純ちゃん、好き! 大好き! 愛してる!
流血表現、暴力表現を含みます。苦手な方はご注意願います。
純ちゃん……純ちゃん……起きて……。お願い、純ちゃん……。
……おはよう、純ちゃん! 良かった、純ちゃんが目を覚ましてくれて! 純ちゃんたら、ぐっすり眠りこんじゃって……肩を揺すっても、おでこを突いても、ほっぺを摘まんでのばしても、起きてくれないんだもん。ハラハラしちゃった。
不思議なのね? 純ちゃんは、眠りが浅いもんね。毎晩のように魘されているの、知っているよ。びっくりした? 私、純ちゃんのことなら何でも知っているんだ。当たり前じゃない。幼なじみだもん。
夢見が悪くて、ぐっすり眠れないんでしょ? 可哀想な純ちゃん。でも、もう大丈夫よ。私が添い寝してあげる。純ちゃんを抱き締めていてあげる。悪い夢が入り込む隙間は残さないから。これからは、ずっと一緒。ほら、あの童話みたいに。なんだっけ……そうそう、スズの兵隊とバレリーナの人形の! 赤々と燃え上がる暖炉の炎に放り込まれてしまった二人は、炎の中でひとつにとけあうの。うふふ、そんな風にひとつになれたら、素敵じゃない?
うふふ。こうしていると、思い出すなぁ。こどもの頃は、寒さに震える純ちゃんを、私の部屋に連れて来て、ベッドに引っ張り込んで、一緒に眠ったっけ。純ちゃん、恥ずかしがっちゃってさ。可愛かったなぁ。
でもね、うふふ。今も昔も、寝顔はちっとも変わらない。とっても可愛いんだから。純ちゃん、起きている間は仏頂面だから、他人には強面だなんて言われるけど、すやすや眠っている間は本当に天使様みたいだよ。 あの女の気持ちもわかるなぁ。
ほら、あの女。沙織さん。純ちゃんの元婚約者の。寝顔を隠し撮りして、待ち受けにしてたんでしょ? 純ちゃん、大文字で怒っていたじゃない。うふふ、純ちゃんも絵文字、使うんだね。意外だったなぁ。怒った顔の絵文字、三つ並べてさ。笑っちゃった。可愛いんだから、純ちゃんったら。
でもさぁ、純ちゃん。あれじゃあ、純ちゃんが本気で嫌がっているって、伝わらないよ? 照れ隠しだって、勘違いされちゃうかも。純ちゃんだって、迷惑でしょ? ほら、あのひと、バカっぽいって言うか、いかにもおめでたいひとって感じ……まぁ、勘違いするのも、仕方ないかな。無口で無愛想な純ちゃんの本当の気持ち、わかるのは、私だけ。
あっ、そうそう。純ちゃん、知りたいんだよね。いつも通り、純ちゃんと私、二人きりで、食後の珈琲タイムを楽しんでいた最中に意識がふっつり途絶えて、目が覚めたら、拘束されていた。どうしてこんなことになっているのか、不思議なんでしょ? いいよ、純ちゃん。純ちゃんが知りたいなら、教えてあげる。
うふふ、違うよ。いつものアレじゃない。今の私は正気なの。大丈夫よ、純ちゃんとこうしていられるなら、もう、狂うことはないから。
ほら、これ、ね? これを、純ちゃんに飲んで貰ったんだ。私がどうしようもなくなりそうなときには純ちゃん、飲み物にこの薬をとかして、私に飲ませてくれるよね。
