したっきり雀
(お空を見上げて)……トリになりたい、と思ったこたぁございませんか。
私はございます。なにせネ、ホラ今日も私前座でございますから。
ネ、一回くらいトリをつとめさせてもらってもいいじゃぁないかと。やらせてくれはしないかと。一回だけやらせてよお願いだからと。そんな風に思うことがございます。
マァ腕を磨けという話なんですが。正攻法じゃどうにもなりませんからね。(裏に顔を向け)オーイ、トリの〇〇さん。夜道に気ぃつけろよ。
……エー、空に憧れ飛んでみたいなんてことぁ、昔から人間いろいろ考えてきたものでございます。リリエンタールとライト兄弟のさらにずっと前から、空は人間の憧れでございます。
そんな我々の憧れもなんのその、鳥たちはいつも元気に飛び回りますね。
しかしいつでもできると思うと、やる気がなくなるものもいるようで。
「ちゅんちゅん。ちゅんちゅんちゅん。おじいさん、おじいさん。おはようございます」
「おお、ちゅん子や。今日は具合はどうだね」
「ずいぶん良くなってまいりました。ただ……その、おじいさん。私少々、おなかがすいておりまして」
「ほお、おなかが。ではすぐに用意させよう。……おい婆さん、婆さんや。ちゅん子と儂の分のメシをだね、」
「ああ、ああ。おじいさん、おじいさん。その、もしわがままをお許しいただけるなら……私、麦をいただけたらと。そう思うのですが」
「ほお、麦か。わかった用意させよう。おい婆さん! ちゅん子には麦飯をだな、」
「ああ、ああ! おじいさん、おじいさん。その、私麦は麦でもですね……麦と水を足してしばらくおいたものがいただけたらと。そのように存じます」
「麦と水……? ははぁん。なるほど。朝から欲しがりさんだなぁおまえは……おい婆さん! ちゅん子にはビール! 儂と合わせてグラスを二つ用意しておくれ!」
「おじいさんありがとうございますぅ……」
「なぁに可愛いおまえのためだ、なんだって用意するさ。……おい婆さん? ばあさーん!」
「うるさいねぇ聞こえてますよ」
「聞こえてるなら用意してくれたって、いいだろう」
「冗談じゃありませんよ。こんな朝っぱらからね、いっつも寝てばっかでその日その日をだらだらだらだら暮らしてるごくつぶしに、なーんでお酒なんか御酌しなきゃいけないのさ」
「そのようなことを言ってやるんじゃないよ。我が家に住み着いてもう四年になるが、怪我をしたのだから仕方がないじゃないか」
「いやあーたね、四年ですよ四年。寝太郎どころか日暮さんだって起きる頃合いじゃないのさ。そんだけの間寝て暮らしてて怪我がどうだの言われて、ホイホイ聞いてられますかっての」
「ああ、もういい、いい。そんなに言うなら用意せんでいい。どれ、儂が用意してこよう」
「ありがとうございますぅおじいさん」
(翁去る)
(ちゅん子、去る方向を眺めて流し目、徐々に表情を「女」に変える)
「ったくおじいさんはアンタに甘いんだから……おいちゅん子。ちゅん子。いい気になってんじゃないよ」
「アラやだおばあさん。おじいさんがアタシに甘いから、嫉妬してるのかしら?」
「馬鹿言ってんじゃないよ! ったくアンタって奴は、おじいさんの前だとあんなふうに……寝込んだふりして猫かぶっちゃって猫っ可愛がりされて」
「このうちの資産を根こそぎにしてやるわ……!」
「調子にのっちゃってまぁ……だいたいねぇ、アンタぐうたらしすぎなのよ。そんな万年床でずーっと食っちゃね食っちゃ寝してるから、見なさいよアンタ。羽なんか脂でぎっとりしちゃって」
「羽なんて言わないでちょうだい、おばあさん。これはね、私たち鳥族にとっては着物なのよ」
「はいはい。そんならさっさと着替えてちょうだいよ」
「いやよ。着たっきり」
「うるさいねこの子。あとアンタ、手洗いもだよ。使ったらちゃんと流せって言ってんでしょどうしてそのまんまなの」
「えへっ、したっきり」
「これっきりにしてちょうだいよ。ほんとねぇ、アンタこのままじゃダメんなるよ……ああほらその羽、じゃない着物? 昨日のお米の食べかすがくっついて汚いじゃないのよ」
「アラ本当。どれ、ちょっと……あら、糊みたいになってて取れないわ」
「ちょっと貸してみ。んー……こりゃとれんわ。しょうがないね、ちょっとここだけ切り取るかね」
「え、ちょっとやめてよおばあさん。なに、鋏なんて出して。あなたアレでしょう、そのままちょきんとアタシの手をちょんぎってやーい手羽先ーとかそういうことを」
「なに恐ろしいこと言ってんの。そんなことしないわよ、ただそのきったなく食べかすついちゃってる羽、じゃない着物? そこだけ切って整えたげるってんのよ」
「や、やめ、ちょっとあぶないでしょ、いいのよアタシ着物はそのまま着たっきりで」
「きたないカッコでうろつかれるとこっちが困るんだからじっとなさい」
