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抑えて沈めてなだめていた、体の内側の炎が肌を突き破って吹き出すのを感じた。白銀の光がふつふつとたぎりながら体を駆け抜けあふれだし、髪が解け逆立っていくのがわかった。ばりばりと微かな稲妻のような響きが周囲を覆う。身につけていた克也が選んでくれた衣装が、体から放った光の矢に引き裂かれて飛び散っていく、その光景も胸を詰まらせた。
「ようもやってくれたなあ」
『闇舞妓』が押し黙った。
こうなってしまった俺を止められるものなど『京』にはいない。片手を握ると、そこに輝く両刃の剣が出現する。ぎらぎらと耐え難いほどに光りながら大きさを増す剣、それを構えるまでもなく、俺は一陣の風のように『闇舞妓』を薙ぎ払っていた。
「ひいいいいい」
「きやあああああ」
切れ切れの悲鳴が夜闇に上がる。けれど、その声は、もうこの現実の世界を離れつつあるもの、俺の耳には猛々しく聞こえても、少し離れた路地をくぐる観光客にはやや強く吹く風の音にしか聞こえるまい。
寄り集まっていた『闇舞妓』と中途半端に浮かんでいた『針』をひとまとめに片付けて、俺は倒れた克也を見下ろし立っている、かつて頼子だった『闇舞妓』に向き直った。
克也は口から血をこぼしながら、どうやら気を失っているようだ。微かに、けれど忙しく動く胸が、口を犯され命を吸い取られかけた傷の重さを示していて、俺の怒りはとめどなく膨れ上がった。
「なんでやねん」
俺は頼子をにらみつけた。
「こいつはお前のことを心配して、探しにきて、助けにきよったんやぞ? こいつはお前の友達と違たんか。こいつはお前を大事にしとったぞ?」
(姿が変わっても一目でお前がわかるぐらいに)
じりと焼かれた胸のつぶやきは押し込めて言い募ると、頼子の白塗りの口元がわずかにぼんやりと綻んだ。
「大事にするのと欲するのとは違うんだよ……俺は克也に欲してほしかったんだ……その様子だと、いろんなことを知ってるな?」
「たぶんな。それに今度の『辻封じ』壊しの一件、実はお前の企みやろ」
頼子は一瞬ことばを飲んだ。
「なんで…?」
かすれた声で尋ねてくる。
「祭事方を見くびるなよ。同じような出来事は少し前にもあったんや。『京』の女でこちらに囚われ引きずられて、そのまま祭事方の目をくぐり、こちらに住み着いて子どもを産んで暮らしてくもんは多い。俺らかて、境を壊さへん限り、無闇に異界に狩りにもでえへん。大人しうしてたらよかったんや。お前の母親はそんなこともお前に教えへんかったんか」
「教えてなんか、もらえなかったよ」
頼子はしわがれた声でつぶやいた。
「俺の母親は男狂いで、年中誰かを連れ込んでた。そういう母親が大嫌いで、そういう母親と同じ性質の体だと思うだけで嫌になって。気がついたら、自分を女だなんて考えられなかった。女の体を捨てることなど何とも思っていなかったさ」
苦笑した気配で頼子は視線を克也に落とした。
「けど、心残りは唯一克也……きれいな克也、愛しい克也、女のままでいたなら俺は克也と結ばれるかもしれない、そう思っていた。けれど、日に日に俺の感覚は男になっていくし、それに」
一瞬ためらったような間が空いた。
「それに……俺は……男としても、克也が好きなんだ」
「なに……」
俺はぎょっとしながらも、いろんなことが次々に胸におさまるような気がした。
なるほど、頼子は心の底から男だったから『闇舞妓』が女に見えた。男としても克也を好きになり始めたから、女のままでおさまってしまうわけにはいかなかった。
自分のままの姿で、ありのままの姿で、好きな相手に好きになってほしい。
それはほぐしてしまえば単純なほどわかりやすい図式で。
「……そやったら、なおさら」
俺はうなった。
「なんで、克也をこんなことに巻き込んだ」
「わかるだろ、あんたなら」
ふいと頼子は克也の側に屈み込んだ。浅い呼吸をしながら目を閉じてる相手の頬をそっと指先でさすりあげ、刺激にわずかに見開いた克也の目を深々とのぞき込む。
「わかるだろ、誰にも渡したくない。鈍感な男、人の気持ちなんか、これっぽっちも気づかない、俺が克也にどんなことしたいって考えてるのか、想像もしてみなくって、無邪気に俺のことを理解してるつもりで、友人の顔して……女の子となら二人で旅行はまずいけれど、頼子は男なんだもんね、と言われた日には」
頼子は深い吐息をついた。
「殺してやろうと思ったさ」
「それで……『京』に連れ込む気やったんか」
俺の声に頼子はまた何度も克也の頬をなでた。あげくのはてに、そろそろと克也を抱き上げて、これみよがしに抱きかかえる。
「母親から『京』のことは多少聞いてた。『京』の辻が封じてあることは知ってた。『京』はここと重なってるけど異界の地で、そこなら俺が克也をどうしようと誰も止めはしないだろう、そう思った。母親のところへときどき訪ねてくる、そちらから来て、我慢のできない女と示し合わせて、石を壊して」
「んぅ…」
克也が小さくうめいて、また口から血をこぼし、俺はぞっとした。
頼子の間近にあるうちは、俺も克也に手が出せない。俺の剣は『京』のものだけではなく、異界に同化したものも始末するようにしつらえられている。このまま剣を振り抜けば、克也もろとも魂を飛ばして砕いてしまうに違いなかった。
俺は必死に頭を働かせた。
「お前、あほやろ」
「え?」
「『京』がなんで封じてあるのか、そういうとこは聞かへんかったんか」
俺は溜め息をついて見せた。不審そうに顔を上げる頼子に、
「『京』は言うなれば、女の欲望のたまり場や。恋しい男と一夜をちぎり、こらえられぬのにこらえて戻り、残る一生を恋しい男の面影で生きる、そういう想いと念の渦巻く場所や。恋しい男が側におらへん、そやけど、遠く離れた異界で、幸せに生きていてくれる、それだけで気持ちを支えようという場所やで。そんなところへ、たとえ一人にせよ、気持ちの通じた恋しい男を連れ込んでしもたら、どうなると思う。飢えた女の餌食にされるのは決まってるやろ」




