第九章 幸せな少女の願いと狼少女の祈り(中編)
* * *
「何をやっているんだっ! 早くどけっ」
俺が呆然と立ちつくしていると、男の怒鳴り声が響いた。
男は馬から飛び降りると、俺を乱暴に突き飛ばして、不愉快そうに呟いた。
「ふん。私には聞こえたが、お前には聞こえなかったらしいな」
俺は抗議しようと男を見てびっくりした。
「エ、エルンストか?」
エルンストはまだヴュルテンベルグで処置した包帯を巻いたまま、仁王立ちしていた。
エルンストは俺を睨むと、ルイーゼを指差して宣言した。
「早く行け。ここは私がやる」
「な、なんで、ここにいるんだ?」
俺の問いに、エルンストはゆっくりと答えた。
「ルイーゼ様を守るのが私の役割だからだ。情報を仕入れて、早馬で遺跡まで飛ばしたんだ」
そして、俺に向かってエルンストは柔らかい笑みをこぼした。
俺はそのことに仰天した。エルンストが俺に微笑むなんて想像の外だった。
「次はお前がルイーゼ様を護ってくれ。私ができるのは、ここまでだ」
そう言ってから、エルンストは操作盤に向かうと、一気にレバーを引いた。
次の瞬間、地面から放たれた電撃で、エルンストは絶命していた。
『亜人間がこのレバーを引くことによって、攻撃停止機構が起動し、ここにいる人間の方が救われるでしょう。ただ、その代償として、その操作をした亜人間の命は失われます』
ルイーゼからその言葉を聞いた俺は、呆然とした。亜人間だけがその言葉を聞いたらしい。
何のために?
何のためにエルンストは、怪我も癒えぬままここに来て、俺を守ろうとしたんだ?
「な、なんで、エルンストは俺を守ったんだよ? 俺のこと嫌いだったんだろ?」
俺の言葉に、ルイーゼは小さく呟いた。
「エルンストは、信二のこと、仲間だと思ってたから」
「な、なんで? 俺、嫌だよ、こんなの……」
俺のことが好きだったデジレも、嫌いだったエルンストも俺を守って命を失った。
俺は結局守られるだけの存在だったんだろうか。
俺のために命を失うなんて、俺にそんな価値なんてない。
「こんな操作盤を何のために創ったんだろう?」
「たぶん、サントジョージと同じです……」
ルイーゼは哀しそうに言った。
「サントジョージと同じ?」
「この機械は人間同士の戦いに中立を護りたかったんだと思います。だから、命を賭ける亜人間にだけ操作させた。サントジョージも王族の戦いに関与しないですから」
確かにそうかもしれない。そして、もう一つ分かったことがある。
『それは亜人間が人間のためにできる大切な行為です』
たしかアリシアはデジレにそう言っていた。
アリシアは俺のためにデジレがそうするだろうことを知っていたんだ。
俺はデジレじゃなくて、ルイーゼを選んだ。だから、デジレは、俺が幸福になるためにルイーゼを護ろうとする。そう分かっていたんだ。
なんて哀しい選択だろう。
亜人間が人間を護ることを前提にこのシステムは作られている。これは人間がいることを認証する仕組みの一つなんだ。
それだけのために亜人間を殺すなんて。人間と亜人間は何が違うって言うんだ。
俺はルイーゼからレイピアを受けとると、それを自分の腰に差した。そして、俺はルイーゼと人間の塔のほうに歩いていった。
何分か歩いて、俺たちはやっと人間の塔の前に着いた。
ルイーゼがその塔の前に立ったとき、突然雷音が響いた。
そして、次の瞬間、ルイーゼが崩れ落ちていた。
雷のようなものがルイーゼを襲ったことに気付くまで、数瞬かかった。
そして、電が止む気配がない。二度目の雷撃が襲う前に身体が勝手に動いていた。
俺はルイーゼの体を光から守るように抱きしめていた。
そして、俺も雷撃を覚悟したとき、突然それは消え去っていた。
俺はしばらくルイーゼを抱きしめていたけど、もう攻撃がなさそうな様子に気がついて、そっとルイーゼを見つめた。ルイーゼは、肩から背中にかけて酷く火傷を負っているようだった。
俺が心配でルイーゼを見つめると、ルイーゼは俺の方に向き直った。
ルイーゼは苦痛に顔をゆがめていたけど、それでもにっこり笑ってくれた。
「私を守ってくれましたね?」
「当たり前だろ?」
そう言ったら、ルイーゼが目を閉じて、軽く俺の唇にキスしてきた。
びっくりした。
「この後うまくいったら、もっとすごいことしてあげます」
ルイーゼはちょっとだけ苦痛で顔をゆがめてから続けた。
「私は平気です。狼族ですから。ですが油断していました。ここは人間の塔ですよね? 亜人間が側に寄るのを許さないんです。ここから先、信二と離れたら、私――」