あのね。つい最近のことだよ。純ちゃんがお仕事で留守にしている間に、見つけちゃった。勝手に部屋に入っちゃって、ごめんなさい。でも、純ちゃんはあまり気にしないよね? 小さな頃から、純ちゃんと私、お互いの部屋を自由に行き来していたし。それに、あの鍵。あんな玩具みたいな鍵、くるくるって弄ってみたら、外せちゃった。本当に、私を入れたくないなら、もっとちゃんとした鍵をとりつけるよね。玄関の扉みたいに、ごっついの、たくさん。
うん? 何を言っているの、純ちゃん。純ちゃんは、何も悪くない。純ちゃん、大好きだよ。
うふふ。可愛いねぇ、純ちゃん。今も昔も、純ちゃんは可愛い。
こどもの頃の純ちゃんは、華奢で色白で、可愛くて。だけどね、儚く消えちゃいそうだった。純ちゃんを縁取る線は、細くて震えていて。瞳の暗い翳りは、白い肌に散らばる痣や火傷や切り傷よりも、痛々しかった。
私ね、純ちゃんと初めて会ったとき、思ったんだ。この子は、翼を奪われた天使様なんじゃないかって。私が助けてあげたいって、私が守ってあげたいって、思ったんだよ。それを言うと、純ちゃん、むすっとしちゃうから、言わなかったけど。
『女のお前を頼ったら、男が廃る』って、こどもの頃の純ちゃんの口癖。純ちゃんの為に何かしてあげたくて、いつでもうずうずしてた私をちらっと見て、やれやれって頭を振って、溜息交じりにぼやいてた。ふふふ、あんなに可愛い顔して、精一杯格好つけちゃって。可愛いんだから、もう。私の他に、頼れる相手なんかいない癖に。
それが、こんなに立派になってねぇ。あの頃の純ちゃんに、今の純ちゃんを見せたら、きっと、すごく喜ぶ。
純ちゃんの口癖が『頼りにされなけりゃ、男が廃る』に変わったの、何時からだった? 私はね、はっきり覚えてるの。火事のとき以来だよ。あの、寒い冬の日。あの日から、純ちゃんは変わったね。私のお節介を鬱陶しがって見せる、照れ屋の純ちゃんじゃなくなった。私の騎士様になってくれたんだ。
純ちゃんは、いつも私を守ってくれたよね。指折り数えるには、多すぎるから、特に嬉しかったことだけ、挙げ連ねてみようかな。
まずは、小学六年生の夏。私を引き取ってくれた叔母さんの恋人を、追い出してくれた。おじさんにイタズラされて、怖くて泣きじゃくる私から辛抱強く事情を聞き出して、その足で、叔母さんを訪ねて。泣いてばかりの私のかわりに、叔母さんに事情を打ち明けてくれたの。
純ちゃんが施設に行っちゃって、私は叔母さんの家に引き取られてからは、それまでみたいに、四六時中べったりって訳にはいかなくなって、離れ離れになっちゃったような気がした。寂しくて悲しくて、溜まらなかった。だけどあれ以来、純ちゃんは出来る限り、私の傍にいてくれるようになったよね。施設の子達より、私を優先してくれたこと、嬉しかったよ。とっても。
次に、中学三年生の秋。私が所属していた美術部の顧問の先生が、私の恋人になったって妄想にとりつかれてさ。放課後の美術準備室に私を呼びだして、襲いかかってきた。私は必死になって抵抗したけど、力じゃ全然、敵わなかったんだ。口を塞がれて、大声も出せなくて。怖くてボロボロ泣いてたら、純ちゃんが助けに来てくれた。扉を蹴破って、先生を殴り飛ばして、私を救いだしてくれた。
