リュウは動き出す
「こんなものか」
ただ一人が存在する空間で、青年が呟いた。
その手から足までは所々に赤黒い斑点が付着しており、彼の前には赤く染まった水桶があった。
龍堂桐峰は、絶賛掃除中であった。
場所は南にある研究室。
無論、赤とは血のことであり、彼がこの研究室で起こした惨劇によって生まれたものである。
どうして彼が起こした出来事を彼が片付けているのか。それは単にここの研究所の責任者である紅い女性に命令されたからである。いや、少し訂正が必要か。紅かった女性に言われたことだ。
研究所の各部屋に備え付けられているダストシュートと排水溝にまとめた肉片骨片もろもろを捨て、壁や天井にこびり付いた血をふき取るために使われた掃除道具を捨て、赤く染まった水を捨て。ともかく総勢三桁には昇るであろう人間の残骸を彼は一人で処理したのだった。
「終わったよ」
「そ、お疲れ様」
汚れた服を着替え、自分に掃除を命じた女性のいる部屋へと戻る。報告をすれば彼女は特に気にしたよう数も無く部屋一面を埋めるモニタを見つめながら奏でるようにコンソールを叩く音が響き続けている。
桐峰はその女性が座っている席の斜め後ろまで近づく。大きな椅子から除くその女性の頭頂部は金糸の如き髪。体躯は少女そのもの。モニタを見るためなのか、眼鏡をかけている。
そう、赤い女性は金色の少女になっていた。
原理は不明だが、曰く自分の遺伝子情報を含んだ素体を作り、そこへ自分の記憶を写したのだという。要領的には【因子保持者】よりも簡単だと本人は言っており、ちょっと遺伝子弄ったクローンだとのことだった。
「それで、【中央】に関してはどうなったんだ?」
「それを今やってんのよ。あそこはリアルタイムで情報が更新されるから、今手に入った情報も次の瞬間には変わっている可能性はあるし」
「どちらにせよ攻め込むという意志は変わらないんだ。不確定要素なんて常に付きまとうものだろう」
「だからよ。確実な情報だけでも掴んでおく必要があるの。特に、戦力も考えないでの特攻なんて極寒の海に全裸で飛び込むのとなんら変わらないじゃない」
「それは違いないけどね。だけどどうあがいても極寒の海へ服を着て泳ぐのと大差は無いと思うよ」
目まぐるしく変わるモニタの映像を、二人は眼球を目まぐるしく動かしながら情報を頭に叩き込み、会話していく。
少し前なら考えられない奇妙な関係だ。
一人は研究に関わるもの全てを殺さんと躍起になっていた青年で。
一人は自分の研究の成果が目の前に現れたときに殺そうと息巻いた少女だ。
どこにあったか、利害の一致による共闘がここにあった。
「それで、体調はどうなの?」
「大分勘は戻ってきた」
「連絡はするの?」
「君からしておいて欲しい。最終的な調整が完了していない」
「わかったわ。どれぐらい?」
「一週間もあれば十分だ」
「了解。そうなるように伝えておくわ」
桐峰はつい最近まで眠っていた。
正確には眠らされていたのだが、自身の傷を修復するためには自然治癒よりも金髪の少女ことクレハが用意した医療ポットを利用したほうが早いという見込みとなり、彼はそのポットの中で眠っていたそうだった。
さすがに目が覚めたときは戸惑ったが、傷が癒えたからなのか満足に寝たからなのか、あれだけ不安定だった彼の精神は多少の均衡を得ていた。
その後、クレハの言葉を聞くだけの余裕を得たこともあって一時的な共闘をしているというわけであった。
青年はそれだけ伝えて部屋から出ると、そのまま研究所の外へと向かう。別にここから離れるわけではない。リハビリのためである。
あの大規模な掃除をしたこともあってか肉体の感覚は大分戻った。しかし、それは日常的な範疇であり、死と隣りあわせとなる戦闘における肉体の感覚はまだ微妙である。加えて、能力を十分に扱えるかなどの確認も必要だ。知らずに要所で使い制御できないなんてヘマをしないためである。
「ふむ」
彼は自分の手のひらを何度か閉じては開く。
龍堂桐峰。
実質四度目の死によって、また一つ強さを得ていた。