえのないあなたを殺すよ。だって、あなたは最後に私たち全員を裏切って、この世界を滅ぼすのに決まっているもの」
そして、次の瞬間、リウィアが俺に向けた表情は哀れみだった。そのとき初めてリウィアが感情を見せた気がした。それはまるでルイーゼのそれのようで、俺の心が痛んだ。
俺は、リウィアに向けて走った。
リウィアは小さな言葉で何かをつぶやきながら、距離をおこうとする。
そして、リウィアは両手を振り上げた。その瞬間、リウィアの頭上に光の玉が四つ現れる。
俺はレイピアを目の前で構えた。それが自然に思える。デジレもこの剣で魔法をはじき返していた。俺も同じことが出来る気がする。そんな確信を俺は持っていた。
「受けるって言うの? 正気とは思えないわ」
リウィアはビックリした様子だったけど、すぐに気を取り直して腕を振り下ろした。
四つの火の玉が同時に俺を襲ってきた。
俺は頭の上にレイピアを守るように掲げた。
火の玉はその剣を避けるように、螺旋状の軌跡を描いて迫ってきた。
やばい。剣ではじき返すのは無理そうだ。
そんな速度で同時に四つをはじき返せるほど器用じゃない。
――俺はこんなところで焼かれるのか? ルイーゼの世界を護れないのか?
ルイーゼの顔。
そして死の直前のデジレの微笑み。それが俺の脳裏を過ぎった。
『大丈夫だよ。あたしが守ってあげるから』
その言葉が剣から流れ込んでくる。そして、俺の身体が自然に動いた。
ほぼ一瞬で右斜め上の火球に飛び、それを切り裂く。
大音響とともに、切り裂かれた火球の一部がリウィアのすぐ横をかすめていった。
それは、熟練した、しかも天才の剣士でしかできないような動きだっただろう。
そしてその動きは自分ではなく、他人の意思によるものだった。
だけど、不思議とその意思に自分の身を任せるのは嫌じゃなかった。
俺の動きに呼応して、残された三つの火の玉の移動方向が変わっていく。
地面に着地した瞬間、俺は壁に走る。そして、背中から襲う魔法を感じた。
残る三つの火弾は軌道を修正して、俺の背後に迫る。避けられない方向から襲ってきた。
デジレの予想通りだ。
――デジレ? 何で?
そして、自明のことを理解した。涙があふれる。
『あたしはあなたと一つだよ。いまデジレはとっても幸せなの』
レイピアから意思が流れてくる。俺は今デジレと一つになっているんだ。
そして、俺はデジレが何をしようとしているか理解した。
三方向から迫る避けようのない火球をまとめて始末する。それも、次弾を発せない形で。
デジレはそれができると信じていた。
「ああ。俺もデジレを信じるよ。当たり前だろ?」
その言葉と同時に、三方向からほぼ同時に攻撃が襲ってくる。
全身が不思議な感情に包まれていた。
それは悲しくて、嬉しくて、幸せで、そしてそれは戦いの高揚感とともにあった。
俺が周囲を見渡すのを感じる。まるで傍観者のような感覚に身を任せた。
そして、タイミングを見てから、全身を二メートル引いた。そしてわずかに身体をリウィアの方に向ける。火球が背後ではなく前方三方向から俺を襲う形に変わった。
三つの火球は螺旋を描いて、同時に襲いかかってくる。
俺はダッシュして右前の火球に走った。それによって三つの火球が襲いかかるのは同時ではなくなった。そして剣の刃先でなく、甲の部分を火球の右から思い切り叩きつける。
爆発音でなく甲高い金属音が部屋を覆う。それが火球のエネルギーはまだ残されていることを明確に物語っている。剣がエネルギーをそのまま受け止めているんだ。
俺はそのまま火球の勢いを押さえて、くるくると身体を回転させる。
そして、左から、そしてやや遅れて下からやってくる火球を、まだ火球のエネルギーが残ったままの剣の同じ場所で次々ととらえた。そのたびごとに硬質の高音が鳴り響く。
気付くと、俺はリウィアを両目でにらみつけていた。
リウィアは、俺を驚愕の瞳で見つめている。
俺は、とらえた火球の巨大なエネルギーを、剣もろともにリウィアに叩きつけようとしていた。リウィアにそのまま駆ける。
それを見たリウィアは、我に返ったように両手を振り上げた。同時に半透明な壁が現れて、俺の突進を防ごうとする。
俺は突進をやめない。剣を前に突き出すと、壁の前で横になぎ払った。
渾身の力で叩きつける。
その瞬間、火球が爆発する轟音とともに、その半透明の壁は粉々に砕け散った。
「なっ!」それに驚いたのはリウィアだった。「なんで? このエルフのシールドを破れるはずがないのにっ! どんな魔法だろうと、どんな技術だろうと! 一三の相反するエネルギーの交差を破る方法なんてない! こんなはずないわっ」
リウィアは真剣な顔でレイピアを睨んでいる。
「そのレイピアは、太古の技術で作られた記憶とクオリアを集約できる剣ね? まだそんなのが残っていたなんて……。それって、絶対あの魔法使いの差し金でしょう?