あのときの純ちゃん、すごく怖い顔していた。先生、真っ青になって、震えあがってたね。ちょっと、良い気味だと思っちゃった。うふふ。
純ちゃん、ひとり廊下に立って、私のこと、待っていてくれたんだよね。『近頃、私を見る先生の目が怖いの』って、相談したから、心配してくれたんだったね。だから、彼女さんとのデートの約束をすっぽかしてでも、私に付き添ってくれた。それからすぐに、彼女さんと別れたって聞いて、私の所為だろうなって、気にしていたんだよ。でも純ちゃん、気にする素振りを見せなかった。だから、安心したんだ。
本当はあんな娘のこと、そんなに好きじゃなかったんだよね。純ちゃんは優しいから、勇気を出して告白してきた女の子の好意を無碍に出来なかっただけだよね。そんな名前だけの関係よりも、私を優先してくれたんこと、嬉しかったよ。とっても。
その次は高校三年生の春。私に初めて出来た彼氏との三回目のデートで。カラオケ店の個室で、彼は嫌がる私を押し倒して、無理やり……。私はボロボロになって、その帰り道、ふらふら彷徨い歩いて……ふと気がついたら、純ちゃんがいる学生寮の前に立ってた。携帯電話を握りしめて、だけど、連絡なんか出来なくて、純ちゃんの部屋の窓を見上げていたの。
純ちゃん、私の為に、ケータイをもっていてくれたから、呼びだしたら、すぐに来てくれるってわかってたけど。……合わせる顔がなかったんだ。
純ちゃんは、あいつはやめておけって、口が酸っぱくなるくらい、忠告してくれていたのに、私、聞く耳もたなかったから。だって……純ちゃん……高校に進学してから、素っ気なかったんだもん。私、拗ねてたの。今ならわかるよ。純ちゃんが通ってたの、男子校だったもん。女の子としゅっちゅう電話したり、会っていたりしたら、すぐに噂になるよね。純ちゃん、硬派だから。からかわれるのが、嫌だったんだよね。
今ならわかる。でも、あの頃はわからなくて。……純ちゃんに嫌われたんだって、思い込んで、落ち込んでた。だけど、そうじゃなかった。純ちゃんはすぐに来てくれた。とっくに就寝時間は過ぎていたのに……窓を開けて、飛び下りて……二階の部屋の窓から! 純ちゃん、昔から無茶するよね。
そうして、一目散に、駆け寄って来てくれた。傍にいてくれた。純ちゃんの胸に飛び込んだ私を、何も言わずに、抱きしめてくれた。
私を追いかけてきたあの男が、襲いかかってきても……純ちゃんは私を見捨てて逃げたりしなかった。私を庇って、あの男に掴みかかって、揉み合いになって。純ちゃんは、あの男からナイフを取り上げようとしたけど、あの男は激しく抵抗して。そうして、純ちゃんは、あの男を……。
ごめんね、純ちゃん。あんなことに巻きこんじゃって。正当防衛で、罪には問われなかったのは、不幸中の幸いというか……ううん、当たり前だよ。純ちゃんは悪くない。悪いのはあの男。
ナイフをもって襲いかかってきたとき、訳のわからないことを喚き散らしていたでしょ? 私に誘惑されたとか、脅されたとか、そんな出鱈目を。頭がおかしいんじゃないかな。おじさんも、先生も、あの男も、皆そう。あんな毒虫みたいな連中を寄せつけちゃうなんて、私もどこかおかしいのかな?
