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辻封じ  作者: segakiyui
2.接触

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「まあまあまあ、達っちゃん、えろう早いお帰りで」

「どつくで、おかん」

 玄関のドアを開けたとたん、能天気な声が響いて俺はうなった。

「さっさとそこ、のいてんか」

「のいてんか、言われてのいてられるほど、気のええ女でもおへんしなあ」

 藤色のワンピースに白い割ぽう着、黒々とした髪は結い上げて鼈甲かんざしなどさしている、見かけだけは良妻賢母の母親が、口元に指先あててそっぽを向いた。

「ましてや、祭事方御陵所に努める娘をもつ母親ともなれば、こんな半端な時間にのたのた帰ってくる子ぉに、優しゅうする義理もないし」

「小言は後や。何でも聞いたるさかい、この荷物、おろさして」

 いらいらしてついそう口を滑らせると、ちかっと相手の目が光った。

「よろし、よう言わはった。覚悟しときや。で、荷物て何ですのん」

「こいつ、見かけより重うて重うて」

 どさっと玄関口に背中の『荷物』を降ろす。言わずと知れた、さっきの異界ぽんちだ。左頬を真っ赤にはらして気を失ってるところは、俺よりずっと年下に見える。

「まあ、達っちゃん。何もせっかくの痴漢さんをこんなことせんかっても」

「何や、その、せっかくの、痴漢さん、てのは」

 聞きとがめてにらみつけると、相手はほほほ、と口元を隠して笑った。

「そやかて、物好きにあんたかて襲てもろたんやし」

「違ーう!」

 何を考えてるのやら。

「こいつは痴漢やない、異界ぽんちや」

「あれ…」

 母親は笑いを引っ込めて、さすがにちょっと凍りついた。それから、ゆっくりと目を逸らせて立ち上がり、

「まあ」

「こらこらこらこら、どこへ行く」

「いややわ、お茄子、炊けたんちゃうやろか」

「話を逸らすな、話を!」

 怒鳴りつけると、母親はしらっとした顔で振り返った。

「そやかて、知らへんえ、光津子がいいひんからええようなもんやけど、帰ってきたらどないなるやら。何も」

 母親は廊下に伸びて気を失ってる異界ぽんちをのぞき込んだ。

「拾て帰ってこんでも……ええ男やね」

「俺のせいなんや」

「え?」

 まっすぐに見つめられて怯んだが、あきらめて一息に言った。

「俺が角の『辻封じ』に引っ掛かってつまづいたん。で、草履ばきやろ? 石に血がついてしもたんや。で、こいつが来た」

「あれまあ」

 母親はふいにまじめな顔になった。

「何石?」

「白」

「死人やんか」

「うん」

「これも死んでるのと違うん?」

「突くな、足で!」

 ぐったりしている男の顔をつま先で押す母親にわめくと、相手はほうとため息をついて俺を見上げた。

「ちょっとええ男はんやからて、達ちゃん、死んでるもんは手間がかかるのえ?」

「生きてるて。ちゃんと話したし」

「そやけど、死人の角やろ?」

「そやから、多分、霧に巻かれて、死人に誘われよったんやろ」

「ははあ、好きな子でも追いかけてはったんか」

「まあ、そんなとこやろ」

「どっちにしても、見込みないやんか」

「おかん!」

 俺はうなった。

「あのなあ、俺は男探しに辻にいたんと違うんや。とりあえず、こいつが辻に来てしもたんは、俺のせいや。殴ったんも俺やし、そやから連れてきた。仕方ないやろ?」

「何ではたいたん?」

「…ノーコメント」

「何やの?」

「知るか、いうことや」

「ふうん、そうなん、そういう態度取るんやな」

 母親はふいと身を離した。そのまますたすたと玄関横の電話を取り上げる。

「何する気や」

「光津子に報告させてもらいます」

「きたねえ!」

「ほな、話すか?」

 母親は受話器を持ったままにこにこ笑った。昔からそうだ、ここぞという時の決め技は、母親の方が数段勝る。

「あの…なあ」

「はいな」

「異界ぽんち、言うたんや」

「はあ、この人に」

「はよ、事態をわからしてやろ、思て。そしたら、こいつ、俺に向かって、い、い」

「い?」

「いかれ…………ぽやて」

「いかれ? 何やの」

「そやから、なあ!」

「はいな」

「い、いかれ」

「それさっき聞きました」

「だまっとれよ!」

「はよ言いよし」

「そやから! いかれ〇〇〇て!」

 いらだった俺は思いっきり大声でわめいた。

 一瞬の沈黙。やがて母親が爆発するように派手に笑い転げ出す。

「あはははは」

「笑うな!」

「いやあ、ひど」

「笑うなて!」

「そら、ひどいわあ。あはははは」

「くそお」

「よりにもよって、達ちゃんになあ」

「誰のせいやと思てんねん」

「何言うてんのん、たとえ女に生まれても、十八になるまでは男として育てるのが祭事方のしきたり、あんたに文句言われる筋合いやないえ」

 いきなりきりりとして母親が言い放った。それから、何を思ったか、再び受話器を取り上げる。

「何すんのや、話したら、姉きには知らさへんのと違うんか!」

「それがなあ」

 澄ました顔で母親は続けた。

「光津子、今夜帰れへんの。何か、街のあちこちで『辻封じ』が割られてるんやて。何者の仕業か、何を企んでのことか、調べんとあかんらしいわ」

「ほな、あの角の『辻封じ』も」

「そやな、たぶん、そうやろう」

 母親は番号を押しながら、

「そやし、光津子には言うとかんといかんのやわ、やっぱり」

「待てや、それやったら、俺が言う言わへんにかかわらず、電話するつもりやったんやんか!」

「そうなるやろか」

 俺はくらくらした。まんまと一杯食わされてしまったのだ。

「ほな、何で聞きたがったん!」

「そやかて」

 くふん、と母親は唇の端で笑った。

「面白いんやもん」

 これだ。こんな母親を持っていたら、性格が多少がさつになってねじくれても当たり前じゃないか。

「その人、奥に寝させてええで。布団敷いて看病したり、ひょっとしたらひょっとするかもしれへんし。ああ、それに、異界の手引き、ちゃあんと読んだるんやで」

「……わかった」

 俺は数十倍疲れた体に鞭打って、あいも変わらず気を失ったままの男を引きずり上げた。正直なところ、廊下を引きずっていきたかったぐらいだったが。


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