だけど、そんなに力が集中しているっていうことは、あなたのいた世界には人間がたくさんいる場所があるのよね? あなた一人じゃないでしょ? あなたがたくさんの祈りや願いの意思を受けていなければ、そんなに力を発揮できないはずだわ」
リウィアは俺を真剣な目で見て尋ねた。
「教えて。人間はあなたがいた世界にどれくらい残されているの? 千人? それともまさか一万人近くいるの?」
リウィアの問いに俺は首を横に振った。
「この世界は亜人間のものだろ? もし祈りや願いだったら、それは亜人間のものに決まってるさ。だけど、俺がいた世界には、人間は六〇億以上いた筈だ――」
リウィアは薄く笑って言う。
「六〇億なんて……。もしそんなにクオリアがあるのなら――」
俺が無言で剣を振り上げると、リウィアの笑いが固まった。
「ホントなのね?」
そうつぶやいてから、リウィアは早口で詠唱をする。俺にもわかるくらいリウィアの周囲に圧迫感が集積してきた。
危険だ。この魔法を唱えさせてはいけない。この魔法はこの剣で防げない。それが分かった。
俺はリウィアに突進する。
俺はリウィアを殺せる。ルイーゼを守ることが出来るんだ。
そして、リウィアに迫る。
リウィアは怯えて俺を見ていた。その姿はルイーゼが怯えている姿だった。
恐怖に震えるリウィアがルイーゼに重なった。そして、俺は剣を振り下ろせなくなった。
振り下ろそうとするデジレの意思を、俺は必死に止める。
ダメだ。そんなことできない。
もちろんリウィアはその隙を見逃さなかった。
* * *
ルイーゼは魔法の光のオーロラに焼かれる信二を見た。
なぜだろう。現実感がない。
信二は、もう少しでエルフのリウィアに剣をつきたてられた。
なのになぜか信二は途中でそれをやめてしまった。
「信二っ!」
ルイーゼは目の前の映像が信じられなかった。
もはやそこには、信二はいない。
かつて信二だった、全身のほとんどが黒焦げになった物体があるだけだった。
「なんで? あなたは一緒に帰るって言いましたよねっ! 私……」
ルイーゼが呆然とその光景を見ているとき、その画像の端に映ったものがあった。
『ルイーゼ、今すぐ祈りなさい』
アリシアだ。
アリシアが画像の横の四角い枠に映し出されている。アリシアは必死に叫んでいた。
『あなたたち亜人間が人形じゃないというなら、クオリアがあるはずです。デジレが持っていたあの剣を動かして、リウィアにぶつけることが出来るはずよ。その塔にいるあなたにしか出来ないの。その遺跡の三つの塔は魔法力学的には一つの塔なのよ』
「え?」
『まだ信二様は死んでない。もう少しは生きていられる。その間にあなたが出来なければ、エルフたちが支配する世界にこの世界が収束してしまう。あなたたちは破滅よ』
ルイーゼはアリシアがいう言葉の意味が分からなかった。だけど、しなければいけないことは分かる。
『いい? この世界は亜人間の物だって信二様は言ったわ。信二様はあなた方亜人間にも魂があるとも言った。私は、信二様を信じる。もしあなたにも魂があるなら――』
ルイーゼは目を閉じてアリシアが言うとおり必死に祈った。
デジレの剣に向けて、自分が守ろうとするもの、信二が守ろうとしたもの。
そしてそれを壊そうとするものに向けて。