そんなことない? ありがとう、純ちゃん。純ちゃんが信じてくれるなら、私、誰に何て言われても、気にならないよ。
私も信じてる。純ちゃんは悪くない。私だけじゃない、誰が如何考えたってそうに決まってる。司法もそう判断を下した。それなのに、どうして皆、わかってくれなかったのかな。
純ちゃんが、高校を中退しなきゃならなくなったのは、私の所為。受検勉強、あんなに頑張ってたのにね。奨学金貰って、進学するつもりだったのに。私の所為で……ごめんね、純ちゃん。
でも、ちょっぴり、安心した。純ちゃんと疎遠になっちゃったのも、大学に進学して遠くへ行っちゃうの、寂しかったから。純ちゃんが、近所の町工場で働くことになって、離れ離れにならずに済むことになったこと、嬉しかったよ。とっても。
最後は、一年前の夏。あの気味の悪い男が、大学の講義を終えて、下校する私を誘拐して、監禁して……無茶苦茶にした。あの悪夢の一カ月間、私が舌を噛み切らないでいられたのは、純ちゃんが助けに来てくれるって、信じていたから。
そうしたら、純ちゃん、助けに来てくれた! 私ね、とても、とてもとても、嬉しかったよ。純ちゃん、必死になって私のこと、探してくれた。仕事も恋愛も、何もかもを放り出して、私を探してくれた。純ちゃんは助けに来てくれた。あのサイコ野郎をぶちのめして、私を救いだしてくれた。
あの男は逮捕されて、私は入院して。純ちゃん、ずっと付き添っていてくれたよね。私はもう、ダメになっちゃったけど、純ちゃんは私を見捨てないでいてくれたよね。
あれから、私は……しばしば、自分を無くしてしまう。私自身、他の人に対して……破壊衝動が抑えきれなくなる。身も心も傷つけてしまう。叔母さんは私をもてあました。友達も、病院の先生も、看護師さん達も。純ちゃんだけが、私を見捨てないでいてくれる。私を引き取って、こうして、一緒に暮らしてくれるの。
純ちゃんは、いつも、そう。何を犠牲にしても、私を守ってくれる。……純ちゃんは、私の天使様なの。
え? なぁに、純ちゃん。どうして、謝るの? 純ちゃんは悪くないって、私、何度も言っているのに。
……純ちゃんってば、謝ってばっかり。寡黙なのに、たまに口を開いたらいつも、謝っているような気がする。
いつからだったかな。そうだ、やっぱり、あのときからだ。小学五年生の冬休み。十二月二十五日の真夜中。私は翌朝、お父さんの転勤でお引っ越しすることになっていた。純ちゃん、真夜中に私のお部屋の窓を叩いて、私を誘ったよね。『起きろ。夜の冒険だ』って。もちろん、覚えているでしょ?
……うふふ、お家がおとなり同士で、私のお部屋と純ちゃんのお部屋の窓が向かい合わせで。屋根と屋根が殆ど接していたから、私たち、大人の目を盗んで、こっそり窓から行き来していたんだよね。五年生に進級した年の、あの夏の日以来、私から純ちゃんのお部屋を訪ねることはしなくなったけど。
私、窓から出入りするのは止めようって、一緒にいるのは登校してから下校するまでの間だけにしようって、言ったよね。それで、喧嘩になっちゃった。純ちゃんの泣き顔、あの時、初めて見た。純ちゃん、強い子だったもんね。血を吐くまでお腹を蹴られても、寝がえりを打てなくなるまでタオルを巻いたバットで背中を殴られても、舌を灰皿のかわりにされても、泣かなかったもんね。そんな純ちゃんを泣かせちゃったの……私が。
今でも後悔しているよ。でもね、私、純ちゃんのことが大好きだから、純ちゃんと一緒にいられないって言ったの。あのときもお話ししたから、わかってくれているよね?
