ブルームーン
部屋で一人ぼんやりとテレビを流しているとスマホが鳴った。ディスプレイにはあの子からの着信の通知。スライドして電話をつなぐと大音量が耳をつんざく。
「聞いてよ!!もう最悪なの!!」
思わず耳から離し、音量を下げてまくしたてる彼女をなだめながら話を聞く。どうやら彼氏とちょっとしたいざこざで喧嘩したらしい。喧嘩のいきさつから始まり、日ごろの相手に対する不満まで話し始め、とうとう「イライラするから飲みに行く!」とまで言い始めた。彼女はあまり酒に強い方ではない。彼女にどこにいるのか聞き、迎えに行く支度を始めた。
道中も彼女の愚痴を聞きながら、私のよく知るバーへ連れていく。ここはあまり客がいないし、店長はこちらが話したいときだけ話してくれるような気の利く人間で、堅苦しい店でもないため丁度いいと思った。それに少し変わったお酒を多く取り扱っていて好きだった。
「アブサンで。彼女にはアプリコットフィズを」
「本当にいい人だよね、君は…。こんな急に誘って相手してくれて…。君みたいな人の恋人はさぞ幸せだろうな…」
あらかた愚痴を言いきって落ち着いたのか、ぽつりと彼女が私の話を始める。
「おいおい、買いかぶりすぎだぞ。別に愚痴に付き合うくらい大したことじゃない」
「そんなことないよ。こんなに優しくされて喜ばない女はいないよ…アイツなんかこんな優しいことしてくれない…」
そういって、彼女は泣きそうな顔で俯く。沈黙が流れる。
今日こそ、言ってしまおう。彼女に私の、本当の気持ちを。グラスをグイッと一気に半分ほど煽る。喉が、体がカッと熱くなる。言葉を紡ごうとした矢先、
「でも、やっぱり私、アイツのこと好きなんだよね。全然優しくないし、イライラすること、いっぱいあるけど。やっぱ好きなんだ」
そういって、彼女は顔をあげた。その表情はどこか晴れ晴れとしていて、私は、何も言えなかった。先ほどまでの熱が、明るい彼女に奪われていくようだった。
「ねぇ、そのお酒たまに飲んでるの見るけど、おいしいの?」
私の持っているグラスを指して彼女がいう。
「ねぇ、ちょっと飲ませてよ」
「いいけど、お前、弱いんだから水割りでな」
グラスに水を注ぐ。青白く、湿った雲を流したように濁っていく。
「すごーい!なにそれ、手品?」
「違うよ、屈折率が変わって濁って見えるようになるんだよ」
へーっとしげしげと眺め、一口飲んで
「ううっ苦い…」
と顔をしかめる。ありがと、とグラスを返し、少し困ったように話しだす。
「ねぇねぇ…こんなに付き合ってもらって頼むのもあれなんだけど、今晩泊めてくれない…?さすがに今日帰ってこれからすぐアイツと顔合わせるのはちょっと心の準備が…」
…彼女は本当に自分に彼氏がいるという自覚があるのだろうか。彼氏が少し可哀想に思えてきた。
「今部屋汚いからダメ。別な女の子友達に頼め。いいか、女の子、だぞ」
「こんな時間に友達に急に友達に泊めさせて~とか申し訳ないよ~」
「私はいいのか」
「だってここまで付き合ってもらったし…それに君は特別っていうか…」
どきりと胸が痛む。何度、この言葉に私は踊らされただろう。期待してしまう心をそっと押し込んで、はなす。
「他の子に頼むのが気が引けるならネカフェにでも泊まれ。金が無いなら貸してやるから」
「ネカフェかぁ、アリだな。一泊するぐらいはあるから大丈夫!ありがと!」
会計を済ませ、近場のネカフェまで連れていく。
「今日は本当にありがと!明日ちゃんと絶対仲直りする~」
彼女が笑顔で手を振ってくる。
「ああ、頑張れよ」
私は、笑顔で手を振れていただろうか。
街明かりで星が見えない空に青ざめた月がぽつりと浮かんでいた。喧騒を抜け、静まり返ったマンションに鍵を開ける音が鳴る。最低限の家具が置かれた簡素な空間。電気を灯すのも億劫で、何も足元の邪魔をする物のない床を暗闇の中進み、ベッドに突っ伏した。
アブサンというお酒は水をいれると濁るのですが、飲み屋に行ったときその話をしたところ「それ小説の表現で使えば?」といわれて書いたものです。とても面白いお酒ですがとても度数が高いので成人してお酒に強い方にはぜひ一度飲んでいただきたいです。
タイトルはブルームーンというカクテルの意味をかけています。有名かもしれませんが面白い意味をもっています。