「あぶないって、あぶないってば、そんな刃こぼれした鋏で切ろうとしたら羽が引っかかって抜けちゃうって痛い! 羽が抜けてっ、痛い! ちょ、やめなさいよおばあさん! やめて! やめてってば! あーもうこんな目に遭うなんて嫌! おじいさん、おじいさーん! わたくし、実家に帰らせていただきますー!」
(パタパタと去る)
(戻ってくるおじいさん)
「あ、ああっ! ちゅん子! ちゅん子ー! いかないでおくれー! なぜ、なぜだ、儂を置いて行かないでくれー! ちゅん子ー!」
「愛人に逃げられたみたいな顔してるわねぇ……」
さて、そんなこんなで普通の流れとはちょいとちがいますが、まあ雀のちゅん子は実家へと帰っていきました。
こうなると寂しくてしょうがないのが、ちゅん子を可愛がっていたおじいさんなのですが……皆さま、ペットロス症候群というのをご存知ですか。ええ、まあ読んで字のごとくペットがいなくなってしまったときに生じるものなのだそうですが。
これにかかると寂しさによるストレスからいろいろな症状が出るとのことですが……おじいさんの場合はこれが、過食症。つまりものを食べ過ぎてしまうという方向でのストレス発散となったようで。
「ああ、ちゅん子……ちゅん子ォ」
「あーた、食べ過ぎよ」
「ちゅん子ォ……おまえがいなくなってからというもの、儂はさみしくて……いつもご飯がどんぶりで五杯しかのどを通らない」
「だから食べ過ぎよ。あーた、こんな食べ過ぎて、マァずいぶん肥えたわねぇ。おなかとか足なんかもうハムみたいよ」
「ハムか……儂にはお似合いだな……婆さんや、翁という漢字を思い浮かべてごらん」
「(空中に書く)はぁ」
「そこからちゅん子という羽が飛んで行ってしまった……あとに残るのは、ハムだ!」
「公って漢字でしょうよ。あんたなに言ってんの」
「ああ、ちゅん子……ちゅん子……さみしいのぅ、ちゅん子……どこへ行ってしまったんだ…………あ! あそこの軒先に雀が! ちゅん子、もしやちゅん子か! 待って(のっそり一歩)おくれ(のっそりと一歩)ちゅん子! 儂を(一歩)ひとりに(一歩)しないで(一歩)くれ、ええぇっ……」
「あ、のっそりのっそり歩いてっちゃった……あのひとアレで走ってるつもりなのかしら。あーた、ちょっと! 晩御飯までには帰ってきなさいよー!」
「……ああ! ちゅん子! うう、膝が痛む……例の新聞広告のサプリ飲んどけばよかったかな……ああー、見失った……やや、あそこの池に牛を洗っているひとがおる。雀を見ていないかきいてみよう」
「……なんだか小太りな爺さんが来やがったな。【こぶとりじいさん】っておまえ出てくる話まちがえてねぇか」
「あー、そこの、お若い方。すみませんが、この辺でその、鳥を見かけはしませんでしたかな」
「鳥なら三羽ほどみかけたぜ」
「本当ですか」
「ああ。池のほとりで小太りひとり、ってな! はっはははは」
「……さようなら……最近の若いもんは、あてにならん……自力で探そう……ちゅん子、ちゅん子やーい」
のっそりのそりと歩きつづけるおじいさん。
次第に、竹やぶに分け入って入っていきます。
するとそのうちに日も暮れて、長く伸びていた影も木々の闇に覆いつくされ。
行く当てもなかったおじいさんが迷い迷ってうろうろしていると、突然に道がぱかーっと開けます。藪の向こうにはぼんやりと提灯のような明かりがともり、ざわめきが聞こえて来て。
それを頼りに歩いていくと、開けた場所に出ました。
ひらけた広場では、あっちでちゅんちゅんこっちでちゅんちゅんちゅんちゅこちゅんちゅんちゅんちゅんちゅん、雀がわらわらと大騒ぎしております。
その一番奥に、おじいさんの腰丈ほどですが大層立派なお屋敷がございました。
これが俗に言う雀のお宿というやつでして、そこからしゃなりしゃなり、綺麗に着飾った雀が一羽。進み出てまいります。
「おお……見間違えるはずはない。あれはちゅん子! ちゅん子ではないか! おーいちゅん子!」
「ああ……ああ! だれかと思えば(顔をちょっと嫌そうに変えて早口で)――アタシの羽をちょんぎろうとした婆と一緒に居た――(顔を猫かぶりに切り替えて)おじいさん! よくこんな遠くまでいらっしゃいました」
「お前を思えばなんのそのさ……さあ帰ろうちゅん子。おばあさんにはもうおまえを虐めるようなことをしないよう、よーく言って聞かせるから。どうか儂と、一緒に帰ってはくれんか」
「おじいさん……お気持ちはうれしく思いますが、それはかなわぬ願いでございます」
「どうしてだいちゅん子。そんなにうちが嫌なのかい?」
「そういうわけではございません。おじいさんのご厚情にはいまも感謝しております」
「それならなぜ……ああ、しかしちゅん子、おまえその綺麗な着物は一体どうしたんだね」