『信二様を守って!』
アリシアの悲痛な叫びが響いた。
* * *
「信二」リウィアがつぶやいた。「まだ、聞こえている? 私は、あなたを殺したくなかったわ。だけど、政令七一一が発令されるなら、仕方がないの。あなたが生き残れば、あなたは私たちの世界を望まないでしょう? あなたはそういう人だもの。私には分かるわ」
政令七一一。
それは、行政組織の利用に関する制御権譲渡令。
人間が失われることを知った、最後の人間の一人が、世界の行政組織を譲渡する相手を選択させるために作った命令と言われている。
エルフたちは、それを受け継ぐことが出来なかった。だから、長い時間をかけて限定的に世界のシステムのほんの一部を変更してエルフの小さな世界を作っていた。今までは、それで満足していた。
たぶん、行政システム管理を行っていた技術者がキーなんだろう。たぶん、信二は最後の技術者に関係してる。
――関係してる? 笑っちゃうわよ。
ホントはわかってる。あの人なんだ。世界で一番大切でかけがえのないあの人。
それを知った行政組織を統括する機械が、政令七一一を発令したんだろう。この世界に呼んだのも計算ずくだ。その裏にいる魔法使いも分かる。信二があまりに哀れで、可哀想で、リウィアの心が痛んだ。苦しかった。
――人間ってこんな酷いことが出来るんだ? なんて可哀想なことをするんだろう。こんなに優しい人なのに。こんなに大切な人なのに。こんなに大好きな人なのに。
リウィアの瞳に涙が溢れていく。震えて言葉が出ない。
――そして後継者である私に、なんて酷い仕打ちをさせるんだろう。
その涙の理由をリウィアは考えない。考えたら絶望で生きていけない予感が止められないから。だから冷徹に、そして心を落ち着かせた。
そして、リウィアは悪戯っぽい笑みをしてから涙を拭いた。炭化した信二に向かって言う。
「そうそう。私はいつも魅惑の魔法をかけているの。だから、私はあなたが好きな女の子の顔に見えるはずよ。あなた、ルイーゼって狼族の少女が本当に好きだったのね。そのおかげで私は助かったのかしら? ホントにあなたっていう人は――」
リウィアは愛しそうに息絶え絶えの信二の頭を撫でた。
「だけど、これで、エルフたちが人間と同様の権利を得られるように――」
リウィアがその言葉を最後まで言うことは出来なかった。
デジレの剣が魔法のように宙を舞う。
だが、リウィアは一瞬でそれに気付いた。リウィアは予期していたかのように、微笑みながら手を上げる。
そして、強固なシールドを作り出す短い呪文を唱えた。
次の瞬間、リウィアを守る半透明の壁が再び現れていた。リウィアはそこに微弱のクオリアしかないことに気付いていた。この剣にはさっきのような驚愕の破壊力はないはずだ。
「こんなこと、一体誰が? まさか亜人間にクオリアが?」
そうつぶやいたリウィアはびくっと震えた。
動けない。指先一つ動かせない。そして、レイピアが紫色の怪しい光で輝いていた。
「まさか――」
驚愕するリウィアをよそに、レイピアはエルフのシールドをばらばらに砕いた。
そして、叫ぶ間もなく、リウィアの心臓を貫いていた。
ほぼ同時進行で、「天使が守るもの」も投稿しています。もしよろしければそちらもご覧いただければ幸いです。