獣と人間
一閃。
着地と共にクロ目掛けて腕が振るわれた。
しかし障害物を乗り越えてから着地するまでに高さがあったおかげでクロは難なくそれを回避する。
相手の着地の硬直を敵に晒すというのは本来悪手である。しかし、それは普通の人間での話であり、【因子保持者】かつ現在獣と大差ない私はそれを歯牙にもかけていなかった。
なにせ地面につま先が着き発生した着地の衝撃を足首、膝をクッションにして殺すというところを前へ跳ぶための推進剤にして地面すれすれを跳ねた。
「シィ!!」
「ぐっ」
加速した勢いで、姿勢を直したばかりのクロへと指を連ねた一本の槍の如き貫手を放つ。
クロがとった行動は跳躍。上方や後方ではなく、前に向かって。私の頭上を彼は通り抜けた。
空を切る一撃にこの身体は戸惑いを表さない。なにせ私の視界で彼が跳び越えたという情報があるのだ、見失ったわけではなく背後にいるというだけ。この状況に対して本能が選んだのは振り返ることではない。そのまま駆け抜け、勢いを殺さないこと。速さが命の戦闘スタイルは加速していくことで真価を発揮するからだ。
とん、とん、とん、と。
荒れ狂う嵐の如き動きながら、足場にする障害物を蹴るときの音は重さを感じさせない軽いものだった。
それだけ着地の際に失われているエネルギーが無いということでもあり、勢いをほとんど殺さないままに加速していけば視覚情報だけを頼りにして動くというのはすでに無理だろう。
また一つ障害物を跳んで、方向を曲げる。
「!??」
「掛かった!」
しかし曲がったのと同時、私の身体は溺れた。
身体は動いているけれど、視界は歪み呼吸は一瞬で奪われ、耳の奥では鈍い音が聞こえてくる。
それで悟る。リョーの仕業だ。恐らくは彼女が水で文字通り網のようなものを仕掛け、そこへ私が突っ込んだということなのだろう。それなりに加速はしていたというのに、あっさりと掴まった。
「こうなったハクちゃん見るのは初めてだけど、なんとか、なり、そう、かな~? クロ君!!」
「あいよぉ!」
「もがぁああああ!!!」
体をじたばたさせているところに、クロが現れる。
つまるところはリョーが捕まえて動けなくし、動けなくなったところでクロが止めを刺す。見事な連携だ。これなら確かにクロの実力を十全に発揮できる。
なら、ここを潜り抜けるのは獣のすべきことじゃない。人間がするべきことだ。
この暴れもがく肉体を制御し、打破する。それができなければクロにぶん殴られる。単純な構造だ。
「最近はまともに殴れなかったからな。当然手加減はするが、多少は本気でやらせてもらうぜぇ!!」
「殺さないでよ、クロ君!?」
「誰が殺すか!?」
とりあえずあそこの二人は私がすぐに抜け出せてないというのがわかったからなのか、クロは拳を鳴らしながらゆったりと近づいてくる。それは冗長だ。
意識を。
深く、深く、深く。
自分の奥へと潜っていく。
突然溺れて呼吸が出来ないからなのか。
呼吸が出来なくて命の危機に瀕しているからなのか。
あれだけ潜れなかった意識の奥へ、私は沈んでいく。
深く、深く、深く。
――こわいの
――しなせたくないの
――ひとりはいやなの
――ふれあいたいの
――でも
――できない
――怖くないよ
――死なせないよ
――一人じゃないよ
――触れ合えるよ
――だから
――できるよ
白い世界だった。
蹲って泣いている少女がいた。
それは、私だった。
小さな、私だった。
手を、差し伸べていた。
顔を上げた碧い目の私と目が合う。
さらり、と私の髪の毛が視界に映る。黒だった。
きらり、と小さな私の目の奥に映る私がいた。
私は泣いていて。
私は笑ってた。
戸惑うように差し出された手を、しっかりと握る。
私は私を抱きしめる。
「大丈夫、私はもう、大丈夫だから」
「そっか、私はもう、大丈夫なんだ」
溶け合う。
溶け合う。
白と黒は重なり合って。
だけど互いは混じらない。
獣と人間。
一緒だけれど違う私。
違うからこそ一緒の私。
――いこう!
――行きましょう!
浮かんで、浮かんで、浮かんでく。