純ちゃんのことが大好きだから。純ちゃんが、純ちゃんのお父さんに打たれるのは嫌だから。純ちゃんのお母さんに詰られるのは嫌だから。だから、私は純ちゃんを拒んだんだよ。
でも……ごめんね、純ちゃん。私と楽しく遊んでいなくても、純ちゃんがそこにいるだけで、純ちゃんのお父さんは純ちゃんを打ったし、純ちゃんのお母さんは純ちゃんを詰ったんだよね。純ちゃんが見せてくれた、たくさんの傷……あれを見て、私はきっと、怖気づいたんだと思う。ごめんね、純ちゃん。純ちゃんをひとりにしちゃいけなかったのに。
純ちゃんが真夜中の冒険に誘ってくれたときもね、本当は、断ろうと思っていた。だけど……純ちゃんとは明日でお別れだと思っていたから……一秒でも長く、一緒にいたくて。会わないことが、純ちゃんを守ることだって、勝手にそう決めていた癖にね。私って、本当に、どうしようもないよね。
私の家の屋根の傾斜を慎重に降りて行って、端から、純ちゃんのお家の屋根に飛び移って……私、昔からどんくさかったけど、うまくやれたよね。純ちゃんが手を貸してくれたから、だね。
純ちゃんが貸してくれた靴を履いて、ダウンジャケットを羽織った。純ちゃんは私の手をひいて、駆け出した。
二人きりの夜の大冒険。楽しかったなぁ、とっても。わくわくして、どきどきして。息も凍る、寒い夜だったけど、お部屋に戻って、ストーブを焚いて、あたたまりたいなんて、ちっとも思わなかったよ。
二人で手を繋いで歩いた、いつもの街並みが、まるでちがっていた。月明かりはふんわりしていて、私達の世界は懐中電灯の灯りに丸く切り取られていて。暗闇にすっかりとけ込んだ野良猫の目がきらきら光っていて、綺麗だったね。まるで夜空で瞬くお星様みたいだった。
純ちゃんと私の、二人だけの、大切な思い出だよ。近所の公園で……ほら。ベンチに純ちゃんと私の相合傘が彫刻されていた、あの公園。うふふ、純ちゃん、あれを見つけたとき、すんごく不機嫌になってた。『どこのどいつか知らねぇけど……つまらねぇ真似しやがって』って、可愛い顔で精いっぱいのすごみを利かせてた。だけど、削ったりしないところが、純ちゃんだよね。公園の備品を傷つけちゃいけないって。悪ぶってても、根は真面目なんだから。
となり合わせのブランコに乗って、話をしたよね。それまで、話せなかったような話。純ちゃん、あのとき初めて、私のこと、友達だって言ってくれたの。覚えている? 私は、一字一句余さず、覚えているんだ。
『嘘だから。お節介だとか迷惑だとか、酷いこと言ったけど……全部、嘘。……今まで、ありがとう。真琴はおれの、一番の友達だよ。ひとりでも、おれ、頑張るから。いつか、絶対に、真琴に会いに行く。それまで、おれのこと……忘れるんじゃねぇぞ』
私、泣いちゃったよね。あんまり、嬉しかったから。
だけど、うふふ。あのときの純ちゃん。慌てふためいちゃって、可愛かったなぁ。あのときも、私、泣きながら、笑っていたでしょ。ふてくされた純ちゃんも可愛くて、それでも手を繋いでくれるのが嬉しくて、私、ずっとくすくす笑っていた。
二人、手を繋いで。来た道を引き返した。お家が近付くにつれて、私、寂しくなっちゃって、ぐずぐず泣いちゃっていたよね。純ちゃんとお別れしたくなかった。ずっと、一緒にいたかった。
消防車のサイレンも、野次馬のざわめきも、耳に入らなかった。紅蓮に燃え上がる炎も、ごうごうと立ち上る黒煙も、目に入らなかった。純ちゃんの息遣いだけを聞いていて、夜空に架かるお月さまみたいに綺麗な、純ちゃんの横顔だけ見つめていたの。
私たちのお家は、燃えてしまった。全焼だったって、後になって、聞いたよ。純ちゃんのお家が燃えて、私のお家にも燃え移ったって。
……ううん、大丈夫。大丈夫だよ。純ちゃんが、いてくれるから。大丈夫。大丈夫だよ……大丈夫。
もう……だから、謝らなくて良いんだってば。純ちゃんは悪くない。純ちゃんは、私を助けてくれた。だって、純ちゃんが私を誘い出してくれなかったら、私、きっと死んでいたんだよ。それに……純ちゃんは、純ちゃんのお父さんとお母さんに、殺されてしまうところだった。
火の元は、純ちゃんのお家のリビングだったね。純ちゃんのお父さんとお母さんが、灯油を被って火を放って、心中を図ったんだってね。酷いよね。純ちゃんをあんなに虐めて……純ちゃんから、当たり前の幸せを奪っておいて……挙句の果てに、命まで奪おうとするなんて……酷い。死んで、当然だよ。
ねぇ、純ちゃん? そうだよね? 純ちゃん?
