再び動き出す
「桐峰の治療が終了した」
朝食を食べているときのこと。
ケヴィンが開口一番に言った。
「どうなったの!?」
つい気になって身を乗り出してしまって、テーブルの上に乗せられていた食器が揺れた音で我に返って席に座りなおす。
まぁ落ち着いて、とケヴィンは言ったけれど結局あの日から一度もそういった連絡は無かったのだ。努めて気にしないようにはしていたけれど、話題に上げられたからには多少落ち着きを失っても仕方が無いと思う。
「まず簡潔に言えば、肉体面での彼の治療は完了している。ただ、精神的な部分に関しては少々厄介でね。どうやら一部の記憶を欠損、または封印することで今は落ち着きを取り戻しているようだ。自己防衛の一種だろうね」
「それってやっぱり?」
「ああ、彼がこの研究所を飛び出す直前の出来事は曖昧のようだ。なんかしらの訳があって単身研究所に飛び込んで、そこで情報を得られたからそのまま【中央】へと向かおうとしたというところまでがあの時の出来事という認識になっている。そういう意味では深く話題に出さなければハクが桐峰に会っても問題は無いだろう」
「それで、いまキリミネはなにしてんだ?」
「連絡とかはできないの~?」
「それについても話そうか。とはいえ自分で話題を振っておきながら朝食の場でするもんじゃなかったな。まずは食べよう。まずはそれからだ」
朝食を終えてテーブルの上からは食器が片付けられる。基本的な生活の要素をケヴィンの家では全て自動で行われていて、食器の片付けと洗浄も自動で行われてしまった。この場所にいる間は家事とは無縁の生活になっていて、少し変な気分でもある。
ともかく、片付けられたテーブルの上に新たに置かれたのは球体の物体。
「こいつは空間に映像を生み出すための装置さ。小さな端末を皆で寄り合ってみるというのは窮屈だろうからね」
といってケヴィンが装置に触れるなり、音も無く部屋の明かりが消え、周囲が薄暗くなる。装置は登頂部分が光るとその上方に光の円を描いた。
「そちらの現状はどうだい?」
何も映されていない光の円に向かってケヴィンが呼びかけると、一瞬だけ円がブレて金色の髪に紺碧の瞳、髪の隙間から飛び出した細長い耳をした少女の姿が映し出された。
『現在進行形で調整中よ』
「いや、誰だよ?」
私の言葉を代弁するようにクロが指摘した。リョーも似たような疑問だったのか、無言で首を縦に振っている。
なにせ、今映像に映っている少女は人間のようでありながら人間とは違い雰囲気を感じるからだ。その容姿もそうだが、特に目を引くのは細長い耳だ。
『あー、そっか三人には伝えてないわね』
「ボクもキミがその姿を見たのは初めてだけどね。中々面白い検体を持っていたようじゃないか」
『そりゃあたしがあっちから検体を持ってきたんだから渡すも隠すもあたし次第だもの。それに、これ以上あの野郎に身内や知り合いを辱められるわけにはいかないの』
「まぁキミがそういうならいいけど。ボクは関与していないことだしね」
『ふん、まぁいいわ。とりあえず桐峰のことについて知りたいんでしょう?』
「その前に確認するけど、貴女はクレハ、っていうことでいいの?」
『んー、まぁ間違ってはいないわね。けどやっぱどの肉体でもクレハって呼ばれるのはアレだし、……そうね、コハルって名前にしましょう。和名なら木に春でコハルね』
「とってつけた感のある名前だけど……」
『まぁ四人はあたしのことを知ってるからいつも通りクレハでいいわ』
「どうして体が明らかに変わってるのかって聞きたいけど……」
『秘密。今はあたしのことを話す場じゃなくて桐峰についてでしょ?』
「……そうね」
燃えるような紅い髪に瞳をしていた女性のクレハは、金色の瞳に紺碧の瞳、細長い耳をした少女のコハルになっていた。訳が良くわからないけれど、恐らくは彼女も【因子保持者】のようなものなのだろうということで無理矢理納得させる。ヒトとは似て非なる存在を生み出せるのだ、そこに前の肉体の記憶を引き継がせることができたとしてもそこまでおかしいとはおもわなかった。
『さて、それじゃあ彼の現状を話しましょうか』
ひとまずの混乱が鎮まったところで、本題に入る。
『ケヴィンからは彼の状態を簡単に聞いてるだろうけどこちらから改めて報告するわね。まず、最初期に彼を保護した後に専用の治療カプセルに叩き込んで肉体面の治療を行ったわ。肉体面の治療に関してはどうも今まで相当な無茶をしてたみたいだからそっちのほうを治していた事もあってカプセルから出たのは本当に直近のことよ。で、治った直後に暴れるんじゃないかって少し懸念してたんだけど起きた後は暴れる様子も無かったし聞いてみたらある程度の記憶の欠落を確認できたのと、カプセル内での時間の経過はある程度把握できたからみたいね。記憶の欠落に関しては私が彼と出くわしたときから精神的な不安定さを抱えていたみたいだからそれを一時的にでも元の状態に戻すために原因となった記憶の部分を封印、改ざんしたんでしょうね。そんなこともあって問題がないといえば問題ない状況だわ。ひとまずは動かしてなかった体を解すために私の研究所を掃除させてるけど、特に問題になりそうな感じじゃないわね』
こんなところ、といってクレハの報告が終わる。
彼の姿と声が聞けないのは少し物足りなさを感じるけれど、どうやら無事なようでよかった。
「それで、桐峰のリハビリはどれぐらいで終わりそうなんだい?」
『そこはあたしじゃなくて桐峰に聞きなさい。基本的に【因子保持者】の肉体っていうのは成長することはあっても衰えることはほとんどないわ。アイツが言ってるのは戦闘勘が鈍ってるってことだろうし。今のあたしはこんな姿だから全快した【リュウ】とやり合うなんて不可能よ。撫でられてはい御終いが精々ね。どれぐらいの時間が掛かるのかはわからない。まぁアイツがもう大丈夫だといえば大丈夫なんじゃない?』
「わかった。ボクとしては彼が復帰したのなら特に言うことは無いからね。そっちの三人は何か聞きたいことは?」
「ボクはないかな~」
「あぁー、オレはキリミネに直接言いたいことがあるだけだからいいわ」
「……今は、大丈夫」
「そうか」
『ん。わかったわ。それじゃ最後に。三人とも強くなったけど、それじゃまだ足りない。頑張りなさい』
そういって映像は消えた。部屋も明るくなっている。
現状、やることは変わらないようだった。