「ああ、これでございますか……じつはおじいさん。わたくしこのたび、結婚することに決まりまして」
「け、けけけっけけ結婚!? 相手はだれだ?!」
「あちらの者です」
「おお……そうか……おお、恰好の良い洋服を着ている。ネクタイを締めていて、上着の裾が二又に別れていて」
「はい。若い燕にございます」
「そうか……そうか。いや、燕君。年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ、という。ちゅん子のことを、大事にしてやってくれ……いや、ちゅん子。儂は本当は、おまえをどうにか連れ戻したく思っていたが……結婚するというのであれば、そういうわけにもいかんな。よしわかった! 儂は潔くこのまま帰ろう。ちゅん子。おまえの幸せを、儂は遠くから願っているよ」
「ああ、ああおじいさん! ありがとうございます。しかし、このままただ御返ししてしまったのでは雀一族の沽券にかかわります。せめてどうか、お帰りの際はこのお土産をお持ちくださいな」
「ほう……? これとは一体何だね」
「こちらでございます」
言って、ちゅん子が目配せをすると運ばれてきたのは大きなつづらと小さなつづら。
大きな方はおじいさんが担いでも地面に引きずりそうなほどで、逆に小さな方は、そのまま懐にしまって持ち歩けるほど小さなものでした。
「このふたつのうちどちらかを、お持ちください。どちらも同じく【雀のなみだ】が入っております」
「ほう……? では儂は小さい方をもらうよ。なにせ膝にキておるからな、重たい方は持てん」
「左様でございますか。ではこちらをどうぞ」
「ほう……これは、なんだろうな。この小さな箱の中に、針の先ほどに小さな、しかしキラキラと光る結晶のようなものが山とばかりに入っておるな。ちゅん子、これはなんだね」
「これは雀一族がその体の中から生み出す結晶の石です。一生のうちでごくわずかな量しか取れず、これが身体の中から出てくる際に雀たちは皆痛い痛いと泣き叫ぶのです。そこからついた名が【雀の涙】です(言いながらちょっと笑いをこらえきれない)。どうかお持ちください」
「ほう……身体から出てくる石か……それでいて量が少なくて涙が出るほど痛いって儂には尿結石だとしか思えんが……ちゅん子の贈り物だ。大切にするよ」
「はい(笑いをこらえきれない)。どうぞ大事に(笑いをこらえきれない)してください(プークスクス)」
「ああ。では達者でな、ちゅん子!」
こうしておじいさん、懐に雀の尿結石の山を後生大事に抱えて帰りました。
さてこれを聞いて腹を立てたのがおばあさんです。
あれだけ世話になっておいてお別れに寄こすのが尿結石の山たぁどういう了見だとばかり、かんかんになって竹やぶを進み林を分け入って、ぱかーっとひらけた広場に出ます。
そこはもう宴たけなわといった感じで、あちらこちらで雀たちがべろべろに酔っぱらっております。
ちゅん子も例にもれず、周りの雀と酔っぱらって談笑中でございましたが、おばあさんには関係ありません。のしのしと近づいていって、ドスのきいた声で言いました。
「やいちゅん子! さっきおじいさんが家に帰ってきたよ。なんだいアンタって奴は、あんだけお世話になっておいて、雀の涙だかなんだか知らないけど……尿結石の山をよこすって!」
「あらあら、だれかと思えばあの性悪なおばあさん……ひっく。あのお土産は、ひっく。お気に、召さなかったのかしらぁぁ」
「お気に召すどころか怒り狂って血圧上がって天に召すとこだったよ! こーの性悪雀!」
「あらあら。やだやだ。怒っちゃって、皺がー、増えるわよー」
「もうこれ以上刻みどころがないんだよこの顔は! ったくアンタは本当に口の減らない!」
「やだやだ、怒っちゃってぇ。……しょうがないわねぇ、じゃあー、おばあさんにもお土産を差し上げます」
「お土産ぇ?」
「ええ、おじいさんが持っていかなかった方のぉ、お土産。同じ名前で、ちがうものが入ってるの……ひっく。どうぞこちらを、お持ちになって?」
言ってちゅん子がぱんぱんと手を叩けばまたも大きなつづらがドンと置かれます。
「……こっちもロクなもんじゃなかったら、アンタ承知しないからね!」
言って、おばあさんがつづらをぱかりと開きます。
するとちゅん子がぎらんと目の色を変えて、いけーやれーやっちまえ! とばかりに掛け声をかけまそた。
途端につづらの中から、わらわらわらっ! とあふれ出す雀、雀、すずめ。あっという間に地面を覆いつくした雀の群れは、その背におばあさんを載せてわーっと広場からさらってまいります。
どんぶらこどんぶらこと背に載せられ運ばれるおばあさん、思わずこう叫びました。
「あぁぁぁれぇぇぇ、さらわれて、運ばれっちまうよぉぉ! こいつはっ、まるで、雀の波だぁぁぁぁぁ」
終