純ちゃんは、悪くないんだよ。だって、純ちゃんは辛かったんだもん。純ちゃんのお父さんとお母さんは、悪いひとたちだった。純ちゃんを虐めていた。あのままじゃ、きっと、純ちゃんが殺されていた。その前に、あの人たちには、死んで貰わなきゃならなかったんだ。
神様は純ちゃんの味方だよ。純ちゃんのお父さんとお母さんは、心中した。望んで死んだの。そう決まっている。皆がそう信じている。
私ね、思うの。純ちゃんは、天使様なんだって。だから神様は、私にお仕置きをしたの。私が、純ちゃんを置き去りにして、遠くへ行こうとしたから。
純ちゃんには、私が必要なの。神様の思召しなのよ。純ちゃんと私は、一緒にいなきゃいけないの。離れ離れになっちゃ、いけないの。
私はね、純ちゃんだけを見つめている。火事の日から、今でもずっと。それなのに……純ちゃんは、いけない子だね。余所見しちゃってさ。私じゃない女の子と、手を繋いでみたり、キスをしてみたり、それ以上のことを……してみたりして。
ううん、わかってる。あれは、私の気を惹こうとして、やったことだって。今なら、わかるよ。でも、当時はわからなかった。純ちゃんが私にやきもちを焼かせて、面白がっているなんて、夢にも思わなかった。私がどれだけ、辛かったと思う? 苦しくて、惨めで、辛かったんだよ。純ちゃんにこっちを見て欲しくて、必死だったんだよ。泣いて、悩んで、また泣いて、また悩んで……ずっとその繰り返し。それでも、答えは出なかった。どうしたら良いかわからなかったから、結局、純ちゃんと同じようにするしかなかった。
好きでもない男と抱き合うことが、どんなに辛いことか、純ちゃんにはわかる? わからないだろうな。純ちゃんは恋愛ごっこを楽しんでた。身も心も削った、私の気持ちなんかわかりっこない。
だけど、だけどね。それでも、純ちゃんは必ず、私を助けに来てくれた。嬉しかったの、とっても。私のピンチに駆けつけてくれる純ちゃんは、いつだって、私だけを見つめてくれるから。あの寒い冬の日。公園のブランコで、そうしてくれたみたいに。
でもね……純ちゃん。私……私ね……。
メール、見ちゃったんだ。沙織さんと、よりをもどすことにしたんだね? 沙織さんって、お人よしなんだね。私みたいな厄介なお荷物を抱えた純ちゃんと、それでも、一緒になりたいんだって? 私が治るまで、私に純ちゃんを貸してくれるんだって?
そう言えば、未読のままだったね。いいよ。沙織さんのメール、読み上げてあげる。聞いて。笑えるから。
『純平が真琴さんの支えになるなら、私は純平を支えになりたい。十年でも、二十年でも、それ以上でも、構わない。真琴さんがよくなるまで、私、ずっと待ってるから。疲れたり、辛くなったりしたら、いつでも電話して。会いに来て。私はいつだって、純平のこと、受け容れる。いつまでも、貴方を愛しています』
うふふ……ねぇ、なにこれ? なにこれ、なにこれ、なにこれ? あはは、なぁに、これぇ!? あはは、おっかしい! なんなの、なんのつもりなの。この元婚約者さんは!?
純ちゃんを、愛している!? 支えになりたい!? 何を言っているの、この女……バッカじゃない!?
純ちゃんには私がいる! 私がいるから、他には何も要らないのよ! そうでしょ、純ちゃん! 純ちゃんには私が必要だよね!? 私がいなきゃ、ダメだよね!?