俺はルイーゼの手を強く握りしめた。
「ルイーゼ。一緒に帰ろうな。俺は、もう絶対にお前から手を離さないから」
それは、自然と口から流れ出た。
ルイーゼと一緒に帰るんだ。二人で。
俺の言葉に、ルイーゼは軽く微笑んでから頷いてくれた。
俺たちがその塔の前に立つと、すうっとドアのようなものが現れた。俺とルイーゼがそこから中に入ると、自然にドアが消えた。
俺たちが人間の塔に入った途端、光の幕が俺たちを覆い、気がつくとルイーゼが消えていた。
「ルイーゼ!」
俺は周囲を見回した。その部屋は小さなホールほどの大きさだ。だけど、ルイーゼはどこにもいなかった。その時、電子的な声が響いた。
『人間の塔に亜人間を確認しました。人間と接触していたため、信頼関係があると認知しました。そのため、この付近の亜人間全員を亜人間の塔に転送いたしました』
俺は、その言葉の意味をちょっとだけ考えてみて、たぶん、ルイーゼは場所を移動させられただけで生きているだろうと確信した。たぶん亜人間の塔にいる。
そして、俺は人間の塔の奥に進むか、ルイーゼの所に行くかちょっとだけ悩んだ。
しかし、その必要はなかった。
その奥からゆっくりと現れた人間がいた。その人間は、薄いベールのようなものを頭からかぶっていたけど、シルエットは間違いなく女だった。ただ、普通の人間と少しだけ違うのは、耳のところだった。その女性は、ピンと立った耳を持っていた。
「エルフのリウィアか?」
俺が敵意の篭った声を上げると、その女性は頷いてベールを頭から外した。
それはどこから見てもルイーゼだった。
「え? ルイーゼ? 何で?」
俺が驚いて小さく叫んだけど、ルイーゼはその言葉を無視して言った。
「人間が来るとは予想していなかったの。攻撃して悪かったわ」
その言葉で、その少女がルイーゼではないと理解できた。
確かにルイーゼのネコミミではない。
このルイーゼとそっくりな顔をした女性がリウィアなんだろう。
俺はリウィアの方を向いた。
「君がリウィアなんだよね? 君にお願いがあってここに来たんだ」
「あなたは水川信二ですね?」リウィアは俺の側に数歩近寄る。「信二、まず私の話を聞いて」
リウィアは、ルイーゼと同じ瞳で俺を見つめた。
「私たちは、この世界に王国を築こうとしています。それは種族の壁を越えた、統制の取れた王国です。そして、私たちエルフが世界を支配するの。もしそうなったら、人間であるあなたは国王になるのよ」
リウィアは熱心に語った。
「残念ながら、エルフは人数も少ないし、この世界のほとんどの行政組織を統括する機械に認められない。だから皇都ヴェストファーレンに入城も出来ない。私たちエルフが改造した機械ですら、私を未承認の暫定国王としてしか認めないわ。だけど、あなたは人間で、しかも望まれた男。それに猫系はあなたに逆らうことが出来ないことも知ってます。私たちはここに王国を築けるんです。私たちが支配者。何だって出来るんですよ?」
俺は、リウィアの言葉をほとんど聞いてなかった。
「リウィア、何で君はルイーゼと同じ顔をしているんだ?」
「ルイーゼ?」リウィアはちょっぴり首を傾げてから、思い出したように続けた。「ああ、あの狼族の少女のこと? さあ、何でかしらね?」
リウィアは俺に両手を広げた。
「この世界で、私たちはやりたいことを何でも実現できるのよ」
「そんなことのためにデジレやルイーゼを傷つけたっていうのか?」
するとリウィアは、呆れたような顔で俺を見た。そして聞き返してくる。
「どうしたの? 犬や猫の一匹や二匹、どうってことないでしょ? よく考えて。あなたはどんな女だって選び放題なのよ? 何で一匹の犬のために誰かと戦う必要があるのよ? 私たちは人間とエルフで、亜人間なんて所詮私たちのためのクオリアのない人形なのよ?」
「ルイーゼは犬じゃない。人形なんかじゃない! 狼族で、女の子なんだ!」
「同じことよ。人間でもエルフでもないんだから」
「違うっ!」俺は叫んだ。「ルイーゼは俺の仲間なんだ。デジレはもういない。お前がそうしたんだ。デジレは俺の大切な仲間だった。俺は仲間を傷つけるやつを許さないっ」
俺はデジレのことを思い出して、自分の目から涙があふれるのを止められなかった。
かわいそうなデジレを俺は助けられなかった。エルンストだってそうだ。
それどころか俺はデジレの最後の望みも叶えられなかった。俺は大馬鹿だった。
「仲間? ここから見ていたけど、デジレってあの猫でしょ? エルフになった私より大切だって言うの? あなたはどうかしてるよ。冷静になった方がいいわ。ルイーゼだって、あんなの犬系の亜人間だよ?」
リウィアはルイーゼと同じ顔で言い放った。俺はそれが耐えられなかった。大声を出す。
「ふざけるなっ! お前は、ルイーゼと違うっ。俺が大切にする方は決まってるさ!」
リウィアの顔はルイーゼにそっくりだ。だけど、その表情はルイーゼとまるで別だった。
俺はルイーゼの笑ったとき、怒ったとき、困ったとき、それぞれの顔を想像した。
そのどれも俺にとって大切なものに思える。
俺は、その全部がどうしようもなく愛しいことをはっきりと自覚できた。
俺は自分の心に刻み付けるようにゆっくりと口を開く。
「だって、俺はルイーゼが大好きなんだ。お前はルイーゼが大切にしている世界を壊そうとしてる。可哀想なデジレを殺したっ。絶対に許せるもんかっ!」
こいつは絶対に許せない。こんなヤツを説得できるはずがない。リウィアの世界に協力なんて出来るはずがない。それは亜人間にとって悪夢のような世界に違いないからだ。
ルイーゼを守るため、狼族を守るため、亜人間を守るためには、こいつを倒さなきゃなんない。それは自明なことに思えた。
俺がしなきゃいけないことを理解した。きっと俺はそのためにこの世界に来たんだ。
だけど――。
ある予感が生まれるのが分かった。
たぶん俺は……。
俺は首を振って、それを振り払おうとする。
そして、デジレからもらったレイピアを腰から取り出して、それを構えた。
その刹那、俺の脳裏に今まで無かった記憶の欠片のようなものが過ぎった。そして俺は確信した。このエルフの代表を倒さなければ、間違いなく世界は破滅するだろう。
ルイーゼといられなければこの世界は必ず崩壊する。それが避けられない。
うまく説明できないけど、俺はその理由を知っている。その確信が俺の心を奮い立たせた。
「お前は俺の仲間じゃない。俺の仲間はルイーゼなんだ。お前を倒さなきゃ、この世界と亜人間が守れない――」
今、俺は理解した。リウィアを倒さなきゃいけない理由。
リウィアを倒さなきゃ、俺の大切にしているものが台無しになる。それを俺は知ってる。
「――そのことが、今分かったよ」
俺はそう断言した。リウィアは俺の言葉にこわばったような、硬い表情で俺を睨んでいる。そして、数歩下がって、懐から小さな杖を取り出して、俺の方に向けた。
それは、たぶん必然だ。
未来を決める戦いが、今、始まった。それが分かる。
だけど、俺はある予感が止められない。
たぶん、俺が勝っても負けても、酷いことになる。最悪の結果が避けられない。
俺は世界に不幸をもたらす存在だ。
その確信めいた予感が止められないんだ。
* * *
その亜人間の塔から、ルイーゼは人間の塔で何が起きているか見られた。
どんな方法なのかは分からない。でも、信二と相手が話している姿がその部屋の壁に大写しにされていた。ルイーゼは、信二とリウィアと名乗るエルフが争っている姿を、まるでその場にいるかのように見ることが出来た。
――信二は私のことを仲間だって言ってくれた。大好きだって言ってくれた。
ルイーゼはその時、うれしくて体が震えた。ルイーゼは涙が止まらなかった。
――私は信二に会えてよかった。私は信二を好きになってよかった。
ルイーゼは両手を祈るように握りしめて呟いた。
「信二は普段は何にも出来ないし頼りないの。でも、私が困っていると、ちゃんとそのことを分かってくれます。私が欲しいものを分かってくれるんです。人間かどうかなんて関係ないの。
私が欲しいものは、本当はものすごく小さなものなんです。
だって私の手は小さくて、そんなにたくさんのものを持てるようには出来ていないから。でも、それは私にとってはとっても大きな意味を持つことなんです。
私は今まで一人でした。周りに友達だっていませんでした。たぶん私はずっと信二を待っていました。生まれる前からずっと待っていたような気がします。約束した覚えがあります。
そして、信二が来てくれました。信二はいつも私のそばにいてくれました。
私も信二のことが大好きです――」
だけど、ルイーゼには何にも出来ない。ルイーゼは信二を助けられない。
こんなに大切な時なのに。
だからルイーゼは祈った。
あの人が勝てるように。
もう一度あの人に会えるように。
そして、その後あの人を抱きしめることが出来るように。
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ほぼ同時進行で、「天使が守るもの」も投稿しています。もしよろしければそちらもご覧いただければ幸いです。