『真琴さんがよくなるまで、私、ずっと待ってるから』? 恩着せがましい女! 待つだけの癖に、何を偉そうに! 私は待つだけじゃなかった。純ちゃんをとり戻す為に、出来る限りのことをした! 思い出すだけで、身体の内側を掻き毟りたくなるような、おぞましいことまで……!
『純平のこと、受け容れる』? 図々しい女! 純ちゃんの全てを理解して、全てを受け容れられるのは、私だけなのに! だって、そうでしょ? 口先だけなら、なんとでも言える。私は実際、純ちゃんを赦したわ。大好きなお父さんが、大好きなお母さんが、大好きなお姉ちゃんが、純ちゃんの所為で死んじゃったのに、それさえ赦すんだよ、私は! ねぇ、この女は知らないんでしょ? 純ちゃんが人殺しだってことを。知っていたら、尻尾を巻いて逃げ出すに決まってる。だって、純ちゃんは人殺しなんだから! こんな女に、純ちゃんを受け容れられる筈がない!
純ちゃん……ねぇ、純ちゃん。私、純ちゃんが好き。大好き。純ちゃんも、私のこと、好きだよね? 大好きだよね? ねぇ……そうだよね? こんな、勘違い女なんかより、私の方がずっと、大切だよね? ……うん。純ちゃんは、私のことを誰よりも、何よりも、大切にしてくれるもんね。私のこと、好きだから。私のこと、大好きだから。私のこと……愛しているから?
……また、謝る。どうして? どうしてなの……どうして、わかってくれないの!?
違う。違う、違う、違う。違う違う違う違う違う違う! そうじゃない! 私が欲しいのは、ずっと待っているのは、そんな気持ちじゃない!
私の家族のお葬式の日。純ちゃん、言ってくれたよね。『真琴はおれが守る』って。私、何度も何度も、言ったよね。『純ちゃんは悪くない』。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も!
贖罪なんか要らない。貸し借りなんかじゃない。私たちの関係は、そんなものじゃない!
私は純ちゃんが好き。純ちゃんも私が好き。それでいい。それだけでいい。純ちゃんが人殺しだとか、誰を殺しただとか、そんなことは如何でも良いの。奪ったものとか、奪われたものとか、どうして、そんなことばかり気にするの?
純ちゃんは、必死になって私を守ってくれる。何を犠牲にしても、私を助けてくれる。そうまでしてくれるのは、ねぇ、純ちゃん。私のことが好きだから、だよね? 私のことが大好きだから、私だけが大切だから、他のものは何もかも、捨ててしまえる。そうだよね? 私はそうだよ。純ちゃんと一緒にいられるのなら、何を捨てても惜しくないの。だから、何もかも、捨てた。私にはもう、純ちゃんしかいないよ?
ねぇ、信じられないの? 私の気持ちを疑ってるの? だから、私にやきもちを焼かせるの? そうやって、私の想いを試してるの?
純ちゃん。好き。大好き。何度、繰り返したら伝わる? 何度、繰り返したら心に響く? 何度、繰り返したら愛してくれる?
純ちゃん、愛してるの、純ちゃん。純ちゃんを想うあまり、私の心臓は張り裂けちゃいそう。
どうして、謝るの? 謝らなきゃ、いけないようなこと、しちゃったの? いいんだよ、純ちゃん。私は純ちゃんを愛しているから。純ちゃんを受け容れてあげる。純ちゃんの汚いところも、醜いところも、全部丸ごと、愛してあげる。
純ちゃん……どうして? 私だけよ? 私じゃなきゃ、愛してあげられないのよ? 純ちゃんは人殺しなの。沙織さんが純ちゃんの正体を知ったら、きっと、怖がって、嫌いになって、逃げちゃうよ。それでも、いいの?
ふぅん……そっか。そうなんだ。……わかった。
手札は全て切ったわ。もう、何もない。私には、何もない。ごめんね。もう、何もない。純ちゃんを想う気持ちだけが、残っているの。
ごめんね、純ちゃん。私、純ちゃんのお遊びにはもう、付き合いきれない。
チキチキチキチキ……。チキチキチキチキ……。
うふふ、見て見て、純ちゃん。じゃーん……カッター!
あのねぇ、純ちゃん。ひとつ、私にも、謝らなきゃいけないことがあるの。二人の思い出の公園のベンチ。あそこに、相合傘を彫刻したの、私なんだ。うふふ、驚いた? 好きだったから。あの頃からずっと、純ちゃんのこと、大好きだったから。大きくなったら、純ちゃんのお嫁さんになりたかったから。沙織さんと純ちゃんが、お互いの存在を知らなかった頃からずっと、私は純ちゃんを愛してたのよ。純ちゃんへの想いを刻みつけたの。あれだけじゃないよ? 純ちゃんは見つけられなかったけど……他にもたくさんあるんだから。純ちゃんのこと、大好きだから。想いが溢れて止められないから。あの頃から……今でもずっと!
これでねぇ……刻みつけてあげるね。朴念仁の純ちゃんにも、私の想いが伝わるように、、刻みつけて上げる……純ちゃんの胸に。
うふふ……恥ずかしがらないの。今更だよ? 私、純ちゃんのことなら、何でも知っているんだから。
そうだなぁ……たとえば、お風呂に入ったら、まずは髪を濡らして、右腕から洗い始めることとか。ズボンを脱ぐのは右足からだとか。小さく丸くなって眠ることとか。……あの女と、どんなセックスをしているのかとか。何もかも全部、知ってるんだよ。
うふふ……でも、やっぱり、小さな画面越しに覗き見るのと、この目で見るのとは、違うね。こうして、触れられるし……匂いも嗅げる……。純ちゃん……本当に逞しくなったねぇ……うふふ。
さぁ、純ちゃん。覚悟は出来てる? 刻みつけてあげる。私の想いを、大きく、深く……心臓に達するくらい深々と、刻みつけてあげる。
なに……もう。私は正気。狂っているとしたら、ずっと前から。狂わせたのは、他の誰でもない……純ちゃんだよ。うん? あの火事の日? 違う、違う。もっと前……純ちゃんと出会ったその瞬間に、私は恋に狂ったの。
真琴……純平……傘の上に、ハートもつけちゃおっかな。うふふ、出来た。でも、ひとつじゃ足りないから、もうひとつ……ふたつ……みっつ……もっと……もっと……!
純ちゃん? 痛い? 痛いよね。ごめんね、純ちゃん。でも、必要なことだから。純ちゃん……辛かったら、叫んでもいいのよ? ここの壁、防音なんでしょ? 純ちゃんが叫んでも、誰にも邪魔されないよ。あっ……唇噛んじゃって……もう、意地っ張り。血が滲んでるよ? しょうがないなぁ……舐めて治してあげる。……うふふ、純ちゃんの血、甘いね。あっ……キス、奪っちゃった。血の味のするキスなんて、初めてでしょ? 純ちゃんの初めて……うふふ、嬉しい。
……っと。こんなもんかな。いっぱい、いっぱい、刻みつけちゃった。うふふ、すごいねぇ。純ちゃんは私のもの。……誰にも渡さない。
ねぇ、純ちゃん。目を閉じて? 瞼の裏側に、あの日の炎が浮かび上がるでしょう? 私達はあの日からずっと、あの炎に焼かれながら、生きて来たように思うの。あの炎が、すべての始まりだった。
だから、純ちゃん。あの炎の中に帰ろう? そうしたらね、私達……あの頃に戻れると思うんだ。
純ちゃん……好き。大好き。愛してる。一緒に炎に焼かれよう? 二人抱き合って、溶け合って、ひとつになるの。
純ちゃん……これで、私